コラム
<コラムのバックナンバー>

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・2005年〜(メルマガのバックナンバーをどうぞ)


『The Frames』(No.306/2007.12.21)

CD紹介です。
アイルランド出身のロック・バンド”The Frames”の最新作『The Cost』。彼らを最初に聴いたのは、2001年に発表された『for the birds』からで、ある日HMVで、このアルバムをジャケ買いしたのがきっかけ。それからずっと聴き続け、今でもかなりの頻度で聴いています。かなりの名作だと思います。

しかしながら、なぜか、どこの国のバンドなのか、他にアルバムは出しているのか、などなど、そういった情報にはほとんど興味がわかないままでした。HMVにはよく行きますが、ずっと見かけなかったので、アルバムを出していないのか、もしくは解散してしまったのだろうぐらいに思っていたのですが、先日ひょっこりニュー・アルバムが発売されているのを発見。ネットで調べてみるとこの6年間に2枚のアルバムを出していたようで、それも驚きました。アイルランド出身というのも、HMVの紹介文で知りました。そうだったんだ。

コールドプレイやトラヴィスなどのセンチメンタル系UKロック(?)がひと頃流行りましたが、その前からThe Framesは少し叙情的で、少し感情的で、少し退廃的なロックを放出していたと思います。そういえば、先日発売されたレディオ・ヘッドにも通ずるところがあるかもしれません。曲もいいし声もいいしメロディもいい。また曲名がいいんです。
[FALLING SLOWLY][WHEN YOUR MIND'S MADE UP][THE SIDE YOU NEVER GET TO SEE]etc.
公式サイトでディスコグラフィーが見られますが、ジャケットもいい。そんなにトンがったところは無いし、実験的要素も無い。だけどその分、長く聴き続けられるんですよね。公式サイトで試聴もできます。オススメです。

・The Frames公式サイト(http://www.theframes.ie/)


『STAYER・後編』(No.305/2007.12.14)

『STAYER』(ステイヤー)について。続きです。
今回の写真展において、私は自分の作品の横に次のような言葉を添えました。
(一部抜粋)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
とめどなく広がり続ける世界と個人。
可能性や高揚感と引き換えに、急速に失われていく皮膚感覚。
立ち止まってみれば、世界はもっと広く、人間同士はもっと近い。
”通過”や”滞在”では見えないもの。
”瞬間”や”短期”ではできないこと。
心と体を”ここ”にとどめ、”場所”という感覚に鋭敏であれば、
未来は今、この場所から感じられるはず。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

前回、”ひとつの場所にとどまり続けるには、必ず理由が必要で、さらに、日々さまざまな感覚をゼロに戻すこともできなければならない”と書きました。昨今、スローライフの文脈で語られる”あるもの探し”や”地域回帰”の動きは、何も新しいことではなく、自分の生まれ育った土地や場所を改めてゼロから見つめなおす、という視点の獲得なのではないでしょうか。

人間が100%の確率で死ぬ存在であるならば、生きるということはその運命に抗うことであり、それは逆説的に”とどまっている”と言えると思います。私たちは、現状を維持することさえできないまま、やみくもに右上がりの成長を目指し、前のめりな生活の中で大切なものを失い続けている気がします。
インターネットの出現によって、表層的にあらゆる世界を斜め読みできる社会となり、その中で世界はゆがんだ形で縮小と分裂を続け、何かを”共有”することが難しくなってきました。
私が見ている世界とあなたが見ている世界の違いを話し合うこと。そのためには立ち止まる必要があるし、そうすれば、その先に共通の世界が広がるのではないかと思います。

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『STAYER・前編』(No.304/2007.12.07)

今回はちょっと告知です。私が運営しているギャラリー『世田谷233』の5周年記念企画展として、写真家・鷲尾和彦氏とともに二人展を行います。タイトルは『STAYER』(ステイヤー)。お互いがこのテーマに沿ってそれぞれ写真作品を展示します。私個人にとっての”ステイヤー”とは、「意思を持ってとどまる人、またはその魂」を表します。

このタイトルはここ数年ずっと頭の中をめぐっていたもので、今回写真展を通してようやく表に出すことができました。グローバル化という志向性がもはや常識となってしまった世界に、何らかの形でストップをかけなければならないと考えていく中で、やはり”広げない”ということの価値がもっと見直されてもよいのではないかと。
例えば”旅に出る”という行為は自分自身の世界や可能性を広げる行為と捉えられることが多く、それは間違いではないのですが、一方で”旅に出ない”ということも同じように価値を持っていると思います。もちろん、この場合、怖いとか面倒くさいというような、ネガティブな理由で外の世界にコンタクトしないケースを除きます。
旅に出るのに理由は要らないかもしれません。しかし、ひとつの場所にとどまり続けるには、必ず理由が必要です。また、その理由を基盤に己を律する意思の力も必要ですし、さらに、日々さまざまな感覚をゼロに戻すこともできなければなりません。
旅を続けた結果、元いた場所に帰ってくるというのは、旅先で旅をやめてまでそこに住み着くほどの場所に出会わなかったという言い方もできるのではないでしょうか。別に旅を否定しているわけではありませんし、私自身も学生時代にはよく旅に出ましたが、今の世の中はあまりにも何かを拡大するものに対して価値を与えすぎるのではないでしょうか。
少し次回に続きます。

■『STAYER』写真展 鷲尾和彦×中根大輔
  〜意志を持ってとどまることによって生まれる価値と風景〜
■場所:『世田谷233』(http://233.jp/)
■日時:2007年12月15日(土)〜12月29日(土)


『そのまんま椿』(No.303/2007.11.30)

黒澤明監督の『椿三十郎』のリメーク版が公開されました。過去の映画のリメイクはハリウッドでもやたらと作られていますが、最近は邦画でも目白押し。特に今回の『椿三十郎』のオリジナルは映画史に残るラストシーンを有する名作だけあって、注目度も高いです。森田芳光監督がメガホンをとったということや、椿三十郎役を、人気俳優(?)の織田裕二が演じるというのも話題作りに一役買っているようです。

朝日新聞によると、最近の邦画のリメーク版は、脚本がオリジナルとほとんど同じだったり、監督やキャストが同じだったりする”そのまんまリメーク映画”であるとのこと。大林宣彦監督のセルフリメーク『転校生』や監督もキャスティングも30年前と同じ『犬神家の一族』など、確かに”そのまんま”ですね。
リメーク版に成功作なし、と言うのはもはや常識ですが、残念ながら『椿三十郎』もそうでしょうね。映画界に才能のある人物が集まっていた時代に作られた作品を”超えろ”という方が無理なのかもしれません。

森田監督は織田裕二に「4番打者でなく1番打者の椿を演じてほしい」と命じたとのこと。1番打者の椿三十郎って...。さらに「オリジナルの威圧的なリーダー像を、近作は協調型にした」と。オリジナルの椿は威圧的というよりは(表面上はそう見えても)、ヒューマニズムがこぼれ出てしまう人間。それゆえに弱者の側に立ってしまうだけで、協調型とは程遠い人間だと思います。そしてそれこそが彼の魅力。うむー、大丈夫かな。でも久しぶりに見てみたい気もするので、時間が合えば劇場に足を運んでみたいと思います。少なくともオリジナルに関しては文句なしの★5つですから。

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『頭をガツンと』(No.302/2007.11.23)

脳科学者の茂木健一郎さんがさまざまなクリエイターと対話した内容を収めた書籍『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)を読みました。BS高校生が社会や暮らしの中の問題点を自ら見つけ、解決策を提案するという「全国高校デザイン選手権大会」。東北芸術工科大学が主催しているもので、毎回刺激的な提案が行われている大変興味深いコンペです。今年で第14回目。今回、見事優勝に輝いたのは神戸市立科学技術高校チーム。その提案がさすがの内容。それは、兵器に製造国や企業名、価格などを示すラベルを貼り、本当に必要なものかどうか考え直そうというもの。もちろん、実現するのは難しいと思いますが、これは素晴らしい提案ですね。
兵器は商品であり、作る人、売る人、買う人がいるというのは誰でも知っていること。しかしながら、兵器そのものがほとんどの国民の日常生活に登場しない日本では、そんな基本的なことが忘れられがち。それを恐ろしいほどまでにあからさまにし、私たちの胸に突きつけてくるデザインだと思います。もちろん、日本だけをフィールドにした提案ではないですが。
ちなみに戦闘機の誘導爆弾1発は3,400万円だそうで、HIVの治療薬なら2,800人分、3千億円する原子力潜水艦1隻ならビスケット15億箱が買えるそうです...。

こういう頭をガツンとやられるような瞬間に出会うのはいいですね。新しい世界が開けた気分になります。

・全国高校デザイン選手権大会(http://www.tuad.ac.jp/hidechamp/

そういえば、昔『頭にガツンと一撃』(ロジャー・フォン・イーク著/新潮社)という本がありました。1980年代に出版された本で、翻訳されたのは城山三郎さん。結構今読んでも”頭をガツン”と打たれる内容だと思います。『もしある男が後向きに馬に跨っていたら、なぜ後向きなのはその男だと考え、馬だと考えないのか?』みたいな、ね。


『芸術の神様』(No.301/2007.11.16)

脳科学者の茂木健一郎さんがさまざまなクリエイターと対話した内容を収めた書籍『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)を読みました。BS日テレで放送されていた「ニューロンの回廊」の書籍化です。夏に発売された同じく茂木さんの『芸術脳』(新潮社)も、フリーペーパー「dictionary」の連載をまとめたものでした。やっぱり書籍としてまとまっているといつでも繰り返し読めるから便利です。ありがたい。

本作では、町田康、金森穣、山下洋輔などなど、そうそうたるメンバーを相手に刺激的な話が続きますが、個人的に最もハッとさせられたのは、落語家の立川志の輔さんの回。落語をやっている際、その状況を壊そうとする逆のベクトルが来たときに(例えば、キメ台詞を言おうと思った瞬間にお客さんの携帯が鳴る、など)、それとどう戦うかが”修行”であり、そういう状況を含めて”落語”なんだと。うむー、深い。
ギャラリーという”場”を運営している身としては、非常に衝撃的な言葉でした。さまざまな人が出入りすることによって面白いつながりや発見が生まれるわけですが、その分不測の事態やトラブルも増える。イベントなどが予定通りに行かないこともしばしば。もちろん、その場その場をしのいでいく難しさ、楽しさも感じてはいたのですが、それらはオプションでも例外でもなんでもなく、それも含めた上でその”場”なんだと。これは考えさせられました。普遍性のある考え方だと思いますが、やっぱり落語ってすごい。これぞ正真正銘”ライヴ”ってことなんだなあと。もちろん実践するのは難しいんですが...。

茂木さんのインタビューというか対話は、本当に話がいろんな方向に広がるから面白い。また”誰と話すか”もちゃんと考えられているから信用できるんですね。オススメです。

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『慣れの消費』(No.300/2007.11.09)

以前、仕事で”次の世代”をテーマにいろんな人と一緒に雑談をした際、非常に興味深い意見を耳にすることができました。
仕事上、若い人たち(=20代前半=次の世代)と触れ合う機会が多いのですが、何か彼らの”あきらめた感じ””希望の無い感じ””とにかくうまくやりたい感じ”みたいなものが気になっていて、もちろんそれは、その時期に誰しもが、もしくはある種類の人たちが、普通に志向することなのかもしれませんが、それでもすごく多い感じがして、誰かと話したいなと思っていたのです。
で、その雑談にたどり着くわけですが、そこでとある専門学校の先生がおっしゃっていたのが、彼らの”消費のうまさ”。うむー、なるほど。それ感じます。

今、20代前半の人たちは物心ついた頃から普通に携帯やコンピュータやゲームに触れてきた世代。そして今の社会はコンピュータによって多くのものが制御されています。なので、いろんな製品や道具を何となく使いこなせてしまうのでしょう。さらにインターネットの普及により、ネットで調べればありとあらゆるのもの輪郭を瞬時につかめてしまうわけで、これでは、消費がうまい、というか効率的に物事を進めることに長けていても不思議はありません。
そうすると、私たちの世代のやるべきことは、その延長線上にどういう社会を作るかと言うことと、効率的に物事を進めることのマイナスをちゃんと伝えること。このあたりなんだろうなと。検索すると言うことは選択しなかったものへの目線を失いがちになります。残念ながら、若い人のみならず、年齢に関係なくほとんどの人が効率性や利便性を強迫的に求める時代。ちょっと怖い。

無印良品のコンセプターである原研哉さんが、デザインの基本は”日常を未知化すること”とおっしゃっていました。つまりわかったような気になっていることをもう一度知ること。デザインの世界のみならず、すべてに共通するアプローチですよね。ホント。


『大連立』(No.299/2007.11.02)

民主党・小沢一郎代表の突然の辞任表明、そして復帰劇。驚きましたねえ。
民主党やマス・メディアのドタバタぶりを”面白い”と言って笑って見ていられる状況ではないのですが...しかし、黒幕としてナベツネさんや中曽根さんの名前が出てきたり、民主党の鳩山由紀夫幹事長がテレビで密室会談の裏を暴露したり、まさに政治は”何でもアリ”。

結局は、小沢氏をばっさり切れない民主党が、その組織のひ弱さを露呈してしまった形になりました。個人的には、民主党が小沢氏に慰留をせず、小沢氏が新党を立ち上げればよかったのではないかと思います。「このままでは民主党は次の総選挙で勝てない」というのは、小沢氏の言うとおりだと思います。「民主党に政権を任せられない」というのも、国民感情を反映していると思います。だからこそ、ここで小沢氏を失う、という傷を負って、参院選の勝利に驕ることなく体制を立て直してほしかった。まあ、大連立が出来るほどの民主党離れが無いという前提ですが。民主党幹部のなりふり構わぬ慰留振りは見ていて滑稽でした。あれでは、特に若い議員たちはついてこないのではないかと思います。当たり前ですが政治は一人でやるものではありません。ここで小沢氏に離れられて駄目になるようならそもそも次の選挙も勝ち目は無いわけですから。ただ、反対するばかりで何も出来ないのであれば大連立もありかもしれませんが。

しかしながら、福田首相の持ちかけに乗って会談に応じ、結局は自ら“墓穴”を掘る形になってしまった小沢一郎氏。体調不良もあって、最近ちょっとあせっているようにも見えます。もうそろそろ腰を落ち着けて望む時期だと思うのですが。こうなってくると次回総選挙、いよいよ小沢氏のラストチャンスですね。

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『ゆとりの行方』(No.298/2007.10.26)

「ゆとり教育」の見直しが決まったそうです。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の教育課程部会が、国語や算数・数学、理科など主要教科の授業時間数を小学校で301時間、中学校で360時間増やすことを決めたとのこと。「ゆとり教育」による授業時間削減から学力低下を招いたことが理由らしいです。もともと「ゆとり教育」は詰め込み教育や管理教育などによって全国に校内暴力やいじめが蔓延したことが発端。しかしながら、方針自体の見直しも多く、内容についてはずっと疑問視されていた感があります。

もちろん授業時間を増やせばそれに比例して単純に学力がアップするかどうかはわかりませんが、個人的には賛成です。人間やはり知識にしても経験にしても蓄積が大事だと思うので、頭の働きが活発な10代の時にしっかりとした知識を身につけることは必要なことだと思います。しかしながら、その反面、中学を卒業したら高校、もしくは就職というような選択肢以外に、何か社会との関わりの中で知識や教養を自由に学ぶ選択肢が用意されている必要があるのではないかと思います。さらにその先も、従来のような大学や専門学校ではなく、新しい教育機関というか経験機関のようなものがあれば面白い。

梅田望夫氏との対談を収めた新書『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)において、脳科学者の茂木健一郎氏は「大学はもう終わっている」と断言されています。講義を受けて宿題を出してレポートや試験の採点をして成績をつけるという一連のプロセスがもはや”まったくナンセンス”だと。

インターネットや携帯端末の普及などによって、私たちの生活のインフラやコミュニケーションそのものも大きく変わりつつあります。そんな中でひょっとしたら教育システムが最も時代に取り残されてしまっているのかもしれません。今回の方向転換も、その先のことまでを考えると何か微妙な気がしますが。何かこれからの”すごい人”って、もう学校教育を受けていない人から出てくる気がします。


『ダイ・ハード4.0』(No.297/2007.10.19)

久しぶりに時間を作って映画を観ました。ちょうどタイミングの合う時間で上映されていたのは『ダイ・ハード4.0』...。いや、いいんです。観れれば...。
もう18年も前となる第1作目は傑作でした。何の取り柄も無い刑事がとんでもない事件に巻き込まれ、知恵と勇気とヒューマニズムで敵と戦う。練られた脚本で最後まで飽きさせない。星5つのエンターテイメント。その後どんどんスケールは肥大化し、今回の4作目はもう観なくてもわかるというか。
ハリウッドではジョン・マクレーン以降の”普通”のヒーローが育たないのか、金になるものは死ぬまでこき使われるのか。実際観てみると、予想通りのとにかくどでかいスケール感と凝ったCG、てんこ盛りのアクション。
そして何より年老いたはずのブルース・ウィルス演じるジョン・マクレーンの強さ。これはもはやロボット。死にません。何しても。もともとこの役はアーノルド・シュワルツェネッガーが最有力候補だったとのこと。それなら納得できたかも。でも、意外と評判が悪くないのは、もうみんな映画にリアリティなんか求めていないと言うことなんでしょうか。とにかく何も考えずに楽しめればいいと。いやもちろんそういう映画もあっていいんですが。

ただ、そういう方向性があまりに進むと、俳優の演技や味、脚本のひねりや伏線、そういった要素は意味を成さず、とにかく観客の頭を使わせず、興奮のみを与える作品ばかりになってしまう気がします。それだともう映画いらないですよね。ジェットコースターでいい。ディズニーランドでいい。もっと言えば「続きはWEBで」、といって終わるテレビCMと同じ。もうそのメディアの敗北宣言じゃないかと。
ジョン・マクレーンが最後に敵を倒すシーンにハリウッドの堕落ぶりが集約されていると思います。残念。でもブルース・ウィルス、がんばってました。なんだかんだ言ってもアメリカのショービジネスの世界でトップに立つ人はすごい。という意味も含めて結果的には一見の価値あり。

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『美術館でオペラ』(No.296/2007.10.12)

ちょっとご縁があって、オペラコンサートを観る機会に恵まれました。今、渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ヴェネツィア絵画のきらめき』展に連動した企画で、日本オペラ界の貴公子と謳われる、テノール歌手の中鉢聡さんによるコンサートです。

男性テノールというとU2がイタリア・オペラの巨星と呼ばれたルチアーノ・パバロッティと共演した時によく聞いたぐらいの経験しかないのですが、コンサートの前に中鉢さんにインタビューさせていただいた際、「オペラは何の知識がなくても楽しめる」とおっしゃられたので、その言葉を胸に身を任せてみました。結果、うむー、やはり生の声の迫力には圧倒されますね。
また、今回はコンサートホールではなく、展覧会の会場内でコンサートを行うという面白い企画で、古の絵画に囲まれているせいもあってか、曲と声から歴史が感じられたように思います。同じように歌い継がれてきた歴史があってもロックだとこういう感じにはならないだろうなあと。ロックがアメリカで生まれてからまだ60年ぐらいしか経ってないわけで、まあしょうがないのですが。オペラ歌手を生業としている人の声には、その人がそれまでに培ってきたものや、その曲を今まで歌ってきた人々の想いのようなものが現れるのかもしれません。

先日、昭和最大の作詞家・阿久悠さんが亡くなられたときの報道で、”最近はいろんな人に歌い継がれていくような歌が少なくなった”、というような内容のコメントを寄せている人が何人かいました。歌が”人”や”時代”の想いや心を背負いながら引き継がれていくのだとしたら、多くの人の心に残る歌が少なくなってきたというのは、実はかなり深刻な問題だと思います。
結構いろんなことを考えさせられる良い機会でした。


『原宿のシュールレアリスム』(No.295/2007.10.05)

個人的には映画といえば大手映画会社が配給する作品よりも、”ミニシアター系”と呼ばれる作品が好きな傾向にあると思います。一方で幼い頃から読んでいた「スクリーン」や「ロードショー」といった雑誌に象徴されるハリウッド系(?)の持つ、派手な感じや盛りだくさんな感じの作品にも好きなものはあり、まあカテゴリー分けはあまり意味がないのですが...最近思うのは、やはりこのボーダーが消えつつあるということ。
チェコのアニメ作家、ヤン・シュバンクマイエルと彼のよき理解者でパートナーだったエヴァの作品を展示した『ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展』(9月21日に終了しています)が原宿ラ・フォーレで行われるというニュースを聞いたときにそう確信しました。ちょっと違うけど...。私はシュヴァンクマイエルの大ファンですが、初めて彼の短編を見たのは吉祥寺にある秘密結社の隠れ家のような場所での上映会。正確には覚えていませんがおそらく10年以上前だったと思います。月日の経つのは早いものです...。

こういった、アンダーグラウンドなものが(まあ、シュバンクマイエルはアンダーグラウンドではないと思いますが、個人的な感覚として)、メジャーな舞台に引き上げられるということがさまざまなメディアで起こっていると思います。いろんな人の目にふれる反面、わかり易さが先行して深みが失われるというようなことは当たり前ですが、もっと枠を広げて考えると、結局は観る側の消費主義的な行動が引き起こした部分もあるのでものではないかと思います。わかりやすい=つまらないという図式は見方によっては歪んでいたり、シニカルなだけだったりのように思えますが、実際、奥の深いものや複雑なものは簡単には伝えられない、ということもあるでしょう。
作り手側は”観る側が望んでいるから”とわかりやすさやインパクトを求め、観る側は”今これが流行っている”という理由で作る側が宣伝する作品を選ぶ。全体的なレベルの低下を招く悪循環ですね。メジャー、インディーズなど、規模や作り方、志向性によるボーダーが無くなりつつある今、その悪しき循環から脱却するためにも、どちらが先ということではなく、とりあえず、私たち観る側がしっかりと作品の内容で選ぶ必要があると思います。

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『アルバム・リーフ』(No.294/2007.09.28)

CDを買う枚数も最近はめっきり減ってしまいましたが、それでもいい音源はちらほら出ていますね。
先月(といっても発売されたのは7月ですが)買った中でよかったのはアルバム・リーフの来日記念盤。未発表音源6曲に映像を収めたEP盤『ジ・エンチャンティッド・ヒル』。今までの抽象的で繊細なジャケットとは対照的なシンプルなデザインに多少のやっつけ感を覚えつつも、内容は期待を裏切らない出来でした。アルバム・リーフはサンディエゴ出身のジミー・ラヴェルによるソロ・プロジェクト。2004年に発表した『イン・ア・セーフ・プレイス』が評判になるのですが、というかこれはもう名盤なわけですが、このアルバムに協力したのがシガー・ロスで、そう考えると、やはりシガー・ロスが今の時代に与えた影響と言うのは、実は計り知れないものがあるんじゃないかと思いますね。

先日発売されたばかりで即買いしたのは、『ジェット・ブラック・クレヨン』。
もともとプロのスケートボーダーとして活躍し、その後、音楽やファッションにまで活躍の場を広げ、若者から圧倒的な支持を得るトミー・ゲレロの別ユニット。トミー・ゲレロは何枚か買っていないものもありますが、ジェット・ブラックは全部持っています。ソロでは聞けないダークでロウな質感が最高ですね。曲名もカッコいいし、今回もボーナスDVDが付いていますが、映像作品もかっこよすぎます。彼らの映像を見ていると、世の中ってモノクロでいいんじゃないかと思ってしまいます。

ここ数年、UKにしてもアメリカにしても、ロックの原点回帰のような流れを感じますが、アルバム・リーフやジェット・ブラック(もちろんシガー・ロスを含む)などの音が、派手さは無いものの、時代を表していると言う意味では非常に重要だと思います。スピード感から得られる高揚感ではなくて、透明な魂が流れ続けるような浮遊感、これですよね。ひょっとしたらその根底にはうっすらとした不安も垣間見えるのかもしれませんが。

ちなみにシガー・ロスは今年新作とDVDを発表するらしいです。”世界で最も美しい音楽”と評されることもある彼らの音。期待が高まります。


『福田内閣誕生』(No.293/2007.09.21)

今月23日の自民党総裁選で、福田康夫元官房長官が麻生太郎幹事長と一騎打ちの末当選、25日の衆院本会議における指名を経て、第91代福田首相が誕生しました。毎日新聞の緊急世論調査によると内閣支持率は57%とのこと。まずまずの出足のようです。

福田内閣のキャッチフレーズは「安心と希望」だそうですが、安部前首相と同じく、抽象的で判りにくいところが逆に不安。”調整型”というと聞こえはいいですが、調整を行うためには時に強力なネゴが必要です。拉致問題なんかでも「本当にやる気があるのかなあ」と思ってしまうのはちょっと意地悪すぎるでしょうか。調整型の人に限って、調整が困難なときにあっさり辞めちゃったりしますからね。ご自身の年金問題しかり。自らの内閣を「一歩間違えれば、自民党が政権を失う”背水の陣内閣”」と位置づけましたが、麻生氏が入閣を固辞したことで、自民党にはもう一枚壁が残る結果になりましたし。
小泉内閣時代に途中降板となったものの、冷静な振る舞いで株を上げた感のある福田氏ですが、結局それなりに国民の支持を得ているのも、今のところはあの冷静で物静かな語り口に、国民がなんとなく信頼を感じているだけかもしれません。

それよりも、今回の総裁選で、安倍前首相が巻き起こしたさまざまなゴタゴタが少し忘れ去られてしまったような気がするのが怖いですね。体調の問題もあったとはいえ、ありえない幕引きでしたから。ありえないと言えば、小泉チルドレンによる”小泉氏擁立”劇もそう。小泉氏が出馬しないというのは、ほとんどの国民がそう思っていたでしょうし、これでもし麻生氏が勝っていたらチルドレンの人たちはどうするつもりだったのでしょうか...。
以前、このコラムで劇作家・平田オリザさんの「1962年前後生まれの人は自分の王国を築く傾向にある」という言葉を引用させたいただきましたが、小泉チルドレンの中にもこの世代の方がちらほら。自身で王国を築けなかった人は、王国を築いた人に狂信的に迎合してしまう傾向があるのかもしれませんね。

支持率こそそこそこ得ることが出来た福田内閣ですが、いきなり石破防衛相による政治資金収支報告書の訂正問題や、渡海文部科学相が建設会社から寄付を受けていた問題が発覚。どうなるやら。

ちなみにちょっとご報告。『ハイ・フィデリティ』についてご紹介させていただいた2007年09月14日号(No.307)が、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載されています。掲載期間は2007/9/22(土)〜2007/9/28(金)。他にもおすすめ情報が載っていますので、ぜひご覧ください。

・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html

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『ヴィスコンティ』(No.292/2007.09.14)

アキ・カウリスマキやらデヴィッド・リンチやら、とにかく”○○映画祭”や”記念上映”などというイベントには、ほとんど行けていない状況なのですが、そんな中、イタリアが生んだ巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ(1906年11月2日誕生 1976年3月17日没)の生誕100周年にあたる記念上映がいよいよ終焉に。2006年の秋から全国各地の映画館でさまざまな作品が上映されてきたのですが(というか、この映画祭、いろんなところでいろんなことをやっていて、全貌をつかむのがなかなか大変...)、7月に行われた上映で東京は最後?と思っていたのでちょっとびっくり。しかもBunkamuraル・シネマとは。これは行かねばなりませんね。上映作品は『ルートヴィヒ』『イノセント』『山猫』の3作。9/22(土)〜10/19(金)まで、毎日3作品が時間を変えて上映されます。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』がないのがちょっと残念ですが、でも見たいなあ。

ヴィスコンティの映画はめちゃくちゃ好きというわけではありませんが、リアリズムを伴った作品は好きなので、たまに見るとやはり引き込まれますね。向上にしろ堕落にしろ、自分の人生の少し先が見えたとき、その先に待ち受けるものによって己の進退を見極められる人とそうできない人がいると思います。ヴィスコンティにはよく”見極められない”人が登場します。しかしながら、それはほとんどの場合、ある種確信犯的に選び取っているようにも見え、結局、それこそが人間の持つ”弱さ”なのではないかと。この男と付き合うとろくなことにならないのはわかっているのに....。もう一杯ビールを頼んだら終電間に合わないんだけどなあ...みたいな。
ちょっと例えがベタか。

・ヴィスコンティ生誕100年祭
(http://www.crest-inter.co.jp/visconti/)


『ダニのパンチ』(No.291/2007.09.07)

仕事や趣味の場で、いろいろとネーミングを考えることも多いのですが、昔聞いた店舗名で、今でも「あれは面白かったなー」と印象に残っている名前があります。
吉本興業がバブルの時代に作ったディスコの名前で「デッセジェニー」。明石家さんまが吉本興業の体質(=銭でっせ)を皮肉って名づけたもの。ネーミングとしていいかどうかはわかりませんが、面白いことを考えるなーと思いました。今でも覚えているということは、当時かなりのインパクトを感じたんでしょうね。

ネーミングには、複数の名前をプラスしたり(「シー(海)」+「ガイア(大地の神)」=シーガイア)、掛け合わせたり(SONET=SONY×INTERNET)、他にもいろんな手法が存在するようで、ネットでいろんな商品名の由来を調べてみると面白いです。「ダニ」+「パンチ」=ダニパンチ、「サラダ」+「ドレッシング」=サラドレ、「ゴリラ」+「クジラ」=ゴジラ、「リンス」+「シャンプー」=リンプ(ありましたねえ)、など。

ネーミングを支援してくれるフリーソフトも見つけました。その名も「命名ヤギさん」(沌珍館企画)。読み込んだテキストファイルからカタカナ語を抽出し、いかにもそれらしい新語を創成してくれるというもの。
とりあえず前回のコラムでやってみました。コラムの本文を読み込んで、「抽出」ボタンでカタカナを抽出(今回抽出されたのはテレビ、モノ、パソコン、デジタルカメラなど)。で、「生成」ボタンを押すと...出来たのがこの4つ。「デジカメラ」「カーカメ」「パソコンチップ」「ソコン」。「デジカメラ」は何か商品名っぽいですが、「ソコン」って...。

現在進行中のプロジェクトでも実際にやってみました。そのプロジェクトは、「スモール」な「キャンバス」に「ファインアート」が施されたものを「キャリー」して自分の「ニチジョウ」や「ライフ」を楽しもうというもの。
生成結果は「キャリート」「キャリール」「キャンバスモー」「ラインバス」「ファイフ」「スモート」「スモー」などなど。このソフトなかなか楽しいし、場合によっては参考にもなります。しかし「スモー」は絶対無いな(笑)。

・「命名ヤギさん」
http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/060118/n0601184.html

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『笑顔のレベル』(No.290/2007.09.07)

個人的に家電製品はあまり買い替えを行わずに結構長く使う方です。例えば、今使っているテレビや冷蔵庫は20年選手。まあモノを大切にすると言うよりは面倒くさがりやなんだと思いますが...。

それでも仕事で使っている関係もあって、それなりに買い換えてきたのがパソコン。そして、さらに激しいのがデジタルカメラ。デジカメは最初は趣味で使っていただけなのですが、そのうち仕事でも使うようになり、結局10年間で10台以上買っていると思います。もちろん、どんなシチュエーションでも1台でこなす万能選手はいないので、何台か使い分ける必要はあるとしても、一番の原因は技術革新の早さでしょうね。
パソコンの心臓部と言えるシリコンチップの性能は1年半から2年で2倍に向上するという”ムーアの法則”とうのが30年以上にわたって実証され続けてきていると言われていますが、デジカメの進歩は直接使い勝手に影響することもあってか、それ以上のスピードを感じさせます。
画素数のアップはもちろん、液晶画面の大型化や高感度撮影などなど。去年あたりからは”顔認識技術”というのが流行のようにどのメーカーにも搭載されてきました。カメラが自動的に人の顔を認識し、最適の露出やストロボ光量などををあわせてくれるというもの。これで人物の失敗写真が少なくなります。メーカーによっては10人ぐらいの人数でもちゃんと認識します。私も1台もっていますが、人の顔を認識してさらに、その人物が動いても追尾するさまは、SF映画を彷彿させます。つい最近ソニーから発売されたカメラは顔を認識するだけでなく、「スマイルシャッター」と言って、顔として検出した被写体が笑顔になると、自動的にシャッターが切れるそうです。目や口角、歯の見え方の変化によってどの程度の笑顔で撮影するかを「スマイルレベル」として設定もできると。ここまで必要かどうかは微妙だとしても、技術としては面白いですね。

さすがに近年はデジカメの機能的に飽和状態に近づいている気がして、さほど買い替えは行っていませんが、これだけ携帯も含めてカメラが普及するとやはり新しい技術はカメラに率先して搭載されるのではないでしょうか。そう考えると楽しみな反面、財布の紐をしっかり締めておかないと...。
しかしながら”顔認識”って考えると結構面白いですよね。どうしても顔を”顔”と認識されない人がいたり、何にもない白い壁をずっと顔と認識し続けたりして...。それはちょっと怖いか。


『トランスフォーマー』(No.289/2007.08.31)

日本では8月4日から公開され、初日・2日目の興行成績では『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を抑えて、堂々1位となったマイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』。もともと本国アメリカでは最初の1週間の興行収入が1億5260万ドルという歴代新記録(シリーズものではない作品として)をたたきだし、ランキングでは初登場1位となるなどすさまじい勢いを見せていました。
この作品は製作総指揮を務めたスピルバーグがあたためていた企画で、構想期間は何と20年。近年になってようやく映像技術が整い、実写化できたそうです。
ストーリーとしては結構わかりやすい感じですが、個人的にも”マジンガーZ”や”ゲッターロボ”などなど、トランスフォーム関係のアニメで育ってきた世代。まだ映画は未見ですが、公式サイトなんかを見ていると、その昔、プラモデルや超合金ロボットでトランスフォームを楽しんでいた頃を思い出しました。ウケるのも納得。男性のみならず女性にも評判はいいそうで、このあたり時代を感じさせます。

思えば、日本には昔からトランスフォームするものがいろいろありますよね。”風呂敷”もそうだし”手ぬぐい”もそう。平らなお菓子箱から一升瓶まで、その形を変形させながら、時に2枚が協力し合って包み込む、まさに最強。落語なんかでは扇子がお箸になったり、杯になったり、金づちになったり。新作落語では野球のバットや携帯電話にもなるそうです。もっとも、これは形を変える、というよりも、そのように見える、といった方が正解かもしれませんが。
ちなみに風呂敷は、”繰り返し使える”という側面から環境にも優しいので、エコバッグ的な使い方もされるなど、ちょっとしたブームになっているようですね。コチラのサイト(日本風呂敷協会→http://furoshiki.homepage.jp)にいろんな包み方が載っていました。風呂敷を2枚あわせるとリュックにもなるというのはちょっと驚き。何でもかんでも優しく包み込んでしまう風呂敷、恐るべし。こういうのになら襲われてもいい?

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『子どもの始まり』(No.288/2007.08.24)

先日、ちょっと気になるニュースを見つけました。
出生率が高い地域では、近所付き合いが盛んで子育て支援の意識が高い傾向にあることが、北海道大大学院文学研究科の金子勇教授による道内外4市町の住民アンケート調査の分析結果から明らかになったそうです。なかなかこの結果には説得力があるなと。

日本では10年ぐらい前からずっと少子化が問題視されていますが、今の日本社会は、そもそも日常生活で乳幼児を目にする機会が減っているのではないかと思うんです。
子供の頭が体とのバランスに比べて大きいのは、大人に”かわいい”と思われることによって庇護を受けるためだという話を聞いたことがあります。また、女性はこどもを産むと、別名「愛情ホルモン」と呼ばれる「プロラクチン」という名前のホルモンが分泌され、「女性から母親へ」と気持ちが切り替わり、赤ちゃんへの愛情が自然に高まってくるらしいんですね。
少子化が進む理由にはいろいろあると思いますが、そういったさまざまな前提や仕組み以前に、大人が子供をみて「かわいい」と思う、そしてそれによって結婚や出産や子育てに対して希望を感じるという機会そのものが減っているのではないかと。

ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』の中で、精神科医のレクター博士は「人間の欲望はまず”見る”ことによって始まる」とクラリス捜査官にヒントを伝えます。つまり、一番最初の犠牲者が住んでいた近くに犯人がいる、と教えたんですね。
実際、私自身、ギャラリーを運営するようになってから小さなお子さんと触れ合う機会が多くなり、子供ってかわいいなと思う瞬間が増えました。近所付き合いには、いろんなプラス・マイナス面があるにしても、そういう場面が増えるのはやはり嬉しいものです。地域内のコミュニケーションをどうやって活発化するか、これは少子化の問題だけでなく、これからの時代、最も考えなければならないことではないでしょうか。


『血のダイヤ』(No.287/2007.08.17)

三軒茶屋の映画館で『ブラッド・ダイヤモンド』を観ました。監督は『ラストサムライ』(2003)のエドワード・ズウィック。出演はレオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスーなど。1990年代のアフリカ、シェラレオネ共和国を舞台に、ダイヤモンド産業の内幕とダイヤモンドが招く悲劇の環を描いた作品。ディカプリオはアカデミー受賞作『ディパーティッド』での役どころと同じく、裏の社会でタフに生き延びている男を演じています。演技のよしあしはともかく、このあたりの作品で新しいファンを獲得しましたね。ジェニファー・コネリーもピッタリの役どころだし、ジャイモン・フンスーも大熱演。ハードな内容も含めてなかなか見ごたえがありました。

ダイヤモンドのみならず、世界中で資源のあるところに戦争が起こったり、一部の人間の思惑によって市場が操作されていたり、現代ではもはや当たり前の事実ですが、それでもあらためてこうやって見せられるといろいろ考えさせられますね。
しかしながら、前半では反政府ゲリラ組織RUFがやたらと恐ろしい集団のように描かれていたり、やはりディカプリオとジェニファーの間にロマンスがあったり、ところどころ感動が用意されていたり、やはり”社会派”作品と呼ぶにはあまーい感じが否めません。この辺が売れて何ぼ、もしくは売れなければならないハリウッド映画の限界なんでしょうか。エンターテイメントとしていろんな人に観られることによって、アフリカの現状がより広く伝わる、という言い方も出来るかもしれませんし、この監督の持ち味とも言えるのですが、うむーやっぱり偽善的な匂いがプンプンします。

第三世界が搾取されている現状を直視するのであれば、例えばドキュメンタリー作品『ジャマイカ 楽園の真実』(2001)あたりと比較すると腹への響き方はぜんぜん違います。
いずれにしても私たち個人の生活と関連性があるという意味で、これらの作品は無視できない映画、問題ではありますが。

・『ブラッド・ダイヤモンド』
http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/

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『ルドンの黒』(No.286/2007.08.10)

渋谷の東急Bunkamuraザ・ミュージアムで「ルドンの黒」展が開催中です。昨年末から今年にかけて開催された「スーパーエッシャー展」に続き、展覧会に関するワークショップの企画・運営をお手伝いさせていただきました。
今回は”新感覚ワークショップ”ということで、別室に参加者が集まって何らかのプログラムをこなすのではなく、来場された方ひとりひとりに対してその場で、”黒の手紙”をお渡しするというもの。手紙の中には作家・ルドンが「最も本質的な色」と表現した”黒”という色にまつわる内容が書いてあり、これを事前に読んでいただくことによって黒に関する理解を深め、よりいっそう展覧会を楽しんでいただこうという企画です。同じ渋谷にある日本デザイナー学院の生徒さんたちにもお手伝いいただきました。

このワークショップは、私個人の経験も少しベースになっています。それはスパイク・リー監督の『マルコムX』を見たときのこと。それまで街で暗躍するハスラーとして堕落した生活を送っていたマルコムは、とうとう刑務所に入る羽目になり、そこでとある宗教家から辞書の「白」と「黒」の項目について読まされます。いずれも驚くほど明確に、白にはポジティブな内容、黒にはネガティブな内容が書かれていました。これがマルコムが政治に興味を持つきっかけになるのですが、この場面はマルコムのみならず私にも衝撃を与えました。
このときのような感覚(もちろん”政治的な”とか”ネガティブな”という意味ではなく、”新鮮な感覚”という意味です)をご来場のお客様に少しでも感じていただくことができれば、展覧会がより興味深いものになるのではないか、との想いも込められています。

ワークショップは本日8月10日&11日と実施しています(黒い手紙がなくなり次第終了)。ご興味のある方ぜひご覧ください。

・Bunkamuraザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/shokai/museum/



『参院選終了』(No.285/2007.08.03)

参院選が終わりました。結果は自民党の大惨敗、民主党の圧勝。個人的には悪くない結果だと思いますが、その分不安も残ります。1人区でまるでオセロの駒のように保守が次々とひっくり返される様子は、現実とは思えないほどでした。ちょっと怖かった。
今後の話は、まあ民主党がどれだけやれるかにかかっていますし、そこは期待と不安を持って見守りたいですが、それにしても今回の官僚の不祥事と安倍首相の失態は目に余るものがありましたね。

前回のコラムで1962年前後に生まれた人々の”王国志向”について書きましたが、世代は違うものの、やはり2世、3世議員というのは”タフさ”がなくなってくるのでしょうか。ここでいう”タフさ”とは、もちろん”何を言われても辞めない”というようなことではなく、現実をしっかり受け止めてしかるべき対応をする能力、という意味です。組織論やマネージャー教育なんかでも、最も大事なのはトラブル処理。何かあったときにどのようなチカラを発揮できるかで上に立つ人物かどうかが決まります。そういう意味では、現在の内閣の”弱さ”がまさに赤城農水大臣の”絆創膏”に象徴されていましたね。要するに”自分がどうしたいか”ではなく、”自分がどう見られているか”をちゃんと見極められるかどうか。絆創膏の理由ひとつ満足に説明できない人が、政治資金のような大きな問題をきっちり説明できるわけがありません。みんなそう思っていたはず。残念なことです。

赤木農水大臣はとうとう更迭されてしまいましたが、本人は安倍首相との話の中で「”あうんの呼吸”でその場で辞表を書いた」、とのこと。辞任については「安倍首相から直接言われたのではない」とコメントしていたようですが、もし本当に自らの意思が理由なら、辞表は書いて持っていくべきでしたね。これでは、自民党や安倍首相の援護射撃にもならない。やっぱり自分のやりたいようにやることが一番大事、なんでしょうか。

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『王国の崩壊』(No.284/2007.07.27)

芸能ネタから。
先日、タレントの羽賀研二が、暴力団員らを使って約4億円の債務を放棄させたとされる事件で、大阪地検に逮捕・起訴されました。これを受けて、所属している芸能事務所は彼の解雇を決断、事実上の芸能界引退宣告と言われています。以前からお金や女性のトラブルが絶えない人でしたから、ある意味予想された結末なのかもしれません。

個人的に”羽賀研二”と聞いて思い浮かぶのは、テレビ番組「笑っていいとも」...ではなくて、劇作家・平田オリザさんがご自身の著書『「リアル」だけが生き延びる』(発行:ウェイツ)の中でおっしゃっていた言葉。
オリザさんは、自分の生まれた世代(1962年前後)について、「物質的な苦労なしに育った最初の世代」と定義し、「この年(1962年)は劇作家と犯罪者が多いと言われています」と続けます。そして、同じ世代の「三谷幸喜」「宮崎勤」「池田小学校の宅間」「和歌山カレー事件の林真須美」「松田聖子」「羽賀研二」らの名前を挙げ、「これには共通点があって、全部「自分の王国」を築いちゃうような人」と分析します。そして「たまたま僕は演劇に出会ったから犯罪者にならなかった」と。

もちろん、世代が同じでも育った環境によって人格形成は変わってくると思いますが、自分の思い通りに世界を動かしたい、みたいな欲求が突出しているところは共通しているのかもしれません。だとしたら、それは何もこの世代の人たちだけではなくて、それ以降に生まれた日本人に多かれ少なかれ当てはまりますよね。そう考えると結構怖いです。”甘え”を許す日本、これからは”理由なく拡大しない”という意味も含めた”我慢”というキーワードが重要になってくる気がします。

ちなみに、オリザさん、前述の書籍の「たまたま僕は演劇に出会ったから犯罪者にならなかった」の後に「松尾スズキさんなんてまさにそうだと思うんですけど」と続けています。これにはちょっと笑ってしまいました。確かに。


『希望の肉』(No.283/2007.07.20)

中国では肉まんにダンボールを入れて売っていたと報じられたかと思うと、その事実そのものが捏造だったことが発覚。いやはや、世の中わけがわからなくなってきましたね。国内でも、食品加工卸会社ミートホープの偽装牛ミンチ問題が連日メディアで報道されています。こちらはどうやら事実のようですが、そのずさんさ、巧妙さは聞いていてあきれるばかり。

しかしながら、ミートホープの田中社長は裸一貫から起業して、一代で会社をここまでにした人物なんだそうですね。しかもその肉の混合に関しては天才的なひらめきを発揮したとか。「挽き肉の赤身と脂身とを一様に混ぜ合わせる攪拌機」の独自技術を持っていて、文部科学大臣「創意工夫功労者賞」なども受けているらしいです。いわゆるベンチャーとしての成功事例と言えるのかもしれません。もちろん、法を犯して手にした成功はにせものであり、犯罪です。基本的なルールを無視した責任は計り知れません。

とあるテレビ番組で、弁護士のコメンテーター(名前は忘れてしまいました)の人が「偽装したから問題になった。バラエティミートとかの名前で堂々と売ればよかった」と発言。その”バラエティミート”と言うネーミングの巧みさに思わずうなずいてしまいました。
そういう発想が出来るかどうかが、本当に成功できる人とそうでない人の差なんだろうなあと。合い挽き肉自体は普通に売られていますが、そこをもう一歩飛躍させて、”牛だけが肉じゃない、合い挽きの方がうまい”とブレイクスルーできれば業界にも名を残したでしょうに。
これもテレビで見たのですが、昨今の世界的なマグロの減少についてコメントを求められた、かの”さかなくん”。あの大きな目をギョロギョロさせながら、「世界には2万種類もの魚がいます。マグロ以外にもおいしい魚がいっぱいいるんですよー」と。少くなってしまったマグロをいかに大量に確保できるかを企業が熾烈な競争を繰り広げる中、マグロ信奉をあっさり捨てる発言。これもある種発想の転換ですよね。

とある日の、田中社長のコメント。「言い訳させていただくと、やはり、きちっとした表示さえあれば、たとえ(豚や鶏を)混ぜてもおいしい」。うむー...やはり根本的なところで勘違いしていたんですね。

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『デス映画』(No.282/2007.07.13)

ビデオをレンタルするときは、何を借りるかを決めてレンタル屋さんに行くことはほとんどありません。まあそのときの気分で店内をうろうろしながら気になったものを借りると。なので、なかなか決まらないときは気が付くと1時間ぐらいお店にいるときもあります。
先日、何となく借りたいものが決まらずぶらぶらしていると、ふと目に飛び込んできたのがホラー映画のコーナー。同じようなタイトルが並んでいたので目に留まりました。並んでいる作品のタイトルがすべて『デス』から始まっているんです。『デスライド』『デスゲーム』『デスリング』『デス・ヴィレッジ』などなど。これは明らかに『デスノート』がヒットした影響でしょうね。そう言えば、『リング』や『SAW』がヒットしたときも似たようなタイトル・パッケージのものが出回りました。
で、『デスライド』は原題も「DEATH RIDE」だからいいとして、『デスゲーム』は原題が「STAY ALIVE」、『デスリング』は「Ring Around the Rosie」、『デス・ヴィレッジ』は「RITUAL」...。なんでもありですねえ。
中でも面白かったのが『デスバーガー』。いや別に人食いハンバーガーが暴れまくるとか、食べると死ぬというハンバーガーが出てくるとかいうことではなくて(これだと単なる食中毒か...)、ハンバーガー・ショップを舞台にしたホラーということなんですが。原題は「DRIVE-THRU」(これもまた...)。表紙には鬼のような形相で毒々しいハンバーガーを持った、某有名ハンバーガーショップのキャラクターに似た感じのピエロが...。逆にここまで来るとちょっと借りたくなってきますね。そのうち『デスステーキ』『デスホッチキス』『デスプリン』なんてのも出てくるかも...。


『しゃべれども』(No.281/2007.07.06)

先々週のコラムで公開が迫っている大注目作品としてアキ・カウリスマキ監督の最新作『街のあかり』とデヴィッド・リンチ監督の最新作『インランド・エンパイア』をご紹介しましたが、まだ未見ながら現在公開中の作品でオススメしたいのが『しゃべれどもしゃべれども』。

本作は1997年度“「本の雑誌」ベスト10”のランキングで第1位に輝いた佐藤多佳子の長編小説を映画化したのもので、東京の下町を舞台に、とある落語家のもとに集った「落語を、話し方を習いたい」というワケありの3人の人間模様を描いた作品。監督は『愛を乞うひと』(1998)で世界的な評価を得た平山秀幸。
まだ観ていないのですが、主人公の落語家にキャスティングされたTOKIOの国分太一さんの演技が素晴らしいらしいんです。これ、単純に映画を観た人の感想を聞いたのではなくて、国分さんに落語の演技指導をつけていらした落語家さんから聞いたお話。実はうちのギャラリー『世田谷233』では、毎月小さな落語寄席を開催しているのですが、そこに出演してくださっていた柳家三三(やなぎやさんざ)さんと古今亭菊志ん(当時は二つ目で菊朗さんでした)さんが稽古の先生を努められたんです。もう今から1年ほど前の話ですが、当時お二人から、国分さんの演技の感の良さやセンスの良さのお話を伺っていました。さらに「本当に落語好きの落語家が演じているようだ」と太鼓判も。落語好きの私としては、これは観たい、と。まだ行けてませんが...。
三三さんも菊志んさんも、日本の古典落語をこれから背負っていかれるであろう器のお二人。ということでオススメです。

・『しゃべれどもしゃべれども』(http://www.shaberedomo.com/

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『過激なヨガ』(No.280/2007.06.29)

最近、日本ではアメリカの軍隊式ダイエット・プログラム『ビリーズブートキャンプ』が大ヒットしていますね。ビリー隊長もとうとう来日していろんなメディアに出演、大忙しのようです。実際周りにいたらちょっと暑いかも...という感じのキャラですが、どんなメディアに出ても突然体操を始めるビリー隊長。その一生懸命さが微笑ましいですね。
そんな中、日経流通新聞の「ヒットの予感」というコーナーによると、本国アメリカでは”ヨガ”が流行っているとのこと。これはこれでちょっと笑ってしまいました。というのも、サブタイトルは「過激に進化する米国ヨガ」。
これがとんでもないことに...。

そもそもヨガ (Yoga) とは、インドで生まれた心や身体をコントロールする技術のことだそうで、アーサナ(=姿勢)や、プラーナーヤーマ(=呼吸法)を重視するものや、瞑想による精神統一を重視するものなどいろいろあるようです。
いずれにしても、いわゆる”フィットネス”のような健康増進の運動とは違う感じがしますよね。ところがそこはアメリカ。さすがさまざまな文化を自分たち流に変えてきた人たちです。

まず紹介されていたのが『フェイスヨガ』。なんと舌を出して”あっかんべー”をした表情を中心に、顔回りの筋肉を動かすというもの。”インド人のヨガの先生の顔にはほとんどシワがないことに気づいたのがきっかけ」だそうです...。次は『エアリアルヨガ』。天井から吊るされたゴムバンドのようなものに上半身をゆだね、空中に浮いたままで姿勢をとるというもの。写真も載っていましたが...浮いてました。最後は『鉄アレイヨガ』...。鉄アレイを持ったまま姿勢を取り、上半身の筋肉や腕なども同時に鍛えられるトレーニング要素を強化したヨガとのこと。私はヨガをやったことはありませんし、”インドで生まれた”ということで、ヨガには宇宙レベルのバリエーションがあってもいいのかもしれませんが、レオタードを着た女性が鉄アレイを両手に辛そうな姿勢を取ってにっこり笑っている写真にはさすがに違和感が...。
アメリカ人っていろんな意味でたくましいなあと。とかいいながら日本でも流行ったりして。


『アキ&リンチ』(No.279/2007.06.22)

うわー、始まりました。アキ・カウリスマキ監督の最新作『街のあかり』公開記念&生誕50周年企画。渋谷のユーロスペースにて処女作『罪と罰』から大ヒット作『過去のない男』まで、全19作品一挙上映。『カラマリ・ユニオン』も『浮き雲』も全部やります。見たい見たい見たい〜。
でもって、『街のあかり』は7月から公開ですが、同じく7月にはデヴィッド・リンチの5年ぶりの新作『インランド・エンパイア』も公開されます。これもめちゃ楽しみ。待ちきれません。前作『マルホランド・ドライブ』もそうでしたが、最低でも3回は劇場で見るでしょう。今年は奇しくも、長編第1作『イレイザーヘッド』から30年目だそうです。そう考えると、前作から5年というのは結構空きましたね。『マルホランド・ドライブ』があまりにも大傑作だっただけにファンとしては多少不安もありますが、今回は”ウサギ人間”が登場するとの事。こりゃ期待するなって方が無理というものです。

アキ・カウリスマキにデヴィッド・リンチ、ともに個人的にベスト10に入るほど大好きな監督。何か共通点があるのでは?と思って考えてみました。
うむー。はっきりとはわかりませんが、しいて言えばリアリティと寓話的要素のバランスが似ているところ、さらにそれを圧倒的なオリジナリティでまとめているところでしょうか。どんなにユーモラスな場面でも、希望に満ち溢れた場面でも、その水面下に必ず”絶望”という感情が流れているあたりも似ているかもしれません。さらに二人とも音楽の使い方が抜群にうまいですしね。
ちなみに個人的に好きな監督のあと7人はアッバス・キアロスタミ、パトリス・ルコント、ジム・ジャームッシュ、スパイク・リー、ジョン・カサヴェテス、アンドレイ・タルコフスキー、今村昌平、フランクリン・J・シャフナーにスタンリー・キューブリックに...etc...あっさり10人超えてますが。

・ユーロスペース(http://www.eurospace.co.jp/

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『つながりの裏表』(No.278/2007.06.15)

個人的に大切にしたいと思っているキーワードに”つながり”があります。これはイベントを企画したり運営したりするときもそうですし、友人関係なんかでもそうですね。そもそもフリーで仕事をするということは”つながり”をベースに仕事をするということで、”クオリティ”や”スピード”といった要素はもちろん、”つながり”という要素でお仕事をいただくこともホント多いです。

”つながり”を大事にする、というと嫌な顔をする人はいないでしょうし、ある意味”正論”というか、間違いのない価値観のように思われるかもしれません。しかし、私は実はこのキーワード、結構危うさを持っていると思います(そもそも”つながりを大切にする”なんて、メールマガジンで発表すること自体胡散臭いですが...笑)。
今回ご紹介する作品『ケーブルガイ』もそうです。主人公の男は、友達関係に異常に執着する”ケーブルガイ”と”つながり”ができたことによってさまざまな危機に見舞われるわけで、”つながり”を大切にするということはそれなりにさまざまな”リスク”を背負うということでもあるわけです。知り合いに仕事を頼んで、”お友達価格”で安くやってもらったのはいいけれどクオリティが...みたいなこともあるでしょう。やっぱり物事、必ず二面性があるもんです。そうでなくても”つながり”は結構面倒くさいし、気疲れもする。それでも人間は一人で生きることはできませんから、どうしても”つながる”必要があるわけで、つまりは”つながり方”というのが大事になってくるんでしょうね。
今の時代は”コミュニケーション”という言葉が完全に浸透した気がしますが、誰と誰をどういう風につなぐか、という技術だけでなく、つながった後にどのような交流、情報交換を行うのか、そこでコミュニケーションの能力が問われるのだと思います。まあ、ふた昔前の世の中であれば、放っておいても社会の中で自然に学べたのだと思いますが。
さて、あなたの周りに”ケーブルガイ”はいませんか?


『パソコン・クラッシュ』(No.277/2007.06.08)

またパソコンが壊れました...。いろいろ処置を施したのですが、最後はハードディスクが今まで聞いたことも無いような高音を発して動かなくなりました。数日前からちょっと異音が聞こえてはいたのですが、まさかこんなに早くだめになってしまうとは...。パソコン本体が異常な熱さになるのも気になっていたのですが。くやしい。
データはバックアップを取っているので大丈夫ですが、最もイタイのは、メールの受信履歴。このデータを取り出そうとしたのですがだめでした。

いろんな経験をしながらさまざまなことを学び取る”ワークショップ”が相変わらず盛んですが、その中に”マイナスのワークショップ”というのがあるそうです。日常生活の中で、何かひとつ”マイナス”して暮らすというもの。それは携帯電話でもいいし、テレビでもいいし、帽子でもいいし、何でもいい。とにかく自分の生活からひとつ”引いてみる”事によっていろいろ考えたり感じたり。なかなか面白い着眼点ですよね。まあ無くなって本当にどうしようもないものってそんなにはないんでしょうね。メールの履歴しかり。無いなら無いで、実はそれなりに何とかなります。

個人的には携帯メールは使っていませんし、Eメールは基本的にビジネスのツールとして割り切って使っているので、仕事の文脈での履歴が無いのは困りますが、よく考えると、友人からのメールなんかでそれなりに思い出として取っておきたいものもあったんじゃないかなあと。そういえば、会社員を辞めたときに、いろんな人がメールでエールを送ってくれた気がします。あまり一緒に仕事をしたことが無い人や取引先の人なんかが、噂を聞いて電話をくれたりメールをくれたり。ギャラリーに対する励ましの内容のメールもいろいろいただいていたなあと。友達夫婦に子供が生まれたときに送ってくれた赤ん坊のかわいい写真も、わざわざデータを別に保存せずに、メールの添付メールで保存していた気が...。うわあ、考えるのやめよ。

ちなみにメールの履歴のバックアップについてはこちらがわかりやすいです。
・FUNNY STORY
http://www.hinocatv.ne.jp/~s_h_r/index.htm

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『今年のパンク』(No.276/2007.06.01)

CD紹介。
今年はすでにパンクの大御所の新譜が結構出ました。ストラングラーズ、イギー・ポップ(ストゥージズ)、パティ・スミス。ストラングラーズは何と16枚目となるアルバム『Suite XVI』、ストゥージズは同名義では34年ぶりという新作『ザ・ウィヤードネス』。パティ・スミスの3年ぶりの新作『Twelve』は自身初のカヴァーアルバム。。新譜を出しただけでも、続けているだけでもすごいと思うけど、パワーが衰えていないところがすごい、てかここまでくると”怖い”。

先日、ドン・レッツ監督の「PUNK:ATTITUDE」というドキュメンタリー作品のDVDをレンタルして見ましたが、初期のストゥージズのライブ映像があって、イギー・ポップのキレ方は半端じゃなかったです。人間じゃないみたい。最高。音楽と肉体、音と魂。そういう意味では、人の心に触れるすべての音楽は”ソウル”ミュージックと呼ぶべきですね。
ストラングラーズの新譜の日本版にはボーナス・トラックが2曲含まれていて、うち1曲は三島由紀夫に捧げられた「デス・アンド・ナイト・アンド・ブラッド」。とりあえずまずこれを買いました。涙ものです。
以前、このコラムで、ロックは流れ続け、パンクは時代ごとに爆発する、みたいなことを書きましたが、いきなり修正。パンクも流れ続けてる。まあ、パンクとかロックとかどっちでもいいや。大事なのは”世界をぶっ壊す”=”価値観を変える”ってこと。徹底的に現実を見つめた末にぶっ壊すべきものは?


『恩返し』(No.275/2007.05.25)

最近はいろいろとイベントを企画したり運営したりする仕事が増えました。まあギャラリーをやっているということもあると思いますが、やっぱりイベントという仕組みが、いろんなフィールドにおいて、閉塞した状況を活性化するためによく使われているということもあるのでしょう。ボランティア活動なども楽しくイベント化して行えば人も集まりやすいし、継続しやすくなるような側面は確かにありますしね。

イベントというカテゴリーの中に”祭り”も含まれるとすると、単にコミュニティに生きる人々のガス抜きだけでなく、天気や豊作を祈ったり、もともとはもっと切実な思いから発生したものもあるかもしれません。しかしながら、私はすべての”イベント”において大事なのは「恩返し」という考え方だと思います。イベントに限らず、世の中において、人々から必要とされたり、長く続いたりするものには”恩返し”の概念が、多かれ少なかれ含まれているのではないでしょうか。誰が、何のために、どういう形で恩返しをするのか、その組み合わせこそ現代では本当に様々だと思います。またその度合いは多くても少なくても構わない。気持ちだけでもいいんです。その土地で暮らしているということに対してであれば、地域に。商売をしているなら、お客様に。環境を考えるのであれば、地球に。とにかく自分が恩恵を受けてきた対象に対して、自分が何が出来るのかということ。それがなければ、結局人の心を動かすことは出来ないと思います。
以前、石原都知事が銀行税なるものをぶちあげましたが、あれもその考え方に近かったかもしれません。もっともあの場合は、東京で商売させてやってんだから、東京に税金納めて恩返ししろ、という感じでしたが...。

いずれにしても、”恩返し”という考え方を取り入れた方が逆に経済的な循環を生むという仕組みを徹底的に考えること、これが今の世の中でもっとも求められていることではないかと思います。

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『スパイダーマン3』(No.274/2007.05.18)

前回に続き、公開中作品レビュー。今回は『スパイダーマン3』です。
ここ10年ほど遡っても、アメコミを原作とした映画作品としては、類を見ない程の完成度と興行収入を上げている「スパイダーマン」シリーズ。一説によるとシリーズでの経済価値はヨーロッパの小さな国1つに匹敵するとかしないとか。もともと数あるアメコミの中でも主人公にさほど特別な能力があるわけではないスパイダーマンは特異な存在。しかしながら映画化にあたっては、糸を使ってNYの空間を縦横無尽に駆け巡る描写がぴったりハマッったんでしょうね。もちろん、監督サム・ライミのオタク的こだわりやスパイダーマンを演じるトビー・マグワイアの熱演など、いろんな要因があるのだとは思いますが。
で、3作目。まあよく出来てます。CG(じゃなくてVFXって言うんですね)をフル活用したアクション・シーンも盛りだくさん。旧知の敵から新たな敵、果ては自分自身が敵になるなど、脚本も練られています。これは多くの人に受け入れられるでしょう。
GWに発行された「ニューズウィーク日本版」の映画特集号では、”トビー・マグワイアが降板しても代役を用意してあと3作は作るかも”という予想が書いてありましたが、あながちはずれではないかも。今回はさすがに次作をにおわすような演出は無かったですが、基本的にこの手の作品は新たな敵を作ればいくらでも続編が可能ですからね。

と、基本的には満足しましたが、善と悪という二元論では割りきれない世界を描いている反面、星条旗をバックにスパイダーマンがポーズを決めるシーンがあるなど、そこはやっぱりハリウッド映画なんだなと。こういう描写にはうんざりしますね。アメリカ人って結局いつまでたっても変わらないのかなあ。復讐心をコントロールし、恨みの連鎖を断ち切ることを今まさに求められているのは、映画に登場するキャラクターたちではなく、他でもないアメリカ自身だと思うのですが。力を持った主人公が傲慢になってみんなに嫌われるところまでは、まさにアメリカを体現していたのですが...。でも単純にアクション映画としてみれば十分満足できます。


『ハンニバル・ディパーティッド』(No.273/2007.05.11)

久しぶりに公開中作品のレビューを2つ。

ひとつは『羊たちの沈黙』(1991)で全世界を震撼させたトマス・ハリス原作の『ハンニバル・ライジング』。好きなシリーズですが、これは評価が難しいですね。レクター博士ファンにとってはマルで、トマス・ハリスファンにとってはペケ、といったところでしょうか。個人的にはペケでした。

主人公のキャラクターや脚本を考えるとしょうがないのですが、それでも猟奇的な場面が必要以上に多く、レクター博士が単なるサイコ殺人鬼にしか見えませんでした。かといって、そういう場面を控えめにして、レクター博士の心理描写をメインにしてしまうと、映画作品としては地味なんでしょうね。
なので、レクター博士の一連の作品の幕開け、という位置づけではなくて、若くて勢いもあるギャスパー・ウリエルをメインに、異国情緒(=日本文化)で不思議な味付けをして、ちょっと変わったサイコサスペンスとして独立した作品作りを目指したのではないかと。ただ『羊たちの沈黙』以降、同様の作品があまりにも多すぎて、カニバリズムを前面に押したところで目新しさは無かったです。見終わった後、その足で書店に行き、原作を買いました。
トマス・ハリスの原作ははずさない...はずです。★2つ。

もうひとつはちょっと古いですが『ディパーティッド』。ハリウッドの重鎮、マーチン・スコセッシ監督が香港映画の『インファナル・アフェア』(2002)をリメイクしたもの。第79回アカデミー賞作品賞を受賞しました(外国映画のリメイク作品としては史上初だそうです)。

こちらはオリジナルの方を見ていない方にとってはなかなかよく出来ているのではないかと思います。もちろん、深みもなければ厚みもなく、ラストも褒められたものではありませんが、緊張感はあります。
ジャック・ニコルソンを始めとするキャスティングもよく、音楽の使い方も良いので”映画を見た感”が得られます。やっぱり、ストーンズもピンク・フロイド(カバーだけど)もいいですねえ。主役のディカプリオ、マット・デイモンががんばってる。でもってマーク・ウォルバーグのキレ具合もいいし、アレック・ボールドウィンのだらしなさも面白い。
しかしスコセッシって、年を重ねるほどに宗教の取り扱い方が薄っぺらになっているように思うのですが気のせいでしょうか。印象としては、こてこてのどつきマンザイ、という感じです。そういうのが好きな方には受けるはず。★3つ。

最後にひとつご報告。前回配信させていただいた『さよならモンペール』についてのレビュー(2007/5/04号)ですが、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、2007/5/9(水)〜2007/5/15(火)の期間、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載いただいています。ありがたいです。

・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html

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孤独と不安』(No.272/2007.05.04)

劇団「第三舞台」主宰の鴻上尚史さんの「孤独と不安のレッスン」(大和書房)という本を読みました。第三舞台は2001年から10年間の休演に入っていて、直接舞台を見たことはないのですが、鴻上さんの本は結構読んでいます。この人の言葉はしっとりしているけれど潔くてダイレクトなんですよね。

鴻上さんは、”孤独”には「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」があり、「本当の孤独」には素晴らしい価値がある、と説きます。そして、そこに気づくまでのプロセスを具体的なポイントを上げて語りかけてきます。
”孤独”に価値があるというのは、私もそう思います。近年”引きこもり”という言葉がよく使われますが、若い人と話をしていると「もっとちゃんと(というと変ですが)引きこもればいいのに」と思うことがあります。自分の部屋で孤独と不安にさいなまれながら悶々と過ごすのは自分自身と向き合うチャンス。しかし現代ではゲームもあればネットもある。孤独を表面上打ち消すモノにあふれいているし、部屋の中にいても世界とつながっている。これではせっかくのチャンスを逃すことになってしまいます。必ずしも”引きこもる”のがいいというわけではありませんが。

鴻上さんの本を読むと、「なるほどっ」という言葉や思想に出会うことが多いのですが、この本にもありました。素晴らしい一文が。それは「つらくなったら誰かに何かをあげる」ということ。つらくなったり、不安になったりしたら誰かに何かをあげよう、物でもいいしお話でもいいし、なんでもいい、と。鴻上さんはそれを”おみやげ”と呼びます。うまい。誰かにおみやげをあげると自分だけの世界から抜け出せる。
まったくその通りですね。つらいときに愚痴を聞いてくれる友達も大事。しかし、その前に、他人に何かをあげることを考えてみるのは素敵なことだと思います。それは言い換えれば世界に対してポジティブに関わるということ。自分の悩みや不安とちゃんと向き合える精神状態を作る。まずはそこからだと思います。結局自分の悩みを解決するのは自分しかいないのですから。

『ライブ感』(No.271/2007.04.27)

最近、ネット上のコミュニティで、人と人とがいとも簡単に”友達”になる様子を目の当たりにすると、”本当の友達”(そもそもそういうものが存在するかどうか疑問ですが)とは一体何だろう、と考えてしまいます。

思えば、私が友達の大切さをちゃんと認識したのは、大学時代でした。
その頃、特に仲の良かった友人たちとの話がとにかく面白かった。しかし、その友達たちとは、とりわけ趣味が合うわけでもないし、同じお店でアルバイトをしているわけでもない、それでもなぜか会うと話し込んでしまう。で、他の友達とどこが違うんだろうと思い、会う度にそのことを考えていたら、ある日気がつきました。
そういう友達は会うと必ず”新しい”話をしてくれるのです。最近チャレンジしていること、最近経験したこと、最近考えたこと、などなど。もちろん意識しているわけではないと思いますが。なるほどこれか、と思いました。昔の話を繰り返したり、過去のことを愚痴ったりももちろんあるのですが、基本的に前を向いていて、視点は世界に開かれおり、実際に新しい経験(それが思考であれ行動であれ)を積み重ねているのです。同じ年の人間が新しい領域に踏み出した経験談、これが面白くないわけがありません。当時は、私もいろんな事に興味を持ってちょっかいを出していた時期(ヨーロッパを旅したり、ホノルルマラソンに出たりしてました)。こちらからも知らないうちに新しい経験を話していたのかもしれません。
いい刺激を与えられる関係、これが本当の友達、というか、ずっと付き合う友達の条件のようなものかもしれません。

ふと、こういった人との出会い方や付き合い方と、ネットを中心としたコミュニケーションの違いがあるとすれば、語られることが”経験”か”情報”か、ということではないかと思いました。ちょっと極論ですが。
もちろんネットでも経験は語られますが、そのほとんどが何かのメディアを通して見聞きしたこと。しかも、身振り手振り、声に表情、そういった要素がないので、”ライブ感”に欠けるのです。この”ライブ感”が重要だと思うんですね。臨場感と言い換えてもいいのですが、もっと身近で生々しいもの。自分の生活の先にある、人生や生命というものにつながっている感覚。
もし、ネットでのコミュニケーションが普通に存在する時代に生まれた若い世代の人たちが、ここでいう”ライブ感”を感じる機会が少ないのだとしたら、だからこそ瞬間的な盛り上がりを求めるのではないかと。ゲームしかり、スポーツ観戦しかり。しかしながら刹那的で乾いた”熱”はすぐに冷めます。
さほど熱くなくても、人間の体温が感じられる”ライブ感”が、今の時代にあらためて必要とされているのではないでしょうか。

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みんな表現者』(No.270/2007.04.20)

少し前の話ですが、ビジネス週刊誌『ダイヤモンド』に面白い記事が載っていました。”1億「総表現者」時代がやって来た”というもの。ネット社会の到来によって、多くの人が表現手段を手にいれ、誰もが映画監督になれる時代になった、と。

さらっと読み過ごせばそれで終わりなのですが、ちょっと引っかかりました。
以前、ジャーナリストの神保哲生さんが講演でおっしゃっていたのですが、神保氏のようにコロンビア大のジャーナリズム学科を卒業しても、そのままメジャーな出版社に入れるのはほんの数人とのこと。他の大多数のジャーナリスト志望の若者は、仕方なく地方の出版社などに身を置いて日々小さな記事を追い求めて飛び回っているらしいんです。まあそういう状況下で、”いつか見てろ”と悶々としているんでしょうね。で、そういった人々はケーブルテレビやネットなど新しいメディアが登場するたびに、我先にと飛びつき、そのメディアを用いて自分が伝えたいことや取り上げたいことを発信するそうです。
当たり前の話ですが、当然”伝えたいこと”が先。伝えたいことがあるけれど既存のメディアでそれが実現できない人が新しいメディアに可能性を見出すわけです。

ネットやパソコンを中心とするテクノロジーの進化によって、確かに素人でもそれなりに映画や音楽が作れるようになりましたが、そういった仕組みは、どうも”メディア”が先になってしまっている気がします。当然、メディアがあるから作ってみよう、というモチベーションもあるかと思いますが、残念ながら、そういう動機からから生まれるものにあまり面白いものはない気がします(もちろん、ゼロではありませんが)。
そのあたり、特にメディアを提供する側にいる人たちが勘違いしているような気がしてなりません。いや確信犯的にビジネスとして煽っているのかもしれませんが。映画を作るためにDVカメラを買ったり、映像の編集が出来る高価なパソコンを買ったり、編集のためのソフトウェアをそろえたり、それなりにお金がかかりますからね。
結局一番儲かるのは、まずはインフラやシステムを提供する人ですから。

ちなみに、その時に週刊『ダイヤモンド』を買ったのは、「驚異のイスラム」という特集記事を読みたかったからです。中国も勢いがあるけれど、イスラムもすごい...。


『スーダラ魂』(No.269/2007.04.13)

日本を代表するコメディアンであり、歌手であり、俳優である植木等さんが3月27日にお亡くなりになりました。あのひょうひょうとしたキャラクターやサラリーマンの心情をすくい取った名曲の数々は、今でも時代を超えてさまざまな人々に愛され続けています。...本当に残念です。

4月に入ってから、各テレビ局が植木さんの追悼番組を放送。たまたまとある番組を目にしたのですが、その中の植木さんの発言で、大変印象的な言葉がありました。フジテレビの開局と共にはじまった伝説の番組「シャボン玉ホリデー」。日本中を笑いで包んだ番組も、オイルショックや「サザエさん」の登場などによって下火になり、やがて11年間592回の歴史に幕を閉じます。
その時の気持ちを番組の司会者に尋ねられた植木さん。「本当に寂しかった。しかし、当時はたかが30分の番組に4日間もリハーサルを行っていた。今はそんなことありえない。そういう番組に関われたことを本当に誇りに思う」と。

今やテレビは素人からの投稿をまとめて放送する媒体になりつつあります。放送されるあらゆる番組がすべて何らかの宣伝になりつつあります。昔、何かの雑誌で北野武が、「テレビはすべてやらせだと思った方が早い」と発言していたのを覚えています。今からおそらく20年ぐらい前の話です。
テレビというメディアが真剣勝負の場で、本当にチカラがあり、みんなに夢や希望を与えていた時代が存在していたんですね。インターネットはわたしたちに夢や希望を与えてくれるのでしょうか。いろんな意味で含蓄のあるお言葉でした。

余談ですが、植木さんの数ある大ヒット曲の中でも特に楽しい『スーダラ節』。その作詞を手がけたのが青島由紀夫さん。タレント議員は好きではありませんが、今こそ都知事選に青島さんがいればなあと。

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『流れ続けるロック』(No.268/2007.04.06)

例えば、世界をとてもポジティブに捉えてみることで、自分が抱えている大抵のことは解決してしまうんだろうな、と思います。そういう意味で、ビジネスやスポーツ、芸術の分野などで成功した人の話というのはいいものです。
イチロー選手や、松坂選手、松下幸之助に本田宗一郎などなど、さまざまな伝説的な人物をテーマにしたテレビや書籍が後を絶たないのもうなづけます。人並みはずれた成功を手に入れた人は、やはり人並みはずれた努力をしていたんだ、とわかるだけで、明日からまたがんばろうという気になれます。そのモチベーションが続くか続かないかが、私のような凡人とそうでない人の差なのかもしれませんが...。

先日、70年代から日本のロックシーンを牽引してきたシーナ&ロケッツのお二人とお会いする機会に恵まれました。いろんなお話を伺いましたが、第一線で長く活躍してこられた方から発せられる言葉もオーラもやっぱりポジティブ。
個人的にパンクは時代背景に連動して折に触れ表舞台に飛び出してきますが、ロックはその音楽が生まれてから浮き沈みは別として、ずっと時代と一定の距離を置きながら流れ続けているんじゃないかと思っています。シーナ&ロケッツも未だに現役でバリバリライブをこなしいる、ちゃんと続いている。とんでもなくすごいこと。
当たり前だけれど世界にはいいことばかりじゃない。辛いことも苦しいこともたくさんあって、誰もそれを避けて通れない。だからこそ、人間は忘れるという能力を身につけているんだろうし、涙を流す機能も備えているんだと思います。人生を肯定し、自分を受け入れて、前を見て歩いていくこと。単純なんですが、要はそれだけのこと。明日もがんばれる、ということは、明日も生きられる、ということ。自分の人生の中でも、相当濃密な時間でした。ここに至るまでに関わってくださったすべての人に感謝。
さて、がんばるか。


『バベルの日本語字幕・その後』(No.267/2007.03.30)

2月23日付けの本コラムにて、今月より公開予定の映画『バベル』に日本語字幕がないことに対する署名運動をご紹介しましたが、その結果について報告させていただきます。
署名の受付は先週の3月26日を持って終了、そしてその結果、何と『バベル』日本語音声が全フィルムに字幕として付けられることになったそうです。よかった。もしこのコラムをご覧になって署名活動に参加された方などいらっしゃいましたらこの場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
まだ最終集計結果はまだ出ていませんが、現段階での署名数は・聞こえない人4,338人、聞こえる人35,868人、聞こえ不明の人182人で合計40,388人となったようです。たまたま昨日、関係者の方とお話しする機会があったのですが、締め切り後もぞくぞくと署名が集まっているそうです。すごい。署名データやメッセージなど、活動に関する内容はこちらのサイトに掲載されています。

・バベルの日本語音声にも字幕を!(http://kiirogumi.net/babel/pc.html

もともと配給元も悪意があったわけではなかったとのことなので、この署名による声を真摯に受け止めていただけたんでしょうね。配給元である(株)ギャガコミュニケーションズのサイトにお知らせ(2007.03.22 『バベル』の日本語字幕に関するお知らせ)があります。
http://www.gaga.co.jp/news/corporate/2007/03/post_122.html

なお、署名活動を展開していた方々は、今後映画のDVD字幕法制化に向けて動き始めるようです。DVDの字幕は観る人が選択できるわけですから、字幕を邪魔と思う人でも問題ありませんよね。この法制化に関しても個人的に少しでもお手伝いできればと考えています。
それにしても『バベル』、早く観たいです。

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『泣ける映画』(No.266/2007.03.23)

映画に関する質問をたまにいただきますが、いつも迷うのが「”泣ける映画”を教えてください」という種類のもの。”泣ける”のみならず、”笑える”や”怖い”という場合もありますが、”泣ける”というのが最も多いような気がします。

なぜみんな涙を流したがるのか、結構メディアの影響もあるんでしょうね。そういう情報番組もよくテレビで見かけます。最近では、”泣ける”作品を集めたサイトもいっぱいありますし、”泣けるブログ”なんてのもあります。『泣こうよ.com』というのがあったので調べて見ると、涙には激痛を緩和する鎮痛作用があったり、ストレス物質を対外に排出する作用があったりするそうです。恐るべし、涙。

しかし”泣ける”映画の紹介って簡単なようで難しいんですよね。泣ける”ツボ”って人によって全然違いますから。
泣けるものを探す人には2つのタイプがあるような気がします。ひとつは基本的に”泣ける”人。このタイプは本当に泣かせる物が好きで、泣くことが趣味のようになっている人。純粋に自分の知らない泣ける作品を探しているだけで、こういう人にはご紹介すると大体喜ばれます。もうひとつは、基本的に”泣けない”人。こういう人が”泣くのっていいらしい”と聞いて、探している場合、まずどんなものを紹介してもダメですね。「全然泣けなかったー」とか言われるのがオチ。難しいです。
タイプを見分けるのもなかなか困難ですが、私の場合は「今までに観て泣いた作品」を聞いています。それで大体わかります。
ちなみに、とりあえず私が個人的に泣ける映画をいくつか。

・『小さな恋のメロディ』(1971) ・『クレイマー、クレイマー』(1979)
・『東京物語』(1953) ・『パピヨン』(1973) ・『エイミー』(1997)
・『ラヴ・ストリームス』(1983) ・『ビッグ・フィッシュ』(2003) 
・『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997) ・『ひまわり』(1970)
・『81/2』(1963) ・『シックス・センス』(1999) ・『街の灯』(1931)
・『鬼畜』(1978) ・『機動戦士ガンダムIII(めぐりあい宇宙篇)』(1982)

個人的には結構涙もろいので、挙げ出すとキリがないですね(笑)。あんまり数を上げると信憑性がなくなりそうな気がするので、このあたりで。泣けるかどうかは別として、どれも良い映画だと思います。ご参考まで。


『確定申告のさばき方』(No.265/2007.03.16)

この季節、毎年やってくるのが花粉と確定申告。花粉は...もう半ばあきらめているところもあるので、うまく付き合っていくしかないんだろうなと。しかし、もうひとつの確定申告の方は好きだ嫌いだと言ってられません。やるしかない。多少、源泉徴収の還付もあるし。で、行ってきました。まあ領収書などの事前の資料がちゃんとそろっていれば、そんなに手間ではないんですよね。土地の売買とか相続とかがあるわけじゃないし...。

そんな確定申告ですが、個人的に少し楽しみ、とまではいきませんが、毎回ウォッチしていることがあります。それは申告書作成会場の来場者の”さばき方”について。
やはり私のようにどうしても締め切り間際に行く人が多いらしく、申告書類の作成会場は毎年激混みです。この会場の”さばき方”が年々進化しているんですね。会社員を辞めてから5年経ちますが、初めて確定申告に来たときは本当に気が遠くなるくらい待たされましたし、自分の順番になってからも最終的に提出するまで相当の時間を要しました(早めに行けよ、ってことなんですが...)。
おそらく5年前は申告書を作成できる端末というかパソコンを導入した最初ではなかったかと思います。ところがインターフェイスがどうにもお粗末で、結果的に人が作るより遅くなってしまっていました。その次の年は、端末への並び方やサポートする人員を増やして対応していましたが、その翌年には端末がなくなり、人によるサポートに集約。その後も来場者の座り方や、サポートの人の配置などを改善しながら、今年は結構成熟してきたというか、かなりシステムが出来上がってました。締め切り3日前で、そこそこ混んでいましたが、人の順路、案内の手順など、なかなか気持ちの良い対応。まあ、コストの面ではどうなのかわかりませんが、とにかくスムーズに運ぶことを最優先しているのでしょう。
何事も時系列で追いかけていくといろんなことが見えてきます。自分がお店をやっていることもありますが、こういう物事のプロセスって本当に面白いし、参考にもなるんですよね。

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『針穴写真』(No.264/2007.03.09)

先月のコラムでトイカメラのお話をしましたが、その後2月19日付の日経流通新聞の「ヒットの予感」というコーナーで「ピンホール(針穴)カメラ」が特集されていました。”味なアナログ””ピント柔らか”という見出しで、ピンホールカメラの魅力や作品を紹介。最後のページを全面使ってなかなかのボリュームでした。

ピンホールカメラは光が入らない箱や缶に穴を開けただけのカメラ(ものすごく簡単に説明しています...)。バシッとくっきりな写真はむずかしいですが、うっすらとぼやけた表現はまさに”味”。その時の明るさに合わせてシャッタースピードを感覚的に調整するので、写っていないこともしばしば。でもそんなアナログな感じが受けているようです。
私も学研の雑誌「大人の科学」におまけとしてついていたピンホールカメラでたまに遊びますが、このぐらいになると普通の35mmフィルムが使えて、時と場合によっては驚くほどちゃんと写ります。
ピンホールカメラは紙素材の組み立て式などもあって、お値段が安いことも人気の秘密なんでしょうね。取り上げられたのは「ヒットの予感」のコーナーですが、すでにかなりヒットしている商品だと思います。

この記事で感心したのが、最後に掲載されている日本針穴写真協会の方の言葉。ピンホールカメラはほんとに小さな穴から光を取り込むだけなので、曇りのときや薄暗い部屋などでは通常数分程度、時には数十分もシャッターを開けっ放しにする必要があります。なので、「通常のカメラが時間を切り取るのに対し、針穴は時間をためる」と。
この”ためる”という言葉、いいですねえ。ひょっとしたら実は”消費”の対極にある概念なのかもしれないと思いました。もう消費することに飽きた人たち、消費することに疲れた人たち。そんな人たちの心を癒すのは、”ためる”という行為なのではないでしょうか。
ただ、もしそうだとすると、今の時代、2006年における個人貯蓄残高は約1,400兆円と言われていますが、いろんな企業・業界がこの金融市場に狙いをつけても、財布の紐が緩むのはピンホールカメラを買うときぐらいなのかもしれません。

・日本針穴写真協会(http://jpps.jp/


『ロックのデザイン』(No.263/2007.03.02)

デザイン雑誌『pen』(阪急コミュニケーションズ)の3月1日号(2月の半ばごろ発売)に、「時代の鼓動と共鳴する、ロックのデザイン」という特集が載っていました。普段こういう類の雑誌はまず買わないのですが、さすがに名盤のジャケットがずらりと並んだ表紙を見ると買わずにいられませんでした。
世界の主要なグラフィック・クリエイターの紹介と、年代別に重要なジャケットを並べて説明した内容。クリエイターの一番目に出てきたのが、大好きなイギリスのピーター・サヴィル。私の人生にとって重要なバンド、ジョイ・ディビジョン〜ニュー・オーダーらが所属したファクトリーというレーベルのビジュアル・デザインを一手に引き受けていた人物。最高です。一番最初にデザインしたライブ告知のポスターをデザインした時は23歳の学生だったとのこと。天才っているんですねえ。
他にも、ピンク・フロイドの「原子心母」の牛のジャケットはやっぱり歴史に残るデザインだなーとか、ザ・スミスの映画のワンシーンをトリミングしたジャケットは、サンプリング時代の賜物だなーとか、なかなかいろんなところに引っかかる面白い特集でした。”ロック”&”CDジャケット”に興味のある方は読んで損なし、です。

ちなみに冒頭で、”普段こういう類の雑誌はまず買わないのですが”と書きましたが、それはなぜかというと、基本的に”流行”がベースになっているところがあんまり面白くないと感じるから、というか、そういうことにほとんど興味がないからです。雑誌という紙媒体自体はこれからも残っていくと思いますが、10年もしない間に、例えば書店に行くと、同じフォーマットでいろんな記事が並んでいて、それを選んでレジに持っていくと好きな表紙を合わせて製本してくれる、なんてことがあり得るのではないでしょうか。今、ネット上で写真データを送ると写真集を作ってくれるサービスがありますが、結構近い考え方かも知れませんね。雑誌の行く末やいかに。

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『バベルの日本語字幕』(No.262/2007.02.23)

日本では今年4月に公開が予定されている、アカデミー賞候補の呼び声も高い映画『バベル』。モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、それぞれの国で起こった異なる事件から一つの真実が導かれるヒューマン・ドラマ。ブラッド・ピットや役所広司らの熱演も話題を呼んでいます。
個人的にも今年かなり期待している作品なのですが、ひとつ問題が。
手話の仕事に携わっている知人の話によると、どうやら「日本語音声に字幕がない」らしいのです。洋画は基本的に”字幕”があるため、耳の聞こえる人と聞こえない人が一緒に楽しめる数少ないエンターテイメントです。特に『バベル』では日本を舞台にしたエピソードは耳の聞こえない”ろう者”が登場することもあり、日本語音声に字幕がないのは残念。
そこで、二人のろう者の方を中心に、配給元の(株)ギャガ・コミュニケーションズに字幕をつけてもらうための署名活動が始まりました。私も呼びかけ人協力者として参加させていただきました。詳細は下記サイトにありますので、ぜひご覧ください。
・バベルの日本語音声にも字幕を!(http://kiirogumi.net/babel/pc.html

ちなみに知人によると、配給元は特に意図があったわけではなく、ただ単に忘れただけではないかとのことで、理由はわからないそうです。なので、別に配給元を敵視しているわけではありません。
実際、字幕をつけるためにはコストも掛かりますし、日本語で理解できる部分には字幕がない方が楽しめるという人もいるでしょう。『バベル』のみならず、映画の上映方法を考えるきっかけにもなるのではないかと思います。
いずれにしても、『アモーレス・ペロス』(1999)、『11'09''01/セプテンバー11』(2002)、『21グラム』(2003)など、見ごたえのあるドラマを作り続けるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の問題作。見逃せません。

・『バベル』公式サイト(http://babel.gyao.jp/


『携帯1人1台』(No.261/2007.02.16)

最近、ネット上で動画コンテンツを集めたサイトが増えつつありますが、音声を中心としたコンテンツを配信するポッドキャストというサービスもまだまだ元気。配信される内容も音楽、お笑い、落語などのエンターテイメントから、経済・金融情報などの実用的なものまでさまざまで、だんだんと市場も成熟してきた気がします。
個人的によく聴くのはインタビュー系の番組。例えば、社会学者の宮台真司さんが、その週に起きたニュースの中から特に注目すべきものをひとつ取り上げて、その背景をクリアにし解決方法を提言する「週刊ミヤダイ」。これなんかは、同氏の書籍を購入して読むよりもタイムリーな話題が多いですし、やはり実際に本人の声を通して聞くと伝わり方もちょっと違う感じがします。

で、2月9日に配信された「週刊ミヤダイ」に興味深い話題が。タイトルは「携帯電話1人1台時代でコミュニケーションはどう変わった?」。
国内の普及台数が1億台を越える今、携帯電話が私たちのコミュニケーションにどう影響しているのか、また、その先にある問題、解決方法は何なのか、ずばり言及されています。
その中にこういうお話がありました。ちょっと端折って言うと、”携帯電話の出現によって映画がだめになった”ということです。携帯電話を日常的に使っている、特に若い人たちは、コミュニケーションが表層的で分断されていると。まあそれがいいか悪いかは別として、いずれにしても、そういう若い人たちには、後々のシーンのための布石として描かれる”伏線”が通用しないらしいんですね。理解されない。それでまずテレビドラマが伏線を使わなくなり、とにかくジェットコースター的に次々と物事が起こり、進行していく手法に変わってきたと。
つまり、映画のように2時間にわたって物語を提供するメディアに若い人たちが耐えられなくなってきているということなんです。う〜ん、なるほど。
私も5〜6年前から、映画館で落ち着きのない若い人たちが増えたなあというのはずっと感じていました。最近の邦画は結構ヒット作が出ていますが、中でも三谷幸喜さんの映画作品なんかがウケる理由はこの辺りにあるのかもしれませんね。

ただ問題は、そういう風に作られた作品が映画として優れているのかどうかということですね。でもひょっとしたら近い将来、1本あたり1時間程度で値段も500円〜1000円。それが5本〜10本の連作になっている、みたいな劇場公開映画が登場したりして。うむー。三田誠広氏の小説のタイトルじゃないけれど「映画って何?」。

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『トイカメラ』(No.260/2007.02.09)

ここ数年、いわゆる”トイカメラ”の人気がすごいですね。専門の雑誌もたくさん出版されていますし、トイカメラに関するWEBサイトはもちろん、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)も盛り上がりつつあるようです。

”トイカメラ”の定義はなかなか難しいですが、トイカメラに関するポータルサイト、その名も『トイカメラ。』によると、「トイ(=ただのおもちゃ)ではありません!トイカメラとは、「気軽に楽しめる」カメラです」とあります。つまり、カメラ本体のハードウェアや、デジタルやアナログといった媒体による区分けはあまり関係ないようです。
例えば、トイカメラというと、ロシア製のロモというカメラで遊んでしまおうという”ロモグラフィー”が浮かびますが、ロモグラフィーなんかは、むしろカメラや写真を楽しむ”姿勢”が重要視されている気がします。Don't Think Just Shoot! 失敗写真なんてない。ブレ、ボケ、OK!みたいな。

私もポラロイドカメラは以前から使っていますし、ここ数年はやはりロモカメラを使用していますが、トイカメラで面白いのは、一眼レフをずっとやっていた人がいきなりチープなカメラで遊びだしたり、トイカメラで遊んでいた人が突如一眼レフを買ったり、結構みんないい意味でこだわりがないところなんですね。いや、それぞれのカメラや写りにはこだわりがあるんですが、主義・主張のようなものは後回し、とにかく楽しければいい、という感じが潔いんです。

若い人たちのカメラや写真に接する態度を見ていると、遅れてきたカウンター・カルチャー(戦後、カメラ産業にチカラを入れてきた日本には、いい意味でのハイ・アマチュア層が存在します)のような気もしますし、コミュニケーション・ツールとして新たな役割を担っているような気もしますし..。
一過性のブームで終わるのか、はたまた日本人の身近な表現手法として生き残っていくのか、まあ、それこそ楽しんだもの勝ち、なのかもしれませんが。

・『トイカメラ。』(http://toycam.imaimax.com/
・『ロモグラフィー・ジャパン』(http://www.lomography.jp/home/


『筆不精からの報告』(No.259/2007.02.02)

先週の20日(土私は自分のことを筆不精だと思っていて、また実際にそうなのですが、今年はとうとう仕事の関係以外に、友人などへの年賀状を1枚も出せませんでした。もう2月。ごめんなさい...。

で、映画紹介を兼ねた近況報告、の、ようなもの。
私が大学時代の友人と一緒に立ち上げたギャラリー・世田谷233は今年何とか5年目に突入。東急Bunkamuraザ・ミュージアムさんに関わらせていただいているお仕事も4年目。次回展覧会『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』のために、モディリアーニ関連の映画『モンパルナスの灯』(1958/監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ)、『モディリアーニ 真実の愛』(2004/監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア)の2本を見直そうと思っています。オススメはやはり前者。ジェラール・フィリップのかっこよさはもちろん、誤解を恐れずに言えば、”昔の映画って手を抜いてないなあ”と。昨今の映画が手を抜いていると言うわけではありませんが。

最近は、年のせいでさらに涙もろくなってきたのか、個人的に泣ける”鉄板”映画のひとつである『エイミー』(1998)に関して、本編を見るまでもなく、他の作品のビデオの最初に収められている宣伝用の予告編だけで涙が出てくるようになりました。いずれ「D-Movie」でもご紹介させていただくと思います。
以前、配信した作品の中でもいろいろありますが『パピヨン』(1973)、『ディア・ハンター』(1978)、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)あたりの予告はやばいですね。

現在公開中の『マリー・アントワネット』に80年代UKのポスト・パンク音楽がふんだんに使われていることについて、音的には世代的に大好きであるものの、この感覚がかっこいいのか悪いのか、判断しかねています。観なくちゃ。
ちなみにカンヌ映画祭の最高賞は”パルムドール”ですが、これをもじった”パルムドッグ”という、その年の映画の中で最も優れた演技をした犬を称える賞(The Palm Dog Awards/http://www.palmdog.com/)があるそうです。本作でマリー・アントワネットの飼い犬を好演したパグ犬のモップスがその栄誉に輝いたとのこと。こういう遊び心いいですねえ。
乱文、失礼いたしました。

最後にちょっとご報告。前回配信させていただいた『ぼくのバラ色の人生』についてのレビュー(2007/1/26号)ですが、メルマガの発行でお世話になっている「まぐまぐ」のジャンル別サイト「映画のまぐまぐ」の「映画おすすめ情報」コーナーにて、スタッフおすすめのバックナンバー記事として掲載いただいています。期間は2007/1/30(火)〜2007/2/6(火)。

・「映画のまぐまぐ」へのリンク:http://movie.mag2.com/link.html

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『不都合な真実』(No.258/2007.01.26)

先週の20日(土)より、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて全国ロードショーが始まった『不都合な真実』。今年は年初から心にドシンと来る映画が公開されますね。
監督は『トレーニング・デイ』(いい映画でした)のデイビス・グッゲンハイム。製作総指揮が『グッド・ウイル・ハンティング』(これまたいい映画でした)のローレンス・ヘンダー。楽しみです。

『不都合な真実』はアメリカの元副大統領、アル・ゴア氏の環境活動がベースとなっています。ゴア氏は1960年代に環境問題に関心をよせて以降、世界中でスライドを交えた講演を行うなど、政治家として積極的に活動していますが、1989年に6歳の息子が交通事故で生死をさまよったこと(結果的に一命をとりとめた)で、さらにこの活動を自分の中での最優先事項と位置づけたようです。
私は映画は未見ですが、書籍は読みました。すさまじい、内容です...。映画の方はすでにアメリカで、ドキュメンタリー史上、記録的な大ヒット作品となっているようですね。

さまざまな権力者や政治家達によって抑え込まれてきた、地球を危険に晒す“不都合な真実”の数々。しかし、「私たちが日々の暮らしの中で小さな努力を重ねることで、地球を変えていける」とゴア氏は訴えます。
地球の問題を自分のこととして捉えて何か考えること、そして考えるだけではなくて行動を起こすこと、それが大事だと言うことはもちろんですが、共通の敵を据えることでしか結束できないアメリカが、地球環境を守るという命題の下にまとまることが出来ればこんなに良いことはないと思います。そういう意味でも大変意義のある提言であると思います。ただ、その際の”敵”とは自分達のこと、つまりは”私”であり、”あなた”であるわけです。
結局そういう見方が出来ないから地球環境の破壊が進んでしまったわけで、私たちは書籍や映画で見て感じる以上に、とても大きく根本的な問題を突きつけられているのだと思います。

・『不都合な真実』公式サイト(http://www.futsugou.jp/


『昭和の夕日』(No.257/2007.01.19)

このところずっと「昭和ブーム」が叫ばれていましたが、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で打ち止めかと思っていたら、映画の続編は作られるようだし、昭和30年代の人々の暮らしを記録したDVD『映画でみる昭和30年代の日本・家族の生活』(記録映画社などの共同制作)が、発売されるなど、まだまだ続きそうな気配ですね。そういえば、昨年末には渋谷のパルコでサンダーバード日本上陸40周年記念イベント「サンダーバード イン ジャパン」なんてのがありました(これはどちらかというと80年代の括りの方が正しい?)。

私は昭和42年の生まれなので、そういう意味ではこのブームを”懐かしいなあ”と純粋に楽しめばよいのかもしれませんが、どうもそういう気分になれません。昔を懐かしむということにどっぷりつかっていると、どうも自分が退行している気分になってしまうのです。特に『三丁目の夕日』を古き良き昭和絵巻としてだけ捉えるのは、何か違和感があるなあと。
以前、このコラムで「三丁目の夕日」の漫画についてご紹介した際に、私は西岸良平さんの漫画には「人間が生きていく上で経験する不安や寂しさや悲しみも驚くほどストレートに盛り込まれています。さらに”西岸ワールド”の中でも結構数多く取り上げられるのが、いずれ誰もが向き合わなければならない”死”。そういうモチーフにも正面から取り組んでいるからこそ、逆にリアルに伝わってくるんです。」と書いています。今、自分が生きている時代を極力ポジティブに捉える、そういう視点から生まれた漫画なのではないかと。それは後から見れば、”古き良き”となるのかもしれませんが。

昭和は、「貧しいながらも夢のある”時代”」だったのか、「貧しいながらも精一杯生きていた”時代”」なのか。微妙な違いですが、その差は大きいと思います。またその捉え方によって、今の時代になすべきことがハッキリするのではないでしょうか。

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『ダリ回顧展』(No.256/2007.01.12)

ひょっとしたら太古の人類は、獲物を求めてほら穴に最初に入った人間が、先にそこにいた大きな動物に襲われるのを見て、「最初に入っちゃいかん」と思ったかもしれません。ひょっとしたら太古の人類は、動物や魚などの食料を獲ってきた人間が、我先にと口にした瞬間に食あたりで死ぬのを目のあたりにして、「最初に食っちゃいかん」と思ったかもしれません。
結果的に、人類の遺伝子の中には、”物事を最初に行うことのリスク=行動開始を限りなく遅くさせる”遺伝子が組み込まれたのではないでしょうか。

先週、上野の森美術館で開催されている『ダリ回顧展』に行って来ました。
幼少の頃に新聞の日曜版に載っていた、引き出しの付いたキリンの像を見て以来のファンなんです。大規模な回顧展だったのでどうしても行きたかったですが、9月から開催されていたものの、何やかんやで実際に行ったのは最終日の前日。それでも1月3日だったので、まだお正月気分で家でのんびりする人も多いのではないかと思っていたのですが、上野の美術館はそんなに甘くなかったです。軽く2時間待ちでした。その日は朝からのんびりしていて、開館前に行けなかったのが敗因ですね。それでその日はあきらめて、次の日の朝、開館30分前に着きました。会場は最終日ということもあって、かなり早くから開場されていたようで、待つことなく入れたものの、中はすでに満員でした。おそらく開館1時間から2時間ぐらい前に入ったんでしょうね。そのぐらいの心構えがあるなら、2ヶ月の会期中の真ん中あたりに来ればいいのに、と自分のことを棚にあげて思った次第です。

「美術館」の定義はなかなか難しいですが、いろいろ調べてみると”美術館”という名前のつく施設だけでも国内に数百はあるようですし、ギャラリーや博物館といった施設、さらに規模の小さいものまで含めると軽く千は越えるようですから、もし、こういった人間の行動心理を解き明かした本が出ればベストセラーとまではいかずとも、結構な売上げを記録するのではないでしょうか。実際に発売されるとしたら、そのときのタイトルはもちろん「人はなぜ最終日に美術館に行くのか」。キャッチコピーは「すべての美術館関係者必読の書!」。


『三茶二本勝負・その4』(No.255/2007.01.05)

明けましておめでとうございます。2007年最初の配信です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月はいつも近くの映画館で2本立てを見るのですが、昨年は2本続けて見る自信がない作品ばかりで泣く泣く断念...。今年はがんばって見るぞ、と腹を括ったところ、何と『ユナイテッド93』&『ワールド・トレード・センター』と9・11関連の2本立て。年初からかなりボディーにずっしりと来るラインナップですが、いずれも興味はありながら見ていなかったのでよかったです。ちなみにお値段は特別価格で2本で900円。

”興味がある”と言っても、”ぜひ見たかった”という意味ではありません。どちらかというとあの事件をアメリカ人がどのように映画というメディアを通して世界に伝えるかを”チェックしたかった”ということです。もちろん、『ワールド・トレード・センター』に関してはオリバー・ストーンがどう描くのかを知りたかった。
結果的には、一方的な想像から作られたドキュメンタリーにはセンチメンタリズムを凌駕するリアリティはないし、ニューヨークを愛するオリバー・ストーンにガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』のような作品を望むべくもない。それは考えてみれば当たり前のことだったのかもしれません。
硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた一連の作品が話題ですが、それぞれの視点から描けばそれでバランスが取れるのであれば、映画監督は単なる映像製作の職業に成り下がってしまうでしょう(まだ見ていないので何とも言えませんが...)。
2006年、イラク戦争が間違いだったことが明確になり、フセイン大統領は処刑決定からあっという間に処刑されました。そんな今、『ユナイテッド93』はまだしも、『ワールド・トレード・センター』という映画にどんな存在意義があるのでしょうか。

しかしながら、映画作品としての是非はともかく、いずれも見ていて涙が止まらなかったのも事実です。事件から5年以上経った今でも、それが例え映画というメディアを通してであれ、9・11に起きた事と向き合う作業には、胸が震えるような”痛み”を伴うということ、それだけは間違いありません。

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