『足るを知る』

い音楽や面白い本に出会った時、おいしいラーメン屋や雰囲気の良い喫茶店を見つけた時、私たちは知人や友人に教えますよね。また同様に他人から教えられて新たな世界に触れることもあります。このコラムでも私がよいと思うもの、心惹かれるもの、そういうものを適宜紹介してきました。しかし、たまにそういう行動に疑問を感じる時があるんです。

例えば、音楽でも映画でも、本当に心から自分が感動した作品、要するにその作品に触れることによって自分が精神的に100%充足している場合は、あえて”他人に教える”という気が起こらないんじゃないかと。まあ、それは極端にしても、少なくとも優先順位としてはかなり低いだろうという気がするんです。
とは言え、何かの折に紹介したり、その作品の話題になったときは褒めもするし、薦めもすると思います。また、「これはあの人なら絶対好きだ」、というような場合や、誰の生活にも有効であろうと思われるような情報等は教えるでしょう。しかし、そういう状況でない限りは、”人に教えたい”という欲求がさほど強くないんじゃないかと思うんです。
100%の満足度のものを人と話した場合、想いが共有できれば120にも130%にもなるかもしれませんが、共有できなければ90%程度に落ちてしまうかもしれませんよね。また、全く正反対の感受性の方もいるでしょうから、そういう人と話した場合はさらに下がるでしょう。「何でわからないの?」みたいな。もちろん、人と共通の趣味について話し合うことや議論することはそれ自体楽しいことですし、人生を豊かにするためにも大事なことなんですが。

話がややこしくなってきました。最近、”情報過多という悪”についてずっと考えているので、そういうモードに入ってしまっているのかもしれません。
是枝裕和監督の作品で『ワンダフルライフ』(1998)というのがありましたね。人は天国への入口で人生を振り返り、一番印象的な想い出を選択する、という作品です。例えば、本当に心からよいと思うもの。オススメ程度ではなくて、”誰が何と言おうと、何と思われようと、これは私の人生に欠かせない”、そういうものって実はそんなに多くないんじゃないでしょうか。いずれにしても大事なのは、禅の教えにもあるように「足るを知る(満足を知る物は貧しくても心は豊か。満足を知らないものは富めりと言えども心は貧しいということ)」ということじゃないかなと思います。

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