『今、いる場所』

月、友人がオープンしたお店で初の個展をやりました。個展といっても単なる作品展示ではなく、ポラロイド写真の展示を中心に、映像作品を流してDJをやって、とにかく飲みまくるという内容。縁あって個展を開催させていただくに至りましたが、私はもともとアーティストになりたいと思っているわけではないので、とにかく自分の作品を見てくれる人たちと一緒に飲んで喋って騒ぎたいと思ったんです。そういう意味では本当にいろんな方が来てくださって、個人的にも幸せな時を過ごすことが出来ました。
で、思ったことなんですが、目的とか、意味とか、成功とか、結果とか、そういうものはもうどうでもいいなということ。いや、どうでもいい、というと語弊があるかもしれませんが、もっと大事なものがあるということです。目的を達成したとかしないとか、たくさん人が来てくれたから成功とか、そういうことはいいんです。とにかく一番大事なのは”どこ”に”誰”といたか、ということ。その瞬間を大切にするとか、自分の立脚点を見つめるというような堅苦しい話もなしです。その時自分は”どこ”にいたのか、”誰”といたのかということ。なぜなら、それだけが紛れも無い”現実”だからです。

例えば、仕事に関して悩んでいる人がいるとします。このまま今の仕事を続けていてよいのかどうか、転職しようかどうか。もちろんそういう悩みは誰もが抱く種類のものですし、実際簡単に決められることではありません。だから悩んで当然。しかし、もしその人が今、”取引先の会社の応接室”に、”取引先の担当者”といるとするならば、そしてそれを真正面からちゃんと認識したとするならば、その場面でその人が成すべきことはあまりにも明白です。今の仕事についてあれこれ悩んだり、考えたりしながら、上の空で商談をすることではなく、その時にその場所でその相手とすべきことを一生懸命実行するということでしょう。
もちろん、自分がまったく意図しない理由からそういう状況にいる場合は話は別。しかし、ほとんどの場合、今自分が”そこ”にいるのは、自分が選んだ結果であるはずです。そして、そうである以上、少なくとも自分が選び取ったものに対して最低限の責任を取る必要があるのではないかと思います。
今、私は”自分の家”で、”私”と一緒にいます(要するに一人でいるという事です)。そしてこのコラムを書いています。それは、まぎれもなく私が自ら選んだ結果なのです。
現実は楽しいことばかりではありません。それゆえに自分がいる場所がどこなのか、そして誰といるのか、それらを本当にちゃんと認識するという事は、実は簡単なようで難しい。それは今や私たちの生活が、”生きる”という本質的な意味合いから遠く離れてしまったからかもしれません。私たちの身体や意識を肥大化し、人生を虚飾するすべてのものをいかに廃することが出来るか。現実を獲得するために頭を、そして身体を使わなければならない世の中なのかもしれません。

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