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<ストーリー>
ある朝、ギャラガー(ポール・ニューマン)が新聞を広げると、第一面で自分の生活が暴露されていた。そして、そこに書かれていることは、彼の生活を綿密にとらえてはいるが真実ではないのである。それもそのはず、その記事はFBI特捜班がでっちあげた内容をもとに書かれたものだったのだ.....。
<コメント>
一人の男がFBIの思惑の下に動かされたマス・メディアによって、人生を翻弄される物語。主演は名優ポール・ニューマン&サリー・フィールドの二人。監督は『トッツィー』(1982)、『愛と哀しみの果て』(1985)等で知られるハリウッド映画界の重鎮シドニー・ポラック。ちなみにポール・ニューマンは本作で初のアカデミー賞獲得(それまでノミネート4回)かと噂されましたが叶わず。しかしながら、5年後の『ハスラー2』で見事リベンジしました。
一人の人間が無実でありながら殺人の疑いをかけられ、マス・メディアに登場することによって人生を滅茶苦茶にされる恐怖を描いているわけですが、当人に疑われる理由や状況があるのならまだしも、本作の場合は完全な憶測によるでっち上げ、そこが怖いです。またマス・メディアの側も基本的には”社会的な悪を暴く”というような正義感や善意から動いているので、自覚がないところがこれまた怖いです。
基本的にはマス・メディアに関わる人間の存在意義やモラルの有無を描き、問題提起しているのですが、”社会派”と呼ぶには残念ながらちょっと迫力不足の印象。ポール・ニューマン演じる主人公のギャラガーが非常に清廉潔白(多少の人間くささも含んだ上で)&聡明な人で、この人だからこそ切り抜けられたり、被害が少なかったりするものの、そうでなければ...と思ってしまいます。もちろん、サリー・フィールド演じる新聞記者が彼のそういう人間性を最初にちゃんと理解していれば、記事を発表するに至らなかった可能性もあるということを示唆しているのかもしれませんが...。
また、この2人がお互いに理解を深める過程で人間的に惹かれあうのはわかるのですが、それでも結果として結ばれてしまうと、サスペンスが一転して昼メロ風に。こういう演出が作品全体の迫力不足につながっているのかなと。事件の真相や影響を受けた周辺の人々(仕事を辞めざるを得なかった従業員等)に一切言及しないのも潔いというか物足りないというか。作品全体としてはまとまっていると思いますが。 |
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