D-Movie(No.348)
タイトル
アレクセイと泉
(原題)
アレクセイと泉
監督
本橋成一
脚本
キャスト
アレクセイ・マクシメンコ他
制作
2002年/日本
ジャンル ドキュメンタリー
上映時間
104分
評価
★★★★★
<ストーリー>
1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発の爆発事故で被災したベラルーシ共和国東南部にある村ブジシチェ。村は至るところ放射能に侵され、村民たちに移住勧告がなされるが、村の中にある泉からは放射能が検出されず、それを理由に55人の老人と一人の若者アレクセイが村に残る決断をする.....。

<コメント>
写真家・本橋成一氏が監督した本作は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故で汚染された小さな村で、明るくたくましく生きる人々を描いた前作『ナージャの村』に続くドキュメンタリー。今回も舞台は同じ事故で被災した小さな村ブジシチェ。村は放射能に汚染され、村民には移住勧告が出される中、それでも村には泉があるからとそのまま暮らし続ける人々を追った作品。
原発という、これからの人類にとって避けて通ることの出来ないハードルについて考えさせられるのはもちろん、人間の存在の根本に迫る深みを持った作品です。

”人”がその”土地”にひきつけられる理由とは何でしょうか。中東には村民の半分が砂で目をやられても、先祖代々の土地だからと、そこを動かない人がいるそうです。また九州・熊本県で水俣病が発生した際も、汚染された魚を、そうと知っていながら、地元で獲れた魚だからと食べた人がいました。

アレクセイは泉が無ければ村を離れたでしょうか。実際はそうかもしれません。映画の中でもいずれ村を去る日が来るであろう事は語られます。しかし、ただ単に泉があったから、という理由だけでは説明できない何かが存在している気がします。自分の命を自分個人のものとして捉えるか、全ての命はつながっていると捉えるか、それによって人生の持つ意味は大きく違ってきます。
全ての命のつながりを言葉で表すことは出来ないかもしれませんが、それよりも今の時代、これからの時代に大切なのは、五感で捉える感覚を大切にすることなのではないかと思います。アレクセイには泉があるということや親と一緒にいたいという理由がありました。しかし、そういった理屈では表しきれない、何か目に見えない、耳に聞こえない、深いところでのつながりがあるような気がしてなりません。
ただ淡々と生きる、これがどれほど難しく、そして美しいことなのか、この作品は写真家である監督のまっすぐで控えめな映像を通してやさしく語りかけてくれます。

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