『ストリート・ファンク』

家の中島らもさんにしろ、報道写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソン氏にしろ、このところ社会に大きな影響を与えた方の訃報が多く、驚かされますね。
そう思っていたところ、8月6日に飛び込んできたのがストリート・ファンクの帝王リック・ジェームス死去のニュース。らもさんも残念だったけれど、リック・ジェームスも本当に残念。

1981年に大ヒットした曲「スーパーフリーク」はまさにストリート・ファンクの金字塔でした。その名曲を含むアルバム「ストリート・ソングス」も当時は毎日のように聞いてましたね。ファンクだけれどパンク。!1曲目の「Give It to Me Baby」のベースラインのかっこ良さといったら。R&Bのみならず、ポップのヒット・チャートも荒らしていたのはもちろん、世界的な認知度でも、当時はライバル視されていたプリンスを1歩リードしていました(その後は抜かされちゃいましたが)。1980年後半からは多少活躍が地味になり、他人のプロデュースがメインとなっていたのが残念ですが(それでも1990年には、M.C.ハマー(!懐かしいっ)と共同製作した「ユー・キャント・タッチ・ディス」でグラミー賞も受賞したりしました)、もう一度ソロでがつんとかまして欲しかった。今、アメリカでプリンスの人気が再燃しているらしく、そういう意味では、時代もあらためて追いついてきてたのに...。 自宅で自然死ということで、原因は特定されていませんが(心臓麻痺の可能性もあるらしいです)まあ、長期にわたってコカインを乱用していた人なので、しょうがないのかなー。とにかく享年56歳というのは若すぎ。まだまだ活躍できた人です。
ちなみに晩年は、自伝「Memoirs of a Super Funk」を執筆していたという噂もあるのですが、完成したかどうかは分かっていないらしいです。もともとライブで堂々とマリファナを吸う等、モータウン・レーベルの中でも鬼っ子といわれるほどの暴れん坊だった彼ですから、自伝が完成していれば絶対面白いはず、読んでみたいなあ。合掌。

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