『信じて頼ること』

銀は16日発表の7月の金融経済月報で、景気の認識について「横ばい圏内の動きを続けている」としました。6月の判断から「足もとの輸出にやや弱さがみられる」との表現を削除したとのことで、判断としては若干上方修正らしいです。SARS(サーズ)の沈静化や、国内株式相場の上昇などで、先行き不透明感が後退したと。まあ、そういわれてもピンとこないし、株式市場の反応なんかも弱かったですが。政府や日銀の言うことを本当に誰一人として信用しなくなったら、株式市場なんて成り立たないですよねー。ほとんど実体の無いお金のやり取りなわけですから。って、すでに、信用は無いか。

経済の問題に限らず、これからますます”信頼”というキーワードが重みを増してくるのではないかと思っています。景気の不透明感は多少薄らいだ(もしくは横ばいになった)のかもしれませんが、老後だけが伸びた人生を最後まで全う出来るかどうかという不透明感はなかなか解消されないでしょう。医療の技術は進歩するかもしれませんが、医療費を払えなければ意味無いですからね。もちろん、治安の悪化等他にも問題はいろいろあります。つまりますます我々は”生き続ける難しさ”という、本当の意味でリアルな問題に気付きつつあるということなのかもしれません。で、そういうある種の不安感を払拭する感情として、”楽しさ”や”面白さ”等、いろいろあると思いますが、それらを生み出す基本的な前提として”信頼”というものが一番求められるようになるのではないかなと。もちろん、皆が良いというから、というような他力本願的なものではなく、自分の五感や経験に基づく”信頼”でなければなりません。でも人々がそういう自分の内面を基準とした”信頼”に重きを置くようになると、もっといろんなつながりや価値観が生まれてくるような気がするんですけれどねー。そもそも人間っていうのは楽観的な生き物だと思います。相変わらず架空の投資話で何十億円というお金を集めるような犯罪や、ネットオークションによる被害等が後を絶たないのはそのせいでしょう。根本的に人は人を信用するものだし、またそうでないと当然社会も成り立たない。だからそういう根源的な力をもっと信じればいいんだと思います。
まあ、自分自身そういう風に感じているということは、逆に言うと今の世の中に信頼できないものが蔓延っていると思っているのかもしれませんね。

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