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No.127 |
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タイトル
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ウンタマギルー |
(原題)
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− |
監督
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高嶺剛 |
キャスト
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小林薫、戸川純、青山知可子、平良進、照屋林助他 |
制作
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1989年/日本 |
ジャンル |
ドラマ |
上映時間
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120分 |
評価
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★★★★ |
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<ストーリー>
舞台は“日本返還”前の沖縄。サトウキビ絞りに精を出す男ギルー(小林薫)は、現場の親方西原(平良進)の養女マリー(青山知可子)と関係を持ってしまったことから追われる羽目になる。行き場所の無くなったギルーは運玉森に逃げ込むが.....。
<コメント>
ウンタマギルー=運玉の森のギルーと呼ばれる男の物語。散髪屋に集う人々が沖縄のメロディーを奏で、歌い踊る冒頭の場面から、圧倒的なオリジナリティを発揮するこの作品、監督・脚本を手がけたのは沖縄出身の高嶺剛。サトウキビ絞りのためにぐるぐると回り続ける車、沖縄を象徴するような熱気、歴史を感じさせる色使い、突然挿入される海辺を漂う頭に槍の刺さった男...。この序盤のシーンを見るだけで、私たちはめまいを起こし、らせん状に高嶺監督の、そして沖縄の世界にハマり、沈み込んでいきます。
決して絶対的な強さを感じさせるわけではないけれど、選ばれし人間のたたずまいを見せる小林薫、一般の人間たちとは一線を画した世界に生きる女を好演する戸川純、豚の化身であり文化の象徴的存在でありながら、危ういエロスを感じさせる青山知可子。キャスティングは総じて成功していると言えます。高等弁務官役でアメリカ・インディーズシーンの雄、ジョン・セイルズ監督が出ているのがびっくり。
ストーリーは、親分の女と交わってしまったことから追われる羽目になった男が、ある行為によって空を飛ぶ力を与えられ、庶民のヒーローとして活躍すると言うもの。これだけでは、良くて痛快冒険活劇、悪くてドタバタコメディという感じですが、この作品を単なるエンターテイメントに終わらせず、独特のリズムと世界観を与えているのが、作中の登場人物たちが話す方言と音楽。この二つの要素と映像とが一体となり、有無を言わせぬオリジナリティを紡ぎだしています。最初は字幕が入っての進行に多少違和感を覚えますが、見ているうちにそれも感じられなくなります。ただ、中盤以降の舞台となる運玉の森については、もっと霊気漂う闇を感じさせる描き方でも良かった気がします。また、ギルーも庶民の間ではヒーローには違いありませんが、泥棒行為はするわけで、もっと正義か悪かのいずれかに振れた狂気を備えたキャラクターになっても面白かったかも。このあたりのニュアンスについては、元となった沖縄芝居「運玉義留」を見てみたいですね。実際、終盤に作中劇として登場するこの芝居のシーンを見ると、自分が観客なった気分になり、わくわくします。
作中、ギルーは言います「アメリカも日本も祖国だとは思わない。この琉球こそがわが祖国だ」。地に足をつけてのものではなく、銃撃戦のさなかに飛び出した咄嗟の一言。しかしその一言は重く、そして深い。自らの意思の外で翻弄され続けてきた沖縄の立場を象徴しているかのようです。本土の人間は土地の人々の生活を脅かし、荒らす人間として描かれているところも無視できません。連綿と続くと思われていた歴史が、語り継がれてきた物語が、突如外部の人間によって破壊されるさまを見せ付けられた後、私たちは認識しなくてはなりません。これは”日本映画”であることはもちろん、その前に間違いなく”沖縄映画”なのだと言うことを。
ちなみにこの作品は90年ベルリン国際映画祭でカリガリ賞を受賞しました。
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