『ピンホールカメラ』

研の「大人の科学」付録のピンホールカメラを入手した旨、このコラムでお伝えしました。以降、暇を見つけてはピンホール写真を撮っています。出来上がりは...難しいですねー。とりあえずそれなりに像は写りますが、満足いくものはなかなか撮れないです。写真って、誰でもカメラのシャッターを押せば写すことが出来る、という意味では敷居が低いけれど、良いモノを撮ろうとすると簡単にはいかない。当たり前のことですが奥が深いです。
とりあえず今は、カメラの神様が降りてきて奇跡を起こしてくれることを願いながらシャッターを押しています(笑)。

カメラに触れる生活をしていて、ふと思い出したことがあります。昔、会社員をやっている時、取引先の化粧品卸売会社の社長に、ちょくちょく食事をご馳走になっていたことがありました。この社長のところには足しげく通っていたので、結構気にいられていたんですね。あまり詳しくは覚えていませんが、その社長は元カメラマンで、結婚式のパンフレットなんかに載せる”料理”を撮っていたらしいです。”食べ物”をちゃんと撮るという作業は、当時はまだ誰もやっていなかったらしくて、結構それで飯の種になったとのこと。
他にも楽しい話や苦労話等、いろいろと聞かせていただいたのですが、その社長がおっしゃったことで今でも覚えているのが「自分が行きたい、と思う場所には、楽をせずに時間をかけて行きなさい。それがどんなに遠くても」という言葉。社長はカメラマン時代、仕事以外にも様々な場所でいろんな写真を撮っていたらしいのですが、よっぽどのことがなければほとんど歩いて目的地まで行ったそうです。同じ場所に行くにしても、車や電車を安易に使って楽をするのと、自分の足を使って汗をかいてたどり着くのとでは全く違う、と。この話を聞いた当時、入社2年目程度の営業マンで、とにかく忙しい日々を送っていた私は、「どうやって効率的にお客様のところを回るか」とか、「いかに手際よく仕事をこなすか」というようなことばかり考えていたので、社長の言葉は結構心に響いたものです。写真を撮るという行為においてだけでなく、あらゆることに当てはまる考え方だと思いました。
写真家の徳山喜雄さんは著書「フォト・ジャーナリズム−いま写真に何ができるか−」(平凡社新書)の中で、デジタルカメラはフィルムを現像するという”過程”が無い分、早くて便利だが、その”過程”が担っていた役割、例えば報道写真において「どの写真を送るか」「この写真の選択で間違っていないか」というようなことを考え、検討する時間が失われてしまう、と警告されています。”早さ”や”便利さ”というものは、その対価として必ず何かを奪い去っていく、そんな気がします。
その点、ピンホールカメラは晴れの日で1秒から2秒、曇りの日なんかは数十秒の間、シャッターを開けて待ってなきゃならない。室内だと数十分待つこともざら。そして成功もあれば失敗もある。構造は驚くほど簡単だけれど、なかなか示唆に富むメディアです。

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