『誰かの社会』

月25日以降、マス・メディアはしばらくJR福知山線の脱線事故で埋め尽くされました。報道内容は事故原因に言及するものから、当日のJR西日本の職員たちの宴会状況、JR西日本の組織的な問題まで、さまざまです。事故現場がカーブという事もあってか、事故発生当初から運転士のスピードの出しすぎを原因と決め付けるような内容がほとんどでしたが、もうそういう事には驚きません。マス・メディアが偏った報道をする?大組織の構造的欠陥が個人の常識を麻痺させる?そんなことは過去に嫌というほど学んできました。実際、大きな要因としてスピードの出し過ぎの可能性が高いのは否めないようですが、いずれにしても私たちが考えなければならないのは、今回の事件から何を学び、今後にどう生かすかということ。
相変わらず報道熱が覚めやらぬ中、先日の新聞には、JR西日本管内で運転士や職員が空き缶を投げつけられたり、暴行を受ける等の被害が発生しているという記事が載りました。きっと、そういう行動と同じ理屈で、電車が来るのが1,2分遅れただけで車掌や職員を大声で罵倒するような人がいるのでしょう。いろんな背景があるにしろ、遅れを取り戻そうとする運転士の行動は一体誰のためなのでしょうか?

私は、『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)の著者である辻信一さんのおっしゃる”スロー”という言葉、そしてその言葉に託された意味に共感を覚えますし、これからの社会、世界に必要な価値観だと思います。ここで言う”スロー”とは、ただ単にスピードを遅くするという意味ではありません。しかし、私たちには、そういう”スロー”さも必要なのかもしれません。もちろん、単純に”安全を損なうほどスピードを出しすぎてはいけない”、ということが言いたいのではありません。それは大前提。しかし、今、私たちの日常は、そして人生はとにかく時間に追われすぎている気がします。おそらく待ち合わせには遅れたっていい。仕事にも遅れたっていい。きっと思ったより困らない。ちょっと極端な言い方かもしれませんが、それが”悪”だという根拠は一体いつ、誰が決めたのでしょうか。同じように、エッセンスだけを取り出す、手間を省く、時間を短縮する、そういうことが有効だという明確な理由は何でしょうか。
自分たちが暮らしている社会、そこで物差しにされる価値観、それは一体誰が作り上げたものなのか、私たちは私たち自身に問いかける必要があると思います。

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