『心と身体』
年
明けから崩していた体調も大分良くなってきたものの、腰の辺りの背骨の痛みは相変わらず。まあ、日常生活に支障は無いのですが、背中を極端に曲げたりひねったりすると、グキっと痛い。整形外科でレントゲンを撮って診てもらうと、骨の周りの筋肉が硬くなっているとか何とか。要するに”運動不足”。年齢の割には骨盤もゆがんでおらず、腰の辺りの背骨の隙間も空いていて下腹も出ていないので、同年代の男性と比べると良好と言われました。結果、薬も出されず、「屈伸運動や体操をこまめにやってください」で終わり。しかし、それ以後、ある程度運動するようには心がけていたものの、肩こりなんかもひどい時があってどうにも落ち着かないんですよね。
そこで、ちょっと視点を変えてみようと思い、休日に近くの整体に行ってきました。ところが、そこでの診断を聞いてびっくり。
私は一日のうちほとんどをイスに座って過ごす仕事のせいか、かなり背中の上の方から丸まってしまっている(要するに猫背)とのこと。驚いたと言うのは、その次の言葉。上の方の背骨が詰まっているので、その分腰の辺りの背骨が引っ張られ、余計なテンションがかかっているとの診断。つまり腰の辺りの背骨の隙間が開いているのが良くないとのこと。整形外科で言われたこととまるで逆なんです。うーん、不思議。
こうなるとどちらを信じるか、ということなんですが、よく考えれば、ほとんど座りっぱなしの仕事でろくに身体も動かさず、食生活も不規則な私が、少なくとも身体の成り立ちにおいて同年齢の人より優れているわけがない。整体に一度行っただけですぐに身体は楽にはなりませんが、それでも、背骨を触った時の痛みは若干和らいだ気も。首の骨や背骨をひねって、ボキボキっと鳴らされたのは生まれて初めてなので気持ちよかったです。ちょっと怖かったけど。
もちろんどちらが正しいかどうかはわかりませんし、この二つの例をとって西洋医学と東洋医学の違いを語るのはあまりにも乱暴だと思いますが、今回は整体師の先生の言葉、説得力がありました。
『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)の著者・鷲田清一氏は、同書の中でボードリヤールの「われわれ[西欧人]は、自分が食うものを軽蔑し、軽蔑するものしか食うことができない」(『象徴交換と死』今村仁司、塚原史訳)という発言を引用し、「軽蔑しながらしか食べられないというのは、不幸なことである」、とおっしゃっています。そういえば、『羊たちの沈黙』のレクター博士が相手を最も軽蔑する時に取る行動は、”その相手を食べる”でした。
心と身体は別物と分けるのではなく、すべてのものに固有の命があり、すべてのものがつながっていて、連携しあいながら生きている。そういうのってやっぱり私たち東洋人には身近な考え方なのかもしれません。
ちなみに猫背の予防策としては、伸びをするように腰を後ろにそらすのではなく(これは逆効果とのこと)、横に伸ばす感じで胸を張るのが良いらしいです。腕立て伏せなんかも効果があるとのこと。筋肉アップが目的ではないので、ひざをついた状態で行ってもいいそうです。私のように日がな一日パソコンに向かうことの多い方、お試しになってみてはいかがでしょうか。
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