『勝ち負けのバランス・後編』

ち負け、についてのバランスの話。続きです。
バブル崩壊後、不景気が続く中で企業の優劣がハッキリするにつれ、”勝ち組””負け組”という言い方が流行りました。最近は企業だけでなく、大人の女性にも結婚しているかどうかや子供のあるなしで”勝ち負け”があるようですが(笑)。
まあ、人間の話はさておき、企業は自由競争の舞台にいるわけですから、勝ち負けがあるのは当然なのですが、この勝ち負けというのも、長い目で見るとすべてある程度平均的な数字に集約されていくと思うんですね。で、それは極論すると、勝ち負けは相反するものではなく、常に表裏一体だということなんです。
ここで必要なのは”長い目で見る”ということ。個人間の話であれ、企業間の話であれ、短期的視野での勝ちは長期的視野での負けを意味し、短期的視野での負けは長期的視野での勝ちを意味しているのではないかと思うのです。
具体的に言うと、例えば、他人と言い争いになったとき、その場では勝っても、後々その時の発言によって分が悪くなるなんてのはよくある話。逆に、言いたいことをぐっとこらえて、つまり短期では負けを選んでも、それが後から自分に良い結果をもたらしてくれることもあります。それはビジネスでも同じ。もちろん、ただ相手の言いなりになるだけではよくありませんし、場合によっては絶対に引いてはいけない時もあるでしょう。しかし、長い目で見ると勝ちとか負けとかいうのは、相互がバランスしているものだという風に考えると、物事を大局的に捉えることができるようになると思います。
ちなみに90年代に英国から発信され、世界を席巻したブリット・ポップの内幕を描いた映画『リヴ・フォーエバー』では、当時、サッチャリズムによる弱者切捨ての自由競争とアメリカ文化の流入に辟易したイギリスの若者達が、自らの手で新しい音楽を作り出していく様が描かれています。で、その急先鋒となったオアシスのギタリスト、ノエル・ギャラガーなんかは当時のプレア首相をあからさまに支持しているんですね(日本ではオアシスがバリバリの労働者階級出身のバンドだと言うことを知っている人は少ないだろうなあ)。当時は私もブレア首相を支持してました、というかイギリスってすごいなあ、と。しかし、ブレア政権が昨今のアメリカ追随路線を進めた結果、国民の支持を失ったのは周知のとおり。UKアジアン・バンド、エイジアン・ダブ・ファウンデーションなんかも、この前のアルバムの中で「ブレアの顔をしたサッチャー」とブレア首相を強烈に非難していました。うーん、難しい。
アメリカはイラクとの戦争には勝ったけれど、地球規模の長期的視野で見れば、失ったものの方が大きい、と思いますけどねえ。

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