| D-Column |
『過激なヨガ』(No.280/2007.06.29)
最近、日本ではアメリカの軍隊式ダイエット・プログラム『ビリーズブートキャンプ』が大ヒットしていますね。ビリー隊長もとうとう来日していろんなメディアに出演、大忙しのようです。実際周りにいたらちょっと暑いかも...という感じのキャラですが、どんなメディアに出ても突然体操を始めるビリー隊長。その一生懸命さが微笑ましいですね。
そんな中、日経流通新聞の「ヒットの予感」というコーナーによると、本国アメリカでは”ヨガ”が流行っているとのこと。これはこれでちょっと笑ってしまいました。というのも、サブタイトルは「過激に進化する米国ヨガ」。
これがとんでもないことに...。
そもそもヨガ (Yoga) とは、インドで生まれた心や身体をコントロールする技術のことだそうで、アーサナ(=姿勢)や、プラーナーヤーマ(=呼吸法)を重視するものや、瞑想による精神統一を重視するものなどいろいろあるようです。
いずれにしても、いわゆる”フィットネス”のような健康増進の運動とは違う感じがしますよね。ところがそこはアメリカ。さすがさまざまな文化を自分たち流に変えてきた人たちです。
まず紹介されていたのが『フェイスヨガ』。なんと舌を出して”あっかんべー”をした表情を中心に、顔回りの筋肉を動かすというもの。”インド人のヨガの先生の顔にはほとんどシワがないことに気づいたのがきっかけ」だそうです...。次は『エアリアルヨガ』。天井から吊るされたゴムバンドのようなものに上半身をゆだね、空中に浮いたままで姿勢をとるというもの。写真も載っていましたが...浮いてました。最後は『鉄アレイヨガ』...。鉄アレイを持ったまま姿勢を取り、上半身の筋肉や腕なども同時に鍛えられるトレーニング要素を強化したヨガとのこと。私はヨガをやったことはありませんし、”インドで生まれた”ということで、ヨガには宇宙レベルのバリエーションがあってもいいのかもしれませんが、レオタードを着た女性が鉄アレイを両手に辛そうな姿勢を取ってにっこり笑っている写真にはさすがに違和感が...。
アメリカ人っていろんな意味でたくましいなあと。とかいいながら日本でも流行ったりして。
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『アキ&リンチ』(No.279/2007.06.22)
うわー、始まりました。アキ・カウリスマキ監督の最新作『街のあかり』公開記念&生誕50周年企画。渋谷のユーロスペースにて処女作『罪と罰』から大ヒット作『過去のない男』まで、全19作品一挙上映。『カラマリ・ユニオン』も『浮き雲』も全部やります。見たい見たい見たい〜。
でもって、『街のあかり』は7月から公開ですが、同じく7月にはデヴィッド・リンチの5年ぶりの新作『インランド・エンパイア』も公開されます。これもめちゃ楽しみ。待ちきれません。前作『マルホランド・ドライブ』もそうでしたが、最低でも3回は劇場で見るでしょう。今年は奇しくも、長編第1作『イレイザーヘッド』から30年目だそうです。そう考えると、前作から5年というのは結構空きましたね。『マルホランド・ドライブ』があまりにも大傑作だっただけにファンとしては多少不安もありますが、今回は”ウサギ人間”が登場するとの事。こりゃ期待するなって方が無理というものです。
アキ・カウリスマキにデヴィッド・リンチ、ともに個人的にベスト10に入るほど大好きな監督。何か共通点があるのでは?と思って考えてみました。
うむー。はっきりとはわかりませんが、しいて言えばリアリティと寓話的要素のバランスが似ているところ、さらにそれを圧倒的なオリジナリティでまとめているところでしょうか。どんなにユーモラスな場面でも、希望に満ち溢れた場面でも、その水面下に必ず”絶望”という感情が流れているあたりも似ているかもしれません。さらに二人とも音楽の使い方が抜群にうまいですしね。
ちなみに個人的に好きな監督のあと7人はアッバス・キアロスタミ、パトリス・ルコント、ジム・ジャームッシュ、スパイク・リー、ジョン・カサヴェテス、アンドレイ・タルコフスキー、今村昌平、フランクリン・J・シャフナーにスタンリー・キューブリックに...etc...あっさり10人超えてますが。
・ユーロスペース(http://www.eurospace.co.jp/)
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『つながりの裏表』(No.278/2007.06.15)
個人的に大切にしたいと思っているキーワードに”つながり”があります。これはイベントを企画したり運営したりするときもそうですし、友人関係なんかでもそうですね。そもそもフリーで仕事をするということは”つながり”をベースに仕事をするということで、”クオリティ”や”スピード”といった要素はもちろん、”つながり”という要素でお仕事をいただくこともホント多いです。
”つながり”を大事にする、というと嫌な顔をする人はいないでしょうし、ある意味”正論”というか、間違いのない価値観のように思われるかもしれません。しかし、私は実はこのキーワード、結構危うさを持っていると思います(そもそも”つながりを大切にする”なんて、メールマガジンで発表すること自体胡散臭いですが...笑)。
今回ご紹介する作品『ケーブルガイ』もそうです。主人公の男は、友達関係に異常に執着する”ケーブルガイ”と”つながり”ができたことによってさまざまな危機に見舞われるわけで、”つながり”を大切にするということはそれなりにさまざまな”リスク”を背負うということでもあるわけです。知り合いに仕事を頼んで、”お友達価格”で安くやってもらったのはいいけれどクオリティが...みたいなこともあるでしょう。やっぱり物事、必ず二面性があるもんです。そうでなくても”つながり”は結構面倒くさいし、気疲れもする。それでも人間は一人で生きることはできませんから、どうしても”つながる”必要があるわけで、つまりは”つながり方”というのが大事になってくるんでしょうね。
今の時代は”コミュニケーション”という言葉が完全に浸透した気がしますが、誰と誰をどういう風につなぐか、という技術だけでなく、つながった後にどのような交流、情報交換を行うのか、そこでコミュニケーションの能力が問われるのだと思います。まあ、ふた昔前の世の中であれば、放っておいても社会の中で自然に学べたのだと思いますが。
さて、あなたの周りに”ケーブルガイ”はいませんか?
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『パソコン・クラッシュ』(No.277/2007.06.08)
またパソコンが壊れました...。いろいろ処置を施したのですが、最後はハードディスクが今まで聞いたことも無いような高音を発して動かなくなりました。数日前からちょっと異音が聞こえてはいたのですが、まさかこんなに早くだめになってしまうとは...。パソコン本体が異常な熱さになるのも気になっていたのですが。くやしい。
データはバックアップを取っているので大丈夫ですが、最もイタイのは、メールの受信履歴。このデータを取り出そうとしたのですがだめでした。
いろんな経験をしながらさまざまなことを学び取る”ワークショップ”が相変わらず盛んですが、その中に”マイナスのワークショップ”というのがあるそうです。日常生活の中で、何かひとつ”マイナス”して暮らすというもの。それは携帯電話でもいいし、テレビでもいいし、帽子でもいいし、何でもいい。とにかく自分の生活からひとつ”引いてみる”事によっていろいろ考えたり感じたり。なかなか面白い着眼点ですよね。まあ無くなって本当にどうしようもないものってそんなにはないんでしょうね。メールの履歴しかり。無いなら無いで、実はそれなりに何とかなります。
個人的には携帯メールは使っていませんし、Eメールは基本的にビジネスのツールとして割り切って使っているので、仕事の文脈での履歴が無いのは困りますが、よく考えると、友人からのメールなんかでそれなりに思い出として取っておきたいものもあったんじゃないかなあと。そういえば、会社員を辞めたときに、いろんな人がメールでエールを送ってくれた気がします。あまり一緒に仕事をしたことが無い人や取引先の人なんかが、噂を聞いて電話をくれたりメールをくれたり。ギャラリーに対する励ましの内容のメールもいろいろいただいていたなあと。友達夫婦に子供が生まれたときに送ってくれた赤ん坊のかわいい写真も、わざわざデータを別に保存せずに、メールの添付メールで保存していた気が...。うわあ、考えるのやめよ。
ちなみにメールの履歴のバックアップについてはこちらがわかりやすいです。
・FUNNY STORY
(http://www.hinocatv.ne.jp/~s_h_r/index.htm)
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『今年のパンク』(No.276/2007.06.01)
CD紹介。
今年はすでにパンクの大御所の新譜が結構出ました。ストラングラーズ、イギー・ポップ(ストゥージズ)、パティ・スミス。ストラングラーズは何と16枚目となるアルバム『Suite XVI』、ストゥージズは同名義では34年ぶりという新作『ザ・ウィヤードネス』。パティ・スミスの3年ぶりの新作『Twelve』は自身初のカヴァーアルバム。。新譜を出しただけでも、続けているだけでもすごいと思うけど、パワーが衰えていないところがすごい、てかここまでくると”怖い”。
先日、ドン・レッツ監督の「PUNK:ATTITUDE」というドキュメンタリー作品のDVDをレンタルして見ましたが、初期のストゥージズのライブ映像があって、イギー・ポップのキレ方は半端じゃなかったです。人間じゃないみたい。最高。音楽と肉体、音と魂。そういう意味では、人の心に触れるすべての音楽は”ソウル”ミュージックと呼ぶべきですね。
ストラングラーズの新譜の日本版にはボーナス・トラックが2曲含まれていて、うち1曲は三島由紀夫に捧げられた「デス・アンド・ナイト・アンド・ブラッド」。とりあえずまずこれを買いました。涙ものです。
以前、このコラムで、ロックは流れ続け、パンクは時代ごとに爆発する、みたいなことを書きましたが、いきなり修正。パンクも流れ続けてる。まあ、パンクとかロックとかどっちでもいいや。大事なのは”世界をぶっ壊す”=”価値観を変える”ってこと。徹底的に現実を見つめた末にぶっ壊すべきものは?
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『恩返し』(No.275/2007.05.25)
最近はいろいろとイベントを企画したり運営したりする仕事が増えました。まあギャラリーをやっているということもあると思いますが、やっぱりイベントという仕組みが、いろんなフィールドにおいて、閉塞した状況を活性化するためによく使われているということもあるのでしょう。ボランティア活動なども楽しくイベント化して行えば人も集まりやすいし、継続しやすくなるような側面は確かにありますしね。
イベントというカテゴリーの中に”祭り”も含まれるとすると、単にコミュニティに生きる人々のガス抜きだけでなく、天気や豊作を祈ったり、もともとはもっと切実な思いから発生したものもあるかもしれません。しかしながら、私はすべての”イベント”において大事なのは「恩返し」という考え方だと思います。イベントに限らず、世の中において、人々から必要とされたり、長く続いたりするものには”恩返し”の概念が、多かれ少なかれ含まれているのではないでしょうか。誰が、何のために、どういう形で恩返しをするのか、その組み合わせこそ現代では本当に様々だと思います。またその度合いは多くても少なくても構わない。気持ちだけでもいいんです。その土地で暮らしているということに対してであれば、地域に。商売をしているなら、お客様に。環境を考えるのであれば、地球に。とにかく自分が恩恵を受けてきた対象に対して、自分が何が出来るのかということ。それがなければ、結局人の心を動かすことは出来ないと思います。
以前、石原都知事が銀行税なるものをぶちあげましたが、あれもその考え方に近かったかもしれません。もっともあの場合は、東京で商売させてやってんだから、東京に税金納めて恩返ししろ、という感じでしたが...。
いずれにしても、”恩返し”という考え方を取り入れた方が逆に経済的な循環を生むという仕組みを徹底的に考えること、これが今の世の中でもっとも求められていることではないかと思います。
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『スパイダーマン3』(No.274/2007.05.18)
前回に続き、公開中作品レビュー。今回は『スパイダーマン3』です。
ここ10年ほど遡っても、アメコミを原作とした映画作品としては、類を見ない程の完成度と興行収入を上げている「スパイダーマン」シリーズ。一説によるとシリーズでの経済価値はヨーロッパの小さな国1つに匹敵するとかしないとか。もともと数あるアメコミの中でも主人公にさほど特別な能力があるわけではないスパイダーマンは特異な存在。しかしながら映画化にあたっては、糸を使ってNYの空間を縦横無尽に駆け巡る描写がぴったりハマッったんでしょうね。もちろん、監督サム・ライミのオタク的こだわりやスパイダーマンを演じるトビー・マグワイアの熱演など、いろんな要因があるのだとは思いますが。
で、3作目。まあよく出来てます。CG(じゃなくてVFXって言うんですね)をフル活用したアクション・シーンも盛りだくさん。旧知の敵から新たな敵、果ては自分自身が敵になるなど、脚本も練られています。これは多くの人に受け入れられるでしょう。
GWに発行された「ニューズウィーク日本版」の映画特集号では、”トビー・マグワイアが降板しても代役を用意してあと3作は作るかも”という予想が書いてありましたが、あながちはずれではないかも。今回はさすがに次作をにおわすような演出は無かったですが、基本的にこの手の作品は新たな敵を作ればいくらでも続編が可能ですからね。
と、基本的には満足しましたが、善と悪という二元論では割りきれない世界を描いている反面、星条旗をバックにスパイダーマンがポーズを決めるシーンがあるなど、そこはやっぱりハリウッド映画なんだなと。こういう描写にはうんざりしますね。アメリカ人って結局いつまでたっても変わらないのかなあ。復讐心をコントロールし、恨みの連鎖を断ち切ることを今まさに求められているのは、映画に登場するキャラクターたちではなく、他でもないアメリカ自身だと思うのですが。力を持った主人公が傲慢になってみんなに嫌われるところまでは、まさにアメリカを体現していたのですが...。でも単純にアクション映画としてみれば十分満足できます。
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『ハンニバル・ディパーティッド』(No.273/2007.05.11)
久しぶりに公開中作品のレビューを2つ。
ひとつは『羊たちの沈黙』(1991)で全世界を震撼させたトマス・ハリス原作の『ハンニバル・ライジング』。好きなシリーズですが、これは評価が難しいですね。レクター博士ファンにとってはマルで、トマス・ハリスファンにとってはペケ、といったところでしょうか。個人的にはペケでした。
主人公のキャラクターや脚本を考えるとしょうがないのですが、それでも猟奇的な場面が必要以上に多く、レクター博士が単なるサイコ殺人鬼にしか見えませんでした。かといって、そういう場面を控えめにして、レクター博士の心理描写をメインにしてしまうと、映画作品としては地味なんでしょうね。
なので、レクター博士の一連の作品の幕開け、という位置づけではなくて、若くて勢いもあるギャスパー・ウリエルをメインに、異国情緒(=日本文化)で不思議な味付けをして、ちょっと変わったサイコサスペンスとして独立した作品作りを目指したのではないかと。ただ『羊たちの沈黙』以降、同様の作品があまりにも多すぎて、カニバリズムを前面に押したところで目新しさは無かったです。見終わった後、その足で書店に行き、原作を買いました。
トマス・ハリスの原作ははずさない...はずです。★2つ。
もうひとつはちょっと古いですが『ディパーティッド』。ハリウッドの重鎮、マーチン・スコセッシ監督が香港映画の『インファナル・アフェア』(2002)をリメイクしたもの。第79回アカデミー賞作品賞を受賞しました(外国映画のリメイク作品としては史上初だそうです)。
こちらはオリジナルの方を見ていない方にとってはなかなかよく出来ているのではないかと思います。もちろん、深みもなければ厚みもなく、ラストも褒められたものではありませんが、緊張感はあります。
ジャック・ニコルソンを始めとするキャスティングもよく、音楽の使い方も良いので”映画を見た感”が得られます。やっぱり、ストーンズもピンク・フロイド(カバーだけど)もいいですねえ。主役のディカプリオ、マット・デイモンががんばってる。でもってマーク・ウォルバーグのキレ具合もいいし、アレック・ボールドウィンのだらしなさも面白い。
しかしスコセッシって、年を重ねるほどに宗教の取り扱い方が薄っぺらになっているように思うのですが気のせいでしょうか。印象としては、こてこてのどつきマンザイ、という感じです。そういうのが好きな方には受けるはず。★3つ。
最後にひとつご報告。前回配信させていただいた『さよならモンペール』についてのレビュー(2007/5/04号)ですが、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、2007/5/9(水)〜2007/5/15(火)の期間、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載いただいています。ありがたいです。
・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html
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『孤独と不安』(No.272/2007.05.04)
劇団「第三舞台」主宰の鴻上尚史さんの「孤独と不安のレッスン」(大和書房)という本を読みました。第三舞台は2001年から10年間の休演に入っていて、直接舞台を見たことはないのですが、鴻上さんの本は結構読んでいます。この人の言葉はしっとりしているけれど潔くてダイレクトなんですよね。
鴻上さんは、”孤独”には「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」があり、「本当の孤独」には素晴らしい価値がある、と説きます。そして、そこに気づくまでのプロセスを具体的なポイントを上げて語りかけてきます。
”孤独”に価値があるというのは、私もそう思います。近年”引きこもり”という言葉がよく使われますが、若い人と話をしていると「もっとちゃんと(というと変ですが)引きこもればいいのに」と思うことがあります。自分の部屋で孤独と不安にさいなまれながら悶々と過ごすのは自分自身と向き合うチャンス。しかし現代ではゲームもあればネットもある。孤独を表面上打ち消すモノにあふれいているし、部屋の中にいても世界とつながっている。これではせっかくのチャンスを逃すことになってしまいます。必ずしも”引きこもる”のがいいというわけではありませんが。
鴻上さんの本を読むと、「なるほどっ」という言葉や思想に出会うことが多いのですが、この本にもありました。素晴らしい一文が。それは「つらくなったら誰かに何かをあげる」ということ。つらくなったり、不安になったりしたら誰かに何かをあげよう、物でもいいしお話でもいいし、なんでもいい、と。鴻上さんはそれを”おみやげ”と呼びます。うまい。誰かにおみやげをあげると自分だけの世界から抜け出せる。
まったくその通りですね。つらいときに愚痴を聞いてくれる友達も大事。しかし、その前に、他人に何かをあげることを考えてみるのは素敵なことだと思います。それは言い換えれば世界に対してポジティブに関わるということ。自分の悩みや不安とちゃんと向き合える精神状態を作る。まずはそこからだと思います。結局自分の悩みを解決するのは自分しかいないのですから。
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『ライブ感』(No.271/2007.04.27)
最近、ネット上のコミュニティで、人と人とがいとも簡単に”友達”になる様子を目の当たりにすると、”本当の友達”(そもそもそういうものが存在するかどうか疑問ですが)とは一体何だろう、と考えてしまいます。
思えば、私が友達の大切さをちゃんと認識したのは、大学時代でした。
その頃、特に仲の良かった友人たちとの話がとにかく面白かった。しかし、その友達たちとは、とりわけ趣味が合うわけでもないし、同じお店でアルバイトをしているわけでもない、それでもなぜか会うと話し込んでしまう。で、他の友達とどこが違うんだろうと思い、会う度にそのことを考えていたら、ある日気がつきました。
そういう友達は会うと必ず”新しい”話をしてくれるのです。最近チャレンジしていること、最近経験したこと、最近考えたこと、などなど。もちろん意識しているわけではないと思いますが。なるほどこれか、と思いました。昔の話を繰り返したり、過去のことを愚痴ったりももちろんあるのですが、基本的に前を向いていて、視点は世界に開かれおり、実際に新しい経験(それが思考であれ行動であれ)を積み重ねているのです。同じ年の人間が新しい領域に踏み出した経験談、これが面白くないわけがありません。当時は、私もいろんな事に興味を持ってちょっかいを出していた時期(ヨーロッパを旅したり、ホノルルマラソンに出たりしてました)。こちらからも知らないうちに新しい経験を話していたのかもしれません。
いい刺激を与えられる関係、これが本当の友達、というか、ずっと付き合う友達の条件のようなものかもしれません。
ふと、こういった人との出会い方や付き合い方と、ネットを中心としたコミュニケーションの違いがあるとすれば、語られることが”経験”か”情報”か、ということではないかと思いました。ちょっと極論ですが。
もちろんネットでも経験は語られますが、そのほとんどが何かのメディアを通して見聞きしたこと。しかも、身振り手振り、声に表情、そういった要素がないので、”ライブ感”に欠けるのです。この”ライブ感”が重要だと思うんですね。臨場感と言い換えてもいいのですが、もっと身近で生々しいもの。自分の生活の先にある、人生や生命というものにつながっている感覚。
もし、ネットでのコミュニケーションが普通に存在する時代に生まれた若い世代の人たちが、ここでいう”ライブ感”を感じる機会が少ないのだとしたら、だからこそ瞬間的な盛り上がりを求めるのではないかと。ゲームしかり、スポーツ観戦しかり。しかしながら刹那的で乾いた”熱”はすぐに冷めます。
さほど熱くなくても、人間の体温が感じられる”ライブ感”が、今の時代にあらためて必要とされているのではないでしょうか。
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『みんな表現者』(No.270/2007.04.20)
少し前の話ですが、ビジネス週刊誌『ダイヤモンド』に面白い記事が載っていました。”1億「総表現者」時代がやって来た”というもの。ネット社会の到来によって、多くの人が表現手段を手にいれ、誰もが映画監督になれる時代になった、と。
さらっと読み過ごせばそれで終わりなのですが、ちょっと引っかかりました。
以前、ジャーナリストの神保哲生さんが講演でおっしゃっていたのですが、神保氏のようにコロンビア大のジャーナリズム学科を卒業しても、そのままメジャーな出版社に入れるのはほんの数人とのこと。他の大多数のジャーナリスト志望の若者は、仕方なく地方の出版社などに身を置いて日々小さな記事を追い求めて飛び回っているらしいんです。まあそういう状況下で、”いつか見てろ”と悶々としているんでしょうね。で、そういった人々はケーブルテレビやネットなど新しいメディアが登場するたびに、我先にと飛びつき、そのメディアを用いて自分が伝えたいことや取り上げたいことを発信するそうです。
当たり前の話ですが、当然”伝えたいこと”が先。伝えたいことがあるけれど既存のメディアでそれが実現できない人が新しいメディアに可能性を見出すわけです。
ネットやパソコンを中心とするテクノロジーの進化によって、確かに素人でもそれなりに映画や音楽が作れるようになりましたが、そういった仕組みは、どうも”メディア”が先になってしまっている気がします。当然、メディアがあるから作ってみよう、というモチベーションもあるかと思いますが、残念ながら、そういう動機からから生まれるものにあまり面白いものはない気がします(もちろん、ゼロではありませんが)。
そのあたり、特にメディアを提供する側にいる人たちが勘違いしているような気がしてなりません。いや確信犯的にビジネスとして煽っているのかもしれませんが。映画を作るためにDVカメラを買ったり、映像の編集が出来る高価なパソコンを買ったり、編集のためのソフトウェアをそろえたり、それなりにお金がかかりますからね。
結局一番儲かるのは、まずはインフラやシステムを提供する人ですから。
ちなみに、その時に週刊『ダイヤモンド』を買ったのは、「驚異のイスラム」という特集記事を読みたかったからです。中国も勢いがあるけれど、イスラムもすごい...。
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『スーダラ魂』(No.269/2007.04.13)
日本を代表するコメディアンであり、歌手であり、俳優である植木等さんが3月27日にお亡くなりになりました。あのひょうひょうとしたキャラクターやサラリーマンの心情をすくい取った名曲の数々は、今でも時代を超えてさまざまな人々に愛され続けています。...本当に残念です。
4月に入ってから、各テレビ局が植木さんの追悼番組を放送。たまたまとある番組を目にしたのですが、その中の植木さんの発言で、大変印象的な言葉がありました。フジテレビの開局と共にはじまった伝説の番組「シャボン玉ホリデー」。日本中を笑いで包んだ番組も、オイルショックや「サザエさん」の登場などによって下火になり、やがて11年間592回の歴史に幕を閉じます。
その時の気持ちを番組の司会者に尋ねられた植木さん。「本当に寂しかった。しかし、当時はたかが30分の番組に4日間もリハーサルを行っていた。今はそんなことありえない。そういう番組に関われたことを本当に誇りに思う」と。
今やテレビは素人からの投稿をまとめて放送する媒体になりつつあります。放送されるあらゆる番組がすべて何らかの宣伝になりつつあります。昔、何かの雑誌で北野武が、「テレビはすべてやらせだと思った方が早い」と発言していたのを覚えています。今からおそらく20年ぐらい前の話です。
テレビというメディアが真剣勝負の場で、本当にチカラがあり、みんなに夢や希望を与えていた時代が存在していたんですね。インターネットはわたしたちに夢や希望を与えてくれるのでしょうか。いろんな意味で含蓄のあるお言葉でした。
余談ですが、植木さんの数ある大ヒット曲の中でも特に楽しい『スーダラ節』。その作詞を手がけたのが青島由紀夫さん。タレント議員は好きではありませんが、今こそ都知事選に青島さんがいればなあと。
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『流れ続けるロック』(No.268/2007.04.06)
例えば、世界をとてもポジティブに捉えてみることで、自分が抱えている大抵のことは解決してしまうんだろうな、と思います。そういう意味で、ビジネスやスポーツ、芸術の分野などで成功した人の話というのはいいものです。
イチロー選手や、松坂選手、松下幸之助に本田宗一郎などなど、さまざまな伝説的な人物をテーマにしたテレビや書籍が後を絶たないのもうなづけます。人並みはずれた成功を手に入れた人は、やはり人並みはずれた努力をしていたんだ、とわかるだけで、明日からまたがんばろうという気になれます。そのモチベーションが続くか続かないかが、私のような凡人とそうでない人の差なのかもしれませんが...。
先日、70年代から日本のロックシーンを牽引してきたシーナ&ロケッツのお二人とお会いする機会に恵まれました。いろんなお話を伺いましたが、第一線で長く活躍してこられた方から発せられる言葉もオーラもやっぱりポジティブ。
個人的にパンクは時代背景に連動して折に触れ表舞台に飛び出してきますが、ロックはその音楽が生まれてから浮き沈みは別として、ずっと時代と一定の距離を置きながら流れ続けているんじゃないかと思っています。シーナ&ロケッツも未だに現役でバリバリライブをこなしいる、ちゃんと続いている。とんでもなくすごいこと。
当たり前だけれど世界にはいいことばかりじゃない。辛いことも苦しいこともたくさんあって、誰もそれを避けて通れない。だからこそ、人間は忘れるという能力を身につけているんだろうし、涙を流す機能も備えているんだと思います。人生を肯定し、自分を受け入れて、前を見て歩いていくこと。単純なんですが、要はそれだけのこと。明日もがんばれる、ということは、明日も生きられる、ということ。自分の人生の中でも、相当濃密な時間でした。ここに至るまでに関わってくださったすべての人に感謝。
さて、がんばるか。
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『バベルの日本語字幕・その後』(No.267/2007.03.30)
2月23日付けの本コラムにて、今月より公開予定の映画『バベル』に日本語字幕がないことに対する署名運動をご紹介しましたが、その結果について報告させていただきます。
署名の受付は先週の3月26日を持って終了、そしてその結果、何と『バベル』日本語音声が全フィルムに字幕として付けられることになったそうです。よかった。もしこのコラムをご覧になって署名活動に参加された方などいらっしゃいましたらこの場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
まだ最終集計結果はまだ出ていませんが、現段階での署名数は・聞こえない人4,338人、聞こえる人35,868人、聞こえ不明の人182人で合計40,388人となったようです。たまたま昨日、関係者の方とお話しする機会があったのですが、締め切り後もぞくぞくと署名が集まっているそうです。すごい。署名データやメッセージなど、活動に関する内容はこちらのサイトに掲載されています。
・バベルの日本語音声にも字幕を!(http://kiirogumi.net/babel/pc.html)
もともと配給元も悪意があったわけではなかったとのことなので、この署名による声を真摯に受け止めていただけたんでしょうね。配給元である(株)ギャガコミュニケーションズのサイトにお知らせ(2007.03.22 『バベル』の日本語字幕に関するお知らせ)があります。
・http://www.gaga.co.jp/news/corporate/2007/03/post_122.html
なお、署名活動を展開していた方々は、今後映画のDVD字幕法制化に向けて動き始めるようです。DVDの字幕は観る人が選択できるわけですから、字幕を邪魔と思う人でも問題ありませんよね。この法制化に関しても個人的に少しでもお手伝いできればと考えています。
それにしても『バベル』、早く観たいです。
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『泣ける映画』(No.266/2007.03.23)
映画に関する質問をたまにいただきますが、いつも迷うのが「”泣ける映画”を教えてください」という種類のもの。”泣ける”のみならず、”笑える”や”怖い”という場合もありますが、”泣ける”というのが最も多いような気がします。
なぜみんな涙を流したがるのか、結構メディアの影響もあるんでしょうね。そういう情報番組もよくテレビで見かけます。最近では、”泣ける”作品を集めたサイトもいっぱいありますし、”泣けるブログ”なんてのもあります。『泣こうよ.com』というのがあったので調べて見ると、涙には激痛を緩和する鎮痛作用があったり、ストレス物質を対外に排出する作用があったりするそうです。恐るべし、涙。
しかし”泣ける”映画の紹介って簡単なようで難しいんですよね。泣ける”ツボ”って人によって全然違いますから。
泣けるものを探す人には2つのタイプがあるような気がします。ひとつは基本的に”泣ける”人。このタイプは本当に泣かせる物が好きで、泣くことが趣味のようになっている人。純粋に自分の知らない泣ける作品を探しているだけで、こういう人にはご紹介すると大体喜ばれます。もうひとつは、基本的に”泣けない”人。こういう人が”泣くのっていいらしい”と聞いて、探している場合、まずどんなものを紹介してもダメですね。「全然泣けなかったー」とか言われるのがオチ。難しいです。
タイプを見分けるのもなかなか困難ですが、私の場合は「今までに観て泣いた作品」を聞いています。それで大体わかります。
ちなみに、とりあえず私が個人的に泣ける映画をいくつか。
・『小さな恋のメロディ』(1971) ・『クレイマー、クレイマー』(1979)
・『東京物語』(1953) ・『パピヨン』(1973) ・『エイミー』(1997)
・『ラヴ・ストリームス』(1983) ・『ビッグ・フィッシュ』(2003)
・『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997) ・『ひまわり』(1970)
・『81/2』(1963) ・『シックス・センス』(1999) ・『街の灯』(1931)
・『鬼畜』(1978) ・『機動戦士ガンダムIII(めぐりあい宇宙篇)』(1982)
個人的には結構涙もろいので、挙げ出すとキリがないですね(笑)。あんまり数を上げると信憑性がなくなりそうな気がするので、このあたりで。泣けるかどうかは別として、どれも良い映画だと思います。ご参考まで。
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『確定申告のさばき方』(No.265/2007.03.16)
この季節、毎年やってくるのが花粉と確定申告。花粉は...もう半ばあきらめているところもあるので、うまく付き合っていくしかないんだろうなと。しかし、もうひとつの確定申告の方は好きだ嫌いだと言ってられません。やるしかない。多少、源泉徴収の還付もあるし。で、行ってきました。まあ領収書などの事前の資料がちゃんとそろっていれば、そんなに手間ではないんですよね。土地の売買とか相続とかがあるわけじゃないし...。
そんな確定申告ですが、個人的に少し楽しみ、とまではいきませんが、毎回ウォッチしていることがあります。それは申告書作成会場の来場者の”さばき方”について。
やはり私のようにどうしても締め切り間際に行く人が多いらしく、申告書類の作成会場は毎年激混みです。この会場の”さばき方”が年々進化しているんですね。会社員を辞めてから5年経ちますが、初めて確定申告に来たときは本当に気が遠くなるくらい待たされましたし、自分の順番になってからも最終的に提出するまで相当の時間を要しました(早めに行けよ、ってことなんですが...)。
おそらく5年前は申告書を作成できる端末というかパソコンを導入した最初ではなかったかと思います。ところがインターフェイスがどうにもお粗末で、結果的に人が作るより遅くなってしまっていました。その次の年は、端末への並び方やサポートする人員を増やして対応していましたが、その翌年には端末がなくなり、人によるサポートに集約。その後も来場者の座り方や、サポートの人の配置などを改善しながら、今年は結構成熟してきたというか、かなりシステムが出来上がってました。締め切り3日前で、そこそこ混んでいましたが、人の順路、案内の手順など、なかなか気持ちの良い対応。まあ、コストの面ではどうなのかわかりませんが、とにかくスムーズに運ぶことを最優先しているのでしょう。
何事も時系列で追いかけていくといろんなことが見えてきます。自分がお店をやっていることもありますが、こういう物事のプロセスって本当に面白いし、参考にもなるんですよね。
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『針穴写真』(No.264/2007.03.09)
先月のコラムでトイカメラのお話をしましたが、その後2月19日付の日経流通新聞の「ヒットの予感」というコーナーで「ピンホール(針穴)カメラ」が特集されていました。”味なアナログ””ピント柔らか”という見出しで、ピンホールカメラの魅力や作品を紹介。最後のページを全面使ってなかなかのボリュームでした。
ピンホールカメラは光が入らない箱や缶に穴を開けただけのカメラ(ものすごく簡単に説明しています...)。バシッとくっきりな写真はむずかしいですが、うっすらとぼやけた表現はまさに”味”。その時の明るさに合わせてシャッタースピードを感覚的に調整するので、写っていないこともしばしば。でもそんなアナログな感じが受けているようです。
私も学研の雑誌「大人の科学」におまけとしてついていたピンホールカメラでたまに遊びますが、このぐらいになると普通の35mmフィルムが使えて、時と場合によっては驚くほどちゃんと写ります。
ピンホールカメラは紙素材の組み立て式などもあって、お値段が安いことも人気の秘密なんでしょうね。取り上げられたのは「ヒットの予感」のコーナーですが、すでにかなりヒットしている商品だと思います。
この記事で感心したのが、最後に掲載されている日本針穴写真協会の方の言葉。ピンホールカメラはほんとに小さな穴から光を取り込むだけなので、曇りのときや薄暗い部屋などでは通常数分程度、時には数十分もシャッターを開けっ放しにする必要があります。なので、「通常のカメラが時間を切り取るのに対し、針穴は時間をためる」と。
この”ためる”という言葉、いいですねえ。ひょっとしたら実は”消費”の対極にある概念なのかもしれないと思いました。もう消費することに飽きた人たち、消費することに疲れた人たち。そんな人たちの心を癒すのは、”ためる”という行為なのではないでしょうか。
ただ、もしそうだとすると、今の時代、2006年における個人貯蓄残高は約1,400兆円と言われていますが、いろんな企業・業界がこの金融市場に狙いをつけても、財布の紐が緩むのはピンホールカメラを買うときぐらいなのかもしれません。
・日本針穴写真協会(http://jpps.jp/)
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『ロックのデザイン』(No.263/2007.03.02)
デザイン雑誌『pen』(阪急コミュニケーションズ)の3月1日号(2月の半ばごろ発売)に、「時代の鼓動と共鳴する、ロックのデザイン」という特集が載っていました。普段こういう類の雑誌はまず買わないのですが、さすがに名盤のジャケットがずらりと並んだ表紙を見ると買わずにいられませんでした。
世界の主要なグラフィック・クリエイターの紹介と、年代別に重要なジャケットを並べて説明した内容。クリエイターの一番目に出てきたのが、大好きなイギリスのピーター・サヴィル。私の人生にとって重要なバンド、ジョイ・ディビジョン〜ニュー・オーダーらが所属したファクトリーというレーベルのビジュアル・デザインを一手に引き受けていた人物。最高です。一番最初にデザインしたライブ告知のポスターをデザインした時は23歳の学生だったとのこと。天才っているんですねえ。
他にも、ピンク・フロイドの「原子心母」の牛のジャケットはやっぱり歴史に残るデザインだなーとか、ザ・スミスの映画のワンシーンをトリミングしたジャケットは、サンプリング時代の賜物だなーとか、なかなかいろんなところに引っかかる面白い特集でした。”ロック”&”CDジャケット”に興味のある方は読んで損なし、です。
ちなみに冒頭で、”普段こういう類の雑誌はまず買わないのですが”と書きましたが、それはなぜかというと、基本的に”流行”がベースになっているところがあんまり面白くないと感じるから、というか、そういうことにほとんど興味がないからです。雑誌という紙媒体自体はこれからも残っていくと思いますが、10年もしない間に、例えば書店に行くと、同じフォーマットでいろんな記事が並んでいて、それを選んでレジに持っていくと好きな表紙を合わせて製本してくれる、なんてことがあり得るのではないでしょうか。今、ネット上で写真データを送ると写真集を作ってくれるサービスがありますが、結構近い考え方かも知れませんね。雑誌の行く末やいかに。
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『バベルの日本語字幕』(No.262/2007.02.23)
日本では今年4月に公開が予定されている、アカデミー賞候補の呼び声も高い映画『バベル』。モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、それぞれの国で起こった異なる事件から一つの真実が導かれるヒューマン・ドラマ。ブラッド・ピットや役所広司らの熱演も話題を呼んでいます。
個人的にも今年かなり期待している作品なのですが、ひとつ問題が。
手話の仕事に携わっている知人の話によると、どうやら「日本語音声に字幕がない」らしいのです。洋画は基本的に”字幕”があるため、耳の聞こえる人と聞こえない人が一緒に楽しめる数少ないエンターテイメントです。特に『バベル』では日本を舞台にしたエピソードは耳の聞こえない”ろう者”が登場することもあり、日本語音声に字幕がないのは残念。
そこで、二人のろう者の方を中心に、配給元の(株)ギャガ・コミュニケーションズに字幕をつけてもらうための署名活動が始まりました。私も呼びかけ人協力者として参加させていただきました。詳細は下記サイトにありますので、ぜひご覧ください。
・バベルの日本語音声にも字幕を!(http://kiirogumi.net/babel/pc.html)
ちなみに知人によると、配給元は特に意図があったわけではなく、ただ単に忘れただけではないかとのことで、理由はわからないそうです。なので、別に配給元を敵視しているわけではありません。
実際、字幕をつけるためにはコストも掛かりますし、日本語で理解できる部分には字幕がない方が楽しめるという人もいるでしょう。『バベル』のみならず、映画の上映方法を考えるきっかけにもなるのではないかと思います。
いずれにしても、『アモーレス・ペロス』(1999)、『11'09''01/セプテンバー11』(2002)、『21グラム』(2003)など、見ごたえのあるドラマを作り続けるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の問題作。見逃せません。
・『バベル』公式サイト(http://babel.gyao.jp/)
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『携帯1人1台』(No.261/2007.02.16)
最近、ネット上で動画コンテンツを集めたサイトが増えつつありますが、音声を中心としたコンテンツを配信するポッドキャストというサービスもまだまだ元気。配信される内容も音楽、お笑い、落語などのエンターテイメントから、経済・金融情報などの実用的なものまでさまざまで、だんだんと市場も成熟してきた気がします。
個人的によく聴くのはインタビュー系の番組。例えば、社会学者の宮台真司さんが、その週に起きたニュースの中から特に注目すべきものをひとつ取り上げて、その背景をクリアにし解決方法を提言する「週刊ミヤダイ」。これなんかは、同氏の書籍を購入して読むよりもタイムリーな話題が多いですし、やはり実際に本人の声を通して聞くと伝わり方もちょっと違う感じがします。
で、2月9日に配信された「週刊ミヤダイ」に興味深い話題が。タイトルは「携帯電話1人1台時代でコミュニケーションはどう変わった?」。
国内の普及台数が1億台を越える今、携帯電話が私たちのコミュニケーションにどう影響しているのか、また、その先にある問題、解決方法は何なのか、ずばり言及されています。
その中にこういうお話がありました。ちょっと端折って言うと、”携帯電話の出現によって映画がだめになった”ということです。携帯電話を日常的に使っている、特に若い人たちは、コミュニケーションが表層的で分断されていると。まあそれがいいか悪いかは別として、いずれにしても、そういう若い人たちには、後々のシーンのための布石として描かれる”伏線”が通用しないらしいんですね。理解されない。それでまずテレビドラマが伏線を使わなくなり、とにかくジェットコースター的に次々と物事が起こり、進行していく手法に変わってきたと。
つまり、映画のように2時間にわたって物語を提供するメディアに若い人たちが耐えられなくなってきているということなんです。う〜ん、なるほど。
私も5〜6年前から、映画館で落ち着きのない若い人たちが増えたなあというのはずっと感じていました。最近の邦画は結構ヒット作が出ていますが、中でも三谷幸喜さんの映画作品なんかがウケる理由はこの辺りにあるのかもしれませんね。
ただ問題は、そういう風に作られた作品が映画として優れているのかどうかということですね。でもひょっとしたら近い将来、1本あたり1時間程度で値段も500円〜1000円。それが5本〜10本の連作になっている、みたいな劇場公開映画が登場したりして。うむー。三田誠広氏の小説のタイトルじゃないけれど「映画って何?」。
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『トイカメラ』(No.260/2007.02.09)
ここ数年、いわゆる”トイカメラ”の人気がすごいですね。専門の雑誌もたくさん出版されていますし、トイカメラに関するWEBサイトはもちろん、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)も盛り上がりつつあるようです。
”トイカメラ”の定義はなかなか難しいですが、トイカメラに関するポータルサイト、その名も『トイカメラ。』によると、「トイ(=ただのおもちゃ)ではありません!トイカメラとは、「気軽に楽しめる」カメラです」とあります。つまり、カメラ本体のハードウェアや、デジタルやアナログといった媒体による区分けはあまり関係ないようです。
例えば、トイカメラというと、ロシア製のロモというカメラで遊んでしまおうという”ロモグラフィー”が浮かびますが、ロモグラフィーなんかは、むしろカメラや写真を楽しむ”姿勢”が重要視されている気がします。Don't Think Just Shoot! 失敗写真なんてない。ブレ、ボケ、OK!みたいな。
私もポラロイドカメラは以前から使っていますし、ここ数年はやはりロモカメラを使用していますが、トイカメラで面白いのは、一眼レフをずっとやっていた人がいきなりチープなカメラで遊びだしたり、トイカメラで遊んでいた人が突如一眼レフを買ったり、結構みんないい意味でこだわりがないところなんですね。いや、それぞれのカメラや写りにはこだわりがあるんですが、主義・主張のようなものは後回し、とにかく楽しければいい、という感じが潔いんです。
若い人たちのカメラや写真に接する態度を見ていると、遅れてきたカウンター・カルチャー(戦後、カメラ産業にチカラを入れてきた日本には、いい意味でのハイ・アマチュア層が存在します)のような気もしますし、コミュニケーション・ツールとして新たな役割を担っているような気もしますし..。
一過性のブームで終わるのか、はたまた日本人の身近な表現手法として生き残っていくのか、まあ、それこそ楽しんだもの勝ち、なのかもしれませんが。
・『トイカメラ。』(http://toycam.imaimax.com/)
・『ロモグラフィー・ジャパン』(http://www.lomography.jp/home/)
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『筆不精からの報告』(No.259/2007.02.02)
先週の20日(土私は自分のことを筆不精だと思っていて、また実際にそうなのですが、今年はとうとう仕事の関係以外に、友人などへの年賀状を1枚も出せませんでした。もう2月。ごめんなさい...。
で、映画紹介を兼ねた近況報告、の、ようなもの。
私が大学時代の友人と一緒に立ち上げたギャラリー・世田谷233は今年何とか5年目に突入。東急Bunkamuraザ・ミュージアムさんに関わらせていただいているお仕事も4年目。次回展覧会『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』のために、モディリアーニ関連の映画『モンパルナスの灯』(1958/監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ)、『モディリアーニ 真実の愛』(2004/監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア)の2本を見直そうと思っています。オススメはやはり前者。ジェラール・フィリップのかっこよさはもちろん、誤解を恐れずに言えば、”昔の映画って手を抜いてないなあ”と。昨今の映画が手を抜いていると言うわけではありませんが。
最近は、年のせいでさらに涙もろくなってきたのか、個人的に泣ける”鉄板”映画のひとつである『エイミー』(1998)に関して、本編を見るまでもなく、他の作品のビデオの最初に収められている宣伝用の予告編だけで涙が出てくるようになりました。いずれ「D-Movie」でもご紹介させていただくと思います。
以前、配信した作品の中でもいろいろありますが『パピヨン』(1973)、『ディア・ハンター』(1978)、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)あたりの予告はやばいですね。
現在公開中の『マリー・アントワネット』に80年代UKのポスト・パンク音楽がふんだんに使われていることについて、音的には世代的に大好きであるものの、この感覚がかっこいいのか悪いのか、判断しかねています。観なくちゃ。
ちなみにカンヌ映画祭の最高賞は”パルムドール”ですが、これをもじった”パルムドッグ”という、その年の映画の中で最も優れた演技をした犬を称える賞(The Palm Dog Awards/http://www.palmdog.com/)があるそうです。本作でマリー・アントワネットの飼い犬を好演したパグ犬のモップスがその栄誉に輝いたとのこと。こういう遊び心いいですねえ。
乱文、失礼いたしました。
最後にちょっとご報告。前回配信させていただいた『ぼくのバラ色の人生』についてのレビュー(2007/1/26号)ですが、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載いただいています。期間は2007/1/30(火)〜2007/2/6(火)。
・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html
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『不都合な真実』(No.258/2007.01.26)
先週の20日(土)より、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて全国ロードショーが始まった『不都合な真実』。今年は年初から心にドシンと来る映画が公開されますね。
監督は『トレーニング・デイ』(いい映画でした)のデイビス・グッゲンハイム。製作総指揮が『グッド・ウイル・ハンティング』(これまたいい映画でした)のローレンス・ヘンダー。楽しみです。
『不都合な真実』はアメリカの元副大統領、アル・ゴア氏の環境活動がベースとなっています。ゴア氏は1960年代に環境問題に関心をよせて以降、世界中でスライドを交えた講演を行うなど、政治家として積極的に活動していますが、1989年に6歳の息子が交通事故で生死をさまよったこと(結果的に一命をとりとめた)で、さらにこの活動を自分の中での最優先事項と位置づけたようです。
私は映画は未見ですが、書籍は読みました。すさまじい、内容です...。映画の方はすでにアメリカで、ドキュメンタリー史上、記録的な大ヒット作品となっているようですね。
さまざまな権力者や政治家達によって抑え込まれてきた、地球を危険に晒す“不都合な真実”の数々。しかし、「私たちが日々の暮らしの中で小さな努力を重ねることで、地球を変えていける」とゴア氏は訴えます。
地球の問題を自分のこととして捉えて何か考えること、そして考えるだけではなくて行動を起こすこと、それが大事だと言うことはもちろんですが、共通の敵を据えることでしか結束できないアメリカが、地球環境を守るという命題の下にまとまることが出来ればこんなに良いことはないと思います。そういう意味でも大変意義のある提言であると思います。ただ、その際の”敵”とは自分達のこと、つまりは”私”であり、”あなた”であるわけです。
結局そういう見方が出来ないから地球環境の破壊が進んでしまったわけで、私たちは書籍や映画で見て感じる以上に、とても大きく根本的な問題を突きつけられているのだと思います。
・『不都合な真実』公式サイト(http://www.futsugou.jp/)
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『昭和の夕日』(No.257/2007.01.19)
このところずっと「昭和ブーム」が叫ばれていましたが、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で打ち止めかと思っていたら、映画の続編は作られるようだし、昭和30年代の人々の暮らしを記録したDVD『映画でみる昭和30年代の日本・家族の生活』(記録映画社などの共同制作)が、発売されるなど、まだまだ続きそうな気配ですね。そういえば、昨年末には渋谷のパルコでサンダーバード日本上陸40周年記念イベント「サンダーバード イン ジャパン」なんてのがありました(これはどちらかというと80年代の括りの方が正しい?)。
私は昭和42年の生まれなので、そういう意味ではこのブームを”懐かしいなあ”と純粋に楽しめばよいのかもしれませんが、どうもそういう気分になれません。昔を懐かしむということにどっぷりつかっていると、どうも自分が退行している気分になってしまうのです。特に『三丁目の夕日』を古き良き昭和絵巻としてだけ捉えるのは、何か違和感があるなあと。
以前、このコラムで「三丁目の夕日」の漫画についてご紹介した際に、私は西岸良平さんの漫画には「人間が生きていく上で経験する不安や寂しさや悲しみも驚くほどストレートに盛り込まれています。さらに”西岸ワールド”の中でも結構数多く取り上げられるのが、いずれ誰もが向き合わなければならない”死”。そういうモチーフにも正面から取り組んでいるからこそ、逆にリアルに伝わってくるんです。」と書いています。今、自分が生きている時代を極力ポジティブに捉える、そういう視点から生まれた漫画なのではないかと。それは後から見れば、”古き良き”となるのかもしれませんが。
昭和は、「貧しいながらも夢のある”時代”」だったのか、「貧しいながらも精一杯生きていた”時代”」なのか。微妙な違いですが、その差は大きいと思います。またその捉え方によって、今の時代になすべきことがハッキリするのではないでしょうか。
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『ダリ回顧展』(No.256/2007.01.12)
ひょっとしたら太古の人類は、獲物を求めてほら穴に最初に入った人間が、先にそこにいた大きな動物に襲われるのを見て、「最初に入っちゃいかん」と思ったかもしれません。ひょっとしたら太古の人類は、動物や魚などの食料を獲ってきた人間が、我先にと口にした瞬間に食あたりで死ぬのを目のあたりにして、「最初に食っちゃいかん」と思ったかもしれません。
結果的に、人類の遺伝子の中には、”物事を最初に行うことのリスク=行動開始を限りなく遅くさせる”遺伝子が組み込まれたのではないでしょうか。
先週、上野の森美術館で開催されている『ダリ回顧展』に行って来ました。
幼少の頃に新聞の日曜版に載っていた、引き出しの付いたキリンの像を見て以来のファンなんです。大規模な回顧展だったのでどうしても行きたかったですが、9月から開催されていたものの、何やかんやで実際に行ったのは最終日の前日。それでも1月3日だったので、まだお正月気分で家でのんびりする人も多いのではないかと思っていたのですが、上野の美術館はそんなに甘くなかったです。軽く2時間待ちでした。その日は朝からのんびりしていて、開館前に行けなかったのが敗因ですね。それでその日はあきらめて、次の日の朝、開館30分前に着きました。会場は最終日ということもあって、かなり早くから開場されていたようで、待つことなく入れたものの、中はすでに満員でした。おそらく開館1時間から2時間ぐらい前に入ったんでしょうね。そのぐらいの心構えがあるなら、2ヶ月の会期中の真ん中あたりに来ればいいのに、と自分のことを棚にあげて思った次第です。
「美術館」の定義はなかなか難しいですが、いろいろ調べてみると”美術館”という名前のつく施設だけでも国内に数百はあるようですし、ギャラリーや博物館といった施設、さらに規模の小さいものまで含めると軽く千は越えるようですから、もし、こういった人間の行動心理を解き明かした本が出ればベストセラーとまではいかずとも、結構な売上げを記録するのではないでしょうか。実際に発売されるとしたら、そのときのタイトルはもちろん「人はなぜ最終日に美術館に行くのか」。キャッチコピーは「すべての美術館関係者必読の書!」。
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『三茶二本勝負・その4』(No.255/2007.01.05)
明けましておめでとうございます。2007年最初の配信です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月はいつも近くの映画館で2本立てを見るのですが、昨年は2本続けて見る自信がない作品ばかりで泣く泣く断念...。今年はがんばって見るぞ、と腹を括ったところ、何と『ユナイテッド93』&『ワールド・トレード・センター』と9・11関連の2本立て。年初からかなりボディーにずっしりと来るラインナップですが、いずれも興味はありながら見ていなかったのでよかったです。ちなみにお値段は特別価格で2本で900円。
”興味がある”と言っても、”ぜひ見たかった”という意味ではありません。どちらかというとあの事件をアメリカ人がどのように映画というメディアを通して世界に伝えるかを”チェックしたかった”ということです。もちろん、『ワールド・トレード・センター』に関してはオリバー・ストーンがどう描くのかを知りたかった。
結果的には、一方的な想像から作られたドキュメンタリーにはセンチメンタリズムを凌駕するリアリティはないし、ニューヨークを愛するオリバー・ストーンにガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』のような作品を望むべくもない。それは考えてみれば当たり前のことだったのかもしれません。
硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた一連の作品が話題ですが、それぞれの視点から描けばそれでバランスが取れるのであれば、映画監督は単なる映像製作の職業に成り下がってしまうでしょう(まだ見ていないので何とも言えませんが...)。
2006年、イラク戦争が間違いだったことが明確になり、フセイン大統領は処刑決定からあっという間に処刑されました。そんな今、『ユナイテッド93』はまだしも、『ワールド・トレード・センター』という映画にどんな存在意義があるのでしょうか。
しかしながら、映画作品としての是非はともかく、いずれも見ていて涙が止まらなかったのも事実です。事件から5年以上経った今でも、それが例え映画というメディアを通してであれ、9・11に起きた事と向き合う作業には、胸が震えるような”痛み”を伴うということ、それだけは間違いありません。
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