『オノ・ヨーコ展』

京都現代美術館で6月27日まで開催されていた『オノ・ヨーコ展』に行ってきました。成り立ちはとてもシンプルながら、こちらの心を開放すれば、驚くほどさまざまなメッセージを与えてくれる作品群には、ただただ見とれるばかり。楽しくて深いです。アーティスト側の思惑によって最後まで”完成”された作品なんて、もう要らないっとさえ思ってしまいます。
最近では”メディア・アート”のように鑑賞者側が参加できるアート作品も増えてきましたが、コミュニケーションの手法がどうのこうのじゃなくて、ある種の感情を共有しながらも、作る側と観る側の持ち帰るものは必ずしも一緒とは限らない、それでいてどちらも幸せになれる。こんなのテクノロジーとかメディアに頼ってたら無理ですって。
例えば「アメイズ」と言う作品は、透明なアクリルの壁で出来た迷路で、ちゃんと正しい道を辿っていくと真ん中にある個室(=トイレ)に行き着くという仕組み。壁が透明なので、どこに道があるのかわかりづらく、ゆっくりしか歩けない。時の流れが遅い世界に迷い込んだ感じです。
「テレフォンピース」は、ただ単に棚の上に受信専用の電話機が置いてあるだけなんですが、時々オノヨーコさん本人が電話をかけてくる仕掛け。で、近くにいるお客さんは受話器を取って話をして構わない。いやもう、前に立つだけで、掛かってくるんじゃないかと思うとドキドキしてしまいました。ちなみに会期中に20回ぐらい掛かってきて(もちろん本人から)、一度掛かってくるとお客さん15人ぐらいとお話されたそうです。私が行ったときは鳴りませんでした、残念(笑)。
個人的に最も心に響いたのは「リンゴ」というタイトルのオブジェです。”APPLE”と刻印された真鍮の銘板が掛けてあるアクリルの台座の上にリンゴが置いてあるだけという、彼女が得意とする”未完のオブジェ”のひとつです。説明にはこうあります。「リンゴは生誕、衰弱、死、再生をくりかえす生命の循環を表す。オノはそうした循環の美しさを前面に打ち出しながら、リンゴの腐敗は避けがたいが、種子を介して、再生する力を秘めいていることまで鑑賞者にうながす。リンゴと刻字したラベルは、リンゴが原形をとどめないまでに朽ち果てた後、それがかつて何であり、ふたたび何になりうるかを思い起こさせる手がかりとなる」。
私たちを動かしている生命や私たちを取り巻く世界、そういう全ての源にある循環の思想をこんなにもシンプルな方法で表現してしまうなんて。このキャプションを読んだ瞬間、自分がまさにその循環の中にいるんだと言うことを自覚させられ、背筋が伸びるとともに、何とも言えない安堵感に包まれた気がしました。きっと、見る側を、というか人間そのものを信頼しているのでしょう。大げさでエンターテイメントにまみれた”夢”なんて見る必要ないです。ただ、私たちが本来あるべき姿を想像し、望めばいいのです。
戦争だけじゃない、私たちはいろんなことを終わらせることが出来るし、また、始めることも出来るはずです。

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