コラム
<コラムのバックナンバー>

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・2005年〜(メルマガのバックナンバーをどうぞ)


『牛への道』(No.410/2009.12.25)

”名は体を表す”と言います。人や物の名前は、そのものの実体を言い表していることが多い、という意味ですね。
いとうせいこうさんや竹中直人さんらと組んだ伝説の演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」のメンバーとしても活躍されていた劇作家・脚本家の宮沢章夫さんのエッセイが好きなんですが、先日、フリーペーパー『dictionary』の編集・発行などを手がける『クラブキング』主催のイベントで、宮沢さんご本人が自然体でトークされている様子を初めて拝見しました。
”名は体を表す”ではなく、”文章は体を表す”とでも言うべき、例の独自の視点で世界の重箱を突っつき笑いを誘う、ご自身のエッセイそのものの雰囲気でした。迷子になった大人のようなとぼけた感じが良かったですねえ。

宮沢さんの著書では、『『資本論』も読む』(WAVE出版)や『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)などが好きなんですが、エッセイでは『牛への道』(新潮社)が一番好きですね。冒頭で語られる、深夜に自販機でスポーツドリンクを買いまくる状況に陥ってしまったエピソードを読んだ時の衝撃は忘れられません。他にも”中国の説得力”や””力士の安全性”などなど、くすっと笑ってしまいながらも、妙に納得させられる文章が満載。世界を掘り下げればコメディになる、こんなアプローチがあったのかと感心します。よく宮沢さんの著書に対する書評で、「電車で読まない方がいい」というコメントがありますが、まさにそうですね。読みながら顔がにやけてしまうことがしばしば。やばいです。

ちなみにそのトークイベントの中でおっしゃっていたのですが、来年はエッセイを二冊刊行予定だそうです。楽しみ。

・『遊園地再生事業団』(http://u-ench.com/


『DAYS JAPAN』(No.409/2009.12.18)

世界でも数少ないフォト・ジャーナリズムの雑誌のひとつ『DAYS JAPAN』。
うちのギャラリーでも、縁あって定期購読させていただいているのですが、昨今の不況もあってか、存続はかなり厳しい状況のようです。同誌の編集長でジャーナリストの広河隆一氏より、定期購読者やボランティアの方々宛にメールが送られています。”転送歓迎”とのことですので、こちらでも紹介(一部抜粋)させていただきます。特に出版不況が叫ばれる中、志のある雑誌が末永く続きますように。

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DAYSは12月9日に日本写真家協会賞を受賞しました。
写真界では日本でもっとも権威ある団体から評価を受けてうれしく思ってい
ます。フランスのペルピニヤンでの審査員を務めるなど、海外での評価も高
まっています。世界で今ではほとんど唯一となったフォトジャーナリズムの
雑誌を絶やしてはいけないという励ましも、多く受けます。

東京都写真美術館では、サルガド展開催中に、DAYSのサルガド特集号は300冊
以上を売ることができました。
週末の私の大阪講演で、年間定期購読者は19人増え、これでキャンペーン開
始からの新規定期購読者は、370人になりました。
私の写真展を開催していただいている三重県の宮西さんのメールが発信され
てたった1日半で、21人の方々が定期購読を申し込んでくださいました。
これで390人になりました。
皆さんのおかげで、DAYSはなんとか6周年に向けて進んでいます。「500人定
期購読者が増えれば、存続できます」というキャンぺーンの500人という数字
に、あと110人に迫ってきました。

しかし正直言いますと、DAYSはまだ6周年を迎える3月以降も存続できるかど
うか、確約することはできない状況です。

お金が全くないというわけではありません。
DAYSはこれまでまったく借金をしないで、6年近く続けてきました。
そしてまだ私たちが手をつけていないお金があります。
それはDAYSにもしものことがあって、休刊せざるを得ないことが起こったら、
すでに定期購読をしていただいている方々に、残金を返金するためにとって
あるお金です。このお金に手をつけざるを得ない状態になりそうになったら、
私は皆さんに事情をお話して、DAYS休刊のお知らせをする覚悟でいます。
営業や拡販をする立場から言いますと、年末年始の休暇は、恐ろしい時期で
す。この時期には書店に行く人は激減し、すべての雑誌の売りあげが低迷す
るからです。今出ている12月号は店頭からあと数日で姿を消し、1月号が書店
に並びます。しかし世間はすぐに年末・年始の休暇に入るのです。

その前にこのメールを出しておきたいと思いました。
「努力すれば続けることができたのに、しなかったから休刊になった」など
と、あとで後悔したくないからです。

これまでDAYSを支えていただいた方々にお願いします。

まず定期購読をお申し込みください。
年内の特別キャンペーン中にお申し込みいただけますと、定期購読料は7700
円と1000円引きになります。かつて購読していただいたけれども、最近は購
読を止めているという方は、もう一度購読をご検討ください。すでにご購読
いただいているは、周囲の人に広めてください。1人でも2人でも増やしてく
ださい。定期購読期間がまだ残っている方も、継続手続きを今していただけ
ますと、7700円になります。

ボランティアの方々にお願いします。さまざまなイベントでのご支援、本当
にありがとうございました。物販、定期購読拡大、周囲の人へのDAYS購読呼
びかけなど、いま一度のご支援をお願いします。

DAYS JAPAN編集長 広河隆一
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・『DAYS JAPAN』(http://www.daysjapan.net/

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『残るもの』(No.408/2009.12.11)

物事を考えたり、進めたりする時には、常に”足す”か”引く”かという、2つの方法が存在すると思います。デザインの色を増やす、減らす。展示作品の数を増やす、減らす、予算を増やす、減らす、人を増やす、減らす、取り扱い品目を増やす、減らす、などなど。個人的にはこういう場面において大事なのは”引く”ことではないかと考えています。

自分がそうでなくても、例えば、いろんなイベントやプロジェクトを進めていく上で、どちらかというとプラスしていくことが多くなります。人もお金も、広告もどんどん広がっていきます。もちろん、いろんな人が絡めば絡むほどつながりが増え、ポジティブな意味で広がっていくということもありますが、物事が広がってしまう大きな要因は、実は”広げないという明確な理由の不在”です。
例えば、「あの人に頼んでみよう」というのは簡単ですが、「あの人には頼まない」と言い切るにはかなり明確な理由が必要です。イベントも、大きくするという方向性にはあまり障害が発生せず、予算的な問題は常につきまとうにしても、広告も取り易くなるなど、メリットも増えてきます。一方で、イベントの規模を”大きくしない”という方向性に明確な理由やメリットを見出すことはかなり難しいと思います。

なので、基本的に”足す”方向で考える人が多く、そうやっていろいろなものが不必要な装飾を纏っていくことになります。そうやって”インパクト”や”シェア”ばかり気にしても、そのもの自体の価値はあがらず、いずれは消えていくことになるでしょう。確かサントリーのお酒のCMのコピーで「何も足さない 何も引かない」というのがあったと思いますが、非常に強さを感じさせるコピーだと思います。”足す”ことは実は簡単だけれど”引く”ことは難しい。しかし、”引く”要素がなくなったときこそ、そのイベントなり、プロジェクトなり、デザインなりが完全な状態として成立しているといえるのではないでしょうか。思想もデザインも最後に選ばれるもの、歴史に残るものは、結局シンプルなものだと思います。


『愛すべき画家』(No.407/2009.12.04)

渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『ロートレックコネクション』展を観ました。今回の展示は、ロートレック美術館館長の企画・構成により、国内外のロートレック作品と、交流のあった画家たちの作品を併せて紹介することで、世紀末のパリで活躍した画家、ロートレックの世界と人生を描き出しています。

ロートレックの作品はポスターがメインということもあってか、いろんな分野・文脈で目にしたことがありますが、例えば、少年の頃に両足を骨折したことから、脚の発育が停止し、身長が低かったことや、ベルナール、ゴッホ、ゴーギャン、ドガなど、そうそうたるメンバーと交流があったこと、さらには料理に精通しており、ロートレックがまとめたレシピ本が、彼が亡くなった後に友人の手によって出版されていたり、結構知らないことがありました。

作品もポスターという媒体から想像するよりもかなり大きな作品が多く驚きました。そしてどれも、構図、色使い&タイポグラフィが今見ても斬新で非常にインパクトがあります。当時流行っていたムーラン・ルージュなどのダンスホールに頻繁に出入りしていたことから、そこの踊り子などを好んでモデルとして描いたなど、華やかなパリの生活にどっぷりと浸りつつ、それでいて退廃的ではなく、画家たちと交流も多く、友人と食を囲んで楽しむといった、ポジティブな人間性が伝わってきました。一方で、嫌いな人間にはとんでもない食材を使った料理を出すなど、シニカルな一面もあったようですが...。
当時はもう写真の技術もそれなりに進歩していたと思いますが、舞台裏で踊り子たちの一瞬の動作や表情を写し取っていたというエピソードを聞くと、例えば荒木経惟さんとか藤原新也さんのドキュメンタリー写真を思わせるような、女性としての人間が中心にある感じが伝わってきました。観終わった後、ちょっと幸せな気分になれる展覧会です。会期は12月23日(水・祝)までです。ぜひ。

・『ロートレックコネクション』展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/


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『大人の二眼』(No.406/2009.11.27)

簡単に組み立てられる構造でありながら完成度の高い付録で大人ゴコロをくすぐる学研の『大人の科学マガジン』。2003年の12月に発売された『ピンホールカメラ』は大ヒット。こちらのコラムでもご紹介させていただきました。その後いくつかカメラの付録はありましたが、今発売中の”Vol.25”に付いているのは”35mm二眼レフカメラ”。これがまた大ヒットしているそうです。個人的にも即買いしたものの、まだ作っておらず...しかしながら実際に出来上がったカメラとそれで撮影した写真は拝見しました。
二眼レフカメラとは、ファインダー用のレンズと撮影用のレンズの二つのレンズが付いているカメラです。だから二眼。この付録のカメラは通常の二眼レフカメラと比べて非常に小さくて軽いです。あまりに軽すぎてシャッターを押す際に手ぶれしそうですが、どこにでも持っていけるサイズの重量は魅力ですね。写りもトイカメラとして考えれば悪くないと思います。そもそもお値段も2,500円(税込み)ですから。

数年前から若い人たちの間でトイカメラやフィルムカメラが流行っているのは、私もギャラリーを営んでいる中で肌で感じていたんですが、このタイミングで二眼レフをおまけに付けるとはさすが学研。レトロなものに着目しつつ、時代の空気は読んでいるんですねー。しかも面白いのが次号の付録。なんと”ミニエレキ”。しかもアンプとスピーカー内蔵。これまたギター少年がみんな買うんでしょうね。個人的にはギターは弾けないのですが、それでも欲しくなるところがすごい。ああ、でもよく考えたら、2007年3月に発売された”Vol.15”に付いていた『紙フィルム映写機』もまだ作っていませんでした...。二眼レフは...がんばろうっと。

・「大人の科学」(http://otonanokagaku.net/


『あの感動をもういちど』(No.405/2009.11.20)

渋谷にある東急Bunkamuraで興味深い企画が進行中です。”Bunkamura”開館20周年を記念して、映画館ル・シネマにて、人気作をリバイバルで特別上映するという企画なんですが、面白いのは、上映作品が投票によって決定されるところ。最初に特別サイトで行った投票結果を元に、候補作品をセレクト。さらに投票を行うことによって、最終的な上映作品を決定するとのこと。

で、候補に残った作品を見てみると...『髪結いの亭主』があるではありませんかっ。これは投票せねばっ。うむー、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『愛に関する短いフィルム』や『二人のベロニカ』もいいし、”貴重”という意味では、ニルス・タヴェルニエ監督の『エトワール』も入って欲しい。でもやっぱり、ルコントですね。ルコント作品が日本で始めて公開されたのが『髪結いの亭主』で、おそらく最初に上映したのがル・シネマではなかったかと(違うかな?)。個人的には何度も映画館で観た作品ですが、ル・シネマでは観たことがありませんので。候補23作品のうち6〜9作品が上映作品として選ばれるとのこと。1/3〜1/4の確率ですね。微妙..。

同企画のサイトにて、各候補作品の”作品詳細”の部分をクリックするとル・シネマのサイトのアーカイブにリンクされているのですが、ついでに過去作品をいろいろ眺めていたら結構楽しかったです。ルコント作品は結構上映しているんですね。ジョン・カサヴェテス監督の『オープニング・ナイト』(1990)、『インド夜想曲』(1991)、『ロゼッタ』(2000)、『ベルリン、僕らの革命』(2005)など、個人的な好みとリンクしているものも多いです。異色なところでは『ジョージ・マイケル 〜素顔の告白〜』(2005)。これはル・シネマで観ましたが、当時「なぜここで?」と思った記憶があります(笑)。

ちなみに投票受付期間は11月23日まで、選ばれた作品の上映期間は12月19日(土)〜12月25日(金)です。詳細は以下のサイトからどうぞ。

・東急Bunkamuraル・シネマ(http://www.bunkamura.co.jp/cinema/

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『写真新世紀』(No.404/2009.11.13)

キャノン株式会社が主催する『写真新世紀』という写真の公募展があります。1991年秋より、同社のメセナ活動として行われているもので、写真に何が出来るか、写真にしか出来ないこと、をテーマに、写真表現の新たな可能性に挑戦する新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした公募コンテストで、特に若手写真家の間では登竜門として広く認知されています。

で、この度、2009年度のコンテストにて、私の友人(の義弟さん)が入賞しました。おめでとうございます。すごい。作家名が”Adam Hosmer”で作品名が『1/2』。現在、東京都写真美術館で11月7日(土)から29日(日)までの会期で『写真新世紀東京展2009』として展示中です。先日観に行ったのですが、非常に面白かったです。
作家自身はアメリカ人で、奥さんが日本人なわけですが、両方の家族のポートレートがシンメトリーに配置されていて、その間に二人のお子さん(?)らしきポートレートがあります。
興味深いのは、それぞれの写真にデジタル処理で、表面をぐりぐりと引っかいたような効果が加えられているところ。遠目から見ると、ちょっとにじんだ普通の写真に見えるんですが、近づくにつれポートレートとしては少しずつ崩壊していきます。最終的には、写された人の国籍や年齢などはほとんど消滅し、その人の存在そのものが残るかのようです。
個人的に”多様性”をテーマに活動していることもあって、非常に心に響きました。グランプリが獲れるよう祈ってます。

それにしても、久しぶりに友人とそのご家族に、写真作品として出会うというのは貴重で楽しい経験でした。みんな元気そうで良かった(笑)。

・写真新世紀(http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/


『負けない技術』(No.403/2009.11.06)

麻雀の”代打ち”として20年間無敗を誇る伝説の雀士・桜井章一氏。”代打ち”とは企業や組織が、多額の金銭や権利などを賭けて争う勝負に、文字通り”代わり”に麻雀を打つプロのこと。いわば”裏”の世界ですね。そこで無敗伝説を作ったわけですからハンパじゃありません。ここ数年、桜井氏をモデルにした小説や映画などがたくさん登場し、にわかに注目が集まりだしました。
2006年に出版された『クリエイティブ・アクション』(フィルムアート社)というアート誌にも、建築界の巨匠ル・コルビジェやアート界の鬼才マシュー・バーニーらと並んでページが設けられるなど、その活躍はフィールドを選びません。この時の氏の言葉「動作が揺れると心が揺れてしまう」は衝撃的でした。
で、最新著作となるのが講談社+アルファ新書の『負けない技術』。新書の中には結構タイトル負けするものもあるのですが、これはさすがに面白かったです。
真剣勝負の中から同氏が得た教訓はまさに人生訓そのもの。その中でも個人的に心に響いたのは、「”答え”を求めない強さを持つということが大事である」ということ。マニュアルに慣れた現代人は「答え」という定まったものがないと不安でしかたがない。ゆえに確証や保証を他に求めると。しかし、そんなものはどこにも存在せず、そういうものを求めないタフな人間が「負けない」人間だと。本当にそう思いますね。自分が何者かになるために努力すべき期間、修行すべき期間、すなわちまだ何者でもない、また、何者かになれる保証もない、そういう不安だらけの日々に絶えられない人が多くなった気がします。その不安をいかに断ち切るか。またその不安をいかに楽しむか。それがその人ならではの”強さ”になるのだと思います。
なかなかテンションのあがる一冊でした。読後の感想として、かなり間違っていると思うんですが、久しぶりに麻雀したくなったなあ。

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『羊頭狗肉?』(No.402/2009.10.30)

28日、民主党の鳩山首相と自民党の谷垣総裁とが、衆院本会議の代表質問で初対決。なかなか熱い論戦、というか”やりとり”が繰り広げられました。
まあ、中身はさほど面白いものではありませんでしたが、とりあえず、自民党が野党として発言している様子はどこか違和感があって興味深かったです。

谷垣氏の論点は、基本的にマニフェストを守れなければどうするのか?ということですが、これに対して鳩山首相は「当然、政治家としての責任は取る」と明言。まあ、当たり前のことですが。ただ、私もそうですが、国民は実はそれほどマニフェスト実行にこだわっていないのではないのでしょうか。
特に都民は1995年の都知事選挙のことがありますから。当時、タレントの青島幸男氏が、開発中の臨海副都心地区で開催予定の『世界都市博覧会』を中止するとの公約を掲げ、無所属で立候補し当選しました。その後、さまざまな逆風にあおられるも「約束を守れる男かどうか信義の問題」と、都市博中止を強行。関連の建設業界や販売業界では、自殺者も出るなど、社会問題となりました。

もちろん、正しい政策・マニフェストは何としても実行して欲しいですが、より詳細に内容を検討した結果、当初より柔軟な対応になるのはありえる話。おそらくほとんどの国民がそう考えているのではないでしょうか。大事なのは、何が何でもマニフェストを守ることではなく、民主党のマニフェストに大きく掲げられた”暮らしのための政治”をちゃんと実行してほしいということ。これまた当たり前のことです。

結局、代表質問の場では、谷垣氏がどう突っ込もうと、「そんな駄目な状況にしたのはどこの誰か」と切り返されると自民党としては立場が無く(何か子供のけんかを見ているようでしたが)、全体的には鳩山さんに分があった感じでしょうか。いずれにしても、特に外交問題などは、政権交代が解決の糸口になりうるケースもあると思いますのでがんばって欲しいですねえ。


『立ち止まる』(No.401/2009.10.23)

NHKの番組『仕事の流儀』が好きでよく見ます。さまざまな現場の第一線で活躍する人たちをターゲットに、仕事をする上での流儀を引き出し、プロフェッショナルとは何か?を問う番組。

先日の放送で取り上げられていたのは、北海道で一世代前の”古臭い”酪農のスタイルを貫いている三友盛行氏。牛に自然の草を食べさせる放牧にこだわり、飼っている牛の数も地域の平均の半分以下。それがゆえに、生乳の生産量は3割しかないけれど、徹底した低コストによって驚くべき利益率をあげているとのこと。自然に逆らわず規模拡大をめざさないスタイルが、餌や設備投資の経費を圧倒的に少なくしているそうです。

そんな三友氏の回のタイトルが「立ち止まり、足るを知る」。まさに意志をもって留まる人、”STAYER”ですね。
三友氏にスポットが当たり始めた理由に、牛の餌の原料となる輸入穀物などの価格の高騰があるそうです。つまり、とにかく牛の数を増やして生産量をアップすることが酪農家の”成功”であったものの、餌の高騰でコストが跳ね上がり、みんな立ち行かなくなったところで、三友氏の存在が浮き上がってきたと。
情報が氾濫する世界では、この”立ち止まる”ということにも勇気がいるし、ノウハウも必要です。まず、規模の拡大ではなく利益重視の価値転換が求められますし、単純なコスト削減は必ず限界がやってきます。三友氏や、農薬を使わず、アイガモに食べさせることによって田んぼの雑草や害虫を除去するアイガモ農法を実践されている古野隆雄氏もそうで、自然や周りの環境と調和する中で、コスト削減を実践しなければ意味が無く、継続しません。
三友氏が日々繰り返されているのもまさにこれでした。立ち止まること、足るを知ること、心に響く言葉です。

...毎回、さまざまなことに気づかされることの多いこの番組、すごく好きがゆえの心配なのですが、とにかく”やらせ”がありませんように...。

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『ジム・オルーク』(No.400/2009.10.16)

まさかのCDを2枚買いました。いずれも”こんなアルバムが出るとは思わなかったっ”という意味での”まさか”。もちろん良い意味で。

1枚は、正真正銘ジャンル分け不能のミュージシャン、ジム・オルークのソロアルバム『ザ・ヴィジター』。ジム・オルークは親日家でも有名で、くるり、坂田明、カヒミ・カリィなどと一緒に仕事をしています。2001年にソロアルバムを出して以降、日本人に限らず、とにかくいろんな人と共演したり、プロデュースしたりという仕事がメインでしたが、ここに来て突然の純粋なソロアルバムを発表。まさかこんなプレゼントがあるとは。
内容は、全一曲のインスト・アルバム...。彼らしいですねえ。本人曰く、現代版『チューブラー・ベルズ』(マイク・オールドフィールドの名盤っ)だそうですが、まさにまさに。
アコースティック・ギターの静かな幕開けから、さまざまな楽器を駆使しながら、コラージュのように音で空間を紡いでいく様子は圧巻。叙情性を抱えつつ、決して熱くなりすぎないところが時代のちょうど1歩先を進んでいる感じ。
ミラーボールが椅子の上で砕けているジャケットも静かな狂気を感じさせます。きっと、本当に狂気を内包している人だと思います。養老孟司さんは、「本当に狂った人だけが普通の人を演じられる」とおっしゃいました。静寂と狂気が交錯する傑作です。

もう一枚は、バッド・ルーテナントのファースト・アルバム『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』。バッド・ルーテナントは2年前に活動を休止したニュー・オーダーのリーダー、バーナード・サムナーによる新プロジェクト。ほとんど情報をチェックしていなかっただけに、店頭で見たときは衝撃を受けました。あまりの衝撃に、購入してからCDプレーヤーにかけるまでの記憶がありません...というのは嘘ですが。
内容は、まんまニュー・オーダー。ニュー・ウェイブ+パンク路線。アルバムや曲のタイトルには、いまだにイアン・カーティスの死を抱えているのか、と思わせるものもありますが、全体的には、新たな決意、前向きな躍動感にあふれています。やりたいことをやっている感じが清清しいです。
バーナード・サムナーって、歌っていも、ギターを弾いていも、インタビューに答えていても、どこか頼りないところがあるんですが、希代のメロディ・メイカーであることを再認識しました。やっぱり生き残っている人は、何だかんだ才能があるんですね。永続的なプロジェクトにはなりえない気がしますが、もう一枚ぐらいはアルバムを出して欲しいです。多分、彼の場合、何をやってもそんなに変わらないのでしょうが。


『映画のプロセス』(No.399/2009.10.09)

先日、とある映画制作団体の方から、うちのギャラリー(世田谷233)を撮影に使わせて欲しいと依頼がありました。こういうお話は基本的にお断りしないことにしておりまして、今週の水曜日、お店の定休日を利用して実際に撮影が行われました。久しぶりに映画の撮影現場が見られて楽しかった。
ちょっと失礼な言い方ですが、思ったより本格的に活動されていらっしゃる方のようで、3カット程のシーンの撮影でしたが、監督や俳優さんも含め、15名程度のスタッフさんが集結。あらためて映画作りって多くの人が関わるんだなあと感心。しかも、当日は結構強い雨が降っていて、それに伴っていろいろと撮影場面も変更されたようでみなさん大変そうでした。
残念ながら、あまり時間がなく、監督さんに詳しいお話を伺うことが出来なかったのですが、どうやらアメリカで映画制作を学ばれた方のようで、機会があればインタビューしてみたいと思いました。それにしても、映画作りはお金と時間がかかるものです。脚本、演出、美術、編集などなど、さまざまな専門職の方がいて、それぞれの役割を果たしている。そしてそれを束ね、作品に仕上げる監督。映画が”総合芸術”と呼ばれるのも納得です。

インターネットやコンピュータ・テクノロジーの台頭によってテレビや映画の存在価値があらためて問われていますが、こういうある意味、物的・経済的な資本を大量に投入して作り上げられる芸術、という軸足が残り続ける以上、テレビや映画も存在価値を保ち続けるかもしれません。そこを惜しんで、製作プロセスを安易な方向に舵を切ると、そこから衰退が始まるような気がします。
逆に言うと、例えば最新型の携帯電話やipodの動画機能を使って映像を撮り、それを編集した作品があったとして、いかにそれが撮影や編集過程において、既存の映画制作のプロセスを踏襲していたとしても、おそらく流通やアウトプットの方法は違ってくるはずですから。それらは全く違うメディアとして扱うべきなのかもしれません。
あらゆる表現の分野で、個人で作ることが基本となっても、古くからの映画ファンとしては、人やモノをある程度ちゃんと投入して作る”映画”は”映画”として存在し続けて欲しいと願います。

ちなみに、今回撮影にご協力させていただいた映画作品、来年の夏に公開予定だそうで、また具体的になりましたらこちらでもご紹介させていただこうと思います。ひょっとしたら、ですが、私もちょこっと映っているかもしれません(笑)。

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『戦闘モード』(No.398/2009.10.02)

血液型による性格判断はいつの時代も人気がありますが、その信憑性についてはいろいろな意見があるようです。個人的には確率論として結構信じています(笑)。というか、当たることも多いなあという感じですが。

以前、何かの本で読んだのですが、私のようなO型の男はアクションや戦争映画を好む傾向にあるそうです。ちょっと血の気が多いんでしょうか。実際、私も、難解な映画やオチも何にも無い映画が好きな反面、確かに何かの折に突然アクションものや戦争ものを観たくなる時があります。
こういう”戦闘モード”(?)に入ったときにオススメなのは監督でいうとサム・ペキンパー(『ゲッタウェイ』(1972)、『戦争のはらわた』(1977)など)、黒澤明(『隠し砦の三悪人』(1958)、『椿三十郎』(1961)など)、クウェンティン・タランティーノ(『レザボア・ドッグス』(1992)、『パルプ・フィクション』(1994))あたりでしょうか。

先日も、なぜか”戦闘モード”に入ってしまい、しかも邦画モードだったので、岡本喜八監督の『座頭市と用心棒』(1970)を観ました。この”座頭市”シリーズはとにかくスカッとするところが気に入っています。座頭市を演じる勝新太郎の殺陣もすごい。本作は初見なんですが、黒澤明監督が三船敏郎と組んだ傑作『用心棒』(1961)に登場する”用心棒”がそのまま登場(もちろん演じるのは三船敏郎)し、”座頭市”と絡むというまさに頂上対決。ずっと気になっていたんですよね。東宝出身の岡本監督が座頭市シリーズに関わったのは本作のみ。そういう意味でも興味深い作品。
...で、予想にたがわず面白かった。いっつぁん、庶民の味方だねえ。この手の邦画で面白いのは、洋画のような派手さはないものの、ボスキャラ同士の一騎打ちの緊張感が尋常じゃないこと。タランティーノもこれに惹かれたんですよね。座頭市も、雑魚キャラ相手とボスキャラ相手ではオーラが全然違う。しびれます。
最後はもちろん、勝新太郎と三船敏郎の対決。ただ、見る前から、最終的にこの2大キャラが戦うなら、どちらかが死ぬということは無いだろうなと思っていたのですが...まあ、予想通りでした。キャラクター的にどっちが強い云々ではなく、黒澤明監督にけんかを売る人はいないでしょうから。


『ベルギー幻想美術』(No.397/2009.09.25)

渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『ベルギー幻想美術館』展を観ました。
今回の展示は、姫路市立美術館が所蔵する、日本最大級の質と規模のベルギー美術コレクションの中から、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した象徴主義やシュルレアリスムなどの優れた画家たちの作品約150点から構成されています。油彩・水彩・素描・版画などさまざまな技法による作品が展示されているのも特徴ではないでしょうか。会場内には妖しくも美しい女性がモチーフとなった作品が数多く並び、まさに幻想美術館と呼ぶにふさわしい空間となっています。
いつもながらBunkamuraさんの展示は個性的で雰囲気がありますね。個人的には前回の『だまし絵展』に引き続き、マグリットの作品がたっぷり見られたのが嬉しかったです。

よくビジネスの世界では、”不安な時代にはファンタジーが流行る”と言われます(最近では『ハリー・ポッター』が流行ったときがそうでした)。先行きの見えない不透明な時代には、人々は現実逃避を求めると言うことなのでしょうか。ベルギーで幻想美術を生み出した画家たちを突き動かした衝動の裏には、当時、本国の何十倍もある植民地からの巨大な富によって加速し、人々の生活に押し寄せてきた産業革命への不安もあると言われています。

工業化のみならず、いつの時代にもさまざまなイデオロギーの台頭や技術革新などは起こっているわけで、そういう意味では私たちはそういう意味では私たちは利便性や快適さを手に入れると同時に、常に不安と隣り合わせに生きていると言っても過言ではないのかもしれません。今、現在も、インターネットという新しいメディアは進化し、コミュニケーションは変化を続けています。日本では、コミュニケーション以前に政府も刷新されました。

どちらかというと、不安な心とまっすぐ対峙せず、心の隙間に面白おかしいものを流し込もうとする風潮がある中で、やはりこのような美術に触れるということには、大きな意味があるのではないかと思います。

・『ベルギー幻想美術館』展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/

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『落語を聴く』(No.396/2009.09.18)

落語が好きなんですが、なかなか寄席には行けないので、結局CDやDVDを買ったり借りたりして聞く(もしくは観る)ことが多いです。落語にハマりだしたのがおよそ14〜5年前。そのころからツタヤには落語のビデオが結構あったので、どちらかというとCDで音声だけを聞くよりも、映像で見ることが多かったです。さほど深い考えもなく、演者のしぐさや表情を楽しめるのは映像だろうと考えていたのですが、いつの頃からかそれが変わってきました。

理由はいくつかあるんですが、例えば、映像メディアの場合、カメラが切り替わることがよくあるんですね。最初は大体正面から、演者さんの全身が映るような構図なんですが、時と場合によって表情がアップになったり、ちょっと斜めからの映像になったり。これがいけないんです。どうも”映像ですよ”といわれている感じで。もちろん、表情が重要な噺の場面なんかで、よりわかりやすくするためのアップなんだと思うのですが、それが残念ながら余計なお世話、になってしまうんですよね。
落語って、やっぱりライブの芸。その日その時の空間で楽しむのが一番。例えば、席が悪くて表情がよく見えなければ、それはそれでしょうがない。想像すればいいんです。そういう、ある種の演者さんとの間合いが崩されてしまう。で、逆にCDの場合は映像がない分、最初から想像して楽しんでしまうんですね。これが面白いんです。

例えば、いろんな落語の音源を配信している『落語の蔵』というWebサイトがあって、古今東西いろんな落語家さんのネタが登録されているのですが、中でも、戦前はレコード、戦後はラジオで活躍された三代目三遊亭金馬師匠(現在活躍されている金馬師匠は四代目)の音源はホント面白い。映像がない方がいいんじゃないかとさえ思います(さすがにそれはないか)。もちろん、演者さんやネタによって映像の必要性は変わってくると思いますが、映像がなくても楽しめるのは落語という演芸ならではですね。

ちなみに『落語の蔵』では、それぞれの音源を試聴できますし、気に入れば購入も出来ます。それこそ昭和の名人・古今亭志ん生〜柳家小さんから立川志の輔〜柳家喬太郎なんかの新作まで揃っていて、一席500円前後と決して高くは無いと思うんですが、調子に乗って買っているとあっという間に数千円になってしまうのでご用心。

・落語の蔵:http://www.rakugonokura.com/


『One Day,One Film』(No.395/2009.09.11)

この秋、3つの写真展に参加します。
ひとつは古き良きカメラ、二眼レフによる『弐眼展』、そして、うちのギャラリーでサポートさせていただいている『233写真部』が主催する写真展、『ポスカ展』と『One Day,One Film』の2つ。
このうち、『弐眼展』と『ポスカ展』はいずれもテーマが自由のグループ展ですし、まあ、楽しく撮って楽しく参加できそうな感じです。...で残りの『One Day,One Film』。これもグループ展示なのですが、参加者10名が、それぞれの”特別な1日”に撮影したフィルムを”ビュープリント”という1本のロールプリントにて出力。写真のコミュニケーション・ツールとしての側面がさらに強まる現代において、とある1日と1本から醸し出される個人のドキュメンタリーを集めようというもの。コンセプト作りに関わらせていただいたのですが、途中からどう考えても「自分で自分の首をしめてるよなあ」、と。で、結果的に予想通り。全然撮れません。”特別な一日”が決まらない。それも9・10月の2ヶ月で、って話ですからねえ。しかも富士フイルムさんが協賛についてくださったので、下手なことできないし...。

個人の社会化が進み、人生のほとんどを自分でコントロールできるようになった昨今、さらにあらゆる地域で都市化が進んだ現代では、もう”お祭り”ってほとんどないに等しいですね。もちろん、それなりにちゃんと残ってはいますが、本来の社会的な役割よりも、形式的な要素が多くなっている気がします。なので、本当に個人にとって”特別な日”というのは、各自それぞれが自分で決めざるを得ない。そういうことなんでしょうねえ。アメリカ人なんかがやたら記念日を大事にするのもわかる気がします。

まあ、なんとかこの日かな?というのを見つけましたが、逆にそういう視点で日々の暮らしを見つめなおすことができる、というこのもこの企画の魅力でしょうか。
視点を変えることで、何気ない日が特別な日に変わる。”終わりなき日常”を生き抜くために視点を変えること、そしてそれを記録すること。ひょっとしたらカメラは現代人が必要に駆られて生み出した魔法の杖なのかもしれません。その魔法の杖を振った後に出現するのは、個人のドキュメンタリーが発する希望への物語でしょうか、それとも...。

・233写真部:http://233photographers.net/

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『変革の時』(No.394/2009.09.04)

2009年8月30日、第45回衆院選の投開票が行われ、結果、民主党が前回の177議席を大幅に上回る308議席を獲得、自民党は大物議員が軒並み落選するなど議席を大幅に減らし、これによって民主党に政権の座を明け渡すことになりました。事実上、いよいよ鳩山由紀夫首相の誕生です。これによって今後の日本がどうなるのかはまだまだ見えませんが、8月30日が歴史的な日となったことは間違いありません。政治が大きく動きました。

”先が見えない”とは言え、そもそも世の中を閉塞感を打開すべく、政権交代を望んだということで、特別民主党に期待しているわけではない、というのがおおよその世論と言ったところでしょうか。個人的にもまあそんなところです。民主党になったからといって本当に官僚主導から脱却できるのかどうか疑問ですし、マニュフェストもすべて実現されるとは思っていません。
さまざまなメディアの論調も、麻生政権や自民党の実績部分に日を当てる、”揺り戻し”も散見されます。4年前の選挙と真逆に振れる国民の風見鶏的な姿勢に苦言を呈するメディアもあります。確かに、「一度やらせてみよう」的な政権交代はリスクも大きく、ある意味無責任と言えるでしょう。取り返しのつかない状況に陥る可能性もゼロではありません。しかし、もしも55年体制以降、今までの自民党による政治が間違っていたとしたら...。

大きな変化、とは、一見、瞬間的に発生するように思えますが、実は、それ以前の小さな変化の積み重ねであると思います。社会党を取り込んだり、郵政選挙で自己変革を演出したり、なんとか政権の座をしのいで来た自民党ですが、すでに砂上の楼閣だったのかもしれません。
いずれにしても、これから私たち国民に出来ることは、ちゃんと関心を持ち続け、しっかりと監視することしかありません。頼んまっせ。


『落語の言葉』(No.393/2009.08.27)

最近、寄席にはほとんど行けていませんが、それでも自分のギャラリーで開催している落語寄席は来月で53回目。1回あたり2席ですから、ここ数年で一応100席以上の落語を聞いていることになります。まあ落語のCDやDVDなんかはよく聞きますが、やっぱり”ライブ”が命ですからねえ。

落語を聞いていて楽しいのは、さまざまな言葉の”言い回し”。もちろん、他にも楽しいところを挙げればきりが無いのですが、当時の文化が生んだ粋な言い回しや、現代では使われなくなった風情のある言葉が多いところがいいんですよね。
例えば”心持ち”。「俺ぁ、こんなに酒をくらっていい心持ちだよ」などと使われます。いい”気持ち”ではなく、”心持ち”。今ではあまり”心持ち”という言葉は使われていませんが、この言葉、好きなんです。

”気”と”心”とどう違う?と言われてもなかなか難しいですが、辞書(大辞林)で調べてみると”気”は、「生命・意識・心などの状態や働き。息。呼吸。意識。物事に反応する心の働き。」などとあります。一方で”心”は「人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう。精神。心情」と。

まあ、正確な解釈はひとまず置いておいて、個人的には”気”の方には、何か人間の意識を超えたものが含まれているような感じがします。大きな生命の環のようなものや霊的なものなどですね。で、”心”はあくまでもその人が持っているもの、感じるものではないかと。なので、落語の噺の中で登場人物が”心持ち”と言う時、そこには何かその人そのものが表現されているように思えるのです。さらに、これは偶然かもしれませんが、落語でこの言葉が発せられる時は、その本人が「楽しい状態」または「嬉しい状態」の時が多いです。お酒を飲んでいい心持ち、褒められていい心持ち。いずれもお酒やお世辞によって生じる心のありようなのかもしれませんが、本人がそう感じた結果、さらに言えば本人がそう”感じようとした”結果の状態で、外的なものによって強制されたものではない、そこはかとした”間”が何とも見ていて楽しくなるんですね。
少なくとも、酒井法子容疑者が感じていたのは、”いい心持ち”ではなく、単純に薬による”いい気持ち”だったのではないかと...。

・233落語ナイト:http://233rakugo.nobody.jp/

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『フリーベース』(No.392/2009.08.21)

やっぱりニューウェイブが好きです。そして「JOY DIVISION」「NEW ORDER」が大好きです。で、その「NEW ORDER」の過去のアルバムがコレクターズ・エディションとして再発されているようです。そもそも昨年発売される予定だったものが、”音源が悪い”ことを理由に延期されていたもの。第1弾として初期の4枚のアルバムが発売されています。それぞれアルバム未収録のシングルやリミックスなどレア音源を収めた2枚組み。まあ、レア音源集やベスト盤も全部持っているので、かぶっている音源も多いのですが...欲しい...。しかもなぜか中にはオリジナルと違うジャケットのものも。うむー。商売がうまいなあ。

それにしても等身大のガンダムといい、「NEW ORDER」といい、こういった80年代の文化の再構築は、世代の人間にとっては嬉しいですが、あまりに過去の遺産の焼き直し(は、ちょっと言いすぎでしょうか)ばかり見せられるのも複雑な気持ちです...と思っていたら、なんと「NEW ORDER」の元ベースのピーター・フックとアンディ・ルーク(元スミス)、マニ(元ストーン・ローゼス、現プライマル・スクリーム)による新プロジェクト「フリーベース」もいよいよアルバムを発表するとのこと。ある意味奇跡っ。こっちは即買いですね。

すでにMySpaceでは2曲公開されていました。まんま「NEW ORDER」という感じの曲もありますが、まあこれはこれでかっこいい。しかも、ヴォーカリストがヘイヴンのゲイリー・ブリックス。さらに、ゲストとしてイアン・ブラウン、オアシスのリアム・ギャラガー、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン、シャーラタンズのティム・バージェスなどが予定されているとのこと。こりゃ”焼き直し”どころじゃなくなった。楽しみ。

・Freebass:http://www.myspace.com/freebassuk


『分福茶釜』(No.391/2009.08.14)

3年程前、細野晴臣さんが連載されていたエッセイをまとめた『アンビエント・ドライヴァー』(マーブルブックス)が発売されたのを機に、細野さん関連の書籍をまとめて読んだ時期がありました。その後も、細野さん関連の本は出るたびに購入して読んでいるのですが...いいんですよねえ。
先日、昨年買いそびれていた『分福茶釜』(平凡社)を購入。この本は、細野さんの盟友・鈴木惣一朗さんを聴き手に迎えての対話を収めたもの。時にするどく、時にはぐらかしながら、これも細野さんの人生観、死生観、音楽論などがじんわり沁みてくる内容でした。
非常に読みやすいのですが、軽さの中にも深みのある言葉が並んでいます。
例えば「人と店と道路」。「都会には人と人しかいない。個人対個人っていう関係性しかない。それが不自然に思えてしょうがない」と。で、他に何があるかっていうと、”お店”と”道路”。「本来人と人の間には”空気”があって、自然があって、いろんな要素がそこにある。人間はそれを全部一緒に呼吸して生きている」と。
確かに、中途半端に都会化する田舎と比べて、人の密度、人間関係の密度が濃くなってくると、どこか息苦しさに繋がるのかもしれません。それをある意味緩和してくれているのが自然の空気や温度や湿度なのではないでしょうか。人と人の間に、社会的な関係性だけではなく、五感で感じられるものが存在することでバランスが取れる。もちろん、細野さんは田舎も同じになってきている、と警鐘を鳴らすことは忘れません。
失礼ながら、思わず棒を持って絶妙なバランスで綱渡りをする狸を思い浮かべてしまいました...。

テキスト量を考えるとお値段的には、ちょっとだけ高めかもしれませんが、まさに”福”を”分”けてくれる、ファンならずともそばに置いておきたくなる一冊だと思います。

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『ニューズウィーク映画号』(No.390/2009.08.07)

先月発売された、ニューズウィーク日本版の特別版「映画ザ・ベスト300」を買いました。ニューズウィークに掲載されたレビュー300本や、30年以上に渡って同誌の映画欄を担当するデービッド・アンセン氏が考えるベスト100、さらにクエンティン・タランティーノ、ケビン・スミス監督のインタビューなど、映画レビューに関する内容が盛りだくさんで結構楽しめます。

デービッド・アンセンがアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)の「偉大なアメリカ映画ベスト100」にもの申す特集も秀逸。”選考を行う映画人は作品作りに忙しくて映画を見る暇がない。だからランキングに意外性がない”と切り捨てます。マイナーな秀作がランキングに入らないのは、選考委員に見た人が少ないせいだと。確かに、映画業界が右肩上がりではないとは言え、アメリカだけでも1年間に公開される映画は5百本近くはあるでしょうから、そうなんでしょうね。
とは言え、96位のスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』を取り上げて”アフリカ系の監督作品はこの1本のみ”と言いながら、自分のベスト100にもそのあたりの選考はなし。やっぱり保守なんですかねえ。
まあ、そもそも誰が選んだものであれ、ランキングにはさほど意味は無いとは思いますが...。

300本のレビューは年代別に分かれていて、スタートは1960年代で、最新は2000年代なんですが、全体を通して眺めてみると、ハリウッド映画の凋落の歴史としても見れてしまうところが切ないですね。
2000年代のページの最初には、”映画界は2000年代、新たな転機を迎えた”とあります。つまり、今は、CG技術の発達、題材の多様化、好みの細分化などの要素が入ってきたことによる、映画の”夜明け前”だと。
さて、2000年からほぼ10年経った現在、映画の夜は明けたのでしょうか、それとも...。


『同じ釜の飯』(No.389/2009.07.31)

最近の”気づき”のひとつ。
個人の集まりによって形成される組織や団体、家族、会社、自治体、国家など、すべてを”コミュニティ”と捉えると、そのコミュニティから新たな価値を生み出すことがものすごく難しくなっているのではないか、ということ。”集まり”を形成している意味や目的が、これだけ不透明で危うい時代はなかったのではないでしょうか。

”情報”という概念が発明される前、そこまでさかのぼらなくとも、メディアというものがこれほどまでに発達する前は、簡単に言うと、長く生きること(=経験を積むこと)に価値がありました。しかもそれはコミュニティの違いをも超える普遍的なものでした。ところが、情報が氾濫し、情報を得るための手段・メディアが複雑になればなるほど、過去の経験が通用しない場面が増え、結果的に経験から来る”知”の価値が下がってしまいました。
では、一体何に価値があるのでしょうか。情報が早いこと、多いこと、確かなこと。残念ながらそれらのすべてがそうとは言いいれない世の中になりつつあります。早いことは情報の誤差を生み、多いことは本当に必要な情報にたどり着く障害になり、確かな情報は、それ自体の定義が難しくなってしまいました。

具体的には、家族であることの意味は何なのか、同じブランドの店舗が全国に広がることでどういうメリットがあるのか、顧客をネットワークすることで何が生まれるのか、学校に生徒を集めることでどんな教育が可能なのか、あらゆるコミュニティが抱える問題は、本質的には同じだと言えるでしょう。
その問題を解決するためには、まず、情報の氾濫など、さまざまな要因によって希薄になってしまった、人と人、モノとモノ、人とモノのつながりを取り戻すことが必要なのではないかと思います。新たな価値とは、単なるマッチングから生まれるものではなく、差異から生まれるものだからです。
多様性によって分散した価値を、多様性を尊重しつついかに取り戻すか。そのあたりかなあと。

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『コミュニティの価値』(No.388/2009.07.24)

最近の”気づき”のひとつ。
個人の集まりによって形成される組織や団体、家族、会社、自治体、国家など、すべてを”コミュニティ”と捉えると、そのコミュニティから新たな価値を生み出すことがものすごく難しくなっているのではないか、ということ。”集まり”を形成している意味や目的が、これだけ不透明で危うい時代はなかったのではないでしょうか。

”情報”という概念が発明される前、そこまでさかのぼらなくとも、メディアというものがこれほどまでに発達する前は、簡単に言うと、長く生きること(=経験を積むこと)に価値がありました。しかもそれはコミュニティの違いをも超える普遍的なものでした。ところが、情報が氾濫し、情報を得るための手段・メディアが複雑になればなるほど、過去の経験が通用しない場面が増え、結果的に経験から来る”知”の価値が下がってしまいました。
では、一体何に価値があるのでしょうか。情報が早いこと、多いこと、確かなこと。残念ながらそれらのすべてがそうとは言いいれない世の中になりつつあります。早いことは情報の誤差を生み、多いことは本当に必要な情報にたどり着く障害になり、確かな情報は、それ自体の定義が難しくなってしまいました。

具体的には、家族であることの意味は何なのか、同じブランドの店舗が全国に広がることでどういうメリットがあるのか、顧客をネットワークすることで何が生まれるのか、学校に生徒を集めることでどんな教育が可能なのか、あらゆるコミュニティが抱える問題は、本質的には同じだと言えるでしょう。
その問題を解決するためには、まず、情報の氾濫など、さまざまな要因によって希薄になってしまった、人と人、モノとモノ、人とモノのつながりを取り戻すことが必要なのではないかと思います。新たな価値とは、単なるマッチングから生まれるものではなく、差異から生まれるものだからです。
多様性によって分散した価値を、多様性を尊重しつついかに取り戻すか。そのあたりかなあと。


『ニコラス・コッポラ』(No.387/2009.07.17)

かなり話題となっている世界の終末を描いた決定作『ノウイング』。昨今の、地球規模の破滅的映画流行りには辟易させられますが、監督が『クロウ/飛翔伝説』(1994)や『アイ,ロボット』(2004)のアレックス・プロヤス、とくれば、個人的にも興味がグッと沸いてきます....と、それはさておき、主演はまたもやニコラス・ケイジ。

もう”フランシス・コッポラの甥”、というレッテルなど全く必要なくなった、今やハリウッドを代表するスターとなった、ニコラス・ケイジ。いつも眉間にしわを寄せている印象のある彼ですが、相変わらず出演作はヒットし、その地位はゆるぎないものになったと言えるでしょう。
個人的には彼の代表作はデヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』(1990)だと思います。同年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した本作は、彼の代表作であると共に出世作でもあったと思います。ニコラス・ケイジが演じる主人公セイラーが羽織るど派手なヘビ革のジャケットは自前だったそうで、さらに撮影後、相手役のローラ・ダーンにプレゼントしたとかしないとか。このセックスと暴力に溺れたセイラーをある時は粋に、ある時はバタ臭く演じられるのはまさに彼しかいなかったと思います。そしてそのままラストのお馬鹿シーンを演じられるのも彼ならではかと。この頃のニコラス・ケイジはかっこよかった。

しかしながら、『リービング・ラスベガス』(1996)で、アカデミー主演男優賞を演じて以降の彼は、エンターテイメント性の強い大作志向となり、このあたりはファンの賛否も分かれるところ。友人ショーン・ペンからはそのあたりを突かれて「彼は俳優ではなくタレントだ」と言われたとか。この『ノウイング』でも大学教授というまじめな役どころ。個人的にはまたマニアックな作品に出演して欲しいなと。
本人もカルト映画の傑作『ウィッカーマン』を自費でリメイクするほどですから、そういう作品への出演を望んでいるのではないでしょうか(ちなみに本作はラジー賞=最低映画賞5部門にノミネートされてしまいました...)。
毎年たくさんの作品に出演しているパワーはさすがですし、幅広い役どころをこなせるところもすごい。しかし何かもの足りない気がするのも確か。年齢的にはまだ40代半ば、落ち着くには早すぎます。もう一度デヴィッド・リンチあたりと組んで欲しいと思っているのは私だけはないと思いますが。

・『ノウイング』公式サイト:http://knowing.jp/

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『地方の行方』(No.386/2009.07.10)

今週末にせまった都議選を控え、街の選挙活動も永田町の動きも活発になってきましたね。このところテレビでは、国政に打って出たい宮崎県の東国原知事と、次期衆院選に向けた「首長グループ」結成を目指す大阪府の橋下知事の動きが結構報じられていました。”地方分権”って聞こえはいいし、どこか生活者レベルでも”自分のことは自分で”という自立した動きにつながりそうな予感はあるのですが、残念ながら、いずれの知事も個人的に応援はしているものの、では、具体的になぜ地方分権が必要なのかがあまり見えてきません。ここが一番重要なはずなんですが。

さらにその人気にあやかろうとする政党(与野党問わず)の姿勢も残念。各自治体とうまく連携することが、国民の生活の何にどういう風に影響するのか、そこが伝わらないと、こちら側は全然盛り上がらないというか、取り残されている感すらあります。ある程度知名度が選挙を左右するとはいえ、とにかく有名な人に取り入ろうとする姿に引いてしまう人も少なくないのではないでしょうか。

先般、2日間で100万人の動員記録を打ち立てた映画「ROOKIES(ルーキーズ)」。映画公開前には、テレビをつけてTBSにあわせるとどの番組にもキャストが出演して映画を宣伝している、という状況でした。さすがの過剰宣伝に批判の声もあったようです。

自分の人生を賭けてよりよい生活・政治を目指す姿勢は見ていて心打たれる時もありますが、周りの迷惑を省みない一心不乱な”広報活動”は見ていて気持ちのいいものではありませんね。”広報”も結局何かを”伝える”ための手段ということですから。これは政治の世界に限らず、ですが。


『キング・オブ・ポップ』(No.385/2009.07.03)

個人的に最も尊敬するエンターテイナーであり、80年代に世界中の人々を熱狂させた大スター、マイケル・ジャクソンが2009年6月25日に永眠されました。享年50歳。
80年代の始めに私の姉が短期でアメリカにホームステイしたことがあり、お土産代わりに日本に持って帰ってきたのがマイケル・ジャクソンとDEVOでした。アメリカの、そして黒人音楽の未来を担う一人の若者のあまりのかっこよさと、アメリカが生んだ、世界に誇れるテクノ・バンドのクールさ、このふたつに人生が変わるほどの衝撃を受けたのを覚えています。

とりあえず、DEVOの話はさておき、当時のマイケルは出世作となったアルバム「オフ・ザ・ウォール」をリリースしたばかり。まだまだ初々しさの残るマイケルの笑顔がジャケットとして使用されたそのアルバムには、メロディ、リズムともに完璧なポップ・ソングが詰め込まれていました。名プロデューサー、クインシー・ジョーンズと、稀代のソングライター、ロッド・テンパートンのコンビに、一歩も引けを取らない存在感は末恐ろしく感じたものです。
願わくばもう一度、話題性によるものではなく、その圧倒的な楽曲のチカラで全米のヒットチャートを席巻して欲しかったという気がしますが、奇しくも、今まさに、過去の作品が売れまくっていて、それはそれでファンとして非常に嬉しい現象であります。

音楽やパフォーマンスが、いかに演出されたものであろうと、計算されたものであろうと、とにかく酔いしれたもの勝ち、マイケルはそう思わせてくれる数少ない存在でした。ポップでわかりやすいことが、そのままかっこよかった時代。そんな希望に溢れた時代に生み落とされ、そして自ら時代を引っ張ったポップ・スター、これだけ多様化してしまった世界では、もう二度と生まれることのない唯一無二の存在かもしれません。

ありがとう、マイケル。

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『だまし絵展』(No.384/2009.06.26)

渋谷・東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『奇想の王国 だまし絵展』を観ました。
今回の展覧会は、Bunkamura20周年特別記念企画として開催されるもので、16〜17世紀の古典的な作品からダリ、マグリットら近代の作家、さらには本城直季氏らを始め、第一線で活躍を続けている現代の作家までを網羅した、かなり充実した内容となっています。
「だまし絵」の定義はいろんな解釈があるようですが、ただ単に人を驚かせることを目的としたものではなく、ヨーロッパにおいて古い伝統をもつ美術の系譜としてちゃんと存在しているそうです。自らの精緻な描写力を誇示したり、絵画という表現の可能性にチャレンジしたり、そこには画家のさまざまな思惑や野心があったのでしょう。
考え抜かれた会場構成に、400年を超える歴史の範疇から選び抜かれた数多くの作品が並び、相当見ごたえのある展示となっています。これは本当にじっくり見ると少なくとも3回ぐらいは足を運ぶ必要がありますね(笑)。

「だまし絵」はそのインパクトゆえに、アートに興味のない人でも、教科書や雑誌など、さまざまなところで目にした事のある作品もあるはずです。驚くのは、そういった作品の中でも有名な、ジュゼッペ・アルチンボルドの『ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)』(野菜で描かれた皇帝の絵です)にしても、その流派による『水の寓意』(水にすむ生物で描かれた肖像画)にしても、原画の持つある種の異様さは、ちょっとした思いつきやいたずらというレベルではなく、画家の肉体、技術、姿勢までもがすべて込められているような迫力があることです。
さらに、ある程度時系列に並べられていると思うのですが、出口に向かうにつれ、年代が新しくなってくるわけですが、やはり現代美術の文脈上にある作品は、どこか喪失感や空虚な空気感がまとわり付いているところも非常に興味深かったです。

まさに、角度を変えることで違う絵が出現する”だまし絵”のように、視点を変えることによって何度でも楽しめる展覧会だと思います。後年(をわざわざ待つ必要はないのですが)、語り草になる気がするなあ。

ちなみに、会期は長めですが、すでに混雑する曜日・時間帯があるようです。混雑状況は、ザ・ミュージアムのホームページでお確かめください。

・『奇想の王国 だまし絵展』
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_damashie/


『弁当男子』(No.383/2009.06.19)

草食系男子、メガネ男子、着物男子などなど、最近いろんな”男子”が流行っているようですが、”弁当男子”というのもあるそうですね。他の”男子”に比べると、ファッションやライフスタイルというだけでなく、何かちょっと切実なものも伝わってきますが。実際、コラムニストの神足裕司さん曰く、「社会不安はサバイバル技術へと人を走らせる」、すなわち「弁当には昼飯代の節約という面もあるが、”おれは一食持ってる”との安心感がより大きい」とのこと。...なるほど。

個人的には週の何日かはお昼ごはんに弁当を持って出かけますが(自分で作るわけではありません...)、確かに、今のような不況の世の中でなくとも、”次の一食を持っている”と言う安心感はあるかもしれません。
ごくたまに、仕事がおした結果、お昼に弁当を食べられない場合もあるのですが、その際には自動的にお昼用のお弁当が夕飯にスライドされるわけで、その瞬間、仕事が終わった後、どこに行こうとも飯には困らないという、”明日”を無事迎えるための最も重要なハードルをクリアしたことになります(笑)。
もっと突き詰めると、一食持っていることの安心感のみならず、これほど先の見えない社会の中で、己の食を準備している時こそ、まさに生きている感覚を味わえるのかもしれません。自分用の食物をちゃんと手に入れることが出来た自分、それを正しい形で調理できる自分、そして弁当を食べるために仕事に注力できる自分...。いや、そりゃさすがにおおげさでしょうか。

ちなみにこの”弁当男子”、若いビジネスマンの間にも広がりつつあるようで、上司や先輩から「昼食いに行くぞっ」と誘われても、(自作の弁当があるため)断る男性も多いらしいです。経済的には節約できても、会社の人間関係が希薄になってはもともこも無いと思うのですが。それとも”パワーランチ”や”ビジネスランチ”という言葉そのものがもう過去のものなのでしょうか...。

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『風の旅人』(No.382/2009.06.12)

写真家・鷲尾和彦氏が参加している写真展『風の旅人〜今ここにある旅〜』(新宿コニカミノルタプラザ)を見ました。

”見知らぬ場所を訪れても、自分の眼差しが変わらなければ、旅とは言えない。同じ場所であっても、惰性に陥らずに物事をみつめ、新たな発見と触発を通して自分を入れ替えていく体験は「旅」と言える”(雑誌『風の旅人』編集長 佐伯剛氏の言葉より)

いいですねえ。”旅”というのは個人的にも大きなテーマですね。私自身も大学生の頃にいろいろ海外を旅した経験があり、その時に非常に貴重な経験が出来たと思っているのですが、一方で、基本的に”旅”は自らの見識を広げ、人間的にも成長できると言うような、ある種一方的な価値観しか世の中に提示されていないことも気になっています。
つまり”旅をしない”ということにも相応の価値があるのではないかと。もちろんここで言う”旅をしない”というのは、ただ単に家を出ないとか、新たな価値観を獲得しない、外の世界を見ないという意味ではありません。身体の移動をしないけれども、新たな視点を持って物事を捉える、ということや、ある場所に意志を持って留まるというようなことです。

うちのギャラリーの5周年記念に鷲尾氏と一緒に「STAYER」という写真展を開催したのですが、この「STAYER」と言う言葉には、意志を持って留まることの強さ、そのために同じ場所にいながら常に新鮮な気持ちで世界と対峙する姿勢の大切さ、の2つの意味を込めました。会場の説明ボードにはこんな文章を添えさせていただきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
とめどなく広がり続ける世界と個人。
可能性や高揚感と引き換えに、急速に失われていく皮膚感覚。
立ち止まってみれば、世界はもっと広く、人間同士はもっと近い。
”通過”や”滞在”では見えないもの。
”瞬間”や”短期”ではできないこと。
”場所”という感覚に敏感であれば、
未来は今、この場所から感じられるはず。

今日も僕はここにいます。
明日も僕はここにいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

以前、作家の村上龍氏がホストを務めるテレビ番組『カンブリア宮殿』で、ゲストに招かれた大企業の社長(すみません、どこのどなたか全く覚えていません...)が、龍氏の「そんなに忙しいと旅なんて出来ないでしょ」という問いに対して、「何のために?(旅をするのか)」と即答されていました。もちろん、その社長は身体的に移動はせずとも、あらゆる事柄に対して常に新しい視点で眺めているはずで、そういう意味では”旅をしている”のだと思います。やはりトップに立つ人と言うのは、確固たる哲学を持っているなあと感心しました。
全てのものには裏と表があり、そのバランスの取り方で価値は変動すると思います。その分岐点を設定するのはその人自身が何を信じているかによるんじゃないでしょうか。

ちなみに、鷲尾氏とは写真展を見た後に渋谷で一緒に飲んだのですが、翌日彼のWebの日記がちょっとパンクな感じになっていたのが嬉しかった(笑)。お互いロックが好きなので。


・鷲尾和彦 Webサイト(http://www.washiokazuhiko.jp/
※現在『8 Photographers Experiment』@AKAAKAが開催中。
会期は2009年5月30日(土)〜6月28日(日)までですのでぜひ。


『おしゃれな映画』(No.381/2009.06.05)

ニューヨーク・インディーズ派の筆頭として、1980年代から独特の映像世界で映画界を牽引してきたジム・ジャームッシュ監督。彼が2003年に作った傑作が『コーヒー&シガレッツ』。個人的に一番好きな映画、と言っても過言ではありません。
DVD化された時には真っ先に買いました。さんざん観た後は、自分のお店(ギャラリー)に置いて、たまに上映会をしたり、人に貸したり。
ある日、たまたま前を通りかかった廃品回収車のお姉ちゃんが車を止めてお店に入ってきたことがありました。面白そうな店構えが気になったとのこと。いろんな話をしているうちにジャームッシュ好きが発覚。『コーヒー&シガレッツ』をまだ観ていないというので、DVDを貸してあげました。「ありがとう。来月には返しに来ます」そういってまた車に乗って行ってしまったお姉ちゃん。”これでまたこの映画のファンが増えた”、そうほくそ笑んだ日からおよそ3年。DVDはまだ返ってきません...(笑)。いや、いいんです。ある程度そうなる可能性も予測していたわけですから。しかし、最近またどうにもこうにも観たくなり、あらためてアマゾンで購入。早速届いたところ、開けてびっくり。DVDのパッケージ写真の上の部分に派手な装飾文字ででかでかと”おしゃれDVD”の文字が...。書籍の帯のような取り外し可能なものではなく、完全にパッケージに印刷されていました。かなり恥ずかしい...。しかもすごく目立つ。一瞬違う商品が届いたのかな?と思いましたが、間違いなく『コーヒー&シガレッツ』でした。廉価版ということだったので、こんなパッケージになってしまったのかとがっくり。確かにモノクロの映像は”おしゃれ”な感じではありますが...。しかしよく見ると、”パッケージはリバーシブルになっています”の注意書き。裏返すと通常バージョンのパッケージに。なるほどそういうことか。ジャームッシュ・ファン以外にも売るためにつけたコピーだったわけで。うむー、いろいろ考えるもんですね。”おしゃれDVD”新たなメディア・カテゴリーの誕生です。

それにしても、この映画の中身を知らずに”おしゃれ”の文字に惹かれて買った人にとっては、結構シュールな内容だと思うのですが。


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『硬直化するコミュニケーション』(No.380/2009.05.29)

日本経済新聞&朝日新聞&読売新聞の3社によって立ち上げられた、新聞記事の読み比べができるWebサイト「あらたにす」(http://allatanys.jp/)。その中の「新聞案内人」というコーナーで、東京大学大学院総合文化研究科教授の古城佳子さんが、”子供の「議論下手」は大人の責任”というタイトルで興味深いことをおっしゃっていました。

難しさを増しつつある教育の現場において、教師と親、親と子の信頼関係の希薄さ、コミュニケーション不足により、文句を言う親が出現。それによって学校側が過度に防御的になっていると。親の文句に対する対応に多くの時間を割かれるよりは、そのようなことが起こらないように対処した方がいいといことなんだそうなんですね。で、結果的にコミュニケーションが”硬直化”しているとのこと。さらに、大学生になっても、それまでのコミュニケーションが硬直化した環境に慣れてしまっているために、討論する力を一朝一夕に身につけることは難しいと。うむー。

この部分がなぜ気になったかというと、先般このメルマガのコラムでもご紹介した「スローコメディ・ファクトリー」の須田泰成さんが、とあるトークイベントでおっしゃっていたことと重なったのです。そのイベントで須田さんは、「今の子供は人間関係を新しくしない」と(須田さんのご意見なのか引用されたのかちょっと不明です。すみません)。普通は中学や高校の進学時などによってがらっと周りの人間関係が変わり、いろんな人とゼロからコミュニケーションを取らざるを得ない状況になる。しかし、ネットが普及した昨今では、従来の人間関係も何不自由なく保てるため、さほどその必要性がなくなるのではないかと。
以上の2つをまとめると、全くゼロからのコミュニケーションにより人間関係を構築する場が減り、馴れ合いの人間関係をより強く維持し続ける状況が生まれているという気がしてなりません。ネットなどのメディアによって、従来の人間関係を継続できるというのは決して悪いことではありませんが、見知らぬ人と人間関係を作るのは、対人コミュニケーションにおいて重要な訓練であり、そのシチュエーションが少なくなっているとしたらやはりそれは問題だと思います。
個人的に、昨年より渋谷の専門学校にて授業を担当させていただいている身でもあり、ちょっと掘り下げて考えてみたい問題だと思いました。
いずれにしても、コミュニケーションに限らず、思考であろうと身体であろうと、硬直している状態というのは避けたいものです。


『バットマンとブッシュ』(No.379/2009.05.22)

バットマン・シリーズの最高傑作とも言われている『ダークナイト』(2008) 。子役としてデビューして以来、作品に恵まれない時期もありましたが、ここに来て演技派の地位を確立したと言えるのが、同作でバットマンを演じたクリスチャン・ベール。私が2001年の年間ベスト一位に選んだ『アメリカン・サイコ』(一位に選んだ理由は必ずしも良い意味ではないのですが)でのマッチョぶりや、『マシニスト』(2004)での痩せぶりなど、身体を張った演技にチャレンジしてきたことも大きいかと思います。しかしながら、もともとどちらかというとハンサムで優男だったはずなのに、来月から日本でも公開される『ターミネーター4』でも主演するなど、ちょっと知的な”アクション俳優”として登用されつつありますね。まあ、最近のヒーローは敵と戦うだけでなく、いろいろ悩んだり、苦しんだり大変ですから(笑)。

クリスチャン・ベールにもさらにがんばって欲しいですが、個人的に最近注目しているのは、その『ターミネーター4』のオファーを断ったとされている『ノーカントリー』(2007)での活躍も記憶に新しいジョシュ・ブローリン。
彼は今年ショーン・ペンがアカデミー賞・主演男優賞を受賞した『ミルク』(ジョシュ・ブローリンは助演男優賞にノミネート)や日本でも今月より公開されているブッシュ大統領の伝記映画『W.』に主演しています。

アクション映画に絡め取られるのが悪いとはいいませんが、やはり演技派として大成するなら、作品はある程度選ばないと、という気がするのですが...。『ノーカントリー』でも主役のハビエル・バルデムやトミー・リー・ジョーンズに負けず劣らずの存在感を示した”遅咲き”のスターに今後も要注目です。

・『W.』公式サイト(http://www.bush-movie.jp/

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『愚かなよそ者』(No.378/2009.05.15)

ちょっと昔の話で恐縮ですが、サッカーの日本代表選手として活躍、引退後に世界各国を旅して回っていた中田英寿氏。およそ一年ほど前でしょうか、そんな彼の旅の内容をまとめたドキュメンタリーのテレビ番組がありました。
サッカー界から身を引いてもなお、自分らしい生き方を貫く中田氏の生き方には共感できる部分が多いものの、ちょっと気になる場面に出会いました。

番組中、中田氏は「日本と違う文化を持つ国で、その国の人たちにいかに溶け込むことが出来るかが大事」というような内容の発言をされていました。そして画面は、どこの国かは忘れたのですが、みんなで輪になって打楽器を打ち鳴らし、その輪の中で一人一人勝手に踊りを披露するという場面に。中田氏もその場に溶け込むべく、自分なりの踊りを披露していました。興が乗ってきたのか、その様子を撮影していたカメラマンにも「○○さん(名前忘れました)も踊りなよ」と声をかけたのです。そして、カメラマンはカメラを誰かに預け、そのまま輪の中に入って踊り始めました。その瞬間、中田氏は「すごいな...」とつぶやいたのです。そう、中田氏のどこか”同化しよう”という意図が感じられる踊りと違い、いきなり無我を感じさせる踊りでした。当然、周りからも拍手を受け、そして本人も楽しそうでした。

世の中には、異文化や他者と心を通わせるまでに時間のかかる人もいれば、一瞬にして通じ合ってしまう人がいます。いずれが勝っているかということとは全く関係なく、個人的にもどちらかというと時間をかけてしまう方なので、そのカメラマンの瞬発力には目を見張りました。あの時の中田氏の驚嘆の表情は、カメラや画面というフィルターを通っているとしてもかなりリアルだった気がします。あれだけ多くの国を旅しながらもどこか、居心地の悪さを感じているのではないか、そんな気がしました。もちろん単なる推測なのですが。

文化や価値観が異なる人々とわかりあうために、本当に必要なことは一体何なのでしょうか。”心を開く”とはどのような感覚を指すのでしょうか。小さな出来事ではありましたが、そのシンプルかつ深い問いの入り口にあらためて立たされた瞬間でした。


『シモキタ大学』(No.377/2009.05.08)

先月、下北沢にある「スローコメディ・ファクトリー」というところで開催されている「シモキタ大学・コメディ人文学部」のトークショーのゲストとしてお招きいただき、何だかんだとしゃべってまいりました。ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。”Life is comedy”がテーマ、ということだったのですが、やはりちょっとしっとりした感じにしてしまった...。性分なんですねえ。でも、楽しかったです。

人前でいろいろしゃべると自分自身気づかされることが多いのですが、今回ちょっと思ったのは、”個”対”多”というのはもうあんまり意味がないのかなあと言うこと。一人が数十人とか数百人、数千人に対して何かを話したり、教えたりするってことは何か古い、というか、それが言い過ぎであれば、個人的には馴染まないという感覚がふと湧き上がってきたんです。...トークショーをやりながらそういう風なことを考えるのもどうかと思いますが(笑)。
インターネットの普及によって、個人が一度にたくさんの相手に対して同時にさまざまな情報を発信できるようになりました。しかしながら、それだけでは、単に数の問題=効率がアップしただけに過ぎず、むしろ、一人対一人とか少なくとも一人対数名による、濃くて密度の高いコミュニケーションから生まれるものをアーカイブにして、それを世界中の人にオープンにできると言うことが本質なんじゃないかと。個と個が、真正面からがっつりと向き合うことで生まれる企画や発想や物語を、あらためて大事に出来るインフラとして捉えた方が面白いことが出来そうな気がします。テーマとは違いますが、何かいいきっかけをいただいたと思います。この方向でもうちょっといろいろ考えてみたいです。
「スローコメディ・ファクトリー」の須田泰成さん、MCを務めてくださった映像作家の高遠瑛さん、ありがとうございました。

それにしても、オーナー須田さんの人脈もあるかと思いますが、たまたま上々颱風(ファンですっ)のメンバーの方や京都のお茶屋さんなど、いろんな方がいらっしゃって、こういうまぜこぜなところはやはりシモキタだなあと思いました。まだまだ街のチカラがある場所ですね。

・スローコメディ・ファクトリー
http://slowcomedyfactory.blog24.fc2.com/

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『鼻から挿入』(No.376/2009.05.01)

私先週、胃内視鏡の検査を受けてきました。慢性胃炎と食道炎の定期検診です。
とりあえず結果は思ったより良かった感じでした。
そういった病気を持っていることもあって、個人的に”内視鏡検査って思ったよりもつらくないよ”運動をひっそりと展開しているので(笑)、今回もさほどつらくなかった、というレポートをお届けしたいと思います。

胃と大腸の内視鏡検査については、麻酔の段階や腸をからっぽにする作業がそれなりにつらいものの、検査が始まれば鎮静剤を打っていれば(そうでない病院でも希望すれば対応してくれるところがほとんど)結局眠っている間に終わるというのが、”さほどつらくない”理由。
で、今回は胃炎と食道炎のセカンドオピニオン的な意味合いもかねて、「口から入れるよりも喉につっかえないから楽にできる」といわれている鼻からの方法(経鼻内視鏡)に挑んでみました。

さらに細いカメラの開発によって(メーカーさんナイスっ)鼻からカメラを入れることが可能になったとはいえ、鎮静剤を打たないで意識があるまま行うことにより、結局痛みを感じる場面は増えたのではないか?というのを検証するのが今回の目的。前日の夜、”受けた人の感想はどうなんだろう”とふと思いついて、「鼻から胃カメラ検査受けました」的にネットで検索してみると、出るわ出るわ、「鼻からだと痛くないと聞いていたのにめっちゃ痛かった」的内容の嵐。へこみました...。たま〜に『楽だった』という記事を見つけて何度も読み直したり(笑)。そんなこんなでかなり不安を抱えつつ挑んだのですが、結論から申し上げると、これなら鎮静剤打たなくてもOK、と言える内容でした。さすがに無痛とは言いませんし、麻酔も鼻から液体を入れられるので多少つらいですが、経口の時の麻酔よりもかなり楽。カメラを入れたまま、モニターを見られるし、映像を見ながら先生の説明も受けられる、というのが経鼻内視鏡のメリットとしてよくあげられるのですが、これに関しては、やはりそれほどの余裕はないので何とも言えません。

それでも鎮静剤を打たない分、身体への負担も少なそうだし、検査終了後もわりとすぐに開放されるところも良いと思います。
もちろん、このような感想には個人差がありますし、痛みの有無にはお医者さんの熟練度も大きく影響すると思いますので、保証の限りではありませんが。また、やはり異物を体内に入れることに変わりはありませんので、この検査によって逆に体調が悪くなる方もいらっしゃるようです。

それにしても今回の病院、先生の説明も丁寧で非常に良かったのですが、会社員の方向けに朝早くから検査できるのがウリで、検査しようと思い立って一番早い日程で予約を入れたら、朝の7時50分からでした...。8時半には終わって良かったっちゃー良かったのですが。眠かった...。


『コミュニケーション考・その2』(No.375/2009.04.24)

前回の続きです。コミュニケーションが必要とされるもうひとつ重要な場面。
情報の読み解きと判断は、情報を入手してからの話でした。現代では、テレビ、パソコン、携帯などなど、ありとあらゆるところからいろんな情報が飛来してきますが、本当に価値のある”情報”というのは何処で生まれるのでしょうか。

雑誌『日経ビジネス』の最新号(2009.4.6)のインタビューで社会学者の上野千鶴子さんもおっしゃっていたように、”情報社会の中では、ある情報のシステムと別の情報システムの間との落差からしか新しい情報は発生しない”。つまり、情報差のある場所(=例えば文化が違ったり、価値観が違ったりするところに)でのみ情報が生まれるということなんですね。ちなみに上野さんは、だからこそ、「100%組織にコミットしている男性より、半身で関わっている女性の方が情報生産性が高い」と(さすが...)。なので、さまざまな基盤をベースに出来上がった異なる情報システムの間で、情報を認識したり収集したりするためには、やはりコミュニケーション能力が必要になるんじゃないでしょうか。

さらに、音楽のデジタル化が進めば進むほど、アナログ盤の音の”味”や”雰囲気”が相対的に際立ってきますし、Eメールをやり取りする端末が進化すればするほど、”手紙”の価値が上がります。このような振れ幅の大きさも情報の格差といえるのではないでしょうか。もちろん個人の趣味やライフスタイルの多様化によって、人と人の情報格差(上下ではない)も広がると思いますので、直接会うというコミュニケーションから生まれる情報の重要性も増すでしょう。その時に、実際に肉体的に対面する必要があるのか、立体映像のようなメディアでやり取りすることで同じような価値が得られるのか、10年後、20年後も言語がコミュニケーションの核となりうるのか、それはわかりませんが、これからの”新しい価値”や”面白いこと”は、多様性に価値を見出し、受容する”場”にさまざまな人が集まり、”コミュニケーション”によって情報の磁場が発生したところから生まれるのではないでしょうか。

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『コミュニケーション考』(No.374/2009.04.17)

私は、ライターからWeb製作、専門学校講師、イベント企画・運営、などなど、ほとんど”何でも屋”的にいろんな仕事に関わらせていただいているのですが、最近、自分がお声がけいただく仕事の中に、なんとなく共通点が見えてきてました。それは、どれも”コミュニケーション業”とでもいうべき性質を備えているということです。
もちろん、私がコミュニケーション能力に長けているからということではなく、むしろ、下手だからこそ、コミュニケーションの必要性を重要視しているだけだと思いますが、では、そもそもコミュニケーションというものが、近年なぜ、独立して一つのスキルがごとく、手法がごとく、注目されたり語られたりするのかということをちょっと考えてみました。
大げさなイントロですが、たぶんに備忘録的なところもありますので、気軽にお付き合いいただければと思います。(^^;

まず、ざっくりとですが、現代とそれ以前、つまりこれほどまでにコミュニティが分裂し、メディアが発達した時代とそれ以前という風に分けるとすると(ちょっと乱暴な言い方をすれば、インターネットの出現前と後でしょうか)、”それ以前”の場合は、コミュニケーションの手段がまだまだシンプルであり、なおかつ五感を使ったコミュニケーションが主となる生活環境や社会状況があり、ヒトはその能力を幼いころから自然に磨いていたのではないかと。なので、ある段階、世代に達すると、基本的なコミュニケーション能力が身に付いており、なおかつ、自分が生きているコミュニティでは、基本的な常識というものがちゃんと共有されていて、コミュニケーションが足りなかったり間違っていたりすることから起こるトラブルも少なかった。

特に日本のように村社会だとか、そうでなくてもメディアがシンプルで、コミュニティがちゃんと機能している状況を、ある種”閉じられた世界”と考えると、その中では、文化や価値観にさほどの違いがなく、情報は早かれ遅かれみんなで共有できたわけです。なので、そこでは、「以下に早く情報を得るか」ということが重要だった。”早い情報”に価値があったということですね。

それが、メディアが発達して、インターネットなどで外の世界の情報も簡単に入手することができるようになると、情報の早さにあまり意味がなくなり、さらに情報量が増えることによって、情報が複雑化し、情報を字面だけで判断したり、一方通行の情報を鵜呑みにしたりすることにリスクが生じるようになりました。早い情報→「9・11=イスラム怖い」というようなことですね。本当はその間にさまざまな情報や事実が横たわっているにもかかわらず、それを無視して判断・認識するということです。

今までのように、メディアやルールが、人々の間である程度ちゃんと共有されているならまだしも、そうでない状況下では、メディア・リテラシーのような情報を読み解く力が必要になってきます。
情報を読み解くには、目や耳から入ったテキスト、音、映像などのインプットをしっかり租借し、自分なりに再構築してアウトプットする必要があります。つまり、情報が空気のように溢れている時代、”正しい情報”を得るためにコミュニケーション能力が重要になってきたと。

しかし、コミュニケーションが必要とされる場面が少なくとももうひとつあると思います。
ちょっと次回に続きます。


『落語三昧』(No.373/2009.04.10)

先週、40歳を越えて2回目の誕生日を迎えました。いやあ早いもんです。『サスペリア』見てトラウマ思い出している場合じゃないですね(笑)。
...でもって、お誕生日プレゼントとして念願の五代目柳家小さん師匠の10枚組みDVDボックスをゲットしました。嬉しすぎます。楽しすぎます。欲を言えば「時そば」「親子酒」が入っていないのが残念ですが、これだけたっぷり見られれば大満足っ。

さすがに10枚組みともなると特典映像もいくつか付いていて、面白かったのは「柳家小さん百面相」。お昼のテレビ番組で小さん師匠が手ぬぐいなどの布を使い、いろんな人や生き物の物真似をした際の映像なんですが、人間国宝にまでなった人が、こんなことやってたのか!と驚きました。いえ、物真似が駄目と言うことではないのですが、落語と比べるとそのベタな感じがちょっともったいなく感じたんです。
しかしながら、最後には生きた蛸が茹でられる様を真似るのですが、師匠はここで「瞳にご注目っ」と言います。なるほど、頬かむりしているので表情を表すことができるのは”目”のみ。これがまた面白い。小さん師匠は顔の表情が特徴だと思っていましたが、中でも目が重要だったんだなあと再認識。
さらにこの「何をやってでも笑わせてやる」的なオーラからは、「心邪なる者は噺家になるべからず」という師匠の教えを守り通した、一人の芸人のエンターテイナーとしての魂に触れた気がしました。

小さん師匠というと蕎麦をすする描写が有名ですが、個人的に好きなのはお酒を飲む場面。これ見ると絶対飲みたくなります。それも熱燗とかね。ということで、今宵は師匠と一緒に一杯やらせていただきます。

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『キェシロフスキ・プリズム』(No.372/2009.04.03)

『ふたりのベロニカ』や『デカローグ』『トリコロール』三部作など、映画史に残る傑作を遺し、1996年に54歳という若さで急逝したポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督。その巨匠の軌跡をたどる特集上映『キェシロフスキ・プリズム』が6月20日(土)より渋谷ユーロスペース他全国の映画館にて順次公開されます。

”日本で鑑賞可能なキェシロフスキ作品をすべて上映する”というコンセプトのもと、『地下道』や『初恋』をはじめとする日本未公開作品や、生前の監督の声や映像、関係者の証言などを重ね合わせて、キェシロフスキの軌跡をたどる本新作ドキュメンタリー『スティル・アライヴ』など、非常に貴重なラインナップとなっています。すごい...。
特にヨーロッパで絶大な人気を誇るキェシロフスキ監督、ドキュメンタリータッチの手法を好み、女性の、人間の、愛と真実をリアルに描き続けた人でした。『トリコロール』製作後、映画監督の引退を表明。そして1995年に映画監督復帰宣言。ダンテの『神曲』をモチーフにした三部作の脚本に取り掛かっていた最中に心臓発作にて死去。残念です。

全ての作品を見たわけではありませんが、個人的にはやはり世界的なヒットとなり、監督を巨匠に押し上げた『ふたりのベロニカ』(1991)が最も印象に残っています。キェシロフスキ監督の作品を観ると、人間にとって”人生”とは”物語”であり、”物語”とは”運命”であるということを考えさせられるんですよね。で、それは時に決して降ろせない荷物となり、時に先を照らす道しるべとなる。

今現在の、ユーロスペースの上映スケジュールでは、6月20日から7月17日までが予定されていますね。何年か前にやはり渋谷でキェシロフスキ監督の作品がまとめて上映された企画があったのですが、その時はほとんど観られませんでした。リベンジしたいっ。

・キェシロフスキ・プリズム:http://www.kieslowski-prism.com/


『土門拳の昭和』(No.371/2009.03.27)

ちょっと前の話題で恐縮ですが、今月の8日まで日本橋三越で開催されていた写真展『土門拳の昭和』を見ました。
さすが”生誕100年記念展”というだけあって、会場は「戦中・戦後の仕事」「戦後日本の歩みとともに」「風貌」「日本の美」の4つのテーマから成り、初期の社会派作品から古寺を始めとする日本の伝統の美を撮った晩年の作品まで、土門拳の歴史を一望できるラインナップ。平日の午前中だったにもかかわらず、お客さんもたくさん入っていました。途中の映像コーナーも毎回ほぼ満席。 

会場内のインタビュー映像だったか、何かの雑誌だったか、土門拳自身が「ポートレート作品の中で誰が好きか」と聞かれ、「志賀直哉」と答えていた記憶があります。実際、同氏のポートレートも展示されていましたが、日本人らしい静謐さと芯の強さを兼ね備えた素晴らしい表情でした。表情と言えば、「筑豊の子どもたち」のるみえちゃんの切なさも強烈。久しぶりに写真で泣きました。人物のポートレートでは、志賀直哉はもちろん、三島由紀夫も圧倒的。三島由紀夫自身が構図を指示したんじゃないかと思わせる存在感。いや、実際のところは知りませんが。カタログの中にある土門拳のエッセイによると。「気力は眼に出る。生活は顔色に出る」とのこと。すべては顔に出る、ということなんでしょうね。
他にも戦争、沖縄、羽田、職人、古美術など、さまざまなレイヤーが織り成すこの展覧会が提示する世界は、”昭和”ではなく、”日本”そのものでした。それが”古きよき”という文脈で語られる過去のものなのか、今でも私達の体の中に脈々と受け継がれているものなのか、それはわかりません。しかしながら、現代日本の礎とでも言うべきルーツが確実に垣間見れた展覧会でした。

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『E620発売』(No.370/2009.03.20)

ちょうど本日発売開始のオリンパスのデジタル一眼レフカメラ『E620』、非常に気になっています。一眼レフカメラとしては小型軽量ながら、仕事用にはもちろん、日常的に使うにも面白そうな機能が満載で、なかなかバランスがいい機種だと思います。すぐにでも買いたいですね。お金に余裕があれば...の話ですが(笑)。

このカメラでちょっと話題になっているのがカタログ。この手のPR用カタログと言えば、大体が外人の女性モデルを使い、ファッション性の高い内容になっているか、そうでなければ、この世のものと思えないほどの広大な自然の風景などが掲載されているのが世の常。ところがE620では、主人公はイラストレーターのリリー・フランキーさんと女優の宮崎あおいさん。二人がモデルとなって、親子とも何とも言い難い不思議な距離感でフレームに収まり、なおかつ物語性の高い演出で、ミニシアター系の映画のような世界観が構築されています。
”写真”や”デジタルカメラ”というキーワードの向こうに、ちゃんとヒトの生活が見えているところがうまい。おそらく、私たちにとって、カメラは非日常を記録するためのものだけでは無くなったということでしょうか。

カタログは以下のWebからもダウンロードしてご覧いただけますし、同Webにリンクされている特別サイトには、静止画と音楽を組み合わせたスペシャルムービーもあります。

最近は小説や俳優業などメディアを問わずさまざまな分野で活躍されているリリー・フランキーさんですが、このCMでも、いい意味で怪しい雰囲気をかもし出しています。父親のようであり、兄貴のようであり、単なる”男”のようであり。素敵です。ちなみに、個人的にはリリー・フランキーさんと言えば、未だに、”当時毎月買っていた音楽雑誌『クロスビート』で連載していたコラムの原稿を落としまくっていた人”、です(笑)。いや、あれはあれですごかった。

・オリンパス『E-620』:http://olympus-imaging.jp/product/dslr/e620/


『ノー・ライン』(No.369/2009.03.13)

今もなお、歴史を作り続けているロックバンド・U2の4年半ぶり、12枚目のスタジオ・アルバム『No Line On The Horizon』がリリースされました。
まず印象的なのがそのアルバム・カヴァー。画面中央を左右に横切る水平線と思しき風景写真のみのシンプルさ。さらにグレートーンがストイックさを感じさせるこのジャケット、日本人写真家の杉本博司の連作「Seascapes」(海景)のひとつとのこと。そりゃいいはずです。

プロデュースはブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワ、さらにスティーヴ・リリーホワイトと、最強の布陣。しかも、最初はリック・ルービンをプロデューサーに迎えて制作が開始されたものの、それらの楽曲は全てお蔵入りさせ、新たに作り直したとの事。気合入ってます。リック・ルービンのプロデュース作も聴いてみたいけど(笑)。

とあるインタビューで、ファースト・シングルの「Get On Your Boots」についてギタリストのエッジが、「これ以上ないシンプルなギターってだけでなく、パンク・ロック・コードだ。ラモーンズやバズコックスへの回帰だ」と答えていました。確かに本作は全体的にロックを感じさせるかも。しかしながら、あいかわらず、クールな部分とウェットな部分のバランスが絶妙。常に既存のファンを満足させつつ進化を遂げる”U2マジック”は今回も健在。素晴らしい内容です。

ますます政治性を強めていくボノにとっては、世界の境界線はジャケット写真のようになくなるべきものなのかもしれませんが、貧富の差を始め、あらゆる格差は広がる一方です。そんな時代に産み落とされた、攻撃的な音とポジティブな歌詞に溢れたアルバム。U2の凄みが伝わってくる作品です。

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『手品の未来』(No.368/2009.03.06)

うちのギャラリー(世田谷233)をスタジオにして毎週木曜日の19:30から生放送を行っている『世田谷Webテレビ』という番組があるのですが、先日の放送は、マジシャン・堀内大助君の番組『MC Night』でした。で、ゲストも大久保康平さんというマジシャン。それぞれが披露してくださるマジックが楽しかったのはもちろん、二人による対談『マジックに未来はあるのか?』もなかなか見所でした。

ゲストの大久保さんはパソコンを駆使したマジックを得意とされていて、”現象”を見せるマジックは将来成り立たなくなるのではないかと言うのが持論。一方、堀内君の方は、現在大学生でプロを目指しているという立場もあってか、”マジックの未来は明るい”と言う論調。時間的にも20分ぐらいですから、さほど深い結論を出すには至らないのですが、いろいろ考えさせえられる内容でした。

あらゆる技術や現象が科学によって誰でも簡単に行えるようになる、という仮定が脅かすのは何もマジックだけではありません。映画でもCGがもっと進化すれば俳優は要らないんじゃないか、というのはよく聞く話。この理論、おおむねその通りなんでしょうね。やがて誰でも何も練習しなくても、スイッチひとつでものすごいマジックが出来るようなソフトウェアやハードウェアが登場するでしょうし、他にも東京の空にオーロラが出現したり、自分の顔や形を自由に変えられたりするようになるかもしれません。もはや見たことの無いものや体験したことの無い事などはなくなってしまう可能性もあります。その時、ヒトは一体何に感動するのでしょうか、いえ、そもそも感動すると言う感情が残っているでしょうか。

私は、それでもヒトは感動すると思います。それはふと見上げた空に浮かんだ雲の形にかもしれません。好意を寄せる相手から、待ち望んだ返事をもらったときかもしれません。何気なく気に留めた一枚の写真かもしれません。その瞬間の心の動きはきっと科学では解明できないでしょう。なぜなら感動するのはたんぱく質でもニューロンでもなく、”心”だと思うからです。もちろん”心”の解明も進んでいます。では、そもそも、どうしようもなく落ち込んだ時に、親友が投げかけてくれる励ましの言葉に涙する時、その成り立ちの説明にどんな意味があるでしょうか。
そう考えると、むしろ私たちを感動させてくれるものは無限にあるし、これからも増えて行くと言えると思いますし、マジックの未来を熱く語る二人のトーク、なぜか頼もしく聞こえました。ご興味のある方は以下のサイトからご覧下さい。登録など必要ありませんし、すべて無料です。

・世田谷Webテレビ(2009年02月26日放送分)
http://233.fiw-web.net/webtv/


『オリジン』(No.367/2009.02.27)

映画やテレビをVHSに録画して見ていた世代としては、デジタルデータの”コピーを繰り返してもクオリティが劣化しない”ところに魅力を感じます。所有権や著作権のことなど、いろいろ考えなければならないことはありますが、そういうことを抜きにすれば、メディアやハードウェアが変化しても、都度、データをコピーして最初のままの状態で保存できると言うのは嬉しいものです。

ただ、コピーすることによって全く劣化しないかというと、場合によってはそうでもないようですね。デジタルデータではありませんが、男性のY染色体なんかは、1億7千万年前からコピー(&ペースト)を繰り返していて、現在に至るまでに”次第に断片化して崩壊し始めている”と言う説もあるそうです。まあ、そこまでスケールを広げなくても、あらゆるものがデジタルデータ化する今の時代だからこそ”オリジナル”の大切さをあらためて実感します。

例えば、親子何代にもわたって商売を続けているような伝統のあるお店。特に商業ベースでは、時代の中で生き抜くために変化を余儀なくされます。そこでうまく生き残れるかどうかは、創業者の”想い”がどれだけ正確に継承されているかと言うことが非常に大事なんじゃないでしょうか。時代に合わせて変化する際に、創業時の思想を知っているかどうかで、時代との距離のとり方、ブレ幅などが違ってくる気がします。オリジナルの思想を知らない子孫が思い切って勝負に出て大失敗するとかね。長きにわたって時代を生き抜くと言うことは、結局”うまく変化する”と言うことなのかもしれません。その道のプロフェッショナルの方にお話を聞くと、業種を問わず、みなさん口をそろえたように”死ぬまで勉強”というような意味のことをおっしゃるのは、その道を極めるためには終わりのない努力が必要であるということだけでなく、”プロ”として続けて行くためには、時代に合わせて絶えず変化=進化していくことが必要だからなのではないでしょうか。

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『パイパー』(No.366/2009.02.20)

野田地図(NODAMAP)第14回公演『パイパー』を観ました。
今回は今、ノリにノッているダンス・カンパニー『コンドルズ』を率いての舞台ということで、これは必見でしょう。主演の松たか子・宮沢りえコンビはさておき、橋爪功さんが久しぶりの登場ということでこれも期待値大。

設定は1000年後の火星。その世界を懸命に生きる姉妹、ダイモスとフォボスとその父親ワタナベ。かつて人類の憧れであり、希望の星だった火星はすっかり変貌し、荒廃してしまった。一体火星に何が起こったのか?という物語。

今回はコンドルズを始め、50人によるアンサンブルもあり、人、というか群集の存在を感じました。決して群集心理を描きたかったわけではないと思いますが、人間のために開発された「パイパー」(生物?機械?)がまさにハーメルンの笛吹き(=パイパー)のように、今度は人間たちを先導していく様子が恐ろしくもあり、滑稽でもあり。相変わらずキャスティングもインパクトがありますが、中でも松たか子さん(舞台は初めて拝見しましたが驚きました)と橋爪功さんの存在が圧倒的。パイパー値という数値による幸せの目標化。宇宙規模のグローバル化の功罪。それでも人間が生きるための業。舞台に盛り込まれたさまざまなテーマがいろんな事を想起させます。ある意味わかりやすく、ある意味深い。

しかしながら、野田地図でも、夢の遊眠社でも、時折得られる、とにかく両肩を持って立っていられなくなるほど激しく揺さぶられるような、感情の振幅を感じるまでには至らず。言葉遊びにしても、動きにしても少しおとなしく感じてしまいました。それでもチケット代(S席9,500円)分のカタルシスは得られたと思いますが。

劇中、”希望も絶望も絵空事”というセリフが何度か登場します。それでも、最後にあえてベタなほどのハッピーエンドを用意したのは、やはり野田氏自身、今の時代に絶望を抱いているということなのでしょうか。おそらく、どんな絶望の中にも希望はあるでしょう。人間が想うところに希望は存在するからです。しかし、希望の先にあるものは...。

・『NODA・MAP第14回公演 パイパー』
http://www.nodamap.com/en/piper/


『20世紀のはじまり』(No.365/2009.02.13)

渋谷にある東急Bunkamuraザ・ミュージアムさんの、もっと美術館を楽しもう、という企画『ミュージアム・ギャザリング』にライターとして参加させていただいています。先日、最新記事がアップされたのですが、今回は、今開催中の『ピカソとクレーの生きた時代』展を、ミュージシャンの坂本美雨さんにご覧いただいてみんなで雑談するという内容。
坂本美雨さんは坂本龍一さんがお父さん、矢野顕子さんがお母さんという、私のようなYMO世代にとって奇跡の存在(?)なのですが、まあそれはさておき、美雨さんが、個別の作家の作品に感銘を受けながらも、それぞれの作家が時代(ここでは主に戦争)によってつながり、交流し、そしてまたあらためて時代と対峙するという、そのプロセスに言及されたことに、個人的に非常に心打たれました。

私は”多様性”=豊かさであるという考え方に基づき、現代社会の中でいかにして、ある種の”八方美人”を成立させるかということに興味がありますし、そのために何かしらの行動が出来ればと考えているのですが、そこでは逆に”何を”、”どうやって”、”共有”するか、ということが重要になってきます。
”多様”であるということは、個人が個人として存在できるということです。そのためには他者との関係性や距離の取り方をそれぞれに考えなければなりません。そこでベースになるのは相手に対する信頼感。そして信頼は理解から生まれます。そのためには、一緒に共感できる”何か”が必要となります。
今、もしくはこれから、人々に求められるのは、音楽なのか、食べ物なのか、アートなのか、場所なのか、システムなのか、政治なのか、スポーツなのか、宗教なのか...。20世紀の始めにアーティストたちが生きた時代、立ちはだかったもの。後からボディブローのように効いて来る展覧会であり、ギャザリングの取材でした。

・『ミュージアム・ギャザリング』:http://www.bunkamura.co.jp/gathering/

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『ロック誕生』(No.364/2009.02.06)

東京・下高井戸シネマで『ロック誕生』というドキュメンタリー映画を見ました。日本のロックを語る上での最重要人物・内田裕也氏をはじめ、70年代に活躍していたさまざまなロック・ミュージシャンのインタビューやライブシーンが登場するのですが、これが貴重な映像の連続で刺激的でした。ほとんどの登場人物が20代前半というのもすごい。
内田氏がフォーク・ミュージックに対して毒を吐く場面がホント面白かった。会場もおおウケでした。いや、個人的にはフォーク大好きです。日本の音楽、と言う意味では、ロックよりフォークの方がよく聴いたと思います。これは、音楽性の善し悪しではなく、”姿勢”かどうかという点でロックとフォークは異なるんですね。
逆に言うと、今の時代に、反体制として、もしくは何かへのアンチとしてのロックが存在するかどうかについて考えさせられました。いや、ロックと言うカテゴライズはもう無意味だし、”音楽”そのものが社会に対して何かしらの影響を与えることが出来るのか、虐げられたものたちの武器となりうるのか、それすらも危うい時代になってきた気がします。

ちなみに、先週、三軒茶屋の交差点で信号待ちをしていると、道路を挟んで向こう側にシーナ&ロケッツの鮎川誠さんを偶然見つけました。鮎川さんにはうちのギャラリーをスタジオにして放送している『世田谷Webテレビ』に二度ほどご出演いただいたことがあるのですが、とにかく、ファッション、発言、態度すべてがロックしていてかっこよかった。で、交差点の向こう側の鮎川さんは、自転車に乗って、カゴにはスーパーで買った買い物袋が載っていましたが、それでもやっぱりかっこよかった。サングラスも決まっていたし、オーラも違った。時代が変わっても、本物のロック・ミュージシャンは、そして彼らが放出するロックのエネルギーはその輝きを失っていない、はず。

・『ロック誕生』公式サイト:http://www.rock-tanjo.jp/


『死の実験』(No.363/2009.01.30)

NHK総合チャンネルで放送されている『ようこそ先輩』。結構好きな番組でたまに見るのですが、今週のゲストは芥川賞作家で、作詞・作曲などさまざまな分野で活躍されている新井満氏。最近では「千の風になって」の翻訳・作曲で脚光を浴びました。その新井氏が母校の新潟市立・寄居中学校の生徒たちに対して用意したテーマは”死の実験と生きる役割”。

授業はまず”死の実験”から。内容は、自分にとって大切な人や物を画用紙に描きます。そして、それをみんなの前で燃やすのです。死ぬということがどういうことなのか、どんなに多くの言葉をもってしても絶対に伝わらない。新井氏は、いろいろ考えた結果、死ぬということは大切な人や物と別れることなんじゃないかという答えにたどり着き、そこからこの実験を思いついたそうです。
そして、自身が幼少の頃から病弱で、常に憂鬱を抱えていたこと。1964年の新潟地震によって家が倒れ、地が裂けた時、死の恐怖を身近に感じながら、それでも生きている自分に気づき、踊りだしたくなるような気分になり、その瞬間、憂うつが消えたことを語りました。

ここまで見て、ふと私が抱えているジレンマを思い出しました。私自身、大きな病気と事故に一度ずつ遭い、生死の境を彷徨ったことがあります。ゆえに、”今、生きている”ということに対して、そういう経験がない人よりも、その重要さをより認識して生きている気がします。しかし、それに気づくことが果たして意味のあることなのか無いことなのか。個人的には、もう一度経験したいとは微塵も思いませんし、ああいう目に遭って良かったかというと、返事に困ります。
番組では、死の実験の後に、自分が生きる役割を認識するという課題があり、全体を通しては、意義深いものになっていましたが、何か大きな鉛を飲み込んだような違和感は残りました。死のリアリティや生きる意味について問題提起したり、気づきを促したりすることは、現代におけるアートの大きな役割のひとつであると思います。そう考えると、自分が仕事として多少なりともアートの分野に関わっていること自体には意味があり、それは死のリアリティを感じた結果かもしれません。しかしながら、それはパンドラの箱のようなものではないか、常にその感覚が私からは離れません。いずれにしても、いつもいろんなことを考えさせられる、面白い番組だと思います。

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『CHANGE』(No.362/2009.01.23)

米民主党のバラク・オバマ前上院議員が20日の正午、ワシントンの連邦議会議事堂前での就任式で宣誓し、第44代大統領に就任しました。米国史上初のアフリカ系の大統領が誕生したわけです。
まさに歴史的瞬間、ですね。そして、その演説も素晴らしいものでした。
あまりにも厳しい現実を前に、やおら期待感をあおるわけではなく、かといって我慢のみを強いるでもなく、絶妙のバランスだったと思います。もちろん、それでもこの不況に対して全国民を挙げて立ち向かわなければならないと言う危機感をちゃんと認識させました。そういう意味では、どちらかというとクールな演説だったかもしれません。しかしながら、もうアメリカの錬金術(ではなかったわけですが)が通用しないことが世界中に露呈した今、アメだけを与えていては真の改革はないということ。これはハッキリしています。そして、この事実を共有するところからアメリカの再生が始まるのだと思います。

いろんな人や企業と仕事をさせていただきますが、先方が本当に危機感を持っていらっしゃる場合とそうでない場合とでは、プロセスも結果も全然違ってきます。やはりしっかりと危機感を持っていらっしゃる人(ないしは企業)は本気度が違いますので、そういう方とのお仕事は良い結果につながることが多いです。もちろん、ここでいう”危機感”とは、単純に”今がやばいという現状認識”だけでなく、”現状に満足せず、将来を見据えての長期戦略的思考”と言う意味も含みます。

アメリカの力が弱まったとは言え、今後の世界経済の復興にあたり、アメリカの経済政策が大きく影響するのは間違いありません。就任式の日、金融市場は逆の反応を示したようですが、今後のオバマ氏にぜひがんばっていただきたいものです。さてさて、わが国の首相はどれほどの危機感を持っていらっしゃるのでしょうか...。


『ピカソとクレー』(No.361/2009.01.16)

東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、『ピカソとクレーの生きた時代』展を観ました。
今回の展覧会では、ヨーロッパ屈指のコレクションを有すると言われている、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が所蔵する西欧近代美術のコレクションが公開されています。ちょうど同美術館が改修工事を行う時期にあわせての開催らしく、だからこそ普段では難しいピカソやクレーを中心とした貴重な作品を日本に貸し出すことが出来たとのこと。確かにピカソの大きな作品2点は圧巻でした...。
しかしながら、本展覧会の見所はこの二人の作品だけではなく、他にもミロ、マティス、シャガール、マグリットなど日本人にもお馴染みの人気のある作家の作品がずらりと並んでいるところ。特にシュールレアリスム関連は非常に充実していた気がします。個人的にはマグリットの《とてつもない日々》という作品が最も印象に残りました。

そして、やはり個別の作品の魅力はもちろん、全体を通して、20世紀初頭の芸術家たちがキャンバスにぶつけた情熱やエネルギーが塊となって伝わってくるところが素晴らしい。人間の感情の噴出によって創作されるアートは、決して社会から乖離するのではなく、むしろ時代を形成する礎となるのだと言うことを思い知らされます。
戦争と言うネガティブなキーワードがベースにあり、重い作品も多いのですが、見終わった後にどこかポジティブなチカラをもらえる展示でした。3月22日まで開催中。ぜひ。

・『ピカソとクレーの生きた時代』
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_k20/

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『80年代の憂鬱』(No.360/2009.01.09)

最近、仕事で渋谷に行くことが多く、結構ハードな内容をこなした日には、ふらふら〜っとHMVに行ってしまいます。で、年明け早々、足を運んだのですが、そこでハマってしまいました...。

まず、ロックのコーナーにたどり着いて数分、いきなりスミスのベスト盤を発見してしまいました。しかも2枚組み。スミスに関しては自分でも何を持っていて何を持っていないのかよく分からないのですが、このベスト盤は1枚目こそよくある選曲ながら、2枚目のCDにはレア・トラックがびっしり。とりあえずこれは買おうと。せっかくだから日本盤を。

そしてそのスミスのあった棚には、まさかまさかの23スキドゥの1982年の名盤「アーバン・ガムラン」のリマスター盤が。しかも紙ジャケ。このアルバムは生涯のベスト3に入るアイテム。ある意味、オルタナティブ(当時まだこの言葉はほとんど使われていませんでしたが)なものを好む趣味はここから始まったと言っても過言ではありません。ボーナストラックも4曲。これも買い。
で、さらさらに、同じ棚にあったのが80年代にジョイ・ディビジョンと並ぶカリスマ性を発揮していたア・サーティン・レシオの新譜「Mind Made Up」。1997年の「Change The Station」以来、実に11年ぶりのリリース。コールド・ファンクと呼ばれたそのクールで無機質で熱い音は健在。素晴らしい。

80年代ブームって今でも続いているんですねえ。不景気の時代だからこそ、サブ・カルチャーの持つある種の”軽さ”もしくは”明るさ”みたいなものがウケるのでしょうか。それにしても、2009年一発目のCDの買い物がこれとは、嬉しいようなちょっと寂しいような。何か自分が成長していないような気がして...(笑)。この棚をディスプレイした人の思うつぼだなあ。でも良いものは良い。オススメです。


『2009年の幕開け』(No.359/2009.01.02)

あけましておめでとうございます。2009年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年末は何かと暗いニュースが多かったですね。”景気の悪化”や”派遣切り”というような言葉を、毎日いろんなメディアで目にしていた気がします。個人的にも商売を営んでおりますので、景気の動向は気にしておりますし、実際に景気の動向が商売に影響を及ぼすこともあります。しかしながら、昨今のマス・メディアがネガティブな単語を乱発する様子はどう考えても”やりすぎ”ですよね。
一言に”景気”と言ってもさまざまな指標がありますし、ありとあらゆる分野や業種が同時に停滞すると言うことはありません。確かに、労働力の流動性が高まったことによる雇用の不安定な状況はあるでしょう。サブ・プラムローンが引き起こした金融不安もあるでしょう。それでも、世の中にはいろんな知恵があふれているし、やる気を維持している人々もたくさんいます。

まあ、株式市場なんかは、バブル絶頂の1990年以来、18年ぶりに個人投資家の株式の年間買い越しが確定したそうで、歴史的な株安をチャンスと捉えた人が多かったと言うことでしょうから、マスメディアの報道などから一歩引いたところで客観視できる方も多いということなんだと思いますが。それとも予想以上にマスメディアの信頼が失墜しているのかも...。いずれにしても、今どういう状況かと言うことを、やたら声高に繰り返すよりも、今後どうすべきかをちゃんと考える方が大事ですよね。

2009年は、政治も経済も、いろんな意味で波乱の幕開けのような気もしますが、とりあえず個人的にはコツコツとまたメルマガを続けることから始めていきたいと思います。ということで、今年もよろしくお願いします。

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