『交換されるもの』

ーシャル・ネットワーキング(ネット上で人のつながりをサポートするサービス)が流行り、Blogのようなツールが定着する等、ネット上のコミュニケーションは相変わらず進化しつつあるようです。
ソーシャル・ネットワーキング(例えばMIXIなんかが有名ですね)に関しては、私も知人から紹介を受けてとりあえずいくつか参加はしているのですが、少し気になることがあるんですよね。そのネットワークの中でメールや日記等を通じて他人とコミュニケーションを図る時、それがいわゆる”意思の疎通”に思えないんです。もちろん、そこでやり取りされる内容は、挨拶や社交辞令に始まり、いろんな話し合いや議論もなされているし、実際コアな情報も流れているのですが、どこか違和感を感じるんです。
あえて言うなら、単なるデータ交換に終わっている気がするんですよね。情報の伝達、連絡ではあっても、必ずしも意思の疎通ではない。それがこういうサービスの目的だと言われるとそれまでなんですが...。
データ交換って、相互にやり取りするという意味では双方向なんですが、データを送っている時は一方的なんですよね。面と向かって話をしている時は、どちらが話をしていてもリアルタイムで相手の反応が見えるわけです。「向かい合って話し合えば深いコミュニケーションが取れ、誰とでも理解し合える」というのは単純すぎるかもしれませんが、人と人の関係というのは、少なくともそこが出発点だと思いますし、そういうやりとりからいろんなことが生まれるから面白いのではないでしょうか。
対面によるコミュニケーションよりもネット上のコミュニケーションを行う割合が増えてくると、意思の疎通という意味でのコミュニケーションができない人が増えてくるのではないかと心配してしまいます。
昔、Eメールが出始めた頃、海外に駐在している友人とやり取りするのに「こんなに便利なものがあるのか」と思いましたし、ホームページや掲示板も最初は面白くてハマりましたから、ネットを使ったコミュニケーションの楽しさもわかるんですけどね。

しかし、思えばデジタルの世界というのは不思議です。特に”コピー”という行為。パソコンのデータは、”コピー”というコマンドを選ぶだけで、一瞬にして同じ内容のデータが作られます。言い換えれば完璧なクローンですよね。すべてがリアル、すべてがバーチャルなわけです。生き死にの無い世界。コンピュータやネット等、デジタルの世界がそういう風に成り立っていると考えると、それだけで100%身を預けるには危険な感じがしてしまいます。おそらくどこかの世代からは、この違和感も感じていないんでしょうね。まあ、かといって現実世界が健全で安心できるかというとそうでもないところが怖いのですが。

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