『エレファント・1』

ス・ヴァン・サント監督の最新作『エレファント』を観ました。物語のベースとなっているのは1994年4月20日(ヒトラーの誕生日)にアメリカのコロラド州コロンバイン高校で、2人の高校生が起こした銃乱射事件。ほとんどの俳優を素人の高校生でまかない、ドキュメンタリー的に彼らの日常を追うことで、閉塞感の中から生まれ出る怒りを浮き彫りにした傑作です。
ガス・ヴァン・サントの客観的で瑞々しい演出は、この悲劇を遠い国の出来事ではなく、私たち人間の作り出した世界の出来事なんだということを突きつけてきます。そして、とにかく多用されているのが、歩いている子どもたちの背中を長回しで追うショット。私たちには彼らの背中が見えているし、どこかに行こうとしていることはわかるのですが、どこに行くのかは、すべて彼らの胸の内です。私たちは彼らの髪の色や瞳の色、Tシャツの模様や袖の長さはわかりますが、彼らが5分後にどこにたどり着いているのか、10年後の天気と同じくらいわからないのです。
狂気というものは常に日々の生活の中にあり、普段はほとんどその姿を現しませんが、ふとしたことをきっかけに、突如私たちの前に立ちはだかります。なぜ、狂気は蓄積されたのか?本作には、狂気の行動に出た高校生が事件の前に遊んでいたボウリングも、聞いていたマリリン・マンソンの音楽も出てきません。だからこそ、静かなのです。そして、だからこそ、真剣に考えなければならないのです。同じ事件を題材にしたマイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』とはまた違う視点から切り取られたアメリカの歪み。この作品は、いろんな子供たちのそれぞれの日常を、そして彼らの心や魂の行方を、彼らの目線で断片的に切り取っています。それでも、この悲劇の核となる大きな象の姿は見えてきません。私たちに見えるのは、残された大きな象の足跡だけなのです。
ちょっと次回に続きます。

・『エレファント』公式サイト(http://www.elephant-movie.com/elep_index.htm

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