『溶け続ける日々』

ニーというメーカーの将来、さらには日本の製造業の未来にまで影響を与えたと思われる製品、携帯型のカセットテープ再生機『WALKMAN』。
最初に販売されたのは、僕がおそらく小学生の頃だったと思う。初めて目にしたのはなぜか電器屋さんではなくておもちゃ屋さんだった記憶がある。さすがに今では、MDやCD、MP3等、他のポータブル・メディアに最先端の位置を譲ってしまったけれど、それでも音楽を聴きながら街を歩くという体験・手法をもたらしたという意味では、革新的なメディアであったことは間違いないだろう。
千葉県に新たなる未来都市を想像した作家、ウィリアム・ギブソンは、この夢の製品を見て「普段見慣れた風景を一変させる製品」と大絶賛したそうだ。
個人的にはもっぱら携帯用のCDプレーヤーを使っているけれど、普段代わり映えのしない日常の風景に自分の好きな音楽を加えることによって、世界を自分の手の中に収めるという意味ではすでに手放せない存在、というよりほとんど生活の一部になっている。もちろん必要なのは機械ではなくて音楽なのだけれど。

世界が僕たちの思い通りにならず、こちらから折り合いをつけながら生き続けなければならないこの世の中で、このキカイは僕達の存在そのものだ。同じアルバム、同じ曲を繰り返し、繰り返し。それが僕たちが唯一学んだ確かな術。いかに音楽を現実の世界に溶け込ませようとしても、所詮、想像のレベルでの交わりでしかないことを認識しながらも、僕たちはナマの世界の中で暮らすにはあまりにも繊細になりすぎている。人を傷つけたり、裏切ったりしながら僕たちは生き続けるしかないし、死なずにあり続けるしかない。死を見えないところまで追いやることはとても難しい作業になりつつある。死の恐怖が世界から色を奪うとき、僕たちは”再生”のスイッチを押す。カセットやCDを入れ替えることによって、世界をさざまな色に変えることが出来る。それが逃避だとわかりつつも僕たちは音楽を聴きながら日常に彩を添えてやり過ごすしかないのだ。
止まらない日常に身を任せ、今日も僕はジョセフ・アーサーの「Exhausted」という曲を大音量で延々と繰り返し聞きながら、太陽がいつもより早く沈むことを祈り、襲ってくることのない眠気を待ち続けている。

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