| D-Column |
『The Frames』(No.306/2007.12.21)
CD紹介です。
アイルランド出身のロック・バンド”The Frames”の最新作『The Cost』。彼らを最初に聴いたのは、2001年に発表された『for the birds』からで、ある日HMVで、このアルバムをジャケ買いしたのがきっかけ。それからずっと聴き続け、今でもかなりの頻度で聴いています。かなりの名作だと思います。
しかしながら、なぜか、どこの国のバンドなのか、他にアルバムは出しているのか、などなど、そういった情報にはほとんど興味がわかないままでした。HMVにはよく行きますが、ずっと見かけなかったので、アルバムを出していないのか、もしくは解散してしまったのだろうぐらいに思っていたのですが、先日ひょっこりニュー・アルバムが発売されているのを発見。ネットで調べてみるとこの6年間に2枚のアルバムを出していたようで、それも驚きました。アイルランド出身というのも、HMVの紹介文で知りました。そうだったんだ。
コールドプレイやトラヴィスなどのセンチメンタル系UKロック(?)がひと頃流行りましたが、その前からThe Framesは少し叙情的で、少し感情的で、少し退廃的なロックを放出していたと思います。そういえば、先日発売されたレディオ・ヘッドにも通ずるところがあるかもしれません。曲もいいし声もいいしメロディもいい。また曲名がいいんです。
[FALLING SLOWLY][WHEN YOUR MIND'S MADE UP][THE SIDE YOU NEVER GET TO SEE]etc.
公式サイトでディスコグラフィーが見られますが、ジャケットもいい。そんなにトンがったところは無いし、実験的要素も無い。だけどその分、長く聴き続けられるんですよね。公式サイトで試聴もできます。オススメです。
・The Frames公式サイト(http://www.theframes.ie/)
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『STAYER・後編』(No.305/2007.12.14)
『STAYER』(ステイヤー)について。続きです。
今回の写真展において、私は自分の作品の横に次のような言葉を添えました。
(一部抜粋)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
とめどなく広がり続ける世界と個人。
可能性や高揚感と引き換えに、急速に失われていく皮膚感覚。
立ち止まってみれば、世界はもっと広く、人間同士はもっと近い。
”通過”や”滞在”では見えないもの。
”瞬間”や”短期”ではできないこと。
心と体を”ここ”にとどめ、”場所”という感覚に鋭敏であれば、
未来は今、この場所から感じられるはず。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前回、”ひとつの場所にとどまり続けるには、必ず理由が必要で、さらに、日々さまざまな感覚をゼロに戻すこともできなければならない”と書きました。昨今、スローライフの文脈で語られる”あるもの探し”や”地域回帰”の動きは、何も新しいことではなく、自分の生まれ育った土地や場所を改めてゼロから見つめなおす、という視点の獲得なのではないでしょうか。
人間が100%の確率で死ぬ存在であるならば、生きるということはその運命に抗うことであり、それは逆説的に”とどまっている”と言えると思います。私たちは、現状を維持することさえできないまま、やみくもに右上がりの成長を目指し、前のめりな生活の中で大切なものを失い続けている気がします。
インターネットの出現によって、表層的にあらゆる世界を斜め読みできる社会となり、その中で世界はゆがんだ形で縮小と分裂を続け、何かを”共有”することが難しくなってきました。
私が見ている世界とあなたが見ている世界の違いを話し合うこと。そのためには立ち止まる必要があるし、そうすれば、その先に共通の世界が広がるのではないかと思います。
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『STAYER・前編』(No.304/2007.12.07)
今回はちょっと告知です。私が運営しているギャラリー『世田谷233』の5周年記念企画展として、写真家・鷲尾和彦氏とともに二人展を行います。タイトルは『STAYER』(ステイヤー)。お互いがこのテーマに沿ってそれぞれ写真作品を展示します。私個人にとっての”ステイヤー”とは、「意思を持ってとどまる人、またはその魂」を表します。
このタイトルはここ数年ずっと頭の中をめぐっていたもので、今回写真展を通してようやく表に出すことができました。グローバル化という志向性がもはや常識となってしまった世界に、何らかの形でストップをかけなければならないと考えていく中で、やはり”広げない”ということの価値がもっと見直されてもよいのではないかと。
例えば”旅に出る”という行為は自分自身の世界や可能性を広げる行為と捉えられることが多く、それは間違いではないのですが、一方で”旅に出ない”ということも同じように価値を持っていると思います。もちろん、この場合、怖いとか面倒くさいというような、ネガティブな理由で外の世界にコンタクトしないケースを除きます。
旅に出るのに理由は要らないかもしれません。しかし、ひとつの場所にとどまり続けるには、必ず理由が必要です。また、その理由を基盤に己を律する意思の力も必要ですし、さらに、日々さまざまな感覚をゼロに戻すこともできなければなりません。
旅を続けた結果、元いた場所に帰ってくるというのは、旅先で旅をやめてまでそこに住み着くほどの場所に出会わなかったという言い方もできるのではないでしょうか。別に旅を否定しているわけではありませんし、私自身も学生時代にはよく旅に出ましたが、今の世の中はあまりにも何かを拡大するものに対して価値を与えすぎるのではないでしょうか。
少し次回に続きます。
■『STAYER』写真展 鷲尾和彦×中根大輔
〜意志を持ってとどまることによって生まれる価値と風景〜
■場所:『世田谷233』(http://233.jp/)
■日時:2007年12月15日(土)〜12月29日(土)
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『そのまんま椿』(No.303/2007.11.30)
黒澤明監督の『椿三十郎』のリメーク版が公開されました。過去の映画のリメイクはハリウッドでもやたらと作られていますが、最近は邦画でも目白押し。特に今回の『椿三十郎』のオリジナルは映画史に残るラストシーンを有する名作だけあって、注目度も高いです。森田芳光監督がメガホンをとったということや、椿三十郎役を、人気俳優(?)の織田裕二が演じるというのも話題作りに一役買っているようです。
朝日新聞によると、最近の邦画のリメーク版は、脚本がオリジナルとほとんど同じだったり、監督やキャストが同じだったりする”そのまんまリメーク映画”であるとのこと。大林宣彦監督のセルフリメーク『転校生』や監督もキャスティングも30年前と同じ『犬神家の一族』など、確かに”そのまんま”ですね。
リメーク版に成功作なし、と言うのはもはや常識ですが、残念ながら『椿三十郎』もそうでしょうね。映画界に才能のある人物が集まっていた時代に作られた作品を”超えろ”という方が無理なのかもしれません。
森田監督は織田裕二に「4番打者でなく1番打者の椿を演じてほしい」と命じたとのこと。1番打者の椿三十郎って...。さらに「オリジナルの威圧的なリーダー像を、近作は協調型にした」と。オリジナルの椿は威圧的というよりは(表面上はそう見えても)、ヒューマニズムがこぼれ出てしまう人間。それゆえに弱者の側に立ってしまうだけで、協調型とは程遠い人間だと思います。そしてそれこそが彼の魅力。うむー、大丈夫かな。でも久しぶりに見てみたい気もするので、時間が合えば劇場に足を運んでみたいと思います。少なくともオリジナルに関しては文句なしの★5つですから。
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『頭をガツンと』(No.302/2007.11.23)
脳科学者の茂木健一郎さんがさまざまなクリエイターと対話した内容を収めた書籍『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)を読みました。BS高校生が社会や暮らしの中の問題点を自ら見つけ、解決策を提案するという「全国高校デザイン選手権大会」。東北芸術工科大学が主催しているもので、毎回刺激的な提案が行われている大変興味深いコンペです。今年で第14回目。今回、見事優勝に輝いたのは神戸市立科学技術高校チーム。その提案がさすがの内容。それは、兵器に製造国や企業名、価格などを示すラベルを貼り、本当に必要なものかどうか考え直そうというもの。もちろん、実現するのは難しいと思いますが、これは素晴らしい提案ですね。
兵器は商品であり、作る人、売る人、買う人がいるというのは誰でも知っていること。しかしながら、兵器そのものがほとんどの国民の日常生活に登場しない日本では、そんな基本的なことが忘れられがち。それを恐ろしいほどまでにあからさまにし、私たちの胸に突きつけてくるデザインだと思います。もちろん、日本だけをフィールドにした提案ではないですが。
ちなみに戦闘機の誘導爆弾1発は3,400万円だそうで、HIVの治療薬なら2,800人分、3千億円する原子力潜水艦1隻ならビスケット15億箱が買えるそうです...。
こういう頭をガツンとやられるような瞬間に出会うのはいいですね。新しい世界が開けた気分になります。
・全国高校デザイン選手権大会(http://www.tuad.ac.jp/hidechamp/)
そういえば、昔『頭にガツンと一撃』(ロジャー・フォン・イーク著/新潮社)という本がありました。1980年代に出版された本で、翻訳されたのは城山三郎さん。結構今読んでも”頭をガツン”と打たれる内容だと思います。『もしある男が後向きに馬に跨っていたら、なぜ後向きなのはその男だと考え、馬だと考えないのか?』みたいな、ね。
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『芸術の神様』(No.301/2007.11.16)
脳科学者の茂木健一郎さんがさまざまなクリエイターと対話した内容を収めた書籍『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)を読みました。BS日テレで放送されていた「ニューロンの回廊」の書籍化です。夏に発売された同じく茂木さんの『芸術脳』(新潮社)も、フリーペーパー「dictionary」の連載をまとめたものでした。やっぱり書籍としてまとまっているといつでも繰り返し読めるから便利です。ありがたい。
本作では、町田康、金森穣、山下洋輔などなど、そうそうたるメンバーを相手に刺激的な話が続きますが、個人的に最もハッとさせられたのは、落語家の立川志の輔さんの回。落語をやっている際、その状況を壊そうとする逆のベクトルが来たときに(例えば、キメ台詞を言おうと思った瞬間にお客さんの携帯が鳴る、など)、それとどう戦うかが”修行”であり、そういう状況を含めて”落語”なんだと。うむー、深い。
ギャラリーという”場”を運営している身としては、非常に衝撃的な言葉でした。さまざまな人が出入りすることによって面白いつながりや発見が生まれるわけですが、その分不測の事態やトラブルも増える。イベントなどが予定通りに行かないこともしばしば。もちろん、その場その場をしのいでいく難しさ、楽しさも感じてはいたのですが、それらはオプションでも例外でもなんでもなく、それも含めた上でその”場”なんだと。これは考えさせられました。普遍性のある考え方だと思いますが、やっぱり落語ってすごい。これぞ正真正銘”ライヴ”ってことなんだなあと。もちろん実践するのは難しいんですが...。
茂木さんのインタビューというか対話は、本当に話がいろんな方向に広がるから面白い。また”誰と話すか”もちゃんと考えられているから信用できるんですね。オススメです。
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『慣れの消費』(No.300/2007.11.09)
以前、仕事で”次の世代”をテーマにいろんな人と一緒に雑談をした際、非常に興味深い意見を耳にすることができました。
仕事上、若い人たち(=20代前半=次の世代)と触れ合う機会が多いのですが、何か彼らの”あきらめた感じ””希望の無い感じ””とにかくうまくやりたい感じ”みたいなものが気になっていて、もちろんそれは、その時期に誰しもが、もしくはある種類の人たちが、普通に志向することなのかもしれませんが、それでもすごく多い感じがして、誰かと話したいなと思っていたのです。
で、その雑談にたどり着くわけですが、そこでとある専門学校の先生がおっしゃっていたのが、彼らの”消費のうまさ”。うむー、なるほど。それ感じます。
今、20代前半の人たちは物心ついた頃から普通に携帯やコンピュータやゲームに触れてきた世代。そして今の社会はコンピュータによって多くのものが制御されています。なので、いろんな製品や道具を何となく使いこなせてしまうのでしょう。さらにインターネットの普及により、ネットで調べればありとあらゆるのもの輪郭を瞬時につかめてしまうわけで、これでは、消費がうまい、というか効率的に物事を進めることに長けていても不思議はありません。
そうすると、私たちの世代のやるべきことは、その延長線上にどういう社会を作るかと言うことと、効率的に物事を進めることのマイナスをちゃんと伝えること。このあたりなんだろうなと。検索すると言うことは選択しなかったものへの目線を失いがちになります。残念ながら、若い人のみならず、年齢に関係なくほとんどの人が効率性や利便性を強迫的に求める時代。ちょっと怖い。
無印良品のコンセプターである原研哉さんが、デザインの基本は”日常を未知化すること”とおっしゃっていました。つまりわかったような気になっていることをもう一度知ること。デザインの世界のみならず、すべてに共通するアプローチですよね。ホント。
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『大連立』(No.299/2007.11.02)
民主党・小沢一郎代表の突然の辞任表明、そして復帰劇。驚きましたねえ。
民主党やマス・メディアのドタバタぶりを”面白い”と言って笑って見ていられる状況ではないのですが...しかし、黒幕としてナベツネさんや中曽根さんの名前が出てきたり、民主党の鳩山由紀夫幹事長がテレビで密室会談の裏を暴露したり、まさに政治は”何でもアリ”。
結局は、小沢氏をばっさり切れない民主党が、その組織のひ弱さを露呈してしまった形になりました。個人的には、民主党が小沢氏に慰留をせず、小沢氏が新党を立ち上げればよかったのではないかと思います。「このままでは民主党は次の総選挙で勝てない」というのは、小沢氏の言うとおりだと思います。「民主党に政権を任せられない」というのも、国民感情を反映していると思います。だからこそ、ここで小沢氏を失う、という傷を負って、参院選の勝利に驕ることなく体制を立て直してほしかった。まあ、大連立が出来るほどの民主党離れが無いという前提ですが。民主党幹部のなりふり構わぬ慰留振りは見ていて滑稽でした。あれでは、特に若い議員たちはついてこないのではないかと思います。当たり前ですが政治は一人でやるものではありません。ここで小沢氏に離れられて駄目になるようならそもそも次の選挙も勝ち目は無いわけですから。ただ、反対するばかりで何も出来ないのであれば大連立もありかもしれませんが。
しかしながら、福田首相の持ちかけに乗って会談に応じ、結局は自ら“墓穴”を掘る形になってしまった小沢一郎氏。体調不良もあって、最近ちょっとあせっているようにも見えます。もうそろそろ腰を落ち着けて望む時期だと思うのですが。こうなってくると次回総選挙、いよいよ小沢氏のラストチャンスですね。
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『ゆとりの行方』(No.298/2007.10.26)
「ゆとり教育」の見直しが決まったそうです。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の教育課程部会が、国語や算数・数学、理科など主要教科の授業時間数を小学校で301時間、中学校で360時間増やすことを決めたとのこと。「ゆとり教育」による授業時間削減から学力低下を招いたことが理由らしいです。もともと「ゆとり教育」は詰め込み教育や管理教育などによって全国に校内暴力やいじめが蔓延したことが発端。しかしながら、方針自体の見直しも多く、内容についてはずっと疑問視されていた感があります。
もちろん授業時間を増やせばそれに比例して単純に学力がアップするかどうかはわかりませんが、個人的には賛成です。人間やはり知識にしても経験にしても蓄積が大事だと思うので、頭の働きが活発な10代の時にしっかりとした知識を身につけることは必要なことだと思います。しかしながら、その反面、中学を卒業したら高校、もしくは就職というような選択肢以外に、何か社会との関わりの中で知識や教養を自由に学ぶ選択肢が用意されている必要があるのではないかと思います。さらにその先も、従来のような大学や専門学校ではなく、新しい教育機関というか経験機関のようなものがあれば面白い。
梅田望夫氏との対談を収めた新書『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)において、脳科学者の茂木健一郎氏は「大学はもう終わっている」と断言されています。講義を受けて宿題を出してレポートや試験の採点をして成績をつけるという一連のプロセスがもはや”まったくナンセンス”だと。
インターネットや携帯端末の普及などによって、私たちの生活のインフラやコミュニケーションそのものも大きく変わりつつあります。そんな中でひょっとしたら教育システムが最も時代に取り残されてしまっているのかもしれません。今回の方向転換も、その先のことまでを考えると何か微妙な気がしますが。何かこれからの”すごい人”って、もう学校教育を受けていない人から出てくる気がします。
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『ダイ・ハード4.0』(No.297/2007.10.19)
久しぶりに時間を作って映画を観ました。ちょうどタイミングの合う時間で上映されていたのは『ダイ・ハード4.0』...。いや、いいんです。観れれば...。
もう18年も前となる第1作目は傑作でした。何の取り柄も無い刑事がとんでもない事件に巻き込まれ、知恵と勇気とヒューマニズムで敵と戦う。練られた脚本で最後まで飽きさせない。星5つのエンターテイメント。その後どんどんスケールは肥大化し、今回の4作目はもう観なくてもわかるというか。
ハリウッドではジョン・マクレーン以降の”普通”のヒーローが育たないのか、金になるものは死ぬまでこき使われるのか。実際観てみると、予想通りのとにかくどでかいスケール感と凝ったCG、てんこ盛りのアクション。
そして何より年老いたはずのブルース・ウィルス演じるジョン・マクレーンの強さ。これはもはやロボット。死にません。何しても。もともとこの役はアーノルド・シュワルツェネッガーが最有力候補だったとのこと。それなら納得できたかも。でも、意外と評判が悪くないのは、もうみんな映画にリアリティなんか求めていないと言うことなんでしょうか。とにかく何も考えずに楽しめればいいと。いやもちろんそういう映画もあっていいんですが。
ただ、そういう方向性があまりに進むと、俳優の演技や味、脚本のひねりや伏線、そういった要素は意味を成さず、とにかく観客の頭を使わせず、興奮のみを与える作品ばかりになってしまう気がします。それだともう映画いらないですよね。ジェットコースターでいい。ディズニーランドでいい。もっと言えば「続きはWEBで」、といって終わるテレビCMと同じ。もうそのメディアの敗北宣言じゃないかと。
ジョン・マクレーンが最後に敵を倒すシーンにハリウッドの堕落ぶりが集約されていると思います。残念。でもブルース・ウィルス、がんばってました。なんだかんだ言ってもアメリカのショービジネスの世界でトップに立つ人はすごい。という意味も含めて結果的には一見の価値あり。
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『美術館でオペラ』(No.296/2007.10.12)
ちょっとご縁があって、オペラコンサートを観る機会に恵まれました。今、渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ヴェネツィア絵画のきらめき』展に連動した企画で、日本オペラ界の貴公子と謳われる、テノール歌手の中鉢聡さんによるコンサートです。
男性テノールというとU2がイタリア・オペラの巨星と呼ばれたルチアーノ・パバロッティと共演した時によく聞いたぐらいの経験しかないのですが、コンサートの前に中鉢さんにインタビューさせていただいた際、「オペラは何の知識がなくても楽しめる」とおっしゃられたので、その言葉を胸に身を任せてみました。結果、うむー、やはり生の声の迫力には圧倒されますね。
また、今回はコンサートホールではなく、展覧会の会場内でコンサートを行うという面白い企画で、古の絵画に囲まれているせいもあってか、曲と声から歴史が感じられたように思います。同じように歌い継がれてきた歴史があってもロックだとこういう感じにはならないだろうなあと。ロックがアメリカで生まれてからまだ60年ぐらいしか経ってないわけで、まあしょうがないのですが。オペラ歌手を生業としている人の声には、その人がそれまでに培ってきたものや、その曲を今まで歌ってきた人々の想いのようなものが現れるのかもしれません。
先日、昭和最大の作詞家・阿久悠さんが亡くなられたときの報道で、”最近はいろんな人に歌い継がれていくような歌が少なくなった”、というような内容のコメントを寄せている人が何人かいました。歌が”人”や”時代”の想いや心を背負いながら引き継がれていくのだとしたら、多くの人の心に残る歌が少なくなってきたというのは、実はかなり深刻な問題だと思います。
結構いろんなことを考えさせられる良い機会でした。
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『原宿のシュールレアリスム』(No.295/2007.10.05)
個人的には映画といえば大手映画会社が配給する作品よりも、”ミニシアター系”と呼ばれる作品が好きな傾向にあると思います。一方で幼い頃から読んでいた「スクリーン」や「ロードショー」といった雑誌に象徴されるハリウッド系(?)の持つ、派手な感じや盛りだくさんな感じの作品にも好きなものはあり、まあカテゴリー分けはあまり意味がないのですが...最近思うのは、やはりこのボーダーが消えつつあるということ。
チェコのアニメ作家、ヤン・シュバンクマイエルと彼のよき理解者でパートナーだったエヴァの作品を展示した『ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展』(9月21日に終了しています)が原宿ラ・フォーレで行われるというニュースを聞いたときにそう確信しました。ちょっと違うけど...。私はシュヴァンクマイエルの大ファンですが、初めて彼の短編を見たのは吉祥寺にある秘密結社の隠れ家のような場所での上映会。正確には覚えていませんがおそらく10年以上前だったと思います。月日の経つのは早いものです...。
こういった、アンダーグラウンドなものが(まあ、シュバンクマイエルはアンダーグラウンドではないと思いますが、個人的な感覚として)、メジャーな舞台に引き上げられるということがさまざまなメディアで起こっていると思います。いろんな人の目にふれる反面、わかり易さが先行して深みが失われるというようなことは当たり前ですが、もっと枠を広げて考えると、結局は観る側の消費主義的な行動が引き起こした部分もあるのでものではないかと思います。わかりやすい=つまらないという図式は見方によっては歪んでいたり、シニカルなだけだったりのように思えますが、実際、奥の深いものや複雑なものは簡単には伝えられない、ということもあるでしょう。
作り手側は”観る側が望んでいるから”とわかりやすさやインパクトを求め、観る側は”今これが流行っている”という理由で作る側が宣伝する作品を選ぶ。全体的なレベルの低下を招く悪循環ですね。メジャー、インディーズなど、規模や作り方、志向性によるボーダーが無くなりつつある今、その悪しき循環から脱却するためにも、どちらが先ということではなく、とりあえず、私たち観る側がしっかりと作品の内容で選ぶ必要があると思います。
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『アルバム・リーフ』(No.294/2007.09.28)
CDを買う枚数も最近はめっきり減ってしまいましたが、それでもいい音源はちらほら出ていますね。
先月(といっても発売されたのは7月ですが)買った中でよかったのはアルバム・リーフの来日記念盤。未発表音源6曲に映像を収めたEP盤『ジ・エンチャンティッド・ヒル』。今までの抽象的で繊細なジャケットとは対照的なシンプルなデザインに多少のやっつけ感を覚えつつも、内容は期待を裏切らない出来でした。アルバム・リーフはサンディエゴ出身のジミー・ラヴェルによるソロ・プロジェクト。2004年に発表した『イン・ア・セーフ・プレイス』が評判になるのですが、というかこれはもう名盤なわけですが、このアルバムに協力したのがシガー・ロスで、そう考えると、やはりシガー・ロスが今の時代に与えた影響と言うのは、実は計り知れないものがあるんじゃないかと思いますね。
先日発売されたばかりで即買いしたのは、『ジェット・ブラック・クレヨン』。
もともとプロのスケートボーダーとして活躍し、その後、音楽やファッションにまで活躍の場を広げ、若者から圧倒的な支持を得るトミー・ゲレロの別ユニット。トミー・ゲレロは何枚か買っていないものもありますが、ジェット・ブラックは全部持っています。ソロでは聞けないダークでロウな質感が最高ですね。曲名もカッコいいし、今回もボーナスDVDが付いていますが、映像作品もかっこよすぎます。彼らの映像を見ていると、世の中ってモノクロでいいんじゃないかと思ってしまいます。
ここ数年、UKにしてもアメリカにしても、ロックの原点回帰のような流れを感じますが、アルバム・リーフやジェット・ブラック(もちろんシガー・ロスを含む)などの音が、派手さは無いものの、時代を表していると言う意味では非常に重要だと思います。スピード感から得られる高揚感ではなくて、透明な魂が流れ続けるような浮遊感、これですよね。ひょっとしたらその根底にはうっすらとした不安も垣間見えるのかもしれませんが。
ちなみにシガー・ロスは今年新作とDVDを発表するらしいです。”世界で最も美しい音楽”と評されることもある彼らの音。期待が高まります。
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『福田内閣誕生』(No.293/2007.09.21)
今月23日の自民党総裁選で、福田康夫元官房長官が麻生太郎幹事長と一騎打ちの末当選、25日の衆院本会議における指名を経て、第91代福田首相が誕生しました。毎日新聞の緊急世論調査によると内閣支持率は57%とのこと。まずまずの出足のようです。
福田内閣のキャッチフレーズは「安心と希望」だそうですが、安部前首相と同じく、抽象的で判りにくいところが逆に不安。”調整型”というと聞こえはいいですが、調整を行うためには時に強力なネゴが必要です。拉致問題なんかでも「本当にやる気があるのかなあ」と思ってしまうのはちょっと意地悪すぎるでしょうか。調整型の人に限って、調整が困難なときにあっさり辞めちゃったりしますからね。ご自身の年金問題しかり。自らの内閣を「一歩間違えれば、自民党が政権を失う”背水の陣内閣”」と位置づけましたが、麻生氏が入閣を固辞したことで、自民党にはもう一枚壁が残る結果になりましたし。
小泉内閣時代に途中降板となったものの、冷静な振る舞いで株を上げた感のある福田氏ですが、結局それなりに国民の支持を得ているのも、今のところはあの冷静で物静かな語り口に、国民がなんとなく信頼を感じているだけかもしれません。
それよりも、今回の総裁選で、安倍前首相が巻き起こしたさまざまなゴタゴタが少し忘れ去られてしまったような気がするのが怖いですね。体調の問題もあったとはいえ、ありえない幕引きでしたから。ありえないと言えば、小泉チルドレンによる”小泉氏擁立”劇もそう。小泉氏が出馬しないというのは、ほとんどの国民がそう思っていたでしょうし、これでもし麻生氏が勝っていたらチルドレンの人たちはどうするつもりだったのでしょうか...。
以前、このコラムで劇作家・平田オリザさんの「1962年前後生まれの人は自分の王国を築く傾向にある」という言葉を引用させたいただきましたが、小泉チルドレンの中にもこの世代の方がちらほら。自身で王国を築けなかった人は、王国を築いた人に狂信的に迎合してしまう傾向があるのかもしれませんね。
支持率こそそこそこ得ることが出来た福田内閣ですが、いきなり石破防衛相による政治資金収支報告書の訂正問題や、渡海文部科学相が建設会社から寄付を受けていた問題が発覚。どうなるやら。
ちなみにちょっとご報告。『ハイ・フィデリティ』についてご紹介させていただいた2007年09月14日号(No.307)が、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載されています。掲載期間は2007/9/22(土)〜2007/9/28(金)。他にもおすすめ情報が載っていますので、ぜひご覧ください。
・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html
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『ヴィスコンティ』(No.292/2007.09.14)
アキ・カウリスマキやらデヴィッド・リンチやら、とにかく”○○映画祭”や”記念上映”などというイベントには、ほとんど行けていない状況なのですが、そんな中、イタリアが生んだ巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ(1906年11月2日誕生 1976年3月17日没)の生誕100周年にあたる記念上映がいよいよ終焉に。2006年の秋から全国各地の映画館でさまざまな作品が上映されてきたのですが(というか、この映画祭、いろんなところでいろんなことをやっていて、全貌をつかむのがなかなか大変...)、7月に行われた上映で東京は最後?と思っていたのでちょっとびっくり。しかもBunkamuraル・シネマとは。これは行かねばなりませんね。上映作品は『ルートヴィヒ』『イノセント』『山猫』の3作。9/22(土)〜10/19(金)まで、毎日3作品が時間を変えて上映されます。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』がないのがちょっと残念ですが、でも見たいなあ。
ヴィスコンティの映画はめちゃくちゃ好きというわけではありませんが、リアリズムを伴った作品は好きなので、たまに見るとやはり引き込まれますね。向上にしろ堕落にしろ、自分の人生の少し先が見えたとき、その先に待ち受けるものによって己の進退を見極められる人とそうできない人がいると思います。ヴィスコンティにはよく”見極められない”人が登場します。しかしながら、それはほとんどの場合、ある種確信犯的に選び取っているようにも見え、結局、それこそが人間の持つ”弱さ”なのではないかと。この男と付き合うとろくなことにならないのはわかっているのに....。もう一杯ビールを頼んだら終電間に合わないんだけどなあ...みたいな。
ちょっと例えがベタか。
・ヴィスコンティ生誕100年祭
(http://www.crest-inter.co.jp/visconti/)
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『ダニのパンチ』(No.291/2007.09.07)
仕事や趣味の場で、いろいろとネーミングを考えることも多いのですが、昔聞いた店舗名で、今でも「あれは面白かったなー」と印象に残っている名前があります。
吉本興業がバブルの時代に作ったディスコの名前で「デッセジェニー」。明石家さんまが吉本興業の体質(=銭でっせ)を皮肉って名づけたもの。ネーミングとしていいかどうかはわかりませんが、面白いことを考えるなーと思いました。今でも覚えているということは、当時かなりのインパクトを感じたんでしょうね。
ネーミングには、複数の名前をプラスしたり(「シー(海)」+「ガイア(大地の神)」=シーガイア)、掛け合わせたり(SONET=SONY×INTERNET)、他にもいろんな手法が存在するようで、ネットでいろんな商品名の由来を調べてみると面白いです。「ダニ」+「パンチ」=ダニパンチ、「サラダ」+「ドレッシング」=サラドレ、「ゴリラ」+「クジラ」=ゴジラ、「リンス」+「シャンプー」=リンプ(ありましたねえ)、など。
ネーミングを支援してくれるフリーソフトも見つけました。その名も「命名ヤギさん」(沌珍館企画)。読み込んだテキストファイルからカタカナ語を抽出し、いかにもそれらしい新語を創成してくれるというもの。
とりあえず前回のコラムでやってみました。コラムの本文を読み込んで、「抽出」ボタンでカタカナを抽出(今回抽出されたのはテレビ、モノ、パソコン、デジタルカメラなど)。で、「生成」ボタンを押すと...出来たのがこの4つ。「デジカメラ」「カーカメ」「パソコンチップ」「ソコン」。「デジカメラ」は何か商品名っぽいですが、「ソコン」って...。
現在進行中のプロジェクトでも実際にやってみました。そのプロジェクトは、「スモール」な「キャンバス」に「ファインアート」が施されたものを「キャリー」して自分の「ニチジョウ」や「ライフ」を楽しもうというもの。
生成結果は「キャリート」「キャリール」「キャンバスモー」「ラインバス」「ファイフ」「スモート」「スモー」などなど。このソフトなかなか楽しいし、場合によっては参考にもなります。しかし「スモー」は絶対無いな(笑)。
・「命名ヤギさん」
(http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/060118/n0601184.html)
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『笑顔のレベル』(No.290/2007.09.07)
個人的に家電製品はあまり買い替えを行わずに結構長く使う方です。例えば、今使っているテレビや冷蔵庫は20年選手。まあモノを大切にすると言うよりは面倒くさがりやなんだと思いますが...。
それでも仕事で使っている関係もあって、それなりに買い換えてきたのがパソコン。そして、さらに激しいのがデジタルカメラ。デジカメは最初は趣味で使っていただけなのですが、そのうち仕事でも使うようになり、結局10年間で10台以上買っていると思います。もちろん、どんなシチュエーションでも1台でこなす万能選手はいないので、何台か使い分ける必要はあるとしても、一番の原因は技術革新の早さでしょうね。
パソコンの心臓部と言えるシリコンチップの性能は1年半から2年で2倍に向上するという”ムーアの法則”とうのが30年以上にわたって実証され続けてきていると言われていますが、デジカメの進歩は直接使い勝手に影響することもあってか、それ以上のスピードを感じさせます。
画素数のアップはもちろん、液晶画面の大型化や高感度撮影などなど。去年あたりからは”顔認識技術”というのが流行のようにどのメーカーにも搭載されてきました。カメラが自動的に人の顔を認識し、最適の露出やストロボ光量などををあわせてくれるというもの。これで人物の失敗写真が少なくなります。メーカーによっては10人ぐらいの人数でもちゃんと認識します。私も1台もっていますが、人の顔を認識してさらに、その人物が動いても追尾するさまは、SF映画を彷彿させます。つい最近ソニーから発売されたカメラは顔を認識するだけでなく、「スマイルシャッター」と言って、顔として検出した被写体が笑顔になると、自動的にシャッターが切れるそうです。目や口角、歯の見え方の変化によってどの程度の笑顔で撮影するかを「スマイルレベル」として設定もできると。ここまで必要かどうかは微妙だとしても、技術としては面白いですね。
さすがに近年はデジカメの機能的に飽和状態に近づいている気がして、さほど買い替えは行っていませんが、これだけ携帯も含めてカメラが普及するとやはり新しい技術はカメラに率先して搭載されるのではないでしょうか。そう考えると楽しみな反面、財布の紐をしっかり締めておかないと...。
しかしながら”顔認識”って考えると結構面白いですよね。どうしても顔を”顔”と認識されない人がいたり、何にもない白い壁をずっと顔と認識し続けたりして...。それはちょっと怖いか。
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『トランスフォーマー』(No.289/2007.08.31)
日本では8月4日から公開され、初日・2日目の興行成績では『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を抑えて、堂々1位となったマイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』。もともと本国アメリカでは最初の1週間の興行収入が1億5260万ドルという歴代新記録(シリーズものではない作品として)をたたきだし、ランキングでは初登場1位となるなどすさまじい勢いを見せていました。
この作品は製作総指揮を務めたスピルバーグがあたためていた企画で、構想期間は何と20年。近年になってようやく映像技術が整い、実写化できたそうです。
ストーリーとしては結構わかりやすい感じですが、個人的にも”マジンガーZ”や”ゲッターロボ”などなど、トランスフォーム関係のアニメで育ってきた世代。まだ映画は未見ですが、公式サイトなんかを見ていると、その昔、プラモデルや超合金ロボットでトランスフォームを楽しんでいた頃を思い出しました。ウケるのも納得。男性のみならず女性にも評判はいいそうで、このあたり時代を感じさせます。
思えば、日本には昔からトランスフォームするものがいろいろありますよね。”風呂敷”もそうだし”手ぬぐい”もそう。平らなお菓子箱から一升瓶まで、その形を変形させながら、時に2枚が協力し合って包み込む、まさに最強。落語なんかでは扇子がお箸になったり、杯になったり、金づちになったり。新作落語では野球のバットや携帯電話にもなるそうです。もっとも、これは形を変える、というよりも、そのように見える、といった方が正解かもしれませんが。
ちなみに風呂敷は、”繰り返し使える”という側面から環境にも優しいので、エコバッグ的な使い方もされるなど、ちょっとしたブームになっているようですね。コチラのサイト(日本風呂敷協会→http://furoshiki.homepage.jp)にいろんな包み方が載っていました。風呂敷を2枚あわせるとリュックにもなるというのはちょっと驚き。何でもかんでも優しく包み込んでしまう風呂敷、恐るべし。こういうのになら襲われてもいい?
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『子どもの始まり』(No.288/2007.08.24)
先日、ちょっと気になるニュースを見つけました。
出生率が高い地域では、近所付き合いが盛んで子育て支援の意識が高い傾向にあることが、北海道大大学院文学研究科の金子勇教授による道内外4市町の住民アンケート調査の分析結果から明らかになったそうです。なかなかこの結果には説得力があるなと。
日本では10年ぐらい前からずっと少子化が問題視されていますが、今の日本社会は、そもそも日常生活で乳幼児を目にする機会が減っているのではないかと思うんです。
子供の頭が体とのバランスに比べて大きいのは、大人に”かわいい”と思われることによって庇護を受けるためだという話を聞いたことがあります。また、女性はこどもを産むと、別名「愛情ホルモン」と呼ばれる「プロラクチン」という名前のホルモンが分泌され、「女性から母親へ」と気持ちが切り替わり、赤ちゃんへの愛情が自然に高まってくるらしいんですね。
少子化が進む理由にはいろいろあると思いますが、そういったさまざまな前提や仕組み以前に、大人が子供をみて「かわいい」と思う、そしてそれによって結婚や出産や子育てに対して希望を感じるという機会そのものが減っているのではないかと。
ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』の中で、精神科医のレクター博士は「人間の欲望はまず”見る”ことによって始まる」とクラリス捜査官にヒントを伝えます。つまり、一番最初の犠牲者が住んでいた近くに犯人がいる、と教えたんですね。
実際、私自身、ギャラリーを運営するようになってから小さなお子さんと触れ合う機会が多くなり、子供ってかわいいなと思う瞬間が増えました。近所付き合いには、いろんなプラス・マイナス面があるにしても、そういう場面が増えるのはやはり嬉しいものです。地域内のコミュニケーションをどうやって活発化するか、これは少子化の問題だけでなく、これからの時代、最も考えなければならないことではないでしょうか。
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『血のダイヤ』(No.287/2007.08.17)
三軒茶屋の映画館で『ブラッド・ダイヤモンド』を観ました。監督は『ラストサムライ』(2003)のエドワード・ズウィック。出演はレオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスーなど。1990年代のアフリカ、シェラレオネ共和国を舞台に、ダイヤモンド産業の内幕とダイヤモンドが招く悲劇の環を描いた作品。ディカプリオはアカデミー受賞作『ディパーティッド』での役どころと同じく、裏の社会でタフに生き延びている男を演じています。演技のよしあしはともかく、このあたりの作品で新しいファンを獲得しましたね。ジェニファー・コネリーもピッタリの役どころだし、ジャイモン・フンスーも大熱演。ハードな内容も含めてなかなか見ごたえがありました。
ダイヤモンドのみならず、世界中で資源のあるところに戦争が起こったり、一部の人間の思惑によって市場が操作されていたり、現代ではもはや当たり前の事実ですが、それでもあらためてこうやって見せられるといろいろ考えさせられますね。
しかしながら、前半では反政府ゲリラ組織RUFがやたらと恐ろしい集団のように描かれていたり、やはりディカプリオとジェニファーの間にロマンスがあったり、ところどころ感動が用意されていたり、やはり”社会派”作品と呼ぶにはあまーい感じが否めません。この辺が売れて何ぼ、もしくは売れなければならないハリウッド映画の限界なんでしょうか。エンターテイメントとしていろんな人に観られることによって、アフリカの現状がより広く伝わる、という言い方も出来るかもしれませんし、この監督の持ち味とも言えるのですが、うむーやっぱり偽善的な匂いがプンプンします。
第三世界が搾取されている現状を直視するのであれば、例えばドキュメンタリー作品『ジャマイカ 楽園の真実』(2001)あたりと比較すると腹への響き方はぜんぜん違います。
いずれにしても私たち個人の生活と関連性があるという意味で、これらの作品は無視できない映画、問題ではありますが。
・『ブラッド・ダイヤモンド』
(http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/)
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『ルドンの黒』(No.286/2007.08.10)
渋谷の東急Bunkamuraザ・ミュージアムで「ルドンの黒」展が開催中です。昨年末から今年にかけて開催された「スーパーエッシャー展」に続き、展覧会に関するワークショップの企画・運営をお手伝いさせていただきました。
今回は”新感覚ワークショップ”ということで、別室に参加者が集まって何らかのプログラムをこなすのではなく、来場された方ひとりひとりに対してその場で、”黒の手紙”をお渡しするというもの。手紙の中には作家・ルドンが「最も本質的な色」と表現した”黒”という色にまつわる内容が書いてあり、これを事前に読んでいただくことによって黒に関する理解を深め、よりいっそう展覧会を楽しんでいただこうという企画です。同じ渋谷にある日本デザイナー学院の生徒さんたちにもお手伝いいただきました。
このワークショップは、私個人の経験も少しベースになっています。それはスパイク・リー監督の『マルコムX』を見たときのこと。それまで街で暗躍するハスラーとして堕落した生活を送っていたマルコムは、とうとう刑務所に入る羽目になり、そこでとある宗教家から辞書の「白」と「黒」の項目について読まされます。いずれも驚くほど明確に、白にはポジティブな内容、黒にはネガティブな内容が書かれていました。これがマルコムが政治に興味を持つきっかけになるのですが、この場面はマルコムのみならず私にも衝撃を与えました。
このときのような感覚(もちろん”政治的な”とか”ネガティブな”という意味ではなく、”新鮮な感覚”という意味です)をご来場のお客様に少しでも感じていただくことができれば、展覧会がより興味深いものになるのではないか、との想いも込められています。
ワークショップは本日8月10日&11日と実施しています(黒い手紙がなくなり次第終了)。ご興味のある方ぜひご覧ください。
・Bunkamuraザ・ミュージアム
(http://www.bunkamura.co.jp/shokai/museum/)
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『参院選終了』(No.285/2007.08.03)
参院選が終わりました。結果は自民党の大惨敗、民主党の圧勝。個人的には悪くない結果だと思いますが、その分不安も残ります。1人区でまるでオセロの駒のように保守が次々とひっくり返される様子は、現実とは思えないほどでした。ちょっと怖かった。
今後の話は、まあ民主党がどれだけやれるかにかかっていますし、そこは期待と不安を持って見守りたいですが、それにしても今回の官僚の不祥事と安倍首相の失態は目に余るものがありましたね。
前回のコラムで1962年前後に生まれた人々の”王国志向”について書きましたが、世代は違うものの、やはり2世、3世議員というのは”タフさ”がなくなってくるのでしょうか。ここでいう”タフさ”とは、もちろん”何を言われても辞めない”というようなことではなく、現実をしっかり受け止めてしかるべき対応をする能力、という意味です。組織論やマネージャー教育なんかでも、最も大事なのはトラブル処理。何かあったときにどのようなチカラを発揮できるかで上に立つ人物かどうかが決まります。そういう意味では、現在の内閣の”弱さ”がまさに赤城農水大臣の”絆創膏”に象徴されていましたね。要するに”自分がどうしたいか”ではなく、”自分がどう見られているか”をちゃんと見極められるかどうか。絆創膏の理由ひとつ満足に説明できない人が、政治資金のような大きな問題をきっちり説明できるわけがありません。みんなそう思っていたはず。残念なことです。
赤木農水大臣はとうとう更迭されてしまいましたが、本人は安倍首相との話の中で「”あうんの呼吸”でその場で辞表を書いた」、とのこと。辞任については「安倍首相から直接言われたのではない」とコメントしていたようですが、もし本当に自らの意思が理由なら、辞表は書いて持っていくべきでしたね。これでは、自民党や安倍首相の援護射撃にもならない。やっぱり自分のやりたいようにやることが一番大事、なんでしょうか。
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『王国の崩壊』(No.284/2007.07.27)
芸能ネタから。
先日、タレントの羽賀研二が、暴力団員らを使って約4億円の債務を放棄させたとされる事件で、大阪地検に逮捕・起訴されました。これを受けて、所属している芸能事務所は彼の解雇を決断、事実上の芸能界引退宣告と言われています。以前からお金や女性のトラブルが絶えない人でしたから、ある意味予想された結末なのかもしれません。
個人的に”羽賀研二”と聞いて思い浮かぶのは、テレビ番組「笑っていいとも」...ではなくて、劇作家・平田オリザさんがご自身の著書『「リアル」だけが生き延びる』(発行:ウェイツ)の中でおっしゃっていた言葉。
オリザさんは、自分の生まれた世代(1962年前後)について、「物質的な苦労なしに育った最初の世代」と定義し、「この年(1962年)は劇作家と犯罪者が多いと言われています」と続けます。そして、同じ世代の「三谷幸喜」「宮崎勤」「池田小学校の宅間」「和歌山カレー事件の林真須美」「松田聖子」「羽賀研二」らの名前を挙げ、「これには共通点があって、全部「自分の王国」を築いちゃうような人」と分析します。そして「たまたま僕は演劇に出会ったから犯罪者にならなかった」と。
もちろん、世代が同じでも育った環境によって人格形成は変わってくると思いますが、自分の思い通りに世界を動かしたい、みたいな欲求が突出しているところは共通しているのかもしれません。だとしたら、それは何もこの世代の人たちだけではなくて、それ以降に生まれた日本人に多かれ少なかれ当てはまりますよね。そう考えると結構怖いです。”甘え”を許す日本、これからは”理由なく拡大しない”という意味も含めた”我慢”というキーワードが重要になってくる気がします。
ちなみに、オリザさん、前述の書籍の「たまたま僕は演劇に出会ったから犯罪者にならなかった」の後に「松尾スズキさんなんてまさにそうだと思うんですけど」と続けています。これにはちょっと笑ってしまいました。確かに。
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『希望の肉』(No.283/2007.07.20)
中国では肉まんにダンボールを入れて売っていたと報じられたかと思うと、その事実そのものが捏造だったことが発覚。いやはや、世の中わけがわからなくなってきましたね。国内でも、食品加工卸会社ミートホープの偽装牛ミンチ問題が連日メディアで報道されています。こちらはどうやら事実のようですが、そのずさんさ、巧妙さは聞いていてあきれるばかり。
しかしながら、ミートホープの田中社長は裸一貫から起業して、一代で会社をここまでにした人物なんだそうですね。しかもその肉の混合に関しては天才的なひらめきを発揮したとか。「挽き肉の赤身と脂身とを一様に混ぜ合わせる攪拌機」の独自技術を持っていて、文部科学大臣「創意工夫功労者賞」なども受けているらしいです。いわゆるベンチャーとしての成功事例と言えるのかもしれません。もちろん、法を犯して手にした成功はにせものであり、犯罪です。基本的なルールを無視した責任は計り知れません。
とあるテレビ番組で、弁護士のコメンテーター(名前は忘れてしまいました)の人が「偽装したから問題になった。バラエティミートとかの名前で堂々と売ればよかった」と発言。その”バラエティミート”と言うネーミングの巧みさに思わずうなずいてしまいました。
そういう発想が出来るかどうかが、本当に成功できる人とそうでない人の差なんだろうなあと。合い挽き肉自体は普通に売られていますが、そこをもう一歩飛躍させて、”牛だけが肉じゃない、合い挽きの方がうまい”とブレイクスルーできれば業界にも名を残したでしょうに。
これもテレビで見たのですが、昨今の世界的なマグロの減少についてコメントを求められた、かの”さかなくん”。あの大きな目をギョロギョロさせながら、「世界には2万種類もの魚がいます。マグロ以外にもおいしい魚がいっぱいいるんですよー」と。少くなってしまったマグロをいかに大量に確保できるかを企業が熾烈な競争を繰り広げる中、マグロ信奉をあっさり捨てる発言。これもある種発想の転換ですよね。
とある日の、田中社長のコメント。「言い訳させていただくと、やはり、きちっとした表示さえあれば、たとえ(豚や鶏を)混ぜてもおいしい」。うむー...やはり根本的なところで勘違いしていたんですね。
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『デス映画』(No.282/2007.07.13)
ビデオをレンタルするときは、何を借りるかを決めてレンタル屋さんに行くことはほとんどありません。まあそのときの気分で店内をうろうろしながら気になったものを借りると。なので、なかなか決まらないときは気が付くと1時間ぐらいお店にいるときもあります。
先日、何となく借りたいものが決まらずぶらぶらしていると、ふと目に飛び込んできたのがホラー映画のコーナー。同じようなタイトルが並んでいたので目に留まりました。並んでいる作品のタイトルがすべて『デス』から始まっているんです。『デスライド』『デスゲーム』『デスリング』『デス・ヴィレッジ』などなど。これは明らかに『デスノート』がヒットした影響でしょうね。そう言えば、『リング』や『SAW』がヒットしたときも似たようなタイトル・パッケージのものが出回りました。
で、『デスライド』は原題も「DEATH RIDE」だからいいとして、『デスゲーム』は原題が「STAY ALIVE」、『デスリング』は「Ring Around the Rosie」、『デス・ヴィレッジ』は「RITUAL」...。なんでもありですねえ。
中でも面白かったのが『デスバーガー』。いや別に人食いハンバーガーが暴れまくるとか、食べると死ぬというハンバーガーが出てくるとかいうことではなくて(これだと単なる食中毒か...)、ハンバーガー・ショップを舞台にしたホラーということなんですが。原題は「DRIVE-THRU」(これもまた...)。表紙には鬼のような形相で毒々しいハンバーガーを持った、某有名ハンバーガーショップのキャラクターに似た感じのピエロが...。逆にここまで来るとちょっと借りたくなってきますね。そのうち『デスステーキ』『デスホッチキス』『デスプリン』なんてのも出てくるかも...。
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『しゃべれども』(No.281/2007.07.06)
先々週のコラムで公開が迫っている大注目作品としてアキ・カウリスマキ監督の最新作『街のあかり』とデヴィッド・リンチ監督の最新作『インランド・エンパイア』をご紹介しましたが、まだ未見ながら現在公開中の作品でオススメしたいのが『しゃべれどもしゃべれども』。
本作は1997年度“「本の雑誌」ベスト10”のランキングで第1位に輝いた佐藤多佳子の長編小説を映画化したのもので、東京の下町を舞台に、とある落語家のもとに集った「落語を、話し方を習いたい」というワケありの3人の人間模様を描いた作品。監督は『愛を乞うひと』(1998)で世界的な評価を得た平山秀幸。
まだ観ていないのですが、主人公の落語家にキャスティングされたTOKIOの国分太一さんの演技が素晴らしいらしいんです。これ、単純に映画を観た人の感想を聞いたのではなくて、国分さんに落語の演技指導をつけていらした落語家さんから聞いたお話。実はうちのギャラリー『世田谷233』では、毎月小さな落語寄席を開催しているのですが、そこに出演してくださっていた柳家三三(やなぎやさんざ)さんと古今亭菊志ん(当時は二つ目で菊朗さんでした)さんが稽古の先生を努められたんです。もう今から1年ほど前の話ですが、当時お二人から、国分さんの演技の感の良さやセンスの良さのお話を伺っていました。さらに「本当に落語好きの落語家が演じているようだ」と太鼓判も。落語好きの私としては、これは観たい、と。まだ行けてませんが...。
三三さんも菊志んさんも、日本の古典落語をこれから背負っていかれるであろう器のお二人。ということでオススメです。
・『しゃべれどもしゃべれども』(http://www.shaberedomo.com/)
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