コラム
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『プリンタ大往生』(No.462/2010.12.31)
今年も「フライデー・ビデオマガジン」をご購読いただきましてありがとうございます。今年最後は大晦日の発行となりました。
さて、毎年この時期に頭を悩ますのが年賀状。”早くやらなきゃ”と思いながら、なかなか進められない、という方も多いのではないでしょうか。まさに私がそうなんですが。
もちろん、1年の感謝の気持ちを、または来年のご挨拶を、直接伝える事が出来る機会であることには違いありませんし、もらって嬉しいものであることも間違いありません。ですから、年賀状を送るという行為についてはわくわくするような気分にもなるのですが、頭を悩ますのが絵柄。お店をやっている関係もあって、毎年大体300枚程度送らせていただくのですが、この絵柄をどうするかが難しい。お客様にはいろんな年齢、世代の方がいらっしゃるので、かわいすぎてもダメだし、かといって地味でも面白みがない。まあそうやって毎年悩んでいるわけですが、今年は割りとすんなり決まりました。ウサギというのは結構キャラクターとしても使いやすいところがあるのかもしれません。

...で、気分よく家のプリンターで印刷を開始。絵柄印刷を終えて、宛名印刷に差し掛かろうとしたとき、プリンタからエラーメッセージが出ました。「部品調整の時期が近づいています」...。早急にメーカーでの調整・修理を行わないとやがてプリントできなくなるとのこと。他にプリンタがないのでしょうがなくそのまま印刷していたら、100枚の宛名を残してプリンタが昇天...。かなり酷使しての3年ですから、そろそろ寿命かとは思っていたものの、まさかこのタイミングで来るとは。しかも、”部品調整の時期”って、要するに”もうすぐ壊れますよ”っていうことですよね。そのエラーメッセージを押すと、メーカーの修理詳細のサイトに飛べるのですが、何と基本料金だけで8千円近く。つまり買えってことですよね(笑)。初めての経験だったのでちょっとビックリ。遠まわしな言い方は故障時期を知らせてくれる親切なアラートなのか、それとも単なる責任回避用の説明なのか。30日に新プリンタを購入。最後の最後で出費がかさんだ年になりました。
ということで、また来年もよろしくお願いします。みなさまにとって、2011年が素晴らしい年になりますように。ではでは良いお年を。


『ライ・トゥ・ミー』(No.461/2010.12.24)
前回ご紹介したコロンビア大ビジネススクール教授シーナ・アイエンガー氏の著書『選択の科学』(文藝春秋)。
この中にも登場するのが、心理学者であるポール・エクマン博士。エクマン博士は感情と表情に関する研究を行ったアメリカの心理学者。人間がほんの一瞬(数ミリ秒)見せる表情=「微表情」からその人の心理を見抜き、嘘の的中率は何と95%という、「嘘の専門家」として知られています。

で、そのエクマン博士をモデルにした心理学者カル・ライトマン博士が活躍するアメリカの人気TVドラマが『ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る』。ライトマン博士が、相手の嘘を見破り、次々と難問を解決していく心理ドラマです。これが面白い。またハマってしまいました...。

一時期、ふとした拍子にアメリカのTVドラマ『Dr.HOUSE ドクターハウス』に、ハマってしまったのですが、さすがにシーズン3の後半あたりから、人間関係が無茶苦茶になりすぎて興ざめしてしまいました(ある意味助かりましたが)。その後、新しいドラマを探したのですが、どうもピンと来るものが無い。というのも、やはり脚本はもちろん、キャスティングが大事なんですよね。『Dr.HOUSE』の魅力は”医療サスペンス”という新分野を切り開いたということも衝撃的でしたが、主人公の医師ハウスを演じるヒュー・ローリーの毒舌キャラにあったと言っても過言ではありません。ということで、とりあえずジャンルを問わないことにして、好きな俳優が主役のドラマを探したところ、『ライ・トゥ・ミー』を見つけたんです。主人公のライトマン博士を演じるのはティム・ロス。いいですねえ。で、やっぱり見てみると面白い。
実際のエクマン博士は、単純に人間の微表情を観察し、分類・研究しただけでなく、例えば人間以外の動物の表情を研究したり、学生に身の毛もよだつ医療処置のビデオを見ながら、のどかな風景を見ている振りをしてもらい、その様子をビデオに撮って観察するなど、十数年にわたって膨大な量の実験をしたとのこと。人間が見せる表情は人種に関係なく同じだそうで、ある意味アメリカらしい研究と言えるかもしれません。
『ライ・トゥ・ミー』、とりあえずまた人間関係が無茶苦茶になるまでは楽しめそうです(笑)。

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『選択の科学』(No.460/2010.12.17)
ハーバードや東京大学など、大学の人気講義をわかりやすくまとめた書籍は、実験事例が豊富で、なおかつ実践的な内容も多くて結構好きです。『ハーバードの人生を変える授業』(大和書房)、『東京大学「80年代地下文化論」講義』などなど。その大学の学生でもないのに...と考えると、なんとなく”お得”な感じもします(笑)。
で、先月出版されたのが、全盲ながらスタンフォードに入り、現在はコロンビア大ビジネススクール教授という経歴の持ち主シーナ・アイエンガー氏のコロンビア大での講義をまとめた『選択の科学』(文藝春秋)。「人は選択肢が多すぎると選べない」、通称「ジャム研究」という実験でも有名です。早速買って読みましたがこれが面白かった。

常々、人生は選択の連続であり、その多くの選択の中で、いかに自分が(良くも悪くも)納得できる選択を増やすことが出来るかが、人生の”幸福度”を決める鍵ではないかと考えているですが、この書籍はまさにその考え方を理論的に解明してくれたように思います。

例えば、ある章では”自己決定権”の多さがさまざまな場面で生物によい影響を与える実験結果が報告されます。”社長の平均寿命が従業員の平均寿命より長いのは、裁量権、つまり選択権の大きさにある”、とか、”動物園の動物の寿命が、野生の動物よりはるかに短いのは「選択」することができないからだ”などなど。
こういった実験や調査結果が非常に多いのも本書の特徴。中にはちょっと疑問に思うようなものもあるのですが、それでも、膨大な実験結果の積み重ねによる理論は説得力があります。心理学の文脈なので、日常生活に”使える”理論が多いのも楽しいです。

私たちは日々何らかの”選択”をしているわけですが、それらが選択を”させられて”いたり、”本能”によるものだったりするところが結構目からうろこ。残念なのは本能をもってしても、人間が常に”正しい選択”をするとは限らないところで(笑)、だからこそ人生は面白いのかもしれません。


『審査結果発表』(No.459/2010.12.10)
こちらのコラムでも何度かご紹介させていただいた『顔フォト!コンテスト』。日常の中にある”顔”に見えるものや場所を撮影した写真のコンテストです。10月20日に応募が締め切らせていただき、先月審査結果を発表しました。このコラムの下に記載した公式サイトの『結果発表』のページからご覧いただけます。総応募数307通のうち、25名の方が入賞。結構な大盤振る舞いとなりました。本当にレベルの高い作品が集まり、応募結果を見ているだけでも本当に楽しくなります。特に1位となった方の作品のインパクトはすごいっ。応募いただいたみなさん、ありがとうございました。

コンテストにあわせて”顔フォト”のスライドショーイベントも開催したのですが、非常に楽しかったです。イベントに参加いただいた方の感想として、顔フォトのみならず、写真の見方や考え方も変わったとのお言葉をいただいたのが印象的でした。
もともとコンテストの目的は、『日常を楽しくする』ということ。そのためには特別なハードウェアや構図の取り方などはあまり関係なく、撮る側の”視点”を変える事が最も重要で、逆にいうとそれだけで日常は本当に楽しい世界に変身しますよ、と。そういう意味では、たくさんの方に応募いただいて本当に嬉しかったです。いろいろとご協力いただいた方々のおかげで、このままいくと、来年も同じような形で開催できると思います。その際にはぜひご応募お待ちしております。

・『顔フォト!コンテスト』審査結果はこちら↓↓↓
http://kao-photo.petit.cc/


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『想像力の種』(No.458/2010.12.03)
最近、地域の活性化や街づくりに関わる大学生の方とお話しする機会がいくつかありました。まあ自分が大学生の時にほとんど勉強していなかったので、えらそうな事を言える立場ではないのですが、過去に地域の活動において学生さんたちと関わった経験から、どちらかというと学生さんにはあまり多くを期待しない方なのですが、今回はいろいろと勉強になりました。
学生さんたちが地域に対して考えたり実践したりしている内容が刺激的だったということももちろんありますが、途中で感じたのは、やっぱり”学生”=”若い人”が街について”考える”ということは、図式として”正しい”なあと。
地域活性化や街づくりにおいては、”自分のこととして考える”ということが姿勢として大事だと思います。だからこそ、そこに住んでいる人や勤めている人がやるべきだろうと。そういう意味では学生さんたちは、ほとんどがその地域で育ってきたわけではありません。学校が位置する街に愛着がある人もない人もいる。そんな状況の中で、自分ごととして一生懸命想像力を働かしている様子を見ていると、その”正しさ”が、突然私の心に押し寄せてきたわけです。この想像力の発芽を促す事が、街作りに限らず、クリエイティブの現場では最も大切なことなんじゃないかと。さらにそれが自分のやるべきことなのではないかと。こういう経験が出来るのは、学生さんたちと協働する上での醍醐味ですね。世代が違う人たちを対話をすること、大事です。それにしても大学生ってやっぱりみんな純粋。いいなあ、若いって(笑)。


『banksy』(No.457/2010.11.26)
なぜか突然イギリスのポップバンド『ブラー』が聴きたくなり、CDを引っ張り出してずっと聴いていたのですが、リーダーのデーモン・アルバーンの別ユニット『Gorillaz』の最新作は今ひとつだったなあということはさて置き、ああそういえば、とあらためて感動したのが、ブラーが2003年に発表したアルバム『THINK TANK』に使われた『バンクシー』のアートワーク。

バンクシーはイギリスのロンドンを中心に活動するグラフィティアート。ただ、本人のプロフィールは一切明かされず、その素性については不明な部分ばかり。作品もステンシル手法を使ったストリートアートが中心なんですが、世界各地にゲリラ的に描くという手法を取っていて、時に反資本主義・反権力など政治色の強い作品も残すことなどから、芸術テロリスト、などと呼ばれる場合もあります。メトロポリタン美術館や大英博物館などで開催されている展覧会場に、自分の作品を勝手に飾るパフォーマンスは世界を騒がせました。彼のグラフィティが描かれた”壁”そのものがものすごい高値でオークションで落札されたとかされないとか。
謎のアーティストという佇まいもかっこいいんですが、作品がめちゃくちゃクールなんですよね。さらにゲリラ的な戦略やパフォーマンスがプラスされるのがしびれます。

で、それだけ謎に包まれたバンクシーなんですが、初めて監督した映画というのがありまして、それが『Exit Through the Gift Shop』。いきなり何とドキュメンタリー。今年5月に開催されたインディペンデント映画の祭典『サンダンス映画祭2010』で上映され、大評判となったそうです。うーん見たい。ただ、残念ながら今年は日本公開ありませんでしたね。来年に期待します。

・バンクシー公式サイト:http://www.banksy.co.uk/
(トップページ左下の”film news”から予告編が見られます)


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『Sleepwalkers』(No.456/2010.11.19)
先月、今気になっているCDをご案内しましたが、まあそのあたりは全部買ったことはさて置き(笑)、先日デヴィッド・シルヴィアンの新譜を買いました。デヴィッド・シルヴィアンと言えば、バンド『ジャパン』(ビジュアル系のはしり?)のフロントマンとして80年代に活躍、その後もソロで音楽活動を継続。当時のファンからすると、どうしてもアイドル的なイメージが抜けきれないんですが、特にソロになってからは、独自の世界観と音を追求し、素晴らしいアルバムを提供し続けてくれています。で、先般リリースされたのが、彼のソロになってからのコラボレーション作品をまとめたコンピレーションアルバム『Sleepwalkers』。
坂本龍一氏やスティーブ・ジャンセンらとのコラボをはじめ、未発表作品も収められています。もうアルバムのアートワークから、楽曲まで全部かっこいい。

個人的に好きな音楽のテイストとして、ちょっと抽象的な表現が許されるならば、”その空間の空気感を変えてしまう力を持った”ものが好きです。といっても、例えば、やたらラウドな曲で、その場を騒がしくしたり、ただ単に場との違和感を募らせるようなだけの意味合いではなく、決してその場に100%適合しているわけではないのに、その音楽がその空間にあるべくしてあったかのような存在感を放ち、その場の空気感を変えてしまう、という意味です。
今年の2月に東京都写真美術館で開催された『日本の新進作家展Vol.8 出発―6人のアーティストによる旅』という展示の中で、さわひらきさんの映像(静謐な部屋の中を小さな旅客機が飛んでいる映像)にデビッド・シルヴィアンの曲が使われていました。最もこれは昨年リリースされたアルバム『MANAFON』のオープニング曲のためのモノクロ映像だったようで、そういう意味ではかみ合って当然なんですが。
本当に彼のソロ活動での試みによって生み出される音楽には、まさに空気感をゆっくりと、しかし確実に変えていく力があると思います。


『仕事の流儀』(No.455/2010.11.12)
毎週欠かさず見ていたNHKのドキュメンタリー番組『仕事の流儀』。脳科学者の茂木健一郎さんと住吉美紀アナウンサーがパーソナリティで、毎回いろんな職業のプロフェッショナルを招いてトークを行う番組です。今年3月で一旦放送が終了していたのですが(一説には、茂木健一郎さんの脱税問題が原因という噂もありましたが...)、また10月から再開されました。

第143回目となる『松本人志スペシャル』をはさんでのレギュラー放送がスタート。またまた仕事に情熱を燃やすプロ中のプロがゲストで続くんですが...うーん、うーん、あんまり面白くないんです...。何でだろうなーと思ったのですが、以前はVTRを基本としながらも、茂木さんと住吉アナとゲストによるスタジオトークがあったのですが、それが無くなったんですね。それが原因じゃないかと。このスタジオトークが結構過激(?)で、パーソナリティのお二人がプロフェッショナルの古傷に塩をこすり付けるような質問をしていたんです。ゲストの若い時の失敗や挫折に関するエピソードに対して、「その時はどういう気持ちでしたか?」みたいに、ずばっと切り込む。また、そういう真正面からの質問に対しても、やはり幾多の困難を乗り越えてきたプロフェッショナルは、真摯に応えるんです。真のプロ相手だからこそできる質問ですし、その回答も非常に深く説得力がある。その緊張感がドキュメンタリーをより一層リアルなものにしていたんじゃないかと。

残念ながら、今回のシリーズはすべてVTR。やはり人と人とが面と向かって言葉を交わしている様子とは全然違うんですね。ある意味興味深い結果だと思いました。一応、以前と同じく、毎週録画しては見ているんですが...うむー、茂木さん復活しないかなあ。


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『ハーブ&ドロシー』(No.454/2010.11.05)
いよいよ『ハーブ&ドロシー』の公開が迫ってきました。個人的に非常に楽しみにしている作品です。
郵便局員の夫ハーブと、図書館司書の妻ドロシー。二人の楽しみは現代アートの収集。コレクションの基準はふたつ。自分たちの自分たちのお給料だけで買える値段であること。1LDKの小さなアパートに収まるサイズであること。これだけ。しかし、二人が約30年の歳月をかけてコツコツと集めたアート作品は2,000点以上。しかも20世紀のアート史に名を残すミニマルアートやコンセプチュアリズムのアーティストたちの名作ばかり。というドキュメンタリー映画。素晴らしいですねー。最終的には、アメリカ国立美術館から寄贈の依頼が舞い込んで...という展開になるんですが、そういう結末が無かったとしても本当に素敵なことだと思います。

個人的に小さいながらもギャラリーをさせて頂いていますし、それ以外にもさまざまなアーティストさんと接する機会が多いんですが、その中で自分に課している事があります。それは”良い作品にめぐり合えたら購入する”ということです。もちろん、ハーブ&ドロシー夫婦ではありませんが、身の丈以外の金額のものは買えませんし、置き場所に困るようなものも買えません。しかしながら、自分が本当にいいと思ったものは、そのアーティストさんの知名度などに一切関係なく、ちゃんと”購入”という形でサポートさせていただこうと。ギャラリストでなくても、アートというものは人生を豊かにしてくれるものだと思いますし、生活に余裕がある人の趣味ではなく、ある種の人にとっては、自分の人生を自分らしくする為に、時に衣食住よりも重要なものだと思っています。『ハーブ&ドロシー』、まずは東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムにて、2010年11月13日よりロードショーです。

・『ハーブ&ドロシー』公式サイト(http://www.herbanddorothy.com/jp/


『幸せの定義』(No.453/2010.10.29)
いつの時代にも”幸せ”というものが人々に語られ、さまざまな”幸せ”の定義が飛び交います。ある人は物質的に豊かなことを幸せだというでしょうし、ある人は人と人とのつながりだというでしょう。しかしながら、”幸せ”は誰に定義されることなく、それでいて多くの人から求め続けられています。
個人的には”幸せ”とは、何かしら自分の身の丈を越えた大きな存在に繋がっていると実感できること、ではないかと思っています。
なので、壮大な自然を目の前にした時に、その自然と一体感を感じることができれば、それは”幸せ”だと思いますし、組織の中で動いていて、自分がとんでもない失敗をしたり、病気になったりした時に、周りから助けてもらえれば、それもまた”幸せ”でしょう。そう考えると結構”幸せ”に遭遇できます(笑)。

芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さんによると、”しあわせ”という言葉は、もともと『為合わせる』という動詞だそうです。で、室町時代に「為」が「仕」に変わって、人と人との関係がうまくいくことを「仕合わせ」と呼ぶようになったと。まさに相手がいて初めて生まれると言うことですね。なるほど。
日本一のヘッドハンティング会社縄文アソシエイツの古田英明社長も、とあるインタビューでおっしゃっていましたが、良い転職とは前の会社を円満退社することが大前提だそうです。つまり”たつ鳥あとを濁す”では、やはりその人も、また前の会社の人も幸せになれないと。
他人の心配をしている余裕がないという人が多い時代だからこそ、まず他者のことを考えることからはじめなければならないのかもしれません。

ギャラリーという場所を運営していてもそうです。周りに迷惑をかけない、とか、周りと協調していく、と言うことだけ考えていても楽しい空間は生まれません。お互いに幸せになれるかどうかという風に考えていくといろんなことがクリアになるし、たくさんアイデアも出てきます。
まあそもそも”幸せ”が定義できないのは、人それぞれ考え方が違うし、人間の数だけ幸せがあるわけで、だからこそつかみ所がないんですが、今の日本にとって”幸せ”って何なんでしょうね。物質的な豊かさでないことだけは確かな気がします。

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『死んだ雌鹿』(No.452/2010.10.22)
このコラムでも一度ご紹介した東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて開催中の展覧会『フランダースの光』。都合3回観ました。いい展示です。Bunkamuraザ・ミュージアムが手がける『ミュージアム・ギャザリング』というプロジェクトがありまして、ミュージアムにもっと行ってもっと話そう、という企画で、毎回各界で活躍されている方々をお招きして展覧会を観ていただき、スタッフと一緒に”雑談”するというものです。美術館をより気軽に楽しんでいただこうという目的もあるのですが、やはり感性豊かなゲストの方々は、本物の芸術からさまざまなものを感じ取ったり吸収されたりするので、毎回意外に深い話になります。私も編集や撮影など、スタッフとして関わらせていただいていて、今回の『フランダースの光』展では、世界的に活躍されているダンサー・首藤康之さんをお招きして開催しました。

ダンサーの首藤さんらしい視点や考え方が伝わってくる楽しい回になり、いろんなことがこちらの心の中にも残ったのですが、映画関連でひとつ。ジョルジュ・ミンヌというアーティストの彫刻で《死んだ雌鹿を嘆く男》というのがあるのですが、これがジム・ジャームッシュの映画『デッドマン』に出てくる場面にそっくりだとおっしゃられたんですね。ジャームッシュは私も大好きな監督で、すぐにその場面が浮かんできました。確かに、ひょっとしたらこの彫刻からヒントを得たのかも、と思える作品でした。
で、その時は、なるほど、と思ったぐらいだったのですが、その後あらためて展覧会を観た時に真っ先にその彫刻を見ると、それ以後、すべての作品がどれも映画の一場面のように見えてくるではありませんか。これはキャメロン・クロウ監督の『シングルズ』のポスターに似ているなーとか、のフェリーニの『道』にこんな場面があったんじゃないかなー、などなど。思わぬ妄想の旅に引き込まれてしまい、今までにない視点で楽しめました。
『フランダースの光』、今まであまり日本では紹介されていない画家の作品もたくさんあり、何度見ても飽きません。会期は10月24日(日)までです。ぜひ。

首藤さんとのギャザリングの記事はコチラからご覧いただけます。

・ミュージアムギャザリング
http://www.bunkamura.co.jp/gathering/index.html


『THE ORB』(No.451/2010.10.15)
最近また気になるCDがたくさん発売されています。
けだるさが漂う女性ボーカルとアンビエントなビート感の組み合わせがクールだった『モーチーバ』。突然の活動休止から久しぶりに新作『Blood Like Lemonade』が発表されました。同時期によく聴いていたトリップ・ホップのダークサイド『トリッキー』も新作『MIXED RACE』を発表。かなり豪華ゲストを迎えているようです。ピンク・フロイドのギタリスト、デヴィッド・ギルモアとアレックス・パターソン率いる英アンビエント・テクノ界の重鎮ジ・オーブがまさかのコラボレーション。そしてアルバム『Metallic Spheres』をリリース。ジャケットには”THE ORB featuring DAVID GILMOUR”とありますので、オーブのアルバムという文脈寄りなのかもしれません。他にもアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズやスクエアプッシャーなどなど。うーん、何かそういう季節なんでしょうか。

本当はすべて欲しいんですが、とりあえずここは我慢しておこうと思いつつ、気づいたら”THE ORB featuring DAVID GILMOUR”『Metallic Spheres』を購入。ジャケットがまたいいんです。
アンビエント・テクノとギルモアのギターの組み合わせ、というだけでトリップしそうな感じですが、意外にダウナーな感じはなく、BGMとしても聴き続けられる心地よさでした。小さなハコでライブとかやってくれれば最高でしょうね。絶対ありえないけど。ベテラン同士の意外な組み合わせに驚きつつ、”組み合わせ”という図式そのものに段々飽きてきたなあというのも率直な感想。特にオーブはこんなことしちゃったら、この後どうするんだろうと心配してみたり。スクエアプッシャーを買うのが正解だったか。

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『レポ』(No.450/2010.10.08)
今年の11月に全国の映画館にて公開予定の『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の原作者としても知られるライターの北尾トロさん責任編集の雑誌『レポ』が創刊されました。基本的に年間購読を中心とした流通によって販売されるドキュメンタリーマガジンです。
トロさんには、うちのギャラリー主催の『顔フォト!コンテスト』(作品募集中です。ぜひっ)の審査員もお願いしております。もちろん『レポ』も年間購読させていただいています。

で、その第1号が先月届いたのですが、久しぶりに楽しく読める雑誌に出会えた感じでした。ライターをはじめ、編集者やコラムニストなど、さまざまな方々の記事が集められた雑誌(トロさん曰く、”分厚い手紙”だそうです)。
ちゃんと取材している厚みが感じられる内容といい、ちょっと斜めからの視点といい、ある種の”正しさ”が伝わってきます。
実際にはぜひお手にとってご覧いただきたいのですが、ひとつだけ紹介させていただくと、個人的に心にドスンと来たのは、原一男監督渾身のドキュメンタリーの傑作『ゆきゆきて、神軍』(1987)の主人公・奥崎謙三氏本人が書いた手紙を紹介した『奥崎謙三のラブレター』。記事はトロさんによるもので、とある女性が奥崎謙三本人から受け取った手紙について考察されています。
まあ、この内容がやっぱりすごいわけで。どんな形であれ、一般の人が絶対に立てないようなステージやフィールドに立つ人って、それなりに突き抜けたところがあるんだなあというところを再確認。
ドキュメンタリー作家の森達也さんが、『ゆきゆきて、神軍』についての記述で、奥崎謙三が後半はカメラを意識して、映画の主役として意識的に肥大化している旨を指摘されていますが、ここで白日の下に晒される粘着かつ自意識過剰な言葉たちは、メディアが育てた結果なのか、それとも本人の生まれながらの資質なのか。『ゆきゆきて、神軍』を始めてみた時の衝撃がリアルに蘇ってきました。

・『レポ』(http://www.vinet.or.jp/~toro/


『アイアンマン2』(No.449/2010.10.01)
三軒茶屋の映画館に『アイアンマン2』が来ましたので観ました。もともとアメリカのコミックを実写化したもので、2008年に第一作目が日本でも公開されて大ヒットした作品です。
で、その続編。最初はキャスティングが話題になりました。悪役にミッキー・ローク。怪しいロシア人の役です(笑)。恋人役は前作と同じくグウィネス・パルトローなんですが、彼を取り巻く謎の組織から派遣されてきたエージェントの女性を演じるのがスカーレット・ヨハンソン。個人的に一番好きな女優さんです。

主役のロバート・ダウニー・Jrもなかなか個性の強い俳優で、『レス・ザン・ゼロ』(1987)や『チャーリー』(1992)など、存在感のある演技が定評で、本作でもアクが強くてどこか破滅的な独特のキャラクターを作り上げています。
しかしながら...今回はとにかくスカーレット・ヨハンソンが美しいですね。フェロモンたっぷりで登場したかと思うと、格闘技もこなし、黒のタイトなボディスーツでアクションを決める。これ以上ないほどベタなキャラなんですが、そもそも80年代的テイストのシリーズなので、あっていると言えばあっているかも。
彼女のファンとしては、近年こそ出演作品にあまり恵まれていない気がするものの、だからといってアクションやお色気を売りにしないといけないほどの立場ではないという想いがありつつ、うっとりしてしまいます。

肝心の映画の内容はまあ平均点でした。ミッキー・ロークの怪演もなかなか。昔よりは演技が上手くなった気がします。最後の戦いが意外にあっさりしていたり、敵を倒した後の恋人とのキスシーンに邪魔が入ったり、どこか新しい演出を盛り込もうとする気概は感じますが、ここ10年でこの手の実写化はめちゃくちゃありますからね。
とにかくスカーレット・ヨハンソンの美しさ、そして音楽で使われているAC/DCのぶっちぎりのかっこよさが印象に残った作品でした。

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『そこにある顔』(No.448/2010.09.24)
先月、こちらのコラムでもご紹介させていただいた、うちのギャラリー主催の『顔フォト!コンテスト』。カバンの留め具や何かの部品などなど、日常の中で見つけた”顔”の写真を送っていただくコンテストです。フィルム・カメラやデジタルフォトフレームなど、素晴らしい賞品もたくさんご用意しています。

で、開催から1ヶ月が経ち、募集期間も約半分が過ぎたんですが...この”顔フォト”...楽しすぎます。応募作品が公式サイトからご覧いただけるんですが力作ぞろいです。
もともとコンテストの目的は、『日常を楽しくする』ということでした。普段気にしないモノや場所を改めて見つめなおすことで全然違うもの=”顔”が見えてくる、身の回りにある顔たちの豊かな表情に笑わされたり、唸らされたり。最近、デジタルカメラが非常に安価で手に入るようになったり、携帯電話に付属のカメラの性能が高くなったり、誰でもきれいな写真が撮れる時代になりました。いろんなアートフィルターが付いていて、日常の色や明るさを全然違うものにしてくれるようなソフトも出てきました。
しかし、やはりカメラというハードウェアが日常を変えてくれるのではないと思います。日常を変えるのは、カメラそのものではなく、カメラを通して得た”普段と違う視点”。”顔フォト”は改めてそのことに気づかせてくれます。カメラや写真自体のクオリティはあまり重要ではありません。面白い顔、はすでにいろんなところに潜んでいます。ぜひ、顔を探して写真に収めてください。ご応募お待ちしております。

・『顔フォト!コンテスト』詳細&応募はこちら↓↓↓
http://kao-photo.petit.cc/

『フランダースの光』(No.447/2010.09.17)
渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『フランダースの光』展を観ました。
19世紀の後半、賑やかに変貌していくベルギーの都市部に嫌気がさした画家たちが、美しい農村の風景や情景を求めて移り住んだのがベルギーのゲント市にほど近いシント・マルテンス・ラーテムと呼ばれる村。ここにフランダース地方の芸術家たちがこぞって移り住み、質の高い芸術を展開させていきました。日本ではまだまだ知られていない芸術家も多いですが、その分、彼らの傑作ともいうべき質の高い作品が数多く展示されています。
ほぼ一年前にザ・ミュージアムにて開催された『ベルギー幻想美術館』展もそうでしたが、ベルギーの画家たちは、美しい光や何気ない風景を描くという、一見印象派的な趣を見せつつ、その手法や主題にオリジナリティがあり、一筋縄ではいかない感じがこちらの心を揺さぶります。前回のブリューゲルの版画もそうでしたが、この国の人たちの表現ってやっぱりどこかおかしい(笑)。でもそういうところが強烈に惹きつけられるんですよね。
美しいんだけれどどこか内省的、メッセージ性があるんだけれどほのぼのとした雰囲気、など、一枚の絵から受け取る物語性は非常に豊かで多様です。個人的には、やはりそういう”二面性”や”ボーダレス”のような作品が好きなこともあって、かなりツボにはまりました。『フランダースの光』、会期は10月24日(日)まで。まだまだ会期があります。ぜひ。

ちなみに、ちょっとお仕事としてお手伝いさせていただいている部分もあって、ザ・ミュージアムの展示は大体音声ガイドを利用します。最近、この音声ガイドが、結構工夫されていて楽しいんですよ。突然クイズがあったり、裏話があったり、展覧会にあわせた音楽だけ聴けたり。オススメです。

・東急Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/museum/

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『第9地区』(No.446/2010.09.10)
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで世界的な映画監督にのし上がったピータージャクソンが製作したSF『第9地区』を見ました。
南アフリカのヨハネスブルグの上空に突如現れた巨大な宇宙船。何日経っても静止したままの宇宙船に、南ア政府がヘリで偵察隊を派遣。船内にいたのは、船の故障により栄養失調で衰弱したエイリアンの群れ。何百万ものエイリアンの群れは、そのままヨハネスブルグの“第9地区”に住まわされる。一般市民とうまく共存できない彼らを、人類はさらに隔離し厳しく管理しようとするが...という物語。

率直に言うと面白かったですね。まず、スラムに住まわされ、ほとんどホームレスのような様相・生活をしているエイリアンという設定に驚かされます。人間とエイリアンの交流などはなから無視し、第9地区で巻き起こる衝突や暴動を中心に映画は進行していきます。ドキュメンタリーの手法を取り入れたのも秀逸。エイリアンと人類の確執と言うフィクション、ヨハネスブルグというある意味未知のリアルワールドでのドキュメンタリーが重なり、グッとリアリティが増しています。最終的にはSF映画”らしい”ストーリー、メジャーな映画”らしい”アクションに帰結しますが、見終わった後にちょっとしたファンタジックな気分になるあたりもうならされます。
やはりさすがピーター・ジャクソン、というところでしょうか。ピーター・ジャクソンと言えば、『乙女の祈り』(1994)は本当に傑作だと思いますし、それを見た後に遡って見た『バッド・テイスト』(1987)、『ブレインデッド』(1992)のあたりの印象が強く、『ロード・オブ・ザ・リング』で世界的に大ヒットを飛ばした時は本当にこれがあの監督か、と目を疑いました。才能があるんでしょうね。
ちなみに久しぶりにピーター・ジャクソンのことを書くにあたり、ウィキペディアを見てさらにびっくりっ。メタボ&メガネ&ヒゲで見た目はオタクっぽかった監督ですが、近年ダイエットにより30kgの減量を果たしたそうです。写真で見る限り、昔の面影は全くなく、ほとんどスティーブン・スピルバーグでした。うーん、映画界でその位置を狙っているのかもしれません。

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『街場のメディア論』(No.445/2010.09.03)
内田樹さんの『街場のメディア論』(光文社新書)を読みました。『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞2010を受賞されて以来、さらに注目が集まっていますね。個人的には映画関連の著書を読んだのが始まりでしたが、いつ、どの著書を読んでも本当にバランスの取り方がしっくりきます。ある種の正論を説いているようでいて、実は従来と全く違う視点を提供されているところも素晴らしい。非常にいい意味でわかりやすい、ということなんでしょうね。一連の”街場シリーズ”は、メディアはもちろんコミュニケーション論としても楽しく読めます。自分も”場”のデザインをすることが多く、ひとつひとつの論説が腑に落ちる感じです。
同書の後半に登場する、「何かを見たとき、根拠もなしに”これは私宛ての贈り物だ”と宣言できる能力のことを”人間性”と読んでもいい」という言葉、まさにそう思いました。この”勘違い”の能力が大事なんだと。”多様”であることがさまざまな問題をはらみつつも”豊かさ”を提供してくれるものだとすると、”よくわからないもの”をポジティブに許容できること、またはその姿勢こそが最も大事なのだと思います。このくだりにも映画監督・小津安二郎の作品の一場面を用いるあたりも非常にわかりやすいんですよね。

やはり”効率”というものを追い求めた結果、失ったものも多いわけで、それを取り戻すためには、未来のために今を肯定する選択が必要なのではないでしょうか。そのためには、”今”より”未来”を重要視することが”正しい”という担保が必要で、まさに内田さんの一連の著書はそのことを指示してくれているような気がします。

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『顔フォト!コンテスト』(No.444/2010.08.27)
日常の中に存在する”顔”。カバンの留め具が目に見えたり、ネジ穴が口に見えたり、私たちの脳は、いろんなものを”顔”として認識します。そんな”顔”を撮影した写真によるコンテスト『顔フォト!コンテスト』を、ギャラリー世田谷233と233写真部との共催で開催しています。

コンテストの目的は、『日常を楽しくする』ということ。”顔”に見えるシチュエーションというのは、私たちが気づかないだけで、実はいたるところに存在しています。そんな、普段は気づかないものを改めて意識する視点を持っていただいて、みんなの日常がちょっと楽しくなれば、という思いをこめました。
コンテストの特徴は3つ。ひとつは誰でも簡単に撮れるということ。敷居の低いコンテストです。画像のクオリティは問いません。携帯からのメール添付でもOK。もうひとつは審査員の方々。”つながり”を重視するギャラリー&サークルが主催だからこそ可能な、さまざまな分野で活躍される方々、30名にお願いしました。もちろん審査基準は”独断”。我々世代の人間にとってカリスマである桑原茂一さんや、ミュージシャンのサエキけんぞうさんなどなど、いろんな方が参加してくださっています。そして最後の特徴は賞品。さまざまな企業の方に協賛頂き、デジタルフォトフレーム、トイカメラ、Tシャツ、写真集作成チケット、カメラストラップなどなど、多種多様な賞品をご用意しております。ぜひ参加してください。ご応募お待ちしております。

・『顔フォト!コンテスト』詳細&応募はこちら↓↓↓
http://kao-photo.petit.cc/

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『ブリューゲル版画の世界』(No.443/2010.08.20)
渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『ブリューゲル版画の世界』を観ました。
16世紀ネーデルラントの巨匠と言われているピーテル・ブリューゲルは、その独特の世界観と色彩による油彩画が有名ですが、今回はすべて版画作品。
宗教的な寓意や農民の労働などを主題に、精密でありながらどこかコミカルな描写が特徴的。点数も多く、一つ一つの作品はさほど大きくないので、じっくり見ていると正直ちょっと疲れるところもあるんですが(笑)、相当楽しかったです。

キリスト教の考え方にある、人間を罪に導く可能性がある欲望について説いた『七つの罪源』シリーズや、農民たちの普通の暮らしを描いた作品など、テーマとしては時に哲学的で、普遍性を持ったものが選ばれているのですが、決して大上段に構えず(もちろん深読みはいくらでもできますが)、どこか漫画を思わせるテイストがグッときます。実際、現代の日本の漫画にも、ブリューゲルの世界観から影響を受けたと思えるような描写が登場したりするんですが、これらの作品が16世紀に描かれたものですから驚きです。斬新すぎ。当時の人たちにどれほどのインパクトを与えたのか、興味深いですね。
やはり、いつの時代にも、諧謔性やユーモアというのは、結局大衆に支持され、大きな影響力を持つんですね。実際、今回の展覧会も大盛況で、会場内での滞留時間も通常の展覧会の3倍程度にもなるそうです。
それにしても、これだけ大量で質の高い作品を送り出し続けたブリューゲルのモチベーションは一体なんだったんでしょうね...。啓蒙や警告というにはあまりにも表現として妥協していませんし、画家としての創作活動にとどまらない、人間や人間の欲望、振る舞いなどへの興味が見て取れます。ひょっとしたら、絵に登場するような怪物や異形の者たちが本当に見えていて、自己救済的な意味もあったのかも。『ブリューゲル版画の世界』、会期は8月29日(日)まで。会期中は無休です。ぜひ。

・東急Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/museum/)

こちらもちょっとお手伝いしています。
・ミュージアム・ギャザリング
http://www.bunkamura.co.jp/gathering/index.html)

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『トークイベント』(No.442/2010.08.13)
先日、知人が経営する池袋のアトリエ・ベムスターというバーで、写真家の鷲尾和彦氏とともにトークイベントを行いました。ベムスターが開催している『あとりえのポストカード展』連動イベントです。うちのギャラリー世田谷233がポストカード展で展示の招待枠をいただいているのですが、そこに鷲尾氏の『極東ホテル』シリーズの写真作品のスライドショーを展示をしていて、トークイベントでは、私がナビゲーターになって鷲尾氏が昨年出版した写真集『極東ホテル』についていろいろと話を伺うという形で進行しました。

もともと10年来のつきあいなので、トークイベントのような企画の時は基本的になにも打ち合わせはしません。しかしながら、お互いに話したいことや投げかけたいことなどをちゃんとそれぞれに用意していて、当日それをぶつけ合う感じです。もっと打ち合わせを重ねて、ある意味”わかりやすい”トークイベントとして成立させることは可能なんですが、鷲尾氏はともかく、個人的には、作家が自分の作品について語る、というオレオレ的なシチュエーションがあまり好きではありません(笑)。もちろん、作家本人に会えて、作家の話が直接聞けるイベントは、興味のある方には楽しい企画だとは思いますし、プロモーションとしても必要なのだとは思いますが。
作品を作るうえでの苦労話や裏話を聞いて楽しんでいただく、ということよりも、その場所、その時間に何を共有できたか、ということが大事な気がするんですよね。特に写真というメディアは、その時の状況や環境を一枚に閉じ込める作業ですから。余計にそう思うのかもしれません。
『あとりえのポストカード展』は今月14日(土)まで開催中。また、鷲尾氏とは、今月24日(火)に渋谷の日本写真芸術専門学校でも一緒にトークイベントを行います。学生さんだけでなく、一般の方も参加できます。タイミング合う方いらっしゃいましたらぜひ。

・アトリエベムスター(http://www16.ocn.ne.jp/~bemstar/

・日本写真芸術専門学校
http://www.npi.ac.jp/blog/information/event/2010/07/post_68.html


『KISS』(No.441/2010.08.06)
昭和40年前後に生まれた方で、洋楽を聴いていた方なら絶対記憶に残っている4人組の人気ロックバンド『KISS(キッス)』。ド派手な衣装とライブパフォーマンスのかっこよさで全米でも大ヒットを飛ばし、いまだに神格化されている伝説のバンドです。私は姉によって刷り込まれたタイプですが、奇抜なメイクでありながら曲も良く、かなり聴きこんだ覚えがあります。
で、そのKISSですが、70年代のみならず、80〜90年代にかけても活動を続け(メンバー脱退や一時的な解散などいろいろありましたが)、今年で結成37年。4月から北米ツアーをしており、来月9月にカリフォルニア州フォンタナで行う最終公演まで全32公演を行うそうです。すごい、の一言ですね...。

レコードの衰退やCDからネット音源への流れなど、ビジネス的に音楽業界をとりまく環境は厳しくなりつつあり、アメリカでも、今年前半の北米コンサートツアーの興行収入は、前年同期比17%減だそうです。そんな中でのKISSの快進撃。ツアーでは1万5000人収容の会場を満杯にしたそうですし、昨年発表した最新アルバム『Sonic Boom』は過去最高となる全米2位のチャートアクション。リードボーカルのポール・スタンレーは、ロイターのインタビューに応じ、「(音楽活動は)マラソンみたいなもので、誰が一番長く続けられるかに近い。1回のツアーや1回のコンサートを理由に落ち込んだり、やる気を失っていたら、この仕事には向いていない」と話したとのこと。う〜ん。ベテランならではのお言葉。プロフェッショナル。気が引き締まります。夏の暑さになんか負けてられませんねえ。

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『好みのサービス』(No.440/2010.07.30)
前回、タブレット型コンピュータ『ipad』についてちょっと思ったことを書きました。この種のハードウェアやアプリケーションは今後も進化を続けると思いますが、とにかく誰にでも便利な世界が来るかというと、必ずしもそうでもないような気がするんですよね。

インターネットをインフラとしたサービスを提供する企業は、ちょっと乱暴な言い方ですが、どの企業も最終的には個人の生活をサポートすることによって収入をあげることが目的だとすると、結局、個人の”好み”を的確に捉えるだけでは十分でなく、個人の”感情”を捉えられるかどうかが鍵なのではないかと。で、これって相当難しいですよね。
一流のホテルマンのサービスが人々を気持ちよくさせるのは、ただ単にお客の好みを知っているだけではなく、その時の”気分”を見抜く力があるからだと思うんです。つまり、数値化やデータ化ができない部分をいかにフォローできるか。

最近、レンタルビデオ屋さんでビデオを借りる際、以前借りたことのある映画だと、「前にお借りになっていますが」と問いかけられます。もちろん、こっちは改めて見たいと思うから借りているわけで、「あっ、大丈夫です」などと答えるのですが、私は結構同じ作品を借りることが多く(もちろん、本当によく見返す作品は買いますが)、この質問ってホント”うざい”んです。

もし、これがネット上のサービスで、「過去のレンタルの履歴と同じ作品を借りた場合でも「前にも借りています!」という”アラート”を出さない」というような設定が出来たとしても、それって自分で設定しているだけですからねえ。そういうことをわざわざやらなくても、こちらの表情や態度から”状況にあわせて対応してくれる”というサービスが”快楽”につながるわけで。「楽しい」や「泣きたい」などの気分で検索できる、なんてのは本質ではない気がするし。そういう意味では、ネット上で提供されるサービスって、”質”の部分ではすぐに頭打ちが来るだろうし、少なくとも自分にとってはあんまる魅力的なサービスって想像できないなあと。もちろん、AMAZONなんかはよく使っていますし、実際便利だと思うんですが。ユビキタスやクラウドみたいに”どこでも”から、”どこで”という、やっぱり最後は”場”のデザインに戻ってきそうな気がします。


『電子書籍』(No.439/2010.07.23)
アップルの斬新なタブレット型コンピュータ(でいいのかな)『ipad』が上陸し、日本でもにわかに電子書籍に対する期待が高まってきた感があります。私の周りでも『ipad』を使っている人がちらほら出始めました。実際触らせていただいたこともあります。質感・操作感などさすがの出来ですね。

いろんなアプリケーションはさておき、とりあえず”書籍”に限って言えば、ハードウェアが好きという理由がなければ、とにかく液晶画面上で本を読んでみたい、という欲求はあまりないはずで、やはり一度に好きな本を何冊もインストールしておいて、好きな時に好きな本を読みたい、というのが多くの人の一般的な使い方になるのではないかと。
個人的には特に一度にいろんな本を併読する方なので、読みたい本の電子書籍化が進めばぜひ使って見たいと思っています。その一方で、紙の書籍がいらなくなるかというとそれはまた別問題。紙の書籍、と言っても素材はいろいろ。めくる度に違う感覚が指に伝わりますし、ぱらぱらっと読みたいところに戻ったり、先に進んだりする時のページを流す感覚はある種の快楽であると思います。いまだに高校生の時に買った村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』初版本は、もうそれが手元にあるだけで嬉しいという代物。買ってから25年ほど経っているわけですが、これなんかは一緒に”時間”を重ねてきたからこそ思い入れがあるわけで。しかしながら、ただ単に質感という意味では、電子書籍のリーダーとなるハードウェアにもプラスチックや金属、樹脂などの質感がありますし、ひょっとしたら、生まれてこのかた、本を読む手段としてipadしか使ったことがない、という世代が出現すればどうなるか分かりませんね。少なくともそういう状況になるには(もし来るべき未来だとしても)まだ何百年も何千年も先のような気がしますが。木や水などの自然の触感より、人工的な造作物の触感の方が気持ちいい、という状況を想像するとちょっと怖いかも。もしも、一日のほとんどをパソコンや携帯を触って過ごしている人たちはすでにある程度そうなのかもしれないとすると、”何千年も”ってことはないか。

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『世田谷線が見える街』(No.438/2010.07.16)
今、うちのギャラリー・世田谷233(http://233.jp/)にて233写真部によるグループ写真展『世田谷線が見える街』を開催中です。12名の参加者がそれぞれ”世田谷線”をテーマに撮影し、作品を仕上げるというもの。個人的にも自分のお店のある地域”若林”をテーマに参加させていただいています。もともと、何かを表現してそれを見せたい、という欲はあまりないのですが、今回は毎日見ている”世田谷線”がテーマですし、コンセプトも面白いので手を上げました。若林に通ってもう8年近くになるわけで、どこでどういう写真が撮れるかというのは大体わかっていますし、いつもお世話になっている、若林の商店街の方も撮影させていただきたいなと。

実際に撮影のためにあらためて若林を散策してみましたが、いろんな風景が結構変わってしまっていることに気づかされました。人の住んでいないアパートや、ちょっと廃墟っぽくなってしまっていた風景などは、ここ数年でほとんどなくなってしまいましたね。どこもアパートやマンションが建設中なんです。三茶から徒歩10分〜15分の場所ですから、需要はあるのかもしれません。
後、撮影中にちょうど若林商店街の七夕祭りがあったのですが、お客さんの数も例年より2〜3割ほど多く感じました。そもそも1万世帯が住んでいる地域であるわけですが、やっぱり人口が増えているのかなと。もしそうなら、お店を開いている身としては嬉しいですが。

まあ、私の作品はさておき、とにかくみなさんそれぞれに素晴らしい作品となっています。世田谷線はたった5kmの路線ですが、結構起伏がありますし、線路脇にたくさん花も咲いています。豪徳寺や世田谷八幡の近くも通るし、環七も突っ切ります。ホントのんびりしていて物語が感じられる電車です。展示は今月26日の月曜日まで。可能な方はぜひ遊びに来てください。

・『世田谷線が見える街』by 233写真部(http://233photos.net/

『残す意志』(No.437/2010.07.09)
最近は写真関連の企画やワークショップに関わらせていただくことも多いのですが、中でも、「アルバム作り」に関しては、”アナログ的価値を大切にする”と言う意味で、ギャラリーのようなアートや作品に”触れて”いただくことを生業としている身として、他人事ならぬ興味を持っています。
現在アラフォーの私たちの世代にとっては、幼い頃に写真を整理して張り付けることによって作り上げた”アルバム”があることは普通です。しかしながら、昨今はデジタルカメラの急速な普及により、写真の保存方法の7割近くが「パソコン」や「外付けハードディスク」などになってしまったようです。こうなってしまうと、いちいち膨大な量の写真の中から好きなものを選んでプリント、さらにそれを整理してアルバムに貼る、という行為は”面倒くさい”作業となりますし、実際、アルバムを作る人もどんどん減っています。
これに対して、企業さんと一緒にアルバム作りのワークショップを行ったり、他にもいろんな企画を考えているのですが、そもそもデジタルフォトフレームなどが登場するメディアの変化の中で、”写真をプリントして見る”行為そのものが消えていく可能性を感じつつあります。

しかしながら、誤解を恐れずに言えば「アナログだからこそ伝わるものがある」と思います。ひょっとしたら科学的にも、”ゆらぎ”などを根拠に解明できるのかもしれませんが、ひとつ大きな要素としてあるのは、長期保存ということです。そして、ここで大事なのは、メディアとしての耐久性ではなく、あえて旧来のメディアを使うと言うことで「永く保存したいと言う意志」が伝わるのではないかと。手間がかかる、面倒くさいがゆえに、それを受け取る側は「永く残したい」という気持ちも同時に受け取るはずです。利便性や効率を超えた豊かな感情のやり取りは、人間の享受できる快楽としてかなりの強度を持っていると思います。もちろん、レコードのように、マーケット的には本当に小さなものになってしまうかもしれませんが、それでも、決して無くなることはないでしょう。その価値に気づくために、その価値を伝えるために、どのような手法が私たちに残されているのか、これからも考え続けなければなりません。

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『諦めきれない男たち』(No.436/2010.07.02)
遅ればせながら、公開時から大きな反響を呼び、DVD発売後も人気が衰えないドキュメンタリー映画『Anvil! The Story of Anvil(邦題「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」)』を観ました。

1973年にカナダで結成(当時は「リップス」というバンド名)されたへヴィ・メタルバンドのアンヴィルは1984年に日本で開催された伝説のメタルフェス『SUPER ROCK'84 IN JAPAN』に出演。出演バンドは5組。アンヴィルを筆頭に、ボン・ジョヴィ、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ、そしてスコーピオンズと、今では考えられないような豪華さ。そして、そのフェスに出たバンドはみんなその後大ブレイクっ。...といっても、アンヴィル以外は...ですが。
ドキュメンタリーはまさにこの切り口から始まります。当時を知る業界人や他のバンドのメンバー(元ガンズのスラッシュまでもがっ)がこぞってアンヴィルを賞賛。まあ、売れる売れないっていうのは運も大きいですからねえ。で、ヴォーカルのスティーヴとドラマーのロブ・ライナーを中心としたメンバーは、それぞれ仕事をしながら大スターを夢見て、それ以降もずっと活動を続けているわけです。その活動も早30年。尊敬。

そもそも、当時はまだまだだったとは言え、ボン・ジョヴィやスコーピオンズと共演しただけでもすごいと思うんですが、それでも”大”スターになるのを諦めないところがグッときます。逆に”そこそこまではいく”ところが彼らなんでしょうね。スターになれないといっても、ツアーを組んでくれる人は現れますし、親族にはちゃんと協力してくれる人もいる。それで満足するかどうか、そこが分かれ目のような気がします。こういう作品を見るといつも思うのは、続けている人って”一人”ではないということ。必ずずっとそばにいてくれるパートナーがいます。本作でいうと、ヴォーカルのスティーヴと彼を支え続けるドラマーのロブ・ライナーの関係がそう。”続けている”ことの凄さも伝わってきますが、やはり彼らの友情が心に響きます。アートやモノ作りに関わるすべての人が観るべき映画。

・公式サイトがまだあります:http://www.uplink.co.jp/anvil/

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『語りかける風景』(No.435/2010.06.25)
渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『語りかける風景』を観ました。フランス北東部アルザス地方の中心都市で観光の名所として知られるストラスブールにある、ストラスブール美術館が収蔵する風景画80点が展示されています。コロー、クールベ、モネ、シスレー、シニャック、デュフィといったフランス近代絵画を代表する画家の作品がずらり。他にも日本人にあまり馴染みの無い画家の作品が多数あったり、ピカソやカンディンスキーらの珍しい風景画もあったりと、非常に興味深い展覧会です。

基本的には印象派の画家の作品なので、色も美しく、全体的に華やかな印象。そして風景画の展覧会というテーマをしっかり感じさせてくれる会場装飾。会場に入るだけで、ちょっと気分が上向きになります。
ヨーロッパで風景が描かれるようになったのは、15世紀のイタリアだそうですが、風景を描く、という行為そのものが革新的だった時代があったという事実だけで、少し眩暈がするような大きな歴史を感じてしまいました。
ほとんど名前を知らない画家の作品が見られたのも収穫ですが、やはり最も心に響いたのが、ピカソとカンディンスキーの風景画。それぞれ一枚だけなんですが、その他を圧倒するオリジナリティ、またはその萌芽が垣間見れる存在感たるや、これまた眩暈がするようでした。う〜ん、やっぱりすごい人はすごい(?)。
当時と比べると、現代では、日常の中に立ち現れる風景や窓を通して見える風景は全く違うものになってしまいました。しかし、私たちの目に映る風景は、紛れもなく私たちが作り、選んできたものです。果たしてそれは、絵や写真というメディアを通して切り取るに相応しいものなのでしょうか。

・東急Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/museum/


『それぞれの時代』(No.434/2010.06.18)
専門学校で授業を持たせていただくようになってから、藤原和博さんの著書と大前研一さんの著書をたくさん読んでいます。
藤原和博さんは、義務教育初の民間人校長として、杉並区立和田中学校校長に就任された方。社会学者の宮台真司さんとの共著を読んだぐらいだったのですが、新時代の教育論とでも言うべき、目からウロコの教育方法が非常に新鮮です。大前研一さんの方は、まあ私もサラリーマンをやっていましたのでほとんど読んでいました。誰でも一度は通る道ですね(笑)。しかし、今読んでも本当に背筋が真っ直ぐなる気分です。説得力ありまくりです。

お二人の著書を読んでいると結構共通している部分も多いのですが、最もベースの部分で似ているのが、時代のあり様。お二人とも、世界は「みんな一緒、から、人それぞれ」に変わったと。この個人の価値観の変化を基本的な視点とされています。納得です。
で、昨今の社会事情として、もちろん個人の価値観の多様化もあると思いますが、日本でも”格差”があったことが白日の下にさらされ、相変わらずの経済の低迷もあり、特に若い人たちを中心に、”自分のことで精一杯”という姿勢が増えていることもあるのではないかと思います。ギャラリーや学校で20歳前後の人たちと過ごしているとリアルにそう感じます。なので、教育にしても、自己表現にしても、”私はこうやる”ということを尊重することが必要になってきているのですが、だからこそ、グループワークや組織での活動のメソッドが重要になってくるのではないかと。私がネットの世界にどっぷり浸かっていたのは、1990年代の終わりごろですが、その頃から個人の情報発信力の飛躍的な向上を感じつつ、やはり個人で出来ることの限界も同時に実感していました。もちろん、そもそも人は一人で生きているわけが無いのは当たり前。個人がやりたいことを出来るサイバー空間が発達したがゆえに、改めて組織が見直される時代が来るかもしれません。

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『続くもの』(No.433/2010.06.11)
いつもご覧いただきましてありがとうございます。このメールマガジンも今回で450回目となりました。創刊号は2001年11月2日の発行ですから、今年の10月で丸9年。早いもんです...。
たまに「どうやったらそんなに長く続けられるのか」というようなご質問をいただくことがあるのですが、元来飽きっぽい性格でもあり、気の利いたお返事は出来ないのですが、まあ”映画が好きだから”ということなんでしょうね。
他にもたまに受ける相談が、「ブログが続かないのだがどうしたらいいか」というもの。ブログもメールマガジンも同じようなメディアですからね。”長く続ける秘訣”は答えに窮しますが、”続かない”という質問に関する答えは明白です。...「やめるべし」ということです。いえ、意地悪をしているわけではありませんし、ふざけているわけでもありません。”ブログが続かない”ということは、そもそも”書くべきことが無い”という状態。...であれば、ブログなんてやる必要ないんです。ブログをやらなくったって別にどうということはありません。いや、マジで。

もし、最初に何かテーマを決めてから始めたのだとしたら、実はそのテーマにそんなに関心がなかったということでしょう。自分の知識や想いをみんなに聞いて欲しい、という目的から始まったのであれば、その知識も想いもさほど突出したものではなかったということです。残念ながら。逆に言うと、それでもブログをやって、いろんな人と繋がったり、情報を共有したりして楽しみたい、という方は、ブログがどうこう、という以前に、”何かをちゃんとやる”と言うことだと思います。何でもいいです。一日一枚デジタルカメラで写真を撮る、でもいいし、毎日一つ妄想する、でもいい。定期的にポストカードを購入してもいいし、夢を見たときに書き記しておいてもいいでしょう。本当に何でもいいんです。そうやって、ネタが出来ればそれを紹介していくだけで立派なブログになります。必要なのは”コンテンツ”です。あくまでも、個人の発信用のメディアなわけですから、そのコンテンツも”個人的なこと”=つまり”何でもいい”わけです。
もちろん、それからさらに広告収入などで”儲けよう”とするならば、コンテンツの質・量が問われることになり、そこから先はさらに地獄のような大変さが待っているわけですが...。”儲けようとしない”というのも長く続ける秘訣かもしれませんね。


『呟かない』(No.432/2010.06.04)
前回、知人の『ツイッター』をご紹介しましたが、個人的には『ツイッター』は未経験です。興味が無いわけではないのですが、さほどやりたいという気が起こらず。まあ、面倒くさがりやなんでしょうね。SNSも『MIXI』と『カメラピープル』に参加していますが、能動的にはほとんど何もやっていません。『Facebook』に関しては、動画の保存場所としてどうかなー、と思って仮登録をしたら、その段階で「あなたとお友達と思われる方がいらっしゃいます」と、いろんな人のアカウントが表示され、何か気持ち悪いのでその場でやめました(笑)。こういうのは、必要な人にとってはものすごく便利な機能なんでしょうけど。

パソコンやインターネットが普及し始めた頃だと、それらを”知らない”ということが個人の性格や気質にまでは影響を及ぼさなかったのかもしれませんが、これだけネットを通じたコミュニケーションやサービスが蔓延してくると、知らないだけであれ何であれ「やっていない」ということ自体が、ある種のメッセージ性を持ってしまう気がします。
例えば、私はインターネット関連サービスについては、”ツイッターやってない””MIXIで日記書かない””Facebook好きじゃない””携帯はPHS””iphone買う予定なし””ipodは1世代前”。これだけでも、どこかアナログで頑固な感じがしないでもありません(笑)。実際は、そんなことはなく、ネットは相当利用していますし、AMAZONでもしょっちゅう買い物しています。まあ、頑固というのは当たっているかも知れませんが(笑)。

おそらくこういったIT関連のアプリはこれからもたくさん登場すると思いますが、そこではそもそも「やる」か「やらないか」という選択が問われることになると思います。自身がしっかりした”メディア”や”リアルの場”を持っているのであれば、例えばツイッターであれば、自分がつぶやくのではなく、周りからつぶやかれる状況を作れるかどうかの方が絶対大事だと思います。それにしても、最近はメディアだろうが何だろうがすべては”ネタ”扱い...。面白くも恐ろしい世の中です(笑)。

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『家路の会』(No.431/2010.05.28)
2009年に公開された17年ぶりの新作『アンナと過ごした4日間』が、第21回東京国際映画祭審査員特別賞受賞や、2009年キネマ旬報洋画ベストテンに選出されるなど、相変わらずの根強い人気で注目されたポーランドの伝説の巨匠イエジー・スコリモフスキ監督の映画祭が渋谷のシアター・イメージフォーラムにて開催されます。
個人的には、『アンナと過ごした4日間』以外の作品は未見なのですが、タルコフスキー監督にも通ずるような深い陰影の映像が非常に印象に残っています。俳優としても『マーズ・アタック!』(1996)や『夜になるまえに』に出演されているようです。イメージフォーラムでの『イエジー・スコリモフスキ監督 '60年代傑作選』では、長編デビュー作を含む60年代の傑作4本が公開されるとのこと。楽しみです。

ちなみに知人で漫画家の『little fish』が、イエジー・スコリモフスキ監督公認のファンクラブ『家路の会』を率い、長年の歳月をかけてスコリモフスキ研究本『The Essence of Skolimowski エッセンス・オブ・スコリモフスキ』を発売しました。全176ページで700円。監督インタビューや塩田明彦氏と高橋洋氏の対談なども収録。執念の作品となっています。ファン必携。詳細は下記の彼のツイッターからどうぞ。

・little fish ツイッター
(http://twitter.com/littlefishpress

・『イエジー・スコリモフスキ監督 '60年代傑作選』
-2010年5月29日(土)〜6月11日(金)−
(http://www.eiganokuni.com/skolimowski/

『ファンクラブ』(No.430/2010.05.21)
必聴のCDが2枚リリースされます。一枚目はグラスゴー出身のギター・ポップ・バンド、ティーンエイジ・ファンクラブのニュー・アルバム『シャドウズ』。前作『マン・メイド』から、約5年振りとなるアルバムです。もともと大好きなバンドなんですが、このところの2枚のアルバムは、ちょっと美しいメロディが後退してしまった感があり、”毎日聴く”までにはいたらなかったのですが、新作は昨年のサマソニで披露された新曲も収録されているそうで、期待は高まります。まあ、いずれにしても、音楽性が大きく変わることはないバンドですから、多少の当たり外れはあるものの、基本的には安心して楽しめるアルバムになるはず。さわやかでちょっと切ないギターポップはこれからの季節にもぴったり。

もう一枚は、未だに繊細でオルタナティブなポップとして不動の人気を誇る『エヴリシング・バット・ザ・ガール』のヴォーカル、トレイシー・ソーンの3枚目のソロアルバム。アルバム・タイトルは『Love And Its Opposite』。前作は実に25年ぶりにリリースされたソロ第2作だったのですが、昔と何ら変わらない歌声とメロディを聴かせてくれた傑作でした。彼女もまた、おそらく新作でも基本的には変わらないでしょう。テーマとしては先行シングルで歌われた”離婚”や、”孤独”、”家族の絆”などが取り上げられているとのことで、さらに深みを増した作品になることは間違い無しです。本当にこういう音楽、ミュージシャンが活動を続けてくれていることに大感謝。

ちなみに、ティーンエイジ・ファンクラブの日本盤にはボーナストラックが、トレイシー・ソーンにいたっては、ボーナス・ディスクが付くそうです。うむー、これは...非常に迷いますね...というのは嘘で、どちらも間違いなく日本盤を買います(笑)。

『漂泊のドローイング』(No.429/2010.05.14)
自らの音楽を「フェイク・ジャズ」と呼び、『The Lounge Lizards』という個性的なバンドのフロントマンを務めたり、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』などに出演し、圧倒的な存在感を見せつけたり、はたまた、自身が監督・出演した釣り番組『フィッシング・ウィズ・ジョン』を製作するなど、八面六臂の活躍を見せるジョン・ルーリー。90年代後半に病気のため、音楽・俳優活動を休止しましたが、画家としてドローイングの製作は続けていました。そんな彼の個展『ジョン・ルーリー展:ドローイング』が、東京・外苑前のワタリウム美術館にて開催されています。

どこか子供の落書きのような自由さを持ち合わせたドローイングは、そっと添えられた禅問答のようなテキストと一緒になると、日常に突如現れたブラックホールのような吸引力を発揮するから不思議です。ドローイングのオフ・ビートなノリと、「男の手がフォークになってしまった。彼を信じるな。」「田舎への旅行。鳥が飛び立つ。」「ついに老人は、腹立たしい馬の物語を話すことにした。」などのテキストがたまらなくかっこいい。それでいて、実は何も考えず、感じるまま、思いつくままに描いたんだよ、というような軽さがクール。会場には1991年のベルリンでのライブ映像が流れていましたが、これはホント名作です。昔、レーザーディスク(懐かしいっ!)で持っていたんですが、DVDに移行するときに本体と一緒に処分してしまいました。あのLPサイズのジャケットは良かったなー。レーザーディスク本体が無くなっても持っているべきでした。『ジョン・ルーリー展』5月16日までの開催です。

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『英総選挙』(No.428/2010.05.07)
イギリスの総選挙が6日の朝7時から始まりました。ブラウン首相が、遊説中に発した有権者の女性への失言や、”第3の党”自由民主党が票を伸ばしているなど、メディアでの報道も活気を見せ、ますます熱くなってきました。自民党は、保守党を含む2大政党への不満から単発的に支持を集めたわけではなく、ここ数年でじわじわと票を獲得してきたそうですから、ひょっとしたら、選挙の結果次第で、全く新しい政権と議会が誕生する可能性がありますね。
この状況を”進展”とみるか”混乱”とみるか微妙なところかもしれませんが、政治にしても教育システム(先般の全国統一テストなど)にしても、欧米に追随しながら、結果的に時代遅れの道を歩み続ける日本と比べると、やはり新しい道が開けているように思えてなりません。

特に政治に関しては、日本の民主党のリーダーシップの無さは残念。旧・小泉政権の”やりたいことだけやって他は(消費税問題など)先送り”もどうかと思いますが、やはり”何も決められない”罪は重い...。個人的には、事業仕分けも一定の成果を上げていると思いますし、水俣病の犠牲者慰霊式に、歴代首相で初めて鳩山首相が出席し謝罪したことなども評価に値すると思います。そういった成果と存在感を打ち消してなお余りあるドタバタ劇。中でも沖縄米軍基地移設問題は一体何がしたいのかわからない混迷ぶりで、国際社会からも非難を浴びる始末。これまた小泉政権のように、どうやっても八方収まらない問題を、”痛みは伴うもんだから受けてもらわないとしょうがない”と開き直ってもいけませんが、少なくとももっと早く沖縄に行って誠意を持って交渉すれば、ここまでこじれることはなかったのではないでしょうか。
このコラムは6日の夜に書いているので、メルマガが配信される頃にはある程度イギリス総選挙の結果も見えているかもしれませんが、イギリス・日本の国民ともに、アメリカに対してもっと強気に交渉に臨む姿勢が望んでいるのは間違いないような気がします。
『人生の教科書』(No.427/2010.04.30)

2003年から東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めたことで話題になった藤原和博さん。個人的には宮台真司さんとの共著『よのなか〜人生の教科書〜』(筑摩書房)シリーズを読んだ程度でしたが、自分が専門学校で講師を努めさせていただくようになってから、あらためて藤原氏の著書や活動に注目しています。

最初に、ホームページ(『よのなかネット』:http://www.yononaka.net/)を訪問しましたが、TBS「ニュース23」での講座の映像がすべて見られたり、ワークシートがダウンロードできたり(いずれも無料)、さすがリクルート経験者っ(いい意味で)と思わせる充実ぶり。”使える”ホームページとなっています。

宮台真司さんの著書も結構過激な論調でありながら、実は「つながりを再構築すべし」みたいなことをおっしゃっていることがあり、共感できる部分が多いんですが、藤原さんの著書には、つながりを取り戻す現実的な処方箋が満載です。特に力をいれていらっしゃるのが”地域”と”学校”のつながり。私が講師をしている学科もシブヤプロダクツ学科という、まさに”地域”を冠した学科であり、地域とのつながりを重視し、取り戻そうという学科。ためになることばかりです。
そして、自分自身常に肝に銘じているのが、これらのつながりの多くはもともと”あった”ものだということ。”つながり”そのものは後から振り返れば大切なものだったことがわかりますが、実際には”つながり”は”しがらみ”にもなりますし、それによって”閉塞感”も生まれます。ですから、ただ単にさまざまなつながりを取り戻すだけで無く、今の時代に応じた”つながり方”を模索するということ。これが大事だと思います。
これから勉強てみようと思い、ホームページで藤原氏の著書を拝見すると、いやはやものすごい数があるんですね。知りませんでした。久しぶりに脳をフル回転させねば...です。錆びてなければいいんですが(笑)。

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『テレビばかり見ていると』(No.426/2010.04.23)

”テレビやインターネットを見ると人間関係が希薄になる”、そんなデータをニュージーランド・オタゴ大学のロザリーナ・リチャード博士を中心とする研究チームが、全国の中学生を対象にした調査で実証したそうです。

調査対象となったのは14〜15歳の男女学生3043人。その中で、テレビ番組を視聴したり、インターネットを利用したりする時間が長くなればなるほど、家庭や学校内での人間関係に問題を抱えるケースが多いと判明したとのこと。
テレビを1時間見るごとに、親や友達との感情的な距離が4%希薄になり、インターネットだと1時間ごとに5%の割合で人間関係の希薄化が生じているそうです。割合の意味するところがよくわからない部分もありますし、利用時間は1日のうち、といういことなのかどうかも書いてありませんでしたが、まあそれなりに相関関係があるということなのでしょう。

ちょっと昔にストックしておいた古いデータですが、アメリカの調査会社ニールセン・ネットレイティングス社が2005年3月18日に発表した調査報告によると、世界で最もインターネットの利用時間が長いのは香港(1ヵ月で平均21時間53分24秒)で、2位が日本(同14時間50分42秒)だそうです。これはインターネットの利用が多い12ヵ国・地域で調査を行ったもので(職場や学校は対象外)、3位はフランス(同14時間25分38秒)、4位は米国(同13時間44分4秒)。
このデータが発表されてから5年経っていますので、今はどういう順位なのかわかりませんが、さほど状況が変わっていないと仮定すると、日本人同士の人間関係ってかなりやばい状況なのかも...。

私も家でテレビやインターネットを見ますが、多い時はあわせて3〜4時間ぐらいは見ることがありますから、そういう時は要注意ということなんでしょうね。というか、そもそもテレビやインターネットでなくても、人に会わなければ少なくとも人間関係が深まることはないと思いますが...。いずれにしても現代人は、利用時間の長さはさておき、ほとんど毎日テレビとインターネットを利用しているわけですから、そう考えるとちょっとドキッとする研究結果です。

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『ぽすとかーど展』(No.426/2010.04.16)

池袋にあるアトリエベムスターというバー&ギャラリーで4月4日〜17日までの2週間にわたって『あとりえのぽすとかーど展』が開催されています。
この展覧会にうちのギャラリー世田谷233が招待枠として参加させていただいています。ギャラリーとして出展していますが、実際にはうちでポストカード作品を販売している自称香港出身の謎のイケメン・フォトグラファー、Rainy☆Wong(レイニー・ウォン)の作品を展示・販売しています。フィルムカメラで撮影した作品をクロスプロセスと言う特殊な現像処理を行ってプリントした作品は、ヴィヴィッドカラーの夢を思わせる幻想的な作品です。

さらに、この展覧会にあわせて開催されたトークイベントにもお招きいただき、昨今のアートについて雑談を行ってまいりました。トークイベントのタイトルは『GENERATION TALK』。世代が違う人が集まってアートの話をしようという面白いコンセプトです。参加者は、ベムスターのオーナー高橋君と高校生によるフリーペーパー『FARU18』の編集メンバー(2人)の合計4人。私以外は10代が2人と20代前半が1人。世代が違う、と言っても、私だけが遠く離れている感じですが(笑)。
ベムスターのオーナーも20歳でお店を立ち上げたつわものですし(お店は4年目)、『FARU18』は”高校生が作るフリーペーパー”として先日の東京新聞でもどでかく取り上げられていましたが、みんな高校生なのに熱い人たちです。
若者の草食化が叫ばれる昨今、自分の気持ちや想いを真っ直ぐぶつけられる彼らと過ごす時間は貴重でした。モノに充足し、輝ける未来も欲していない、そんな若者たちからは”本音”がなかなか見えませんが、じっくり話を聞いて、ストレートに向かい合えば、実は我々の若い頃とさほど変わらない、人生に対する期待と不安が入り混じった”心”がちゃんとそこにありました。
コミュニケーションのためのメディアが加速し続ける現代、ゆっくり向き合うことこそ本質に触れるための最良の手法であるとあらためて実感。みんなおじさんにつきあってくれてありがとう(笑)。

・アトリエ ベムスター(http://www16.ocn.ne.jp/~bemstar/

・FARU18(http://www.herointerview.jp/faru18/


『レンピッカ』(No.425/2010.04.09)

渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『レンピッカ展』を観ました。
タマラ・ド・レンピッカ(1898−1980)は1920年代のパリで活躍した画家で、そのどこかアンドロイドを思わせるような独特のタッチと色使いが特徴。また、その作品だけでなく、プロの写真家にハリウッドの女優を思わせる自分の肖像写真を撮らせたり、モデル達との数々のスキャンダルで浮名を流したり、アーティストとして、女性として、自由奔放で時代を先取りしていた”生き方”そのものが多くの人を魅了しています。
ポップシンガーのマドンナやハリウッドスターのジャック・ニコルソンなども彼女の作品のコレクターだそうです。
個人的にはマドンナを尊敬していますが(あれだけ自分を壊し続けられるアーティストがいるでしょうかっ)、マドンナのプロモーション・ビデオにも、タマラの作品が数多く登場しているとのこと。全然知りませんでした...。

タマラの作品を見てまず驚くのが”額”。ほとんどの額がメタルの質感なんです。正確な素材は分かりませんが、模様などの装飾はほとんどなく、金属そのものという感じ。まるで、この世の中のあらゆるものから孤立させるかのように、作品をガッチリと囲んでいます。そして、もちろんその無機質で存在感のある額に負けないのがタマラの絵の圧倒的な存在感。こちら側に飛び出してきそうなぐらいの立体感と一度見たら忘れられない色使い。それでいて、描かれた女性の艶のあることっ。ここまで作品もアーティストも突き抜けていると、きっと性別に関係なく支持されるんじゃないでしょうか。

音声ガイドも使ったのですが、自身もタマラの大ファンという夏木マリさんがナビゲーター。今年の1月に地上波で放送された『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープの吹き替えは???でしたが(いや、これは夏木さんのせいではなくてキャスティングミスでしょう)、この音声ガイドはバッチリ合っていてさすがの出来でした。
ちなみに音声ガイドのエピソードをひとつ。”子供が生まれたのに、夫が働かず、自ら画家になって生活の糧を得ることにしたタマラ。絵が2枚売れる度にダイヤのブレスレットを一つ買う。そうして腕をダイヤモンドで飾って見せる、と決意しました”。...夫や子供のため、ってのは眼中に無かったんでしょうか。だとしたらかっこよすぎです(笑)。
会期は5月9日(日)まで。オススメ。

・東急Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/museum/


『ザ・コーヴ』(No.424/2010.04.02)

2009年にアメリカで公開され、2009年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞、さらにアカデミー賞でドキュメンタリー映画賞も受賞した、ルイ・シホヨス監督のドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ(The cove)』が話題になっています。同作は、和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた作品。その内容について賛否両論が吹き荒れています。

そもそも厳しい警戒態勢が敷かれた中で行われるイルカ漁の現場。進入禁止区域に立ち入るなど、日本の法を犯して撮られた製作側の姿勢も問題になっていますし、単純にイルカがかわいそうという理由ではなく、イルカの肉は水銀を多量に含んでいるため、日本人をその害から守りたいというような理屈も飛び出す始末。舞台となった太地町の関係者からは、『内容について事実誤認がある』などの批判が噴出しています。

個人的には和歌山出身ということもあり、太地町の人々が昔から鯨やイルカを食べていたことは知っていますし、太地町にある鯨の博物館にも小さい頃に何度か行ったことがあります。博物館内には大きなセミクジラとそれを捕獲しようとする小さな捕鯨船の実物大の模型があり、セミクジラのどでかい模型のおかげで今でも巨大な物体は苦手です(笑)。博物館を見ればこれだけ大きな動物を捕獲しようとした歴史は文化だと思う半面、イルカに関してはその愛らしさや利口さをさまざまなメディアでよく目にすることもあって、やはり”かわいそう”という気持ちがあります。
それでも、人間は何かを殺して食べなければ生きていけないわけで、その土地や国によって”何を殺して食べるか”ということは、そこに生きる人々にある程度ゆだねられる必然性はあるのではないかと思います。”文化”であれば何をしてもいいということではありませんが。
もちろん、マグロばかり食べずに他の魚も食べる、など、現存するさまざまな種の保存を念頭に置いたり、そのために過剰な捕獲を行わないなどの調整は必要だったりすると思いますが、それも決して人間が神のような立場で采配することではなく、結局人間にできることは”そのぐらいのことしかない”ということなのではないかと思います。

『ザ・コーヴ』、日本では今夏公開予定です。まずは映画を見ることから始めなければなりません。


『地域主義』(No.423/2010.03.26)

3月は多くの企業が決算を迎える月。決算だけではなく、いろんな仕事が終わったり、始まったり。テレビやラジオの番組編成なんていうのもこの時期の風物詩ですね。ギャラリーの仕事では3月はあまり関係ないですが、他の仕事ではやはりこの時期いろんな動きがあります。取引先の担当者が変わるなんてのもこの時期が多いですね。

いろんなメディアを見ていて思うのは、最近のコンテンツって本当に”地域”に着目したものが多くなったということです。私が非常勤講師を努めさせていただいている専門学校の新設学科も、”シブヤプロダクツ”という学科ですし、ケーブルテレビさんでも新しい番組に関わらせていただくのですが、そちらも”街”が大きな方向性として存在しています。
このコラムでも申し上げてきた”STAYER”という考え方は、”意志”を持って留まることがこれからの時代に大切なんじゃないかということで、そういう意味では、”地域”や”場所”にみんなの視点が行くのはいいこと、というか正しいことだと思うのですが、そこでは、”留まる”ということ以外にもうひとつ大切なことがあると思います。それは”提案”ということです。
自分が生活している場所、育った場所、ビジネスしている場所、そういう場所の感覚を持つこと、場所に感謝すること、それが一番大事なんですが、その次はその場所に”還元”すること。感謝すればお返ししたくなる、要するに、より良くしようという気持ちを持つということですね。その”還元”という作業にはいろんな方法があると思いますが、場所に対して自分が何ができるかを”提案”することなんじゃないかと。個人的にもギャラリー以外にいろいろな方とお仕事をさせていただいていますが、当然、提案をしていかないと無くなってしまうわけで。「プロ」とは「次の仕事が来る」ことだ、とは誰の言葉だったでしょうか。
もちろん”提案”の次は”行動”が求められます。自分がまず動くことが大事。地域にこだわると言うことはある意味”逃げられない”状況を生みます。だからこそこだわり続けるのが大変なわけで。ローカリズムへの回帰をブームで終わらせるわけにはいきません。

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『アバター』(No.422/2010.03.19)

遅ればせながら、ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』を観ました。もちろん3D映像で。
個人的には映画が従来の形式だけで無く、技術的にさまざまな広がりを見せることは悪くないことだと思いますし、3Dの表現自体は立体感があって、面白かったです。ただ、こういう映画が今度爆発的に広がるかというと、もちろんそんなことはないでしょう。
十数年前、同じように眼鏡をかけて3D映像のコンテンツを見せる映画館がいくつか都内にできたことがありました。3Dシステムや上映館の名前などは忘れてしまいましたが、暴走する列車の映像などいくつかのコンテンツがあったと記憶しています。値段は2千円以上したと思いますし、コンテンツも数十分しかなかったので、例えば『アバター』何かと比べるとかなり割高だったように思います。いくつか新作の映像が投入されましたが、あまりの高さとコンテンツのつまらなさにすぐに足を運ばなくなり、上映している館もあっという間に消えてしまいました。やはり、観る側としては、映像にいくらインパクトがあっても、エンターテイメントがこれだけ溢れている状況では、費用対効果も重要なわけで、面白いコンテンツを大量に提供し続ける環境がなかった、という意味で時期尚早だったのかもしれません。
とりあえず『アバター』によって3D映像のリベンジは果たせたかのように見えますが、今後魅力的なコンテンツが出てくるかどうかというハードルの高さは同じでしょう。さらにテレビでも気軽に3Dが楽しめるような時代もすぐそこまで来ているでしょうから、結局は一陣の風に過ぎないのかもしれません。

ところで、世界で初めてコンピューターグラフィックスを全面的に使用した映画『トロン』が今年の年末にアメリカで公開されるそうです(原題『Tron Legacy』)。CGという新しい映像技術のみならず、人間がコンピュータ世界に取り込まれるという、1982年の映画としては脚本的にも実験的な試みを行った同作。最新の技術でどんな映像世界が実現するか楽しみです。...残念ながら、脚本的には、いかに遠くの星に舞台を移しても、先住民との確執という、”アメリカの十字架”から抜け出せなかった『アバター』は、映画作品としてリメイクされることはないでしょう。


『はじらい』(No.421/2010.03.12)

先日、NHK教育テレビで放送された「LIFE 井上陽水 40年を語る」を見ました。ミュージシャンの井上陽水さんが、40年にわたる音楽活動の中でのさまざまな出来事や感じたことについてご自身が語るというもの。淡々としていながら詩の朗読のようなリズムを持った独特の語り口によって綴られる想いやエピソードは、そのまま日本の音楽史と呼べる濃い内容でした。陽水さんがご自身のことはもちろん、影響を受けた人々について語るシーンや、陽水さんと関係の深い方が陽水さんについて語るくだりも非常に興味深かったです。

個人的に心に残ったのは、陽水さんと深い親交のあった作家の伊集院静氏が二人の師匠ともいえる作家の色川武大氏と陽水さんの共通点としてあげた言葉。それは「西洋人に無くて日本人にしかない”含羞(がんしゅう)”」だと。物を作っていていいのか、という”恥ずかしさ”とでも言うべき感覚を持っていること。これが二人に共通していることだと。
さすが作家を生業とされている方は適切な言葉を使うなあと感心しました。
メディアの発達によって、人々がある種の”情報のカオス”に巻き込まれ、とにかく自分のことをアピールしたい、しなければならないという強迫観念が横行する世の中で、特に日本人の中で失われつつあるものが、まさにこの”含羞”という感覚なのでないでしょうか。
個人的にも、自分を表現するために人前で何かを行うことや、取材などを受けて自分のことやお店のことを話すときなどは、ただ単に人前に出て恥ずかしいと言うだけでなく、こんな形で人様の前で自分をさらけ出して、というような感情に囚われます。
もちろん、対人関係において自らをオープンにすることは大事ですし、本音を交わさなければ伝わらないこともあるはずです。そう思っていながらも、その感じると言うことは、ひょっとしたら、そのような感情は”押し出し”たり、”訴え”たりする感情より”弱い”存在として捉えていて、だからこそ大事にしたいという気持ちがあるのかもしれません。多様性が大切なのは、何も人種や文化だけに当てはまることではないと思います。
井上陽水さんの曲も、前述の”含羞”という言葉を年頭に置きながら改めて聴くと、さらにウェットに、そして情感豊かに響いてくるから不思議です。


『牛を屠る』(No.420/2010.03.05)

佐川光晴氏の『牛を屠る』(解放出版社)を読みました。
著者の佐川氏は北海道大学の法学部を卒業し、お茶の水にある小さな版社に就職したものの、上司と対立して一年で退社。そして”技術”や”経験”が生かされる職業を求めて、職業安定所で見つけたのが埼玉の食肉会社。そこは牛や豚などを解体する作業場、いわゆる”屠畜場”。入社初日からベテランの職人に「ここはお前なんかの来るところじゃねえっ!」と怒鳴られる始末。そんな肉体的にも精神的にもキツい職場で働くこと10年。最後はここに骨をうずめる覚悟をした著者が、そのタフな現場で日々目にした、耳にした、そして手に入れたものとは...というノンフィクション。

”屠畜場”というある種特異な環境に焦点をあてているもの、ここで描かれているのは”仕事をするとはどういうことか”ということ。どんな職業であれ、つらいこと、大変なことがあるのは当たり前。そしてまた、どんな職業でも、その中で技術を習得し熟達していくことは喜びにつながります。情報が氾濫し、選択肢がとめどなく増え続ける世の中では、人生を捧げるべき仕事を決定することがますます難しくなっているのかもしれませんが、結局いかなる仕事でも、自分を合わせていかざるを得ない部分を排除することは出来ません。逆に、仕事で得られる喜びというのは形こそ変われど、本質的には同じということもいえるのではないでしょうか。
著者が連綿と伝えられてきた技術を習得する場面、とあるナイフを使ったところ、ふとした拍子にその形に相応しい動作を行った際、そのナイフが驚きの軌跡を描いて肉を掻っ捌くエピソードは感動すら覚えます。本書は”向う岸からの世界史”というシリーズの中の一作。まさに普段私たちが知ることのない(これがそもそもおかしいわけですが)世界から、仕事、職業、差別という問題について、さまざまなことを考えさせられる骨太のドキュメンタリーでした。...それにしても、すごい。


『極東ホテル』(No.419/2010.02.26)

写真家・鷲尾和彦氏の初の写真集『極東ホテル』(赤々舎)が昨年末に発売されました。最近、日本経済新聞や朝日新聞でも書評が載りましたし、店頭にて平積みで販売されている書店も多く、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。鷲尾氏とはかれこれ10年来のつきあいがあり、うちのギャラリーでももちろん扱わせていただいています。

写真集『極東ホテル』は、東京都台東区にある、かって「山谷」と呼ばれ日雇い労働者の町として知られていたエリアに建つ外国人旅行者専用の簡易宿に、鷲尾氏が5年通って、このホテルを訪れる人々を撮影したシリーズ。
北川一成さんによる斬新な装丁にまず目を奪われます。この写真集には表紙がなく、後半分はメモ帳のようなフリースペースとなっています。登場する旅行者たちに関する情報も驚くほど少ない。これを”写真集”と呼んでいいのかどうかさえ疑問に思えてくるのですが、個人的にも外国人旅行者がよく利用するようなホテルに滞在したことがあるのですが、この曖昧で不確実な関係性を感じさせる雰囲気こそ、こういった場所が持つ独特の”空気感”なんです。

そして、その”旅人”たちが集まる場が放つ”空気”、それは、私たちの人生が持つ曖昧さと不確実性さとまったく同じだと思います。これだけ個人にとって世界が拡大していく時代には、リスクを負って旅に出て、自分の知らない文化や価値に出会う、もう今の時代そのこと自体にはあまり意味はない気がします。むしろ、そういう自分にとって新たな価値や文化に出会ったとき、その相手を受け入れ尊重すること、それこそが多様化する世界の中での”旅”の持つ意味ではないでしょうか。 そういうもうひとつの”旅”を感じさせてくれる写真集です。

ちなみに鷲尾氏の写真展『極東ホテル』が清澄白川のギャラリーAKAAKAにて明日まで開催中。白いトタンの壁に蛍光灯の照明。極東ホテルのためにあるような空間での展示は必見です。詳細は鷲尾氏のサイトからどうぞ。

・Washio Kazuhiko(http://washiokazuhiko.jp/

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『世紀の愛』(No.418/2010.02.19)

渋谷Bunkamuraル・シネマにて上映中の映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』を観ました。若き日のヴィクトリア女王を演じた主演のエミリー・ブラントがゴールデングローブ賞にノミネート、さらにアカデミー賞において美術賞、衣装デザイン賞など4部門にノミネートされるなど、かなり話題にもなっていますね。

英国史上最強の時代を築いたと言われているヴィクトリア女王を描いた映画はいくつかありますが(『ヴィクトリア女王』(1937)、『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋 (1997)など)、その中でも、若き日の愛の物語を中心に描いた作品です。
経験少なくして多くの責任を負いながらも、凛として自分自身の考え方を通すヴィクトリア、そして、その姿勢に英知という後ろ盾を与えた夫のアルバート。映画では二人の出会いと結婚生活に焦点を当てていますが、苦難やトラブルに見舞われながらも、幸せに暮らし、国策にも良い影響を与えた二人は、本当に奇跡のカップルと言っても過言ではないかもしれません。イギリスにおける国の繁栄や改革の裏に、運命的な出会いによる”愛”が存在していたとは、何ともロマンチックな話です。映画がどれだけ史実に基づいているかと言うことはさておき、ヴィクトリアの筋の通し方には目を見張るものがあります。古の慣習や規則を良しとしない姿勢には、幼い頃から抑圧されてきた”自由”への渇望が源としてあるのでしょうか。しかし、自由は時として間違った選択肢を抱え込み、また時としてすべてを破壊してしまう存在でもあります。そんな彼女を公私共に支えたアルバート。ヴィクトリアの方は一目惚れだったようで、出会った瞬間から真っ直ぐだった彼女の愛の純粋さと強さが非常に印象的な作品です。

ちなみに、同施設にあるザ・ミュージアムでは、『愛のヴィクトリアン・ジュエリー』展を開催中で、映画と合わせてみると、ヴィクトリア女王の偉大さ、夫アルバートへの愛の深さがより濃密に味わえます。
ル・シネマ出の映画上映は26日(金)まで、ヴィクトリアン・ジュエリー展は21日(日)までです。

・東急Bunkamuraル・シネマ(http://www.bunkamura.co.jp/cinema/


『ヘリゴランド』(No.417/2010.02.12)

先月のコラムの中で、毎週火曜日の深夜に放送されているアメリカのTVドラマ『Dr.HOUSE(シーズン2)』にハマっていることをご報告しました。その後、結局”シーズン1”のレンタルにも手を出しているのですが、それはさておき、同ドラマにハマったきっかけはテーマ曲が大好きなイギリス・ブリストル出身のユニット、”マッシヴ・アタック”の曲に似ていたからなんですが、そのマッシヴ・アタックが7年ぶりとなるオリジナルのニューアルバム『ヘリゴランド』をリリースしました。

前作で”後部座席に引っ込んでいた”というオリジナルメンバーのダディGが復帰、3Dとの関係は微妙なものがあるようですが、お互いにリスペクトはしているようで、とりあえずよかったよかった。ちなみに、新作のアートワークはグラフィティ・ライターでもあった3Dが担当。”混乱をきたした人間”を描いたペインティングはチカラ強さを感じさせながらも空虚。3Dやっぱりかっこいいなあ。
肝心の音については、彼ららしいクールでダークな世界観はそのままに、万華鏡のようなバリエーションが広がった感じでしょうか。もともと、ユニットというよりもプロジェクトっぽく動いてきたマッシヴ。今回もデーモン・アルバーン、ホープ・サンドヴァル、マルティナ・トップリー・バードらクセのあるヴォーカリストを起用。どれもシングルとして通用しそうなクオリティです。ただ、個人的には、音的にもっと実験っぽさ&とんがり感が欲しかった気がしますねえ。これだけの才能と多彩なゲストなら、もっと面白いことができそうなだけに。もちろん、毎日聴いていますが。デーモン・アルバーンが参加した2曲は良いです。

ちなみに、『Dr.HOUSE(シーズン2)』。相変わらず面白いことに変わりはないんですが、これまたアメリカのTVドラマらしく、人間関係がドロドロになってきました(笑)。さらにちょっとお色気シーンも入ってきたり。しかも、今までは、登場する患者は重い病気を患いながらも何だかんだ治っていたのですが、とうとう助からない患者も出る始末。いろんな意味でどうなるやら。

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『いただきます・その2』(No.416/2010.02.05)

前回の続きのようなもの。

突然ですが、賄賂が好きです。...いえ、実際に仕事や何かでもらっているわけではもちろんなくて、映画の中でのシーンでのこと。普段なら手にできないモノや情報を、お金を使って手に入れるシーンがよくありますよね。
例えば、とある店で主人公があるものを買いたいと言う。店員はそっけなく「そんなもの扱ってない」と言い放つ。で、主人公がそれとなくお金を握って机の上でちらつかせながら「よく探してみてくれ」。そうすると店員が「ああっ、ひょっとしたらあれのことかもしれないな」などと言いつつ、そのものを持ってくる、みたいな。
決してやっていいことじゃないんですが、誰かが決めたルールよりも、そこにいる人間関係(ただ単にお金のチカラなんだと思いますが)の方が上回っている感じがいいんですよね。
賄賂ではありませんが、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』でも、そういうシーンがあります。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公のトラビスがタクシー運転手の仕事の面接に訪れた際、やる気のない面接官に冷たくあしらわれるのですが、”海兵隊にいた”ということを話した瞬間、面接官の顔が変わり、「なんだ俺もそこにいたんだよ。で、どうした小遣いが欲しくなったのかい?」と急に優しくなって仕事を紹介してくれる。ああいう変わりようが何とも人間臭くていいんです。

...で、事が起こったのはかなり昔の夜。とあるバンドのライブを見に行ったのですが、お目当てのバンドが最後の出演でそれまでのバンドがどうにもつまらなく、一度外に出てビールでも飲もうと。
そのライブハウスは途中退場不可だったのですが、受付が若い女の子だったので、強引に外に出たんですね。で、外でビールを一杯飲んでからまた戻ってきたんですが、まあ、途中退場についてもそんなに厳しくしていたわけではなく、トラブルになるようなこともなくまた入れたものの、ちょっとかっこつけて、会場に入る際に受付の女の子に「入るよ」と言いつつ缶コーヒーを渡したんです。要するに、これで見逃してくれ、ということですね。まあそんなことしなくても問題ないのはわかっていたんですが。

それからしばらく会場内でライブを見ていると、さっきの受付の女の子が缶コーヒーを片手にやってきました。何だろうと思っていると、大音量が響き渡る中、私の耳元で一言「これいただいていいんですか?」。...それ、賄賂を受け取る側が一番言っちゃダメな台詞だから。しょうがないので「うん」と。で、「ありがとうございますっ」。
なかなか映画のようには行かないものです。いろんな意味で日本人、真面目にやってます。


『いただきます・その1』(No.415/2010.01.29)

無印良品のアートディレクションを手がけるなど、グラフィックデザイナーとして活躍されている原研哉さんの書籍『ポスターを盗んでください+3』(平凡社)を読みました。90年代に書かれた文芸誌への連載をまとめたものに新たに3本のコラムを追加したもので、当時のモノ作りの現場に垣間見えるデザインの本質が軽快なテンポの文章で綴られています。

その本の内容とは全く関係ないのですが、タイトルから思い出した出来事が一つ。
ここ数年、渋谷にある美術館のお仕事をちょっと手伝わせていただいており、そのご縁もあって、毎回展覧会のポスターをうちのギャラリーの入り口に貼らせていただいています。お店が開いている間は見えないのですが、午前中や定休日などは、すぐ目の前を走る世田谷線の社内からも見えるので、多少は広報にもお役に立てるかなと。ポスターサイズもB1(728mm×1030mm)程度の大きさなのでなかなかインパクトがあります。

...で、事が起こったのは昨年の春のとある夕方。まだあどけなさの残る学生さんらしき女の子がお店にやってきました。その子曰く、”先日、お店の前に張ってある展覧会のポスターを見たのだが、とても気に入ったので、会期が終わったらもらえないか”とのこと。
当時貼ってあったのは、ロシアの国立美術館の展覧会のポスターでした。意志の強さを感じさせる太い眉にきりっとした目元が美しい女性が凛とした姿で収まっているそのポスターは、なるほど女性であれば、部屋に貼ってじっくりと眺めながらため息の一つでもつきたくなるだろうと思わせるものでした。

心情的には嬉しかったし、そのままYESと答えたかったのですが、なにぶん広報用のポスターに付き、会期が終了したからといって、そう簡単にあげてしまうわけにもいきません。
ちょっと考えた結果、”広報用なのであげるわけにはいかない。ただ、いつもポスターは展覧会が終わったら剥がしてしまうが、終了日にすぐに剥がしてしまうことはまずない。大抵何だかんだ1〜2日は経ってしまう。その間にもし盗まれたしまったらしょうがない”という意味のことを伝えました。まあ要するに”あげられないから盗んでくれ”ということを遠まわしに伝えたつもりでした。その女の子は分かったような分からなかったような微妙な表情で帰っていきました。

その後、展覧会が終わってからも、ポスターは一向に盗まれる気配はありません。さすがに終了してしまったポスターを何日も貼っておくわけにもいかず、1週間ほど経って剥がしたところ、2、3日後に女の子が現れました。最初に来たときよりも勢いよくお店に飛び込んできて、にこっと笑って開口一番「遅くなってごめんなさい。ポスターいただきに来ました」。...もちろん、ここで彼女の言う”いただきに来ました”というのはルパン3世が徳川の財宝を盗みに来たときに使う台詞としての”いただきに来ました”ではなく、”約束してあったものを受け取りに来た”という意味の”いただきに来ました”であることは明らかです。すでにポスターは捨ててしまっていたので、とりあえず(腑に落ちないと思いながらも)謝ると、女の子は残念そうに去っていきました。”あげられないけど盗んで”が”あげられないけどあげる”に変換されてしまったのでしょうか。
個人的には、ある日ポスターが盗まれ、そしてあの女の子が部屋に貼って絵を眺めながら遠くロシアに思いを馳せる、そんな映画の一場面のようなシチュエーションを想像していたのですが、何とも微妙な結末に。
少なくとも「サイテーだな、あのケチおやじ」などと言われていないことを願います。いや、もしそういう風な発言をする子なら、さっさと盗んでいたか。いろんな意味で日本人、真面目にやってます。

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『ヴィクトリアン・ジュエリー』(No.414/2010.01.22)

渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『愛のヴィクトリアン・ジュエリー』展を観てきました。
”太陽の沈まない国”と呼ばれるほどの栄華を極めた、19世紀英国ヴィクトリア時代に作られた、さまざまな素材によるジュエリーやアンティーク・レース、アフタヌーンティに使用された銀食器などが、約300点にわたって展示されています。
ちょっとお仕事で関わらせていただいていることもあり、スタッフさん向けのギャラリー・トークに参加させていただいたのですが、それぞれのジュエリーの持つ美しさはもちろん、その背景にある物語や歴史の面白いことっ。(ギャラリー・トークのだけのスペシャルな説明もありましたが、多くは会場内の解説にも掲載されています。足を運ばれる方はぜひお見逃し無く)。

うちのギャラリーにもアクセサリー作家さんがたくさんいらっしゃるので、天然石やシルバーを素材に使ったアクセサリーなど日々目にしているのですが、中でも素晴らしいと思う作品からは、優れた”技術”と費やされた”時間”が伝わってきます。
ジュエリー展でも、今ではお目にかかれないような素材やその大きさにも驚かされますが、やはりその技法の細かさ、確かさに目を奪われますし、職人たちの人生をかけた仕事の重みを感じるとき、目の前のジュエリーたちはさらに輝きを増す気がします。社会の変化や時代の節目にあわせて、新しい素材や技法が開発されているのも見所。人間の美に対する欲望の凄まじさを見せ付けられるようです。
大量生産が当たり前になり、羊質虎皮のモノが横行する今の時代に”本物”を見ることの幸せと大切さを教えてくれる展示です。会期は2月21日(日)まで。ぜひ。

・東急Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/museum/


『YMOの音楽講座』(No.413/2010.01.15)

年末・年始にはテレビでいろんなスペシャル番組が放送されます。この時期でないと見られない本当にスペシャルなものもあれば、中にはちょっと寄せ集め的なものもあったりしますが、そんな中で印象に残ったのは、年明けにNHK教育で放送された「ETV50 もう一度みたい教育テレビ 若い広場&YOU」。スペシャル、というか再放送ということなんですが、これが面白かった。その時に放送されたのは、「No.54 誰でもミュージシャンパート2 YMOの音楽講座」。1983年に放送されたものの再放送。そもそも大友克洋氏のイラストと坂本龍一氏の音楽によるオープニング映像が懐かしすぎです。さらにYMOのメンバーはもとより、司会を務める糸井重里さんも若すぎ。時代を感じました。

とはいえ、YMOの3人の曲作りのプロセスに迫った内容は非常に刺激的。高橋幸宏さんのアイデアに細野晴臣さんがコードをつけて、メモ書きを添えて教授に渡す。「ヨーロッパっぽいアンニュイな感じで」とか「グッと来る感じで」など指示もあいまい(笑)。3人それぞれが才能あふれる人だけに、あえて作りこまない余白を残しているかのようでした。ベーシストとドラマーがキーボードに向かって作曲するというのも、あらためて映像で見ると新鮮。テクノってやっぱりクールですねえ。これ、今では間違い無くキーボードじゃなくてパソコンなんでしょうね。
教授の「繰り返しやっていると飽きるからそこから新しいものが生まれる」という発言は興味深かったです。今は環境問題などにも傾注している教授ですが、やはり基本的には欲望が外に広がっていく人なんですね。まあそうでないとモノ作りは続けられないんだと思いますが。そして最も印象に残ったのはやはり細野さんの”声”。番組を見ていて、最初は”YMO”のCDを引っ張り出してまた聴こうかなと思いましたが、最後は”はっぴいえんど”を聴きたくなりました。


『Dr.HOUSE』(No.412/2010.01.08)

ここ数年、日本では民放におけるテレビドラマの質が低下した、というような話をよく耳にしますが、本家アメリカのテレビドラマは相変わらず根強い人気&クオリティを保っているようです。個人的には、近年のテレビドラマはほとんど見ていませんでした。『24』も『プリズン・ブレイク』も見ていませんし、ちょっと興味があった『HEROES/ヒーローズ』はすべて録画したにも関わらず、結局見ませんでした。ところが、なぜかこのところずっと見ているドラマがあります。『Dr.HOUSE(シーズン2)』です。

毎週火曜日の深夜1:59〜2:54という疲れる時間帯なのですが、先月遅くまで仕事をしていて、寝る前に何気なくテレビをつけたところ、ちょうど放送が始まったところに出くわしました。全然知らなかったので、全く見る気はなかったのですが、オープニング・テーマが大好きなマッシヴ・アタックばりのかっこよさ(実際、シーズン1では彼らの曲”Teardrop”が使用されていたようです)。で、何となく見始めたらこれがいけません。
主人公は決してイケメンとは言えない中年の医師ハウス(演じているのは、ヒュー・ローリー)。しかもかなり性格が悪い。言いたいことをズバズバ言うし、相当なわがままです。それでも、鋭い観察力と豊富な知識で、さまざまな病気や患者を救っていきます。ちょっと見で引き込まれてしまうところがさすがアメリカのテレビドラマ。シリーズものでも、一話完結になっているところもずるい。結局何だかんだ毎週のように見ています。

日本の漫画やアニメの特徴として、主人公が精神的に成長するという要素がありますが、アメリカの映画やドラマでは、主人公の成長はあまり感じられないものの、正しいことと間違ったことの間で迷うんですよね。そこにリアリティが感じられるんです。さらにそのバランスの取り方がうまい。決して、お金がかかっているドラマではないんですが、結構ハマってしまいました。
これでシーズン1にさかのぼってレンタルに手を出し始めたらもう終わりですね(何が?)。アメリカではすでにシーズン6が放送されているようです。年明けから早1週間。みなさんも寝不足にはご注意ください。


『映画と修行』(No.411/2010.01.01)

あけましておめでとうございます。2010年最初の『D-Movie』です。このサイトをいつから始めたのかは、実は定かではないのですが、メルマガの発行は2001年の11月2日からです。ということで、9年目に突入したことになります。早いもんです...。
メルマガ配信のシステム側にトラブル(おそらく1〜2回あったはずです)があった以外は、毎週ちゃんと発行していると思います。
『D-Movie』を続けてきたことで、さまざまなことが勉強できましたし、いろんな方との出会いやつながりもありました。”熱しやすく冷めやすい”の典型である自分がここまで続けてこられたのも、ご覧いただいている皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

もともと始めた経緯としては、映画が好きということももちろんありますが、それは理由の半分です。当時、会社を辞めてフリーランスのWebクリエイター&ライターとして活動を始めたところだったのですが、全くの独学でこの世界に飛び込んだので、とにかく修行のような気持ちで、テキストを書き続けるホームページを持ち、さらにそれを更新し続けていこうと決めたのが残りの半分。ちょっと使い方は違いますが、”わらにもすがる気持ち”という感覚がそう遠くないと思います。

ちょっと調べてみたのですが、元日にこのメルマガを配信するのは初めてでした。ということで、気持ちも新たに今年も独自の視点で選んだ映画をご紹介してまいりたいと思います。お付き合いのほど、よろしくお願いします。皆さんにとって、良い一年でありますように。

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