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No.316 |
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タイトル
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リプリー |
(原題)
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THE TALENTED MR. RIPLEY |
監督
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アンソニー・ミンゲラ |
脚本
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アンソニー・ミンゲラ |
キャスト
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マット・デイモン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロー他 |
制作
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1999年/アメリカ |
ジャンル |
サスペンス |
上映時間
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140分 |
評価
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★★★ |
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<ストーリー>
野心以外何も持っていないトム・リプリー(マット・デイモン)は、ある富豪からイタリアに行ったまま戻らない息子ディッキー(ジュード・ロウ)を連れ戻す仕事を引き受ける。イタリアで出会ったのは退廃的な生活を送るディッキー。きらびやかな毎日、美しい恋人。トムはそんな甘い生活を享受する彼に憧れのまなざしを向けるが.....。
<コメント>
アメリカの推理小説作家パトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい(The Talented Mr. Ripley』をベースにしたサスペンス。監督は『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)のアンソニー・ミンゲラ。この小説はフランスの巨匠、ルネ・クレマン監督によってすでに映画化(『太陽がいっぱい』(1960))されていて、本作はその『太陽がいっぱい』のリメイクと紹介されることもありますが、実際には全然違う作品と考えた方が良いと思います。もちろん登場人物や基本的なプロットは同じですが、本作の方がどちらかというと原作に忠実です。ちなみに小説の主人公トム・リプリーは原作では捕まることなく生き延びていて、シリーズ化もされています(シリーズ作品『アメリカの友人』はヴィム・ヴェンダース監督によって映画となりました)。
『太陽がいっぱい』の方は、ルネ・クレマン監督の緊張感のある演出、ニーノ・ロータの哀愁を帯びた音楽、アラン・ドロンの存在感などから非常に印象深い作品なのですが、パトリシア・ハイスミスの得意とする粘着性は本作の方が上手く表現されている気がします。”別の作品”と言いながら、どうしても比較してしまうのですが、『太陽がいっぱい』は、”生”に対して消極的な人間(=ニューヨークに連れ戻すべき相手、ディッキー)と積極的な人間(=リプリー)の対比だったように思います。その生に対する積極性を抑制しながらもギラギラと演じたのがアラン・ドロンで、すべてを覆い隠して作り上げた砂のお城がもろくも崩れ去るプロセスがはかなく美しかった。一方、本作のリプリーは、”野心”よりも”愛”に囚われた青年と言ってもいいかもしれません。サスペンスとして見れば『太陽がいっぱい』に軍配が上がりますが、感情を受け入れてもらえない男の切なさを描いたドラマとして見ごたえはあると思います。二人の人格を見事に演じ分け、生白い身体までさらけ出したマット・デイモンを始め、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトローら豪華なキャスティングも一見の価値ありです。 |
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