『少年たちの行方』

『ドラッグストア・カウボーイ』(1989)や『マイ・プライベート・アイダホ』(1997)等、主として少年たちを主人公にしたスタイリッシュな映像作品で注目されたガス・ヴァン・サント監督。個人的にも”好き”な監督で、『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)のラストシーン等、思い浮かべるだけで胸がじーんとしてしまうのですが、”大好き”というわけではありませんでした。映像的にはカッコいいと思うのですが、特に初期の作品は前半こそ引き込まれるものの、後半以降、監督のメッセージがその純粋さゆえか押し付けがましく感じてしまい、作品の評価が100点にならないんです。もともと実験映画を撮っていた人なので、いろんな試みが結果的に作品のあたりはずれを生んでしまっている気もしました(あくまで個人的な感想ですよ)。
ところが今年公開された『エレファント』を見てびっくり。これは間違いなく100点の作品でした。いよいよガス・ヴァン・サント監督の実験精神や問題提起の手法が映画として結実したなと。で、そう思っていたところに『ジェリー』。わお。この作品は、砂漠に迷い込んだ二人の少年の行動を追い続けるだけの、言ってしまえば退屈きわまりない作品なんですが、これがまた素晴らしい。どこかで誰かが語っているおとぎ噺ではなく、私たちの日常の、人生の延長線上において展開されている話にもかかわらず、あまりにも遠く、あまりにも脆く、あまりにも美しいんです。『ジェリー』が作られたのは『エレファント』の前ですから、そう考えるとこの監督の恐るべき演出力と潔さが浮き上がってきます。以前に感じていた押し付けがましさが気にならなくなったのに、登場する少年たちの心情は見事に伝わってきます。映像にしても台詞にしても音楽にしても、緊張が張り裂けるぎりぎりまでそぎ落とされていて、それにまた呼応するかのように、主人公の少年の魂から余分なものが剥げ落ち、結果、彼らの魂が現実というものの真っ只中にさらされる。
カメラのこちら側にいる監督はもう少年ではありません。でもそうあり続けたいと思い、彼らを理解したいと思い続けているのかもしれません。コロンバインで少年の銃乱射事件が起こったとき、きっと監督はそれを理解できなかったのではないかと思います。いや、おそらく大人は誰も理解できなかった。だから監督は映画においても少年たちに必要以上に語らせることをやめたのではないかと。『エレファント』を見たとき、勝手ながらそう感じました。
本当に言いたいことや伝えたいことを他人と共有するのは無理なのかもしれない。私たちは”本当に”分かり合えることなんて出来ないのかもしれない。とすれば、理解しようと努力するしかないのです。それをやめた途端、私たちの前にはすべてを踏み潰す巨大な象や、終わりのない真っ白な砂漠が現れるのでしょう。
そうは言いながらも、次作でまた全然違う方向にいってしまう可能性もあるので、やっぱり大好きな監督にはならないかもしれません(笑)。でもそういう意味も含めて絶対目を離せない監督ではあります。

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