『育む気持ち』

う終わってしまいましたが、渋谷の東急Bunkamura「ザ・ミュージアム」で開催されていた「生誕100年記念展 棟方志功」を見ました。また、それにあわせた企画で藍染の素材を使ったファッション・デザイナーの坂東京子さんにお話もお伺いする機会にも恵まれました。板画と藍染という両方とも日本を代表するような伝統的な技法ですが、その奥深さにあらためて触れることで、いろんなことを考えさせられた素晴らしい経験でした。
まず思ったのは、モノを作るという作業は”祈り”に似ているなあということ。板画にしても藍染にしても、膨大な時間と労力によって作り上げられるもの。また、そこで要求される集中力や緊張感は並大抵のものではありません。こういう言い方はありきたりかもしれませんが、”やっぱりいいものは時間も手間もかかっている”ということ。特に棟方志功が板を削っている姿なんて、どう見ても命を削ってますよ。マジで。次に思ったのが、良いモノを作るには、素材を選ぶというレベルの話ではなくて、素材と共に生きるということが大切なんだなあということ。棟方志功は”版”画ではなく、”板”画にこだわりました。自ら「板極道」という本さえ出しているほどです。坂東さんも藍染に使用する素材に関しては糸から選別されるとのこと。さらに藍は自分の一部、ともおっしゃっています。素材を心から愛していないと言えない言葉です。
で、そんなことを考えていてさらに浮かんだのが、日本の伝統的なモノ作りって限りなく”育てる”っていう感覚に近いんじゃないかということ。まあ、昔ながらのやり方というものは、どこの国でもそうなのかもしれませんが。そういう眼差しで現代を振り返ってみると結構やばい気がしますね。
私たちが一番大事に”育て”なければならないのは子供。よく子供が生まれて自分が親になって、初めて子育ての大変さがわかるって言いますよね。個人的には子育ての経験はないけれど、でもまあ、昔に比べれば随分楽になった部分も多いんでしょう。わかりやすいところでは紙おむつとかベビーカーとかね。もちろんいろんなことが便利になるのはいいことだし、子育てっていうのは本当に大変で、それだけに人生を費やすにはあまりにも価値観が多様化しすぎているのかもしれません。しかし、大変だからこそ、育ててくれた親にも感謝するし、自分が育ってきた環境にも感謝する気持ちが湧くんだと思います。自分が生まれ育った場所や環境に帰属意識が持てなかったり、愛情が持てなければ、伝統とか歴史に価値を感じられなくてもしょうがないかもしれませんね。
最近、子供が虐待される事件が数多く報道されています。以前より虐待を行う大人が増えたということなのか、前から多かったのが表面化しただけなのかわかりませんが、”育てる”ということの大変さ、そしてそれゆえの大切さ、素晴らしさをあらためて認識し、共有する必要があると思います。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送