『シアワセレース』

のところ韓国ブームがすごいですね。少し前はスーパースターと言えばベッカム様でしたが、今はヨン様。日本で韓国ブームが起こっていることについて、韓国の人々も歓迎ムードのようで、日韓の関係も”近くて遠い国”から少しづつ改善されているようです。それにしても、外国からスターがやってきたときに空港で待ち構える人々のテンションの高さにはいつもながら驚かされます。まあ、私も好きなミュージシャンのコンサートに行くとそれはそれでおおはしゃぎするわけで、要するに本人が幸せならそれでいいんですけどね。
で、突然ですが”幸せ”っていったい何、ということ。
例えば哲学では、大きく分けると”幸せは快楽の中にある”、という人たちと”幸せは禁欲の中にある”、という人たちがいます。もちろん、快楽の中にある、と言っても闇雲に欲望の赴くままに生きろということではありませんし、禁欲に関しても、とにかく欲望を抑えろということではなくて、理性に従って生きなさいということです。個人的には”禁欲”とうこともある種の快楽だと思うので、やはり人間は快楽を求める生き物だし、その中に幸せもあるのではないかと思いますが。ただ大事なのは、幸せというのはあくまでも個人がそれぞれの価値観やスケールの中で考えるべきものだということ。
何が言いたいのかというと、最近は発達したメディアのせいで(もちろんメディアには功績もあります)、何か絶対的な価値としての幸せが横行している気がするんです。「これが面白いですよ」=幸せ。「これが楽しいですよ」=幸せ。「これが感動しますよ」=幸せ。「これが幸せですよ」等々。で、得てしてそういうのは普通の生活よりも高いステージにわざと設定されている。私たちはシアワセレースのトラックに放り込まれた競走馬のよう。そうやって受身の消費を重ねて走っているうちに人生がどんどん宙に浮いていきます。さらに、肥大化された自分が生きるべき人生を求めて生き続けながら、比較するのは身近にいる人なわけだから始末が悪い。歪んでますね。最近、食物や生活雑貨等に関して、自分で作るということが人気なのは、そういうことの反動かもしれません。要するに、いろんな情報を取捨選択して、自分にとって何が”シアワセ”なのか、もう一度考え直してみる必要があるということなんでしょうね。

ちなみに私にとってのシアワセとは、酒を飲んでヴァン・モリソンの音楽を聴くこと、酒を飲んでチャールズ・ブコウスキーの小説を読むこと、酒を飲んでデヴィッド・リンチの映画を見ること、酒を飲んで夜空を見上げること、酒を飲んで人に説教をすること、酒を飲んでおネーちゃんの胸元に目をやること、酒を飲んで言い訳をすること、酒を飲んで仕事の新しいアイデアを考えること、酒を飲んで”あれはこっちが悪かったなあ”と反省すること、そして...今までいろんなことがあったし、これからもいろんなことがあると思うけれど、恐れずに、また明日もがんばって生きよう、と思うこと...。

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