管理人によるコラムです。
・基本的にはメールマガジンに掲載しているコラムより抜粋したものですが、 それ以外にも管理人が感じたことや思ったことを適宜書き下ろしています。基本的に不定期更新です。

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『顔の見える本』(No.332/2008.06.27)

相変わらず「雑誌が売れない」という言葉をよく聞きます。出版科学研究所の調べによると、2007年の雑誌実売金額は1兆1827億円で、最盛期の1997年に比べると約3800億円もダウンしているそうです。
まあ、昨今のフリーペーパー・ブームだけを見ても、有料の雑誌や情報誌が苦戦しているであろうことは想像に難くないですが。

昔、うちのギャラリーについて、とある情報誌の取材を受けた際、思ったことがあります。その時の先方担当者は掲載される情報誌の社員の方ではなく、フリーランスの女性のライターさんでした。出版社からの委託を受け、実際に取材を行い原稿を作成している方です。で、このライターさんが、今まで見たことの無い”自分の言葉”で原稿を書く方でした。私もライター業をやっていますが、どちらかというと自分らしい言葉使いや言い回しはあまり必要のないビジネス関連の媒体向けが多く、その方の個性あふれる文章によって構成された記事を読んだときは結構衝撃的でした。そのライターさんは、その時の雑誌では、うちを取材したコーナーしか担当していませんでしたが、もし、こういうライターさんだけを集めたり、もしくはそのライターさんがすべてを監修して雑誌を作ったら、かなり面白いモノが出来るんじゃないかと思ったのです。もちろん、その方の魅力は文章だけでなく、外見、キャラクター、取材の姿勢、どれもオリジナルであったわけですが。

ひょっとしたら、雑誌が売れない理由のひとつにはその雑誌を作っている人の顔が見えなくなってしまったこともあるのかもしれません。顔を見せるというのはリスクでもありますからね。その人の個性や技量がそのまま問われるわけですし、読む人も選んでしまいますから。
最近は、個人やグループが自らの手で本を作り、大手の流通ルートを介さずに販売を行う「リトルプレス」が人気になっていたり、雑誌などの編集長経験者や名物編集者が”本”や”紙媒体”について書いた書籍もよく見受けられたりします。

あらゆるメディアがインタラクティブな方向を目指し、安易にオーディエンスや素人さんを取り込んでいく時代の中で、誰が何をどう書いているのか、出版する側の顔が、今また求められているのかもしれません。

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『ロードショー休刊』(N1/2008.08.29)


『秋葉原の孤独』(No.331/2008.06.20)

東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件。連日メディアで放送されており、事件に関する報道を目にする度にいたたまれない気持ちになります。
ギャラリーをやっている関係もあって、逮捕された加藤容疑者の年齢と同じ25歳前後の人たちと話をする機会が多いのですが、とりあえず、みんなこの事件に関し、また加藤容疑者に対し、同じ年代であることに動揺し、彼の行動や思考を理解できないと語るところに安堵感を覚えます。
ただ、それは逆に、容疑者のような孤独を抱える人は年齢や世代に関係なく存在するであろうということを想起させ、それはそれでまた不安の材料となるのですが。

一時期、友人に「死にたい」と繰り返しもらしていたという加藤容疑者。
僧侶で作家の玄侑宗久さんは、以前とある新聞上で「なぜ人を殺すことがいけないのか」という問いを発すること自体、論理的な知に絡めとられている、とおっしゃっていました。つまり、”命”の連続性が感じられれば、他人を殺すことは自分を殺すこと、自分を殺すことは他人を殺すことということが当然理解できるはずだと。
確かにこの”命”の輪が想像できれば、社会や親などに対する大きな不満があっても、誰かを”殺す”という行為にはなかなか至らないのではないかと思います。
そこが分断されているから、すぐに自分を殺すことを考えるし、それが嫌な場合は他人を殺すことにつながるのかもしれません。昨今の殺人事件の容疑者がよく口にする「(殺す相手は)誰でもよかった」という発言も、まさに命が個々に分断されていると考えるからこそではないでしょうか。まったく自分と関係ないものだからこそ扱いも軽くなると。

”秋葉原”や”掲示板”というようなキーワードから、すぐにインターネットを敵視するのはどうかと思いますが、ネットや携帯端末の出現により、コミュニケーションの細分化が進んでしまった部分は否定できません。リアルとネットは相互補完が可能なのか、それともコミュニケーション能力の格差を広げるだけなのか。やはりもう一度このインフラをしっかり考える必要があるのではないかと思います。

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『雨男』(No.330/2008.06.13)

今年は5月から雨が多かったですが、本格的に梅雨の季節となりました。
よく「晴れ男」「雨男」などと言いますね。野外で行うイベントなんかに、その人が顔を出すと”晴れる”とか”雨が降る”とか。私はどちらかというと「雨が降る確立が多い男」だと思います。世間で自分のことを”「雨男」”と言う人、もしくは”「晴れ男」と言わない人”には共通点があるのではないでしょうか。おそらく”雨が好き”なんじゃないかと思います。
個人的には、雨がもたらすしっとりとした静かな空気感に、そこはかとない”間”を感じます。適度な量の雨が降る日にテンションが上がってくると、傘をさして一生懸命ぬれないようにしている人々の姿が滑稽にさえ映ります。
雨にぬれるという自然で素直は行為には、原始的なカタルシスを得る効果がある、と何かで読んだ記憶があります。真意の程はさておき、何となく説得力がありますね。

ちなみに、映画では”雨”が印象的な作品がたくさんあります。
いわずと知れた『雨に唄えば』(1952)を始め、『七人の侍』(1954)の最後の決戦シーン、『セブン』(1995)の追跡シーン、『ブレードランナー』(1982)のラストシーンなどなど。『マトリックス レボリューションズ 』(2003)でも、ネオとスミスの最終決戦はどしゃ降りの中でした。

映画ではありませんが、20年ほど前でしょうか。ホンダのプレリュードという車だったと思いますが、ほとんどが雨のシーンという衝撃的なCMがありました。冷たさを感じさせる雨が車に艶を与えていたのが印象的で、今でも覚えています。
マンガでは、中崎タツヤ氏の『じみへん』の中で、ピクニックの当日を大雨で迎えた家族の話があるのですが、幼い頃に雨で遠足が中止になった経験をトラウマに抱える父親は断固決行します。もちろん子供も大喜び。で、親子3人はどしゃ降りの中を突き進むという...。ちょっと気持ちはわかります(笑)。実際、大雨の日にそんな家族を見かけたらドン引きしてしまうと思いますが...。

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『野球の話』(No.329/2008.06.06)

野球に関して、若い頃は中日ドラゴンズの試合結果に一喜一憂する時期があったものの、ここ数年はメジャーに行った選手の成績を気にする程度の興味しかなかったのですが、最近、続けて二冊、野球の本を読みました。
といってもかなりの変化球で、一冊は現・楽天監督の野村克也氏の『野村ノート』(小学館)と、アメリカ文学研究者で翻訳家の柴田元幸氏・責任編集の文芸誌『モンキービジネス 2008 Spring vol.1 野球号』。

野村監督については、以前テレビのインタビューを見ていて、「一度何か著書を読んでみたいなあ」と思っていたところ、たまたま本書を書店で見かけましたので(ちなみにちょうど第十五刷が増刷されたところでした)。先人たちの名言の引用を多用するなど、若い人が聞いたら少しうざいかも(笑)、と思う部分もあるものの、やはり野球をベースに教育論、人生論といったところまで達する思考方法については、かなり説得力があります。それでいて、石井一久投手については育て方を間違えた、とか、自分がゼロから育て上げた古田敦也は年賀状もよこさない、など、監督十八番の”ぼやき”もちりばめられていて、専門的な内容がメインながら野球の知識が少ない人でも楽しめる本だと思います。

『モンキービジネス』は巻頭の小川洋子氏と柴田氏の対談が出色の面白さ。
野球にしろサッカーにしろ、熱狂的なファンの語りというのは、最も臨場感あふれる言葉たちなのかもしれません。これまた野球に興味がなくてもついつい最後まで読んでしまうと思います。この対談、結論は”男子ソフトボール部に「物語」あり”と。小川さんの息子さんが野球の強い学校に入ってしまい、それまでやっていた野球をあきらめ、ソフトボール部に入部されたとのこと。女子ソフトボール部はある種花形スポーツですが、男子ソフトボール部は硬式野球で挫折した人間で構成されているから物語があると。なるほど。いつか小説になるんでしょうか?

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『カムイ』(No.328/2008.05.30)

人気のイケメン・ウエンツ瑛士に鬼太郎を演じさせるというキャスティングで世間を驚かせ、原作者・水木しげる氏に「ウエンツ瑛士の背がもう少し高ければ、(映画化を)断っていた」と言わしめた映画版『ゲゲゲの鬼太郎』。昔ながらのファンの複雑な想いをよそに、今年の7月には続編『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』が公開されるようですが、日本漫画界の屋台骨とも言える名作の実写映画化という意味では、とうとう『カムイ外伝』(2009年公開予定)にまで触手が伸びてしまったようです。

『カムイ外伝』の原作者・白土三平氏は日本漫画界の重鎮中の重鎮(何か変な言い回しですが)。漫画界に初めて”思想”を持ち込んだと言われるだけあって、その作風はまさに硬派。常に社会的弱者、マイノリティ(忍者もそうです)に焦点を当て、世の中の闇の部分を照らし続けてきた方。いやもう、ひれ伏すしかありません。テレビアニメの『サスケ』のオープニングで、琵琶の音色をバックにナレーションが流れます。
「光あるところに影がある まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった
命をかけて歴史をつくった影の男たち だが人よ 名を問うなかれ
闇にうまれ 闇に消える それが忍者のさだめなのだ」
いや、しびれます。映画の原作として、白土先生の作品の中でも”サスケ”ではなく、”カムイ”を選ぶあたりは、実は「おおっ」と思わせるものがあるのですが、とある記事を見てみると、映画版『カムイ外伝』は松山ケンイチ&小雪を主演に配した”アクション大作”だそうです。

まあ、黒澤明監督の名作『隠し砦の三悪人』をリメイクした作品のサブタイトルが『THE LAST PRINCESS』ですから、今さらどんな名作がどのような解釈で作り直されても驚きませんが...。とりあえず、三茶に来たら見るかもです。

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『小さん師匠』(No.327/2008.05.23)

このところ”落語”が特集されている雑誌をいくつか目にしました。NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」が終わったとはいえ、まだ落語ブームは続いているようです。

こういう”〜入門”みたいな特集を組んだ雑誌をあまり買うことはないのですが、先週発売された『サライ』は思わず買ってしまいました。名人・五代目柳家小さん師匠が特集されていたんです。個人的に好きな落語家さんというのは何人かいますが、名人とうたわれる人の中でも小さん師匠は好きですねえ。小さい頃から結構テレビで落語を見ていましたが、小さん師匠の放送を見つけるとちょっと得した気分になったものです。もちろん立川談志師匠も好きですが...。小さん師匠と仲直りしたのかなあ。

今回買った理由のひとつはオリジナルCDがついていたから。小さん師匠の得意ネタ『時蕎麦』『粗忽長屋』『狸賽』の3つが収められています。早速聞きましたが、いや、やっぱりすごい。小さん師匠のとぼけた顔が浮かんでくると、それだけでなんとなくお腹がこそばゆくなってくるようです。旨い蕎麦とまずい蕎麦の食べる音が違います。小さん師匠が好きだったから今でも古典で笑えるネタが好きなのかもしれません。

しかし、こういう雑誌の中にはたくさん載ってますね、落語のCDやDVDの広告が。特集されている小さん師匠の全集はもちろん(これだけでも何バージョンもあります)、『立川談志ひとり会 落語ライブ』に『枝雀 落語大全』。『志の輔 落語のおもちかえりDVD』なんてのもいいですねえ。
いや、こりゃまずいな....。

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『潜水服と蝶』(No.326/2008.05.16)

『バスキア』(1996)、『夜になる前に』(2000)のジュリアン・シュナーベル監督の『潜水服は蝶の夢を見る』を観ました。
ファッション業界において特別な地位にある雑誌『ELLE』の編集長で、一流の人生を謳歌していた実在の人物ジャン=ドミニク・ボビー。彼は突然の病に倒れ、まぶた以外を自分の意志で動かすことが出来ない全身麻痺の状態になりながらも、瞬きによるコミュニケーション手法で自伝を出版しました。その同名の自伝を映画化した作品です。

原作は読んでいないのですが、主人公ボビーの視点のみで進む前半、彼の全身姿を写しつつ客観的な視点も交えながら進む後半、発病する場面の挿入時期など、映画としての脚本は相当考えられていると思います。
全体的に、彼のセンスあるユーモアがちりばめられ、彼の境遇に対する周囲のネガティブな描写があまり出てこないので、必要以上の重苦しさはありません。
左目の瞬きだけでコミュニケーションを行うというのは私たちの想像をはるかに超えた困難だと思いますが、またそのコミュニケーションをサポートする人々も相当の苦労を要した様子が伝わってきます。
テーマとしてはかなり重いですが、生と死の葛藤よりも、美しい女性がたくさん出てきたり、ボビーの想像による豪華でファンタジーな映像を交えたり、ある種かっこよく描いているという意味では、結構珍しいテイストの作品だと思います。自らがアーティストであるジュリアン・シュナーベルらしい、という言い方も出来るかもしれません。
有無を言わさぬ重厚さや大量の涙を誘う感動はありませんが、その分中途半端な同情やお涙頂戴ではなく、ボビーという人間のポジティブな生命力が、私たちの感情の源の部分にしっかりと届いてくる作品だと思います。

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『デジタル前後』(No.325/2008.05.09)

前回のコラムでアナログの心地良さについて書いた後に、ふと考えたことがあります。
今や、インターネットの普及もあって、私たちの日常生活の至る所に”デジタル・データ”が存在しています。私たちは日々デジタル・データのやり取りを行い、デジタル・データに目を通しながら暮らしているといっても、過言ではありません。
しかしながら、例えば100年後に今の時代を振り返ったときに、実際にはどのような社会にだったと定義されるのでしょうかか?

5月4日付けの朝日新聞に「デジタルで変わる美術館」という記事がありました。最新のデジタル技術によって美術品を複製することで新しい見せ方が可能になり、本物を見るのとは違う新たな発見もあるという、デジタル技術を非常にポジティブに捉えた内容でした。
一方、「はたらきたい。」(ほぼ日ブックス)という本の中の糸井重里さんと矢沢永吉さんのトークで、「「ほぼ日刊イトイ新聞」が始まった1998年頃、激動の時代の中でどんなことを考えていたか?」と糸井さんに問われた矢沢さんは、「ひとつだけわかったことは、ダウンロードできないものを作らないといけないと思った」と答えています。
アナログ的なものがすべてなくなってしまうとは思いませんが、今は、決してデジタルの時代ではなく、未だアナログとデジタルがせめぎあっている真っ最中なのかもしれません。

そして、その先にどういう社会が待ち受けているかは、まさに私たちがどういう選択をするかによるんでしょうね。
インターネットをインフラとしたコミュニケーションはこれだけ社会のインフラとして定着していますし、さすがに後戻りすることは考えにくいです。デジタルによるコミュニケーションにも全く新しいものが開発されるかもしれません。
しかしそこで大切なのは、効率や利便性のみを最優先とする選択をしないということのような気がします。
このあえて”選択をしない”というところが難しいんですよね。どんな場合においても。写真業界において、銀塩フィルムがなくなりつつある状況って、象徴的な気がします。銀塩でもない、デジタルでもない、まったく新しく環境に優しい”フィルム”ってできそうな気がするのですが。無理かなあ。

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『つながり展』(No.324/2008.05.02)

展示のお知らせです。
世田谷区三軒茶屋の駅ビル”キャロット・タワー”にて、毎年春と秋の2回にわたって開催されている手作りアートのイベント『世田谷アートフリマ』。
そのイベントのPRを目的として、5月3日から同じビル内にある世田谷区のギャラリーで行われるのが、『世田谷アートフリマつながり展』です。一応、私がプロデュースさせていただいています。

「つながり展」は、毎回、”世田谷アートフリマ”や”世田谷”につながりのあるアーティスト10名程度に参加いただくのですが、今回のメイン展示は映像作家の高遠瑛(たかとおあきら)さんの8mmビデオ作品の上映。
先日、現場で実際に映像展示の調整・チェックを行ったのですが、やはり8mmはいいですね。レコードでもフィルム写真でもそうですが、アナログ媒体というのは、どこか人間の呼吸や血液の循環に通じる時間の流れを感じさせてくれます。
続いている感じ、つながっている感じが、ひょっとしたら生命の連続性のようなものを喚起させ、私たちを安心させてくれるというのは少し大げさでしょうか(笑)。
8mmはフィルムの入手も困難ですし、現像も国内では難しいようですが、それでもきっとなくならないのではないかと思うのは、メディアでありながら私たちの身体性の延長線上に存在している気がするからかもしれません。
コンピュータも人間の能力を拡大してくれますが、つながっている感じはしないんですよね。こんなことを言うと古い人間にカテゴライズされてしまうのかもしれませんが。
つながり展、会期も3週間程度ありますので、ぜひ遊びに来てください。

・「世田谷アートフリマつながり展」(http://artfleama.jp/tunagari/

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『イアン・カーティス』(No.323/2008.04.25)

先般、このコラムでもご紹介した、ポスト・パンクにおける最重要バンド「ジョイ・ディヴィジョン」のヴォーカリスト、イアン・カーティスを描いた映画『CONTROL(コントロール)』を見ました。

アントン・コービン監督のモノクロ映像が凄まじく良かったです。どの場面を切り取ってもポスターになる感じ。最も心配だった、イアン・カーティス役のサム・ライリーもライブシーンを自ら歌うなどがんばっていましたね。さすが自身でバンドをやっているだけあります。普通の大人、父親として生きられない自分、人を愛することによって人を傷つけてしまう自分への戸惑いをちゃんと表現していました。そういう意味ではファンとしても納得の出来です。
...で、、、なんですが...。
それゆえに改めてイアン・カーティスを包む闇の深さを感じさせられました。サム・ライリーがいかに近づこうとも、イアンの持つ、全てが見えているのに何も見ようとしないような空虚な”目”。これは他者では表現できないでしょう。そして、若くして世界のあらゆる荷物を背負ってしまった困惑と不安。さらに病気がプラスされた人生を生き抜く中で生み出される詩は、本当にすごい。あまりにも鋭い刃物は触らずとも見るだけで恐ろしくなる。そんな感じ。彼が自殺したことは残念でなりませんが、遅かれ早かれ、こういう結果になったのではないかと思います。
イアンはロック・スターになりたかったわけでもないし、自分の弱さをカミング・アウトしたかったわけでもない。”愛”に溺れ、”死”に恐怖しながら、精一杯人生を生きただけでした。その純粋さが今なお多くの人々をひきつけるのでしょう。

さて、5月17日からは、ドキュメンタリー映画『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』が公開されます。世界が崩れ去る瞬間を目の当たりにするときがやってきました。地震の予知と同じで、私たちは”何かが起こる”ということは知りえないんだと思います。私たちにできるのは”何かが起こっている”ことを感じ取るだけ。その先に見えるのは希望の光でしょうか、それとも絶望の闇でしょうか。

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『お詫び&訂正』(No.322/2008.04.18)

今回のコラムはお詫びと訂正です...。
前回ご紹介した作品『イン&アウト』ですが、主人公の花嫁役を演じたジョーン・キューザックを弟のジョン・キューザックと勘違いしておりました。まことに申し訳ありませんでした...。この場にてお詫び申し上げます。Webの方は該当箇所を削除いたしました。ご指摘下さった方、ありがとうございました。

「D−Movie」では、基本的に毎週どの作品をご紹介するかを考え、その作品のビデオを見てコメントを書いています。ただ、原稿の書き溜めなどをしていないため、どうしても仕事の都合などで見られない場合、ごく稀にですが過去の記憶に基づいてコメントを書く場合があります。本件も然り。もちろんその場合でも内容に関するデータなどは再確認するのですが..。
『イン&アウト』は公開後ビデオ化されてすぐ見たのですが、その後、何かで花嫁はジョン・キューザックの女装だと知り、ハリウッド映画では男性の俳優の女装は結構ありますし、作品の内容的にもありそうな話なので、勝手に納得しておりました...。それ故に印象に残っていたと言うこともあるのですが。今後このようなことの無きようちゃんとチェックします。

しかし、たまにこういう”思い込み”をやるんですよね...。
ジョエル&イーサン・コーエン兄弟の名作『ファーゴ』のエンディングで、テロップに”victim in field”として(ミュージシャンの)”プリンス”とクレジットされていて、「プリンスが協力したんだ」としばらく信じていました(これはコーエン兄弟によるフィクションで、この死体役はスタッフだったようです)。
また、映画ではありませんが、昔ジャズ・ピアノ奏者のジョン・ルイスをよく聴いていたときに、ジョン・コルトレーンのお兄さんだと聞かされ、これもしばらく信じていました。いや、よく考えたらすぐにわかることなんですが。

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『コントロール』(No.321/2008.04.11)

今なお、あらゆる分野に影響を与え続けている、イギリスのポスト・パンクバンド「ジョイ・ディヴィジョン」。そして、そのカリスマ的フロントマンであり、23歳で自らこの世を去ったイアン・カーティス。そのイアン・カーティスを描いた伝記映画『CONTROL(コントロール)』が先月より劇場公開開始、さらにジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリー映画『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』も来月より公開されます。
なんて、冷静に書いていますが、個人的には心臓バクバクです。早く観たい。

「ジョイ・ディヴィジョン」は1976年にイギリス・マンチェスターで結成されたバンド。そのストイックな音楽性もさることながら、ボーカルのイアン・カーティスのカリスマ性(23歳で自殺しました)や、所属したレーベル「ファクトリー」の革新性などが響きあって世界的なムーヴメントを巻き起こしました。
イアン・カーティスを失ったメンバーたちによるバンド「ニューオーダー」は、今なお伝説のバンドとして長期にわたって音楽シーンのトップに君臨しています。また解散説が流れていますが...。

『CONTROL(コントロール)』を監督したのはU2やデビッド・ボウイなどを被写体として、写真のみならず、グラフィック・デザインやミュージック・ビデオなども手がけ、世界のロック・シーンと対峙し続けてきたフォトグラファー、アントン・コービン。モノクローム映像が激シブです。
一方、『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』を監督したのは、レディオヘッドのツアーを追ったドキュメンタリー『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』で高い評価を集めた映像作家、グラント・ジー。こちらには貴重なライブ映像などやインタビューが収められているようです。

考えてみれば、私たちがそれぞれ触れている世界の”質感”は違います。人の数だけ違う質感の世界がある。ある人には何かに照らされているかのように輝かしい世界だろうし、ある人にはすりガラスのように曇っている世界かもしれません。そんな分断された世界の中で、コミュニケーションを志向すること。分断がいつしか分裂になり、関係が争いにつながる。
”CONTROL”、おそらく私たちが自らの意思で失ったもの。そして二度と取り戻せないもの。ジョイ・ディビジョンの存在する世界の質感が、再び私たちの前に立ち現れます。

・『CONTROL』(http://control-movie.jp/
・『JOY DIVISION』(http://joydivision-mv.com/

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『靖国』(No.320/2008.04.04)

日本在住の中国人ドキュメンタリー監督リ・インによる日中合作のドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』。リ・イン監督が10年間に渡って靖国を取材して完成させ、第32回香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したこの作品、今月中旬から日本でも5館で公開予定でしたが、各映画館が相次いで上映を自粛する事態が起こっています。マジですか..。

映画館側は「安全な上映環境を確保できるか、不安がぬぐえない。表現の自由を守れと言われても、限界がある」などと声明を発表しているようですが、だとすると、日本社会における言論の自由、表現の自由とは一体何なのでしょうか。少なくともそれを守るのがメディアの役割でもあると思っていたのですが...。

国会議員向けの試写や、文化庁の所管法人の基金による助成金の正当性なども問題になっているようですが、全く関係ないと思います。映画が歴史的に公平・中立であるなどいうことがそもそも幻想であり、それを問題とするならば、過去十数年に渡ってアメリカが製作・上映し続けてきたさまざまな映画(特に戦争映画)が上映禁止とされるべきでしょう。
映画は、もっと大きく言えばメディアが中立でありえるのか、非常に微妙な問題ですが、いずれにしても大切なのは、まず作品を見るということ、そして見た人それぞれがきちんと判断を下すということ。
中国人に対して虐待を行い、暴行をはたらいたと告白する元日本兵をフィルムに収めた『日本鬼子』は上映こそされましたが、ビデオ化などされていません。オウムを内側から描いた森達也監督のドキュメンタリー『A』も上映までさまざまな紆余曲折を余儀なくされました。
映画とは...メディアとは...その役割が根本から揺らいでいます。

・『靖国 YASUKUNI』(http://www.yasukuni-movie.com/

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『ダークファンタジー』(No.319/2008.03.28)

2007年の第79回アカデミー賞6部門にノミネート、3部門(撮影賞、美術賞、メイクアップ賞)を受賞した作品『パンズ・ラビリンス』のDVD−BOXが今週発売になりました。いろんな特典が付いているようで、触手が動きますねえ。

この映画、メキシコ出身の鬼才ギレルモ・デル・トロ監督によるダークファンタジーで、評論家筋ではかなり評判になっていたようです。ただ、日本ではファンタジーっぽさを強調したPRがされていて、個人的には全然興味がありませんでした...。しかしながら、ある日劇場で映画を見ようと思い、いろいろ調べているうちにたまたま『パンズ・ラビリンス』の映画評を見つけてびっくり。”あまりにも悲劇的な結末”、”観なければ良かった”、”単なるファンタジーと思っていたらとんでもない”などのネガティブな評がずらり。「これは見なければ」と映画館に走りました(笑)。
いや、もちろんちゃんと調べれば賞賛のコメントの方が多かったのですが。

スペイン内戦後を舞台にしたリアリティのある脚本、登場する架空の創造物の独創性、近年稀に見る骨太のファンタジーでした。ファンタジーの面白さは、やはり見たことも無いような世界に迷い込むような感覚にあると思うのですが、まさに『パンズ・ラビリンス』は現実と妄想が絡み合い、めまいを覚えるほどの醜さ、美しさを内包した作品でした。冒頭で「DVDが欲しい」と言いましたが、実際にはもう一度見たいような見たくないような...。
景気が悪い時ほどファンタジーものがヒットすると言われますが、ファンタジーを、というより、ファンタジーが存在する状況をあからさまに抉り出した傑作だと思います。

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『トップ不在』(No.318/2008.03.21)

日銀総裁人事は後任が決まらないまま19日に福井俊彦総裁が退任、戦後初の総裁空席という事態となってしまいました。とりあえず副総裁となる白川方明氏が総裁代行として就任。うむー、迷走してますねえ。

民主党が掲げる「財政と金融の分離」という理論も分かりますが、今回の民主党の主張・姿勢にはあまり納得がいきませんねえ。具体的な対案も出てくるわけじゃ無し。ちょっとわけがわからない。とにかく反対することによって、参議院を担う政党としての立場を誇示できているとでも思っているのでしょうか。実態のよくわからない特殊団体のような組織のトップを決めるのであればしょうがないですが、日本の金融の要、日銀の総裁にはやはり能力的にふさわしい人になってもらわないと困る、というのが多くの国民の意見なのではないかと思いますが。
もちろん、福田首相もダメ出しされるとわかりきった候補者を次々出すのも芸が無いし、メディアを通してみている限りでは、根回しがまったく成功していないように受け取れます。

民主党もそれほど自分たちの立場を印象付けたと思えないし、福田首相も調整能力の無さを露呈してしまった次第で、誰も”得”をしていない。
で、これによって日本の国際的なイメージが低下してしまったかというと、米国が利下げを決めれば株価は上昇。あんまりたいした影響はなかったりして...。であれば、日銀総裁人事についてこの段階で徹底的に与党と野党で討論しあっていただきたいですね。ねじれ国会によってそういう方向性が出てくれば、もう少し政治もまともになるんじゃないかと思いますが。

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『洋画の理由』(No.317/2008.03.14)

以前、このコラムに書いたのか、どなたかのメールにお答えしたのか忘れてしまいましたが、”『D−Movie』で取り上げる映画は、なぜ洋画が多いのか?”というお話。

別に高尚な理由があるわけではありません。個人的に”洋画が好き”、というだけのことです。ではなぜ洋画が好きなのかというと、”物心ついた時から高校生までの間、実家がお付き合いで近くの本屋さんから定期購読していた「スクリーン」と「ロードショー」という洋画雑誌をずっと読んでいた”からではないかと思います。まあ、そんなもんです。
だから、邦画が嫌いなわけではありませんし、アジアの映画も見ます。ただ、洋画に比べると頻度が少ないだけで。後、世代的にサブ・カルチャーの洗礼を受けた、ということもある程度影響しているかもしれません。また、パンク・ロック世代でもあるので、そうは言いながらもハリウッド的商業主義にアンチなところもあります。
好きな映画監督となると、デヴィッド・リンチ、アンドレイ・タルコフスキー、アッバス・キアロスタミ、パトリス・ルコント、ジョン・カサヴェテス、ジム・ジャームッシュとかになってしまいますから...。

『D−Movie』では出来るだけ幅広いジャンルの作品をご紹介できればと思ってはいるのですが、ただ、具体的に洋画の方がいいな、と思う点がひとつあって、それは”台詞の楽しさ”ですね。
やはり沈黙を美徳とせず、思いや考えを言葉として伝え合うことで社会を築いてきた人たちの作品は、(映画に限らずだと思いますが)言葉のやり取りが面白いし、胸にグッと来る台詞も多いです。今回ご紹介する『カレンダー・ガールズ』然り。
どんなに平凡な作品や駄作と思われる作品でも、洋画の場合は印象的な台詞が必ずいくつか出てくるんですよね。いつか個人的にまとめたいなーと思っているのですが。

ちょっと話がそれますが、前に知人から聞いた話を思い出しました。とあるアメリカ人の野球選手が野茂投手のフォークボールをこう表現したそうです。「まるで机からボールが転がり落ちるようだった」。映画のみならずアメリカはスポーツ選手もみんな表現が豊かというかエンターテイメント性がありますね。こりゃ球場に見に行きたくなるわけだ。

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『哀愁の8mm』(No.316/2008.03.07)

今年に入っても相変わらず盛り上がっている感のある”トイカメラ”。トイカメラと言えば、そのほとんどがフィルムカメラでしたが、デジタル・トイカメラの決定版とでも言うべき、アメリカはVistaQuest社の「VQ1005」というカメラが出現しました。
手のひらですっぽり包める極小サイズ。お値段も5千円程度と手ごろ。チープな質感にチープな写り。モニター画面が無いので、撮ったその場で見られません(笑)。何を撮っても脱力系の写真を吐き出す憎めない奴です。

で、このカメラ、静止画だけじゃなくて動画も撮れるのですが、これが面白いっ。私が買った理由も動画でした。ファインダーも無いので、どこをどういう風にとっているかは適当なのですが、撮り終わった動画はまさに昔懐かしい8ミリフィルムの映像!!!
いくつか動画ファイルをアップしてみました。ご覧ください。

(1)http://dmovie.fc2web.com/images/0001.wmv
(2)http://dmovie.fc2web.com/images/0002.wmv
(3)http://dmovie.fc2web.com/images/0003.wmv

ホント8ミリみたいでしょ。要するにチープな写りと、フレームレートの粗さでそれっぽく見えているというだけなんですけどね。
写真好きの方より、むしろ映画・映像好きの方に好まれるのではないでしょうか。お値段も手ごろなので、遊べるおもちゃとしてオススメです。これで映画作ったら面白いだろうなあ。動画では音声が録音できないのでとりあえずサイレント映画となりますが。

ちなみに「VQ1005」はすでに製造を中止しているので、私はBell&Howell社からOEMで供給されている「Genie III」という機種を買いました。基本的に同じものです。でもこっちの方が何かメーカー名がかっこいいです。BANG&OLUFSENみたい。いや、全然違うけど。

・コチラのお店に「VQ1005」再入荷したようです。
http://www.rakuten.co.jp/prokitchen/1975559/

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『美の基準』(No.315/2008.02.29)

例えば、”美”や”善”といった、一般的に”良い”とされている概念においても、我々が日々暮らす社会の中では、相対的な基準でしかありえないのではないかと思います。
百歩譲って哲学的、観念的世界で普遍的な”美”は存在するとしても、”善”となるとどうでしょう。さらに”良い”(こと、モノ)となると、今の世の中、人間の数だけ存在するのではないでしょうか。
映画でも、戦争をテーマにした作品は常に一方向からの視点である旨が指摘されます。

昨年末、うちのギャラリーの個展スペースの壁を改装しました。知り合いの工務店さんにお願いして厚手のベニヤ板を張り巡らせた後、壁を白くペンキで塗る作業は自分でやることに。
久しぶりのペンキ塗りで、とりあえず塗料や道具を買いに行った際、ついでに壁の塗り方を教えてもらうと、どんな場所でどのような目的で塗るかはあまり聞かれず、とにかく”きれいに塗る”方法を教えてくれます。これは試しにいくつかのお店を回ってみましたが全て同じでした。とにかくきれいに、均一に塗ることを教えてくれる。
また、別の日にフィルムで撮った写真のプリントを受け取りに言ったら、「ブレやボケがひどい写真はもったいないのでプリントしませんでした」とのこと。店員さんが無駄なお金を使わせないよう、サービスとしてやってくださったんですね。
いずれも、いわゆる”常識”から考えると当たり前のことですし、むしろ親切な対応だと言えます。しかしながら、個人的にはどうも引っかかるものがあるんです。
決してこの人たちのことを悪く言っているわけではなくて、一般的に考えて美しいかどうか、正しいかどうかよりも、もっと大切にしなければならないものがあるんじゃないかと。多数的な”美”や”善”がまかり通ると、世界の質感はつるんとした画一的なものになってしまうのではないでしょうか。
で、それが際限なく広がっていく思想がグローバリズム。

人と同じ価値観や感情を共有できることは幸せです。しかし、人と違う価値観を持つことや感情を交わせることもまた幸せだと思います。

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『ルノワール』(No.314/2008.02.22)

渋谷にある東急Bunkamuraザ・ミュージアムで『ルノワール+ルノワール展』を観ました。印象派画家のピエール=オーギュスト・ルノワールとその次男である映画監督ジャン・ルノワールの絵画と映画を同時に展示するという、今までにありそうでなかったコンセプトの展覧会です。

会場に入った瞬間はいつものように飾られている絵画と一緒に、複数のスクリーンが目に飛び込んできて、なんとなく違和感がありました。絵と映像を並列するというのは、さほど珍しいことではありませんが、こういう美術館で目にするということがなかったからでしょうね。しかしながら、ゆっくりと展示を見ているとその違和感も徐々に解消され、中盤に差し掛かる”草の上の昼食”のコーナーでは、あまりにも自然に融合(?)していてびっくり。二人がそれぞれに目指していた光あふれる世界がふわっと開けたような感じがしました。

父であるオーギュスト・ルノワールの「モデル無しではやっていけない」という言葉、そして息子ジャン・ルノワールのイングリッド・バーグマンを主役にした『恋多き女』の素晴らしさ。絵や映画というメディアを超えた共通の感覚を垣間見たようで面白かったです。実は絵も映像もそんなに違いは無いのかもという不思議な感覚に陥りました。映画のみならず、素晴らしい芸術作品は、素晴らしい女性と共にあるものなんですねえ。

”偉大な芸術家”を超えることは出来ても、、”父”という存在を超えることは出来ないのではないかと思っていて、そのあたりジャンはどうだったんだろうと考えたことがあるのですが、展覧会を観るとジャンは父が偉大な芸術家であることを誇りに思い、信頼していた様子が伝わってきました。偉大なる父の背中をある種無邪気に追いかけるジャンの姿勢は微笑ましいし、きっと幸せだったんだろうなあと。

ジャン・ルノワールは日本でこそ知名度が低い気がしますが、世界的に見れば文句なく巨匠と呼ばれる位置にいます。なので、”画家のルノワールの息子”、という肩書きはほとんど意味を成さず、この関係性から二人の新たな魅力が見えてこなければ、二人を一緒に見せる意味も無い。そいう言う視点から考えると素晴らしい展覧会だと思います。

会期もたっぷりありますので、ぜひご覧ください。

・『ルノワール+ルノワール展』(2008年2月2日(土)〜5月6日(火))
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_08_renoir.html

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『ロンドンコーリング』(No.313/2008.02.15)

パンクの歴史の中でもひときわ重要な位置を占め、今なお伝説として語り継がれるイギリスのバンド”クラッシュ”のフロントマンである、故ジョー・ストラマーの生涯を描いた映画「LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」を観ました。

クラッシュ結成の経緯から、アメリカ制覇も成し遂げた絶頂期、メンバー間の確執による活動の失速、さらにはソロ・プロジェクトを中心とした晩年の活動まですべてを網羅した完全版、とでも言うべき内容。
兎にも角にも、冒頭のレコーディングのシーンが圧巻。バックトラックは聞こえませんが、ジョー・ストラマーのヴォーカルだけで100%パンク!実際、歌は上手くないかもしれないけれど(昔からよく言われてました...)、”魂”入ってます。

ちなみにサントラも発売されていて、ジョー・ストラマーの音楽的ルーツがわかる渋い選曲のみならず、クラッシュの未発表曲も入っている必聴盤となっています。タイトルは、映画の原題で彼の”座右の銘”的に使われている「THE FUTURE IS UNWRITTEN」。いい言葉です。パンクって単なる音楽のジャンルじゃなくて”姿勢”だと思いますが、さらに言うと、”反体制”や”壊す”だけじゃない。すごくポジティブなものなんです。

”音楽が世界を変える”ということは実現しないかもしれませんが、そう信じることには意味がある。そんなことをあらためて考えさせられました。ありがとう。

・ロンドンコーリング(http://www.londoncalling.jp/

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『大ピース』(No.312/2008.02.08)

毎週木曜日の19:30から生放送を行っている『世田谷Webテレビ』。うちのギャラリー『世田谷233』をスタジオにお送りしているのですが、1月31日のゲストは何とサエキけんぞうさんでした。司会を務めてくださっているご近所さんのつながりです。
『世田谷Webテレビ』には今までもシーナ&ロケッツさんや作家の山川健一さんなどのビッグゲストがたま〜に出演してくださっているのですが、今回もすごかった。さすが歯科医&ミュージシャン&評論家&作詞家&プロデューサー...etc。

いい意味でゆる〜い番組ですので、司会もゲストも焼酎を飲みながらの放送となりました。これが良かったのか(悪かったのか?)話の内容はやはり下ネタに...。いや、サエキさん曰く”医学の話”何ですが(笑)。
40分近く、ずっとサエキさんのテンションの高い、歯に衣着せぬユーモアあふれるお話をお聞きしていて思いました。サエキさんは今でもいろいろご活躍されていますが、パール兄弟というテクノユニットのフロントマンとして世の中を席巻していてのが80年代。私の青春時代。今思えば、音楽もファッションもどこか軽さを感じさせるものが多かった気がしますが、逆に言うと何でもアリ、で、言いたいことを言えた時代だったのかもしれないなあと。
決して言いっ放しはいいと思わないし、今の時代が言いたい事を言えないわけではないのですが。インターネット上は確かに言いたいことを言えますが、メディアそのものが軽さを感じさせないでもない気がして。”誰でも出来る”って言うこととトレードオフなんでしょうか...。

サエキさん出演時の放送データは東急ケーブルテレビでも放送されますが、ヤバイくだりがいくつかあるので(笑)、コチラの完全版をご覧ください。

・世田谷Webテレビ(http://233.fiw-web.net/webtv/

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『6人のディラン』(No.311/2008.02.01)

ミュージシャンの人生や歴史を描いた映画というのは結構多いです。映画が映像と音がメインのメディアと考えると相性がいいのかもしれません。しかしながら、完全なドキュメンタリーの場合は貴重なライブやインタビューのシーンなんかが結構盛り込まれていて、得した気分になる作品が多い反面、俳優がミュージシャンを演じているものは、大体中途半端な出来になってしまうケースが多い気がします。特にファンにとってはそうなりがちですね。
まあ、それぞれに思い入れもあるのでしょうがないですが。

でも、今年のゴールデンウィークに日本で公開が予定されているボブ・ディランを描いた作品『I'm Not There/アイム・ノット・ゼア』はドキュメンタリーではないもののなかなか興味深いです。映画としてはボブ・ディランの半生を映画化しているわけですが、何と6人の俳優がそれぞれのキャラクターでボブ・ディランを演じるとのこと。クリスチャン・ベールやリチャード・ギアなどなど。しかもその中にはケイト・ブランシェット(女性!)もいるそうです。まあ確かにディランはフォークの神様でありロッカーであり詩人でありと多面的な人間性を持っているとは思いますが。うむー。どうなるやら。

監督は『ベルベット・ゴールドマイン』で70年代前半に流行したグラム・ロック・ムーヴメントを描いたトッド・ヘインズ。アメリカではすでに公開済みで、早速今年の第65回ゴールデングローブ賞でケイト・ブランシェットが助演女優賞を獲得したとのこと。期待できます。
ちなみに今、公開中(東京・下高井戸)の映画でミュージシャンがテーマといえば、70年代にパンクで世界を塗り替えた伝説のバンド・クラッシュのフロントマン、ジョー・ストラマーを追ったドキュメンタリー『LONDON CALLING ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』があります。
これは何が何でも見なきゃ。

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『くりかえし』(No.310/2008.01.25)

最近、JR東日本が発信している「毎日をくりかえす力」というコピーが気になっています。テレビでもよく見ますね。またかと思われるかもしれませんが、これも”STAYER(=意志を持ってとどまり続ける人)”的思考だなあと。

もちろん鉄道会社がこのコピーを使うとき、”安全”ということがキーワードなのだと思いますが、”毎日をくりかえす”という作業には大変な努力やエネルギーが必要なのだという意味では、そのまま人生に当てはまりますね。
紆余曲折があって、波乱万丈な人生が楽しそうに思われがちですが、それはあくまでも振り返ってみればそうだったということ。どんなに浮き沈みの激しい人生でも、当の本人は、一日一日を一生懸命繰り返しているだけに過ぎないのではないでしょうか。

例えばひとつの事に本気で集中する、人生をひとつの事に賭ける、そういう人はおそらくそれ以外のことに手を広げる余裕は無いと思います。だから結果的にフィールドは”広がらない”。では、”広がらない”からといって世界や見識がせまいかというと、ひとつのことを掘り下げるからこそ物事の普遍的な本質が見えてくる。そこで、結果として”広がらない””とどまる”ということに価値が生まれる。その価値をちゃんと認識しなければならないのではないか、ということが、私が”STAYER”という言葉に託したことのひとつです。

「毎日をくりかえす力」。いい言葉です。

しかしながら、JR東日本と言えば、先日、岩手県奥州市で行われる「黒石寺蘇民祭」の、ふんどし姿の男性が写っているポスターについて、「見る人に不快を与える恐れがある」として、JR施設内でのポスターの掲示を拒否したというニュースがありました。
広告に対する目が厳しいのか、許容範囲が狭いのか。あれはちょっと写真を撮った人がかわいそうでしたねえ。

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『記念写真』(No.309/2008.01.18)

個人的に好きなテレビ番組のひとつが、NHK総合チャンネルで放送されている『ようこそ先輩』。さまざまな業界で活躍されている人々が出身校である小学校を訪ね、自らの専門分野をテーマに授業を行うというもの。

先日の放送での先生は写真家の立木義浩さん。女性を被写体にした作品や、広告・雑誌・出版などの分野で幅広く活躍されている方です。
立木さんが今回子供たちに伝えたのは、”ものをよく見る”ということ。情報が溢れている時代だからこそ、”見る”ことの大切さを体験させたかったと。2日間の授業の中で、デジタルカメラを片手に、子供たちは普段の生活では見えないものを見る視点を獲得していきました。

この内容もさることながら、番組の最後に立木さんがおっしゃった言葉にドキッとしました。最後にみんなで記念写真を撮るのですが、そのとき、子供たちを集めるために立木さんが大声で一言。「一番楽しい記念写真だよー」。

確かに写真の大きな役割は”記録”すること。私たちの日常の中での”記録”とは、要するに”記念”ということではなかったか。そんな考えが頭をよぎり、さらに、以前、ギャラリー「ルーニィ・247フォトグラフィー」のオーナーである篠原さんとお仕事をご一緒した際に語られた、宮武東洋さんという日系アメリカ人のカメラマンが撮ったマンザナー強制収容所での一枚の記念写真についてのお話を思い出しました。
(詳細はコチラをご覧ください→http://www.bunkamura.co.jp/gathering/guest/guest12.html

今の時代は、携帯電話のカメラやデジタルカメラの進化・普及により、誰もが日常的に写真を撮ることが可能となった、いわば”スナップ全盛時代”。しかしながら、やはり写真とは”記録”であるわけで、だからこそ人間の歴史のポイントなる一瞬を切り取る”記念”写真は、私たちにとって楽しいものであり、思い出に残るものであり、後々さまざまな物語を雄弁に物語るものではないでしょうか。

番組の意図とは違う感銘の受け方かもしれませんが、いずれにしても『ようこそ先輩』、やはり良い番組です。

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『アンカー展』(No.308/2008.01.11)

1月20日(日)までの会期で、渋谷にある東急Bunkamuraザ・ミュージアムにて、アルベール・アンカーの大回顧展『アンカー展』が開催されています。アンカーはスイス出身で、日本ではあまり知られていませんが、本国では国民的画家として親しまれているそうです。

モチーフとなっているのは、一言で表すなら”平凡な人々の平凡な暮らし”。農民の働く姿や子どもたちの日常を描いた作品は素朴そのもの。しかしながら、その高い技術によって描き出された精緻な絵は、まるで飛び出す絵本のように立体的に迫ってきます。恥ずかしながらアンカーという作家については何も知りませんでしたが、その絵の持つ純粋さとその裏に垣間見えるタフさに心を動かされました。平凡なことを平凡に(素晴らしい絵を描くということは平凡ではありませんが...)続けることの難しさ。これはまさに”STAYER=意志を持ってとどまり続ける人、またはその姿勢”です。いや、最近、なんでもSTAYERに置き換えてしまう悪い癖があるのですが(笑)。

人と人のつながり、家族の絆、なんてあらためて口に出すと少し気恥ずかしさを感じますが、これだけ人間同士の距離が離れてしまった現代では新鮮に感じます。
ベッドでかわいい子どもが二人、こっちを見て微笑んでいる構図の絵があるのですが、これちょっとドキッとしました。おそらく、こういう情景をここまで描き込んだ絵を見たことがなかったので、違和感を感じたんでしょうね。
宗教的な背景や教育者としての人格もあるとはいえ、これだけ子どもたちを描き続けること自体、もうパンクです。 1年の始まりに、もう一度見たいと思います。

ちょっとお手伝いしているコチラのサイトで、元スイス大使の國松孝次さんがアンカーの魅力を語ってくださっています。ぜひご覧ください。

・ミュージアム・ギャザリング
http://www.bunkamura.co.jp/gathering/guest/index.html

ちなみに前回配信させていただいた『ブルー・イン・ザ・フェイス』についてのレビューが、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて紹介されています。期間は2008/1/7(月)〜2008/1/11(金)。

・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/

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『IN RAINBOWS』(No.307/2008.01.04)

あけましておめでとうございます。いつもご覧いただきましてありがとうございます。2008年、最初の配信です。今年もよろしくお願いいたします。

前回のコラムでアイルランド出身のロック・バンド”The Frames”の最新作をご紹介した際、ちょっと名前の出た英国のロックバンド”レディオヘッド”。

昨年12月に7枚目となるニュー・アルバム「IN RAINBOWS」のCDが日本で先行発売されました。もちろん即購入。音も姿勢もどんどんソリッドになっていく彼らのアルバムは、日常の空気に気持ちの良い緊張感を与えてくれ、聴けば聴くほどハマっていきます。

しかしながら、今回のCDで最も話題になったのは歌詞でもメロディーでもなく、その流通方法でしょう。実は昨年10月から、公式サイトでのダウンロード販売を始めていたのです。しかも、定価による販売ではなく、買い手が自由に値段を決められるシステム。アーティストがレコード会社を介さず楽曲を直接リスナーに届けるという意味ではさほど新しくはありませんが、価格も自由となると話は別。衝撃的な試みに”業界が震撼した”なんて記事もちらほら見ました。

「この仕組みによってバンドは億単位の利益を手にした」「60%は無料ダウンロードだった」などなど、成功・失敗に関してさまざまな噂が飛び交いましたが、さてさて実際はどうだったのでしょうか?
個人的には、結果はどうあれ、こういう風にネットを利用した新たな流通の試みが行われるのは良いことだと思いますが、ここで注意しなければならないことがひとつ。彼らの姿勢を”アンチ・レコード会社”もしくは”アンチ・旧流通網”と単純に捉えるとやばいなと。この仕組みを使うことによって、バンドがレコード会社を通すより儲かることが大切で、そのためには、リスナーがちゃんとお金を払う必要があります(もちろん、内容がお金を払うに値しない場合は別)。それがなければこのシステムは成り立ちたない。つまり、彼らは私たちに”良い音楽を手に入れるためには、相応のお金をちゃんと払おう”という当たり前のことを改めて問いかけたのではないでしょうか。

ちなみに私はCDを買いました。払ったお金分(税込2,490円)の価値はあると思います。彼らのCDをダウンロードもしくは購入された方、いかがでしょうか。

・レディオヘッド公式サイト(www.radiohead.com

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