『フォークの魂・その弐』

人的には映画が好きでこういうサイトを立ち上げたわけですが、音楽も大好きです。中学時代からR&B、ロック、ポップ、ジャズ、クラシック、パンク等々ジャンルを問わず聴きまくっていました。高校時代はプログレにもはまったし、大学時代にはヒップ・ホップを聴き始めました。同じく姉も音楽が好きでしたが、姉の好みが、マイケル・ジャクソン、キッス、DEVO、ケイト・ブッシュ、クイーン、日野皓正、ネイティブ・サン(もう誰も知らないだろうなあ)等々とこれまたかなりの雑食で、結果、フュージョン系には日本人もいたものの、耳に入ってくる音楽はほとんどが洋楽ばかりでした。
ところが当時から聴いていて今でも好きな日本人のミュージシャンが二人います。それが井上陽水と五輪真弓。これは8歳上の兄がフォーク世代だったことも影響しているのでしょう。邦楽ではどちらかというとロックやポップスよりも、鬼太鼓座や鼓童等の和太鼓を中心としたグループや、沖縄や津軽等の土地に育まれた伝統的な音楽が好きなのですが、今でもこの二人はよく聴きます。好きなんですよ。
特に五輪真弓に関しては、1972年に発表したデビュー・アルバム『少女』にキャロル・キングが参加していたり、1977年の『蒼空』はLA録音でアレンジがデヴィド・キャンベル(BECKのお父さん)だったりと、洋楽ファンも驚くほどインターナショナルな活動を展開しているにも関わらず、国内での評価が少し低い気がします。個人的にはもちろんデビューアルバムを含め、好きなアルバムが何枚もありますが、1978年の『残り火』は本当に素晴らしい名作だと思います。
で、ほとんど洋楽ばかりを聴き続けてきた私が、なぜこの二人や平河地一丁目等のいわゆるフォーク音楽に惹かれるのか、ということなんですが、これは一言で表すと”はかなさ”でしょうね。
もともと日本人は、自然界のあらゆるものに魂が宿るというようなアニミズム的思想や、自然に敵対するのではなく、崇拝したり畏れたりする感情を持っていることから、”遷り変り”や”瞬間”という状況を愛でる感受性を持っているのではないかと思うんです。だから、一瞬で過ぎ去るもの、はかないもの、にとても共感を覚え、美しさを感じ取るのではないかと。やっぱり日本人は桜や花火が好きですもんねー。前述の『残り火』(に限らずフォーク全般に言える事ですが)で展開される詩の世界も本当にはかなくてもろいものなんです。とても細くて遠くにある幸せ。つかめるようでつかめない、つかめたとしても一瞬で手のひらをすり抜けてしまう愛、みたいな感じ。
こういう先が見えない時代だから、あらためてフォークのような世界観や音が共感を得るのかもしれませんね。それにしても、13歳やそこらで”小さい頃に戻りたい”、と叫ぶ子供たちに私たちはどう答えればいいんでしょうか。どういう世の中を作ってあげればいんでしょうか。音楽は、時に恐ろしいぐらい私たちの心を揺らし、問いかけてきます。


変わらなきゃいけないの? それがしあわせなんですか?
どこに歩いていけば しあわせが見つかるの?

僕たちはいつまでも あのころに帰りたい
大人になるなんて そんなものになるなんて

大きくなったら何になる? よく聞かれたことだけど、
できることならかなうなら 小さかったあの日に戻りたい

・平河地一丁目「かわれないので」(作詞・作曲/林龍之介−DefSTAR RECORDS)

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