『尊厳死・安楽死』

軒茶屋の映画館に行きました。『ミリオンダラー・ベイビー』(クリント・イーストウッド監督)と『海を飛ぶ夢』(アレハンドロ・アメナバール監督)の2本立てを観ました。映画館独自の割引も含めて2本で1100円。安い。

両方とも尊厳死・安楽死というテーマを扱った作品。あらためて2本続けて見るとやっぱり”重い”ですね。両作とも”死”というテーマの相対的な存在として”愛”も重要な要素となっているので、感動の物語として受け止めることもできるのですが、それでも重い。
尊厳死の是非について考えさせられることや、命の大切さについて考えさせられることが重いのではありません。私は、人生の終盤において大事なことはいかに”枯れる”か、だと思っています。だからこそ、枯れ方というプロセスを選ぶことの出来ない人生がリアルに伝わってきたことが”重い”のです。人間は最終的に死を選ばざるを得ません。ゆえに命の価値は長さではなく、どう生きたかという内容が問われるのではないかと思います。環境問題やエネルギー問題等、”限りあるもの”を考える場合も同じでしょう。逆に”人生”というプロセスが本当に本人にとって満足のいくものならば、死のタイミングは本人が決めてもよいのではないでしょうか。両作の終盤を見ていると、科学や医療が進歩したといっても、まだまだ人間は死というものを扱いきれていないんだなあと感じます。

”枯れる”ということを重要視する背景には、私自身が大きな病気や事故を経験したことがあるのかもしれません。最近、テレビに楽天の三木谷社長がよく登場しますが(TBSの買収問題ですね)、三木谷氏は阪神・淡路大震災で親戚を亡くし、「人生は儚い。悔いを残してはいけない」と実感したことが起業につながったとおっしゃっていました。もちろんそのことは単なるきっかけの一つに過ぎないのかもしれませんが、その心情は理解できます。
最近は地震も多いし、今までは考えられなかったような犯罪も起こります。それでも今、これを書いている私や、読んでくださっている方々は生きています。生を選んでいるわけです。”重い”時間ではありましたが、自分自身の生のプロセスについてあらためて考えさせられたという意味で貴重でした。

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