| D-Column |
『ジャームッシュのチカラ』(No.254/2006.12.29)
2006年最後の配信です。あっという間ですね。本年もご覧いただきましてまことにありがとうございました。
今年もいろんな映画が公開されましたが、昨年に引き続き相変わらずドキュメンタリー作品、もしくはそれに準ずる作品が多かった気がします。また、邦画はあまり観ないのですが、何となく邦画も若干息を吹き返しつつあるような気もします。とは言え、世の中で話題になるということや興行成績がいいということと、いい映画かどうかは全くの別問題なのですが。
今年、印象に残ったのは、『クラッシュ』『ホテル・ルワンダ』『ブロークン・フラワーズ』『ジャーヘッド』『ミッドナイトムービー』『ボブ・ディラン:No Direction Home』あたりでしょうか。しかし、ホントにジム・ジャームッシュ監督(『ブロークン・フラワーズ』)ははずしませんねー。彼の作り出す映画のおかげで、私の人生は確実に楽しくなっていると思います。DVD買おうかなあ。
今年公開されたものではありませんが、パソコンを作った個人のドキュメンタリー『ターネーション』のDVDが観られたのも印象的でした。世界はゆっくりと私たちを締め付け、呼吸を止めようとします。そんな世界を変える唯一の方法は、自分が変わること。とても簡単で難しい置換。変われなければ、夢に希望を抱いて眠りにつくしかありません。暴力が拡散する今の世の中で、夢の欠片を最後まで拾い集めることはできるのでしょうか...。
ちなみに、全然関係ありませんが、今回の映画紹介のために『アパートメント』を久しぶりに観たのですが、どうもギャスパー・ノエ監督の『アレックス』を観て以来、モニカ・ベルッチの姿を画面で見るたびに、あの映画の中で描かれていた悪夢のシーンが思い出され、”嫌”な気分になります。私と同じくモニカ・ファンの人で、『アレックス』をまだ観ていない方いらっしゃいましたら、今後もずっと観ない方がいいかもです。ギャスパー・ノエ、恐るべし。
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『全景』(No.253/2006.12.22)
東京都現代美術館で開催中の『大竹伸朗 全景 1955-2006』を観ました。”現代美術の最先端で、常に躍進を続けてきた画家、大竹伸朗のはじめての大回顧展”です。
村上春樹氏の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)に、”圧倒的なものへの憧憬”を語る女性が登場しますが、まさに今回の展覧会は、作品の質・量ともに”圧倒的”。東京都現代美術館の企画展示室の全フロアを使い切った壮大な展示は、丁寧に見ていたら滞留時間は果たして何時間になるやら...。
いろいろと考えさせられることがありましたが、最も強く感じたのは”歴史”ということ。人は誰でも歴史を作っています。日々の積み重ねがそのままその人の歴史となります。おそらく、その歴史を自らの情と念にしたがって意図的に作る人が”アーティスト”と呼ばれる人たちなのではないかと。そんなことを考えました。
歴史は過去の積み重ねです。将来に目的を持ち、目標を定めても、その通りに行くとは限りません。実際、その通りのプロセスと結果が実現できたとしても、おそらくその期間は数ヶ月から数年単位。多く見積もっても10年先ぐらいのものなのではないでしょうか。それ以上先に目標を設定しても、おそらく人間にはコントロールできないのではないかと思います。もちろん、だからこそ人は生きていけるのだとも言えますが。
ポール・オースター原作の映画『スモーク』で、街のタバコ屋の店主が毎日同じ時間にシャッターを切る行為をずっと続ける様子に共感する人が多いのも、それが確実に歴史を作る作業であるからではないでしょうか。
生きることは歴史を作ること。アーティストならずとも、何かを”遺す”という作業が人間の本質的な欲望の中に組み込まれているのでしょう。さらに大竹伸朗さんの場合は、ただ単に一生懸命”遺し”ているのではなくて、”しっかりと漂いながら”作業している感じが強さを感じさせます。
編纂が遅れていて予約受付中となっている、この展覧会の図録が欲しいと思ったのですが、約1,100ページで重さが約6kg、価格は税込6,300円とのこと。このボリュームも半端じゃない。さすが。
果たして自分の歴史は振り返るに値するや否や。
・『大竹伸朗 全景 1955-2006』公式サイト
(http://shinroohtake.jp/index.html)
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『何がおかしい』(No.252/2006.12.15)
先日、中島らもさんの『何がおかしい』(白夜書房)という笑いの評論集&コント集を買いました。税込2,800円という金額に一瞬たじろぎましたが、諸般の理由により放送されなかったラジオトーク番組のCD付。らもさんのアコギによる弾き語りも入っているとのこと。借金してでも買わなきゃ。
今や日本人なら知らない人がいないと思われるタモリ氏は、折にふれ「”笑い”は閉鎖的な空間、状況で生まれる」というような意味の発言をされていました。中島らも氏はこの本の中で「笑いは差別的構造を持っている」とおっしゃっています。
言うまでもなく、人間は誰でもいずれは”死ぬ”存在です。そのことにみんなが絶対的なリアリティを持ってしまったら、そもそも”笑う”ことなどできないでしょう。そういう意味では、人間が笑うためには何らかの状況や構造が存在したり、必要とされたりするのは必然と言えるのかもしれません。
『何がおかしい』には、月刊誌『論座』(朝日新聞社)にてらも氏が連載していた『笑う門には』というタイトルの評論が”すべて”掲載されています。”すべて”というのは、これまた諸般の事情により掲載されなかった、未掲載の原稿も含まれているという意味です。
この未掲載の原稿がやっぱりすごい...。基本的には自由な表現を制限し、コントロールしようとする大手メディアに対する批判なのですが、その他の笑いをテーマにした原稿とは一転、圧倒的な密度でメディアの膿を切り裂いています。ああ、この人は本当に本気で戦い続けていたんだなあと。
その稿の最後はこう締めくくられています。「もう書くのを止めて酒を飲もうと思う。明日のために。ほんとうに腹の底から笑える、明日のために。カンペエ。清志郎にも富士夫にも、ついでにあなたにも、乾杯」。
らも氏の小説「今夜、すべてのバーで」(講談社)ではありませんが、今夜もこの一文を読んで、何百、何千という人が涙していることでしょう。
あらゆる人にもう少し優しくなるために、あらゆることを他人事と片付けないために、乾杯。
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『良い病院、悪い病院』(No.251/2006.12.08)
年齢を重ねることによってだんだんと判ってくることがあります。それは時に楽しい瞬間であり、時に悲しい瞬間でもあります。最近、また一つわかりました。良い病院と悪い病院の簡単な見分け方です(笑)。
私は1週間ほど前から風邪を引いて苦しんでいます。まるでハバネロ大王がバカンスを過ごしているのではないかと思うほどの喉の痛さを抱えていて、あまりの咳に夜眠れないこともしばしば。
思えば最初に熱が出たときがたまたま木曜日で、行きつけの病院が休みだったことが凶でした(ちなみにそこは土・日も営業している良心的な病院です)。それで駅の近くの病院に初めて飛び込んだのですが、あまりよくない対応で、その後薬を飲んでもほとんどよくならなかったのです。もちろん、身体を休めずにずっと働いていたことも大きな原因だと思いますが。
今回のことで、私は良い病院を見分ける簡単な方法を見つけました。あらためて確認した、と言う方が正しいでしょうか。
ちなみに、”良い病院”の検索で見つけた「治る.com」というサイトに病院の見分け方が書いてありました。
【良い病院】
・カルテのコピーをくれる ・検査データやX線写真のコピーをくれる ・治療内容の説明を文書でくれる ・セカンドオピニオンを快く認める ・苦情処理の対応がきちんとしている ・何種類もの薬を出さない ・看護師や病院職員の対応が良い などなど。
【ダメな病院】
・トイレや病院内が不潔 ・主治医がよく代わる ・非常勤医師が多い ・無理に入院させようとする ・付け届けを簡単に受け取る などなど
薬の種類などについては、少ない方が良いのかどうか判断しづらい部分もありますが、治療内容の説明を文書でくれるとか、看護士や病院職員の対応が良い、というのはわかる気もしますね。良い病院で血液検査や点滴を受けると、針を刺すときに痛くない、何てこともよくあります。いや、それほど頻繁に病院にかかっているわけではありませんが。
で、私が考える良い病院の条件。他にもさまざまな要素がありますが、まずは”診察時間が長い”ということ。もちろん、病院自体が閑散としている場合を除きますし、やたら長ければいいというわけではありません。しかしながら、病気の原因というものはさほど単純でない場合が多いので、いろいろな状況を想定すると、やはり説明も必要になって、ある程度の診察時間になるのではないでしょうか。
病院に入る前に判らないと意味がないじゃないか、というご意見もあるかもしれませんが、病院も人間も見た目だけではなかなか判断できないんですよね...。ということで、皆さんも風邪にはお気をつけください。
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『スーパーエッシャー』(No.250/2006.12.01)
東京・渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『スーパーエッシャー展』を見ました。エッシャーはだまし絵で有名なオランダの版画家。日本人なら誰でも一度は彼の作品を目にしたことがあるのではないでしょうか。
”ある特異な版画家の軌跡”と銘打たれた展覧会は、日本初公開となる手書きの制作ノートの展示があったり、エッシャー作品を表紙に使った60年代〜70年代に出版された「少年マガジン」の展示があったり、いろいろと盛りだくさんの内容です。ちなみに当時の「少年マガジン」は「あしたのジョー」や「巨人の星」などの大人気作を連載していて、出版部数は100万部だそうです。...すげえ。
エッシャー自体は好きなアーティストでしたが、さほど詳しいことは知らず、日本で過去に行われた展覧会も見たことはありませんでした。それだけに、習作から遺作まで、展示されている作品のオリジナリティ、美しさにとにかく圧倒されっぱなし。
中でも最も感動したのは、最後の方に展示されていた、エッシャーが実際に使っていた道具。ガラスごしに見えるその道具たちは驚くほどシンプル。ずっと手に握られていたことによる黒ずみが歴史を感じさせるものの、ある種のか弱さすら感じさせるものでした。しかしながら、数々のエッシャー作品、世界をひっくり返し、人々を驚かせたその作品群はまさに彼によって、その道具たちによって生まれたのです。テクノロジーが進化し続ける現代において、”創造性”とは一体何なのか、ということを改めて考えさせられました。
コピー&ペーストが当たり前の時代、コラージュ、サンプリングが当たり前の時代、本当の意味でモノを作る、作品を作る、ということはどういう営みなのか。エッシャーはあくまでもクラフトマンシップを大切にしていたとのこと。テクノロジーのおかげで必要以上に自分の能力を肥大化させてしまっている私たちにとって、エッシャー作品はある意味で”警鐘”のようにも思えてきます。
エッシャー展は2007年の1月13日まで開催されています。お見逃しなく。
・スーパーエッシャー展公式サイト(http://www.ntv.co.jp/escher/)
・Bunkamuraザ・ミュージアム(http://www.bunkamura.co.jp/)
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『記憶の断片』(No.249/2006.11.24)
”記憶”の”断片”がつながる瞬間というのがあります。と言っても、もともと一つだった記憶とは限りません。さまざまな場所、さまざまな時に経験した記憶がなぜかつながるのです。そして、それがまた新たな記憶を作り出します。その瞬間の気分の高揚と快感。それは、私たちが生きていくために必要なモチベーションとしての”記憶”を、脳が勝手に作り上げているだけかもしれません。それでも、自分にとってある種の”美しさ”を持つ”記憶”というものは、私たちに生きる力を与え、希望を与えてくれます。
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画は、私にとって新たな記憶を作り出すための映像を提供してくれているような気がします。決して自分がそこにいたわけではないし、いたはずもないのですが、何か、自分がかつてその風景を知っていたであろう気分にさせられるのです。
記憶がなければ私たちは自分を自分と認識することすら出来ません。クリストファー・ノーラン監督の『メメント』ではありませんが、記憶は”ある”だけではなく、”連続”していなければ、社会生活を行うことも困難です。タルコフスキー監督の『ストーカー』において、延々とトロッコで線路の上を走る長回しのシーンで感じる郷愁。『鏡』で描写される雨が醸し出す、かつて自分がどこかで感じた雨の冷たさと優しさの入り混じった質感。それは芸術性を突き詰めた結果得られる普遍性なのでしょうか。いずれにしても、そういった情景や音のひとつひとつが、なぜか自分の人生においてとてつもなく大切なものに感じられるのです。
現在、東京・吉祥寺のバウスシアターで『没後20年タルコフスキー特集+セルゲイ・パラジャーノフ作品』の上映が行われています。ご興味のある方、ぜひ(この情報を教えてくださった稲松さんに感謝)。
・没後20年タルコフスキー特集+セルゲイ・パラジャーノフ作品
2006.11/18(土)─12/8(金) 吉祥寺バウスシアター
(http://www.baustheater.com/tarkovsky.htm)
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『New Life』(No.248/2006.11.17)
前回、前々回に引き続き、さらにつながり書籍の紹介です。
・『フォトドキュメンタリーNIPPON』(発行:ガーディアン・ガーデン)
本作は、ガーディアン・ガーデン(リクルート)が主催するフォト・ドキュメンタリー「NIPPON」という写真プロジェクトに選考された15人の写真家たちの作品をまとめたもので、友人・鷲尾和彦氏の「極東ホテル」シリーズの作品が掲載されています。結構なボリュームのある写真集で、15人の参加者それぞれが独自の視点でNIPPONを切り取っていて面白いです。ここで表現されているのは、ある意味”リアル”な日本の姿なのかもしれません。
※鷲尾氏のサイト(http://www.washiokazuhiko.jp/)
・『youngtreepress』(発行:ヤングトゥリープレス)
写真家・若木信吾さんが主宰する雑誌『youngtreepress』の最新号が発売されました。この雑誌は個人の視点による物語を集めたもので、写真と文章を大切に扱ったドキュメンタリースタイルのマガジンです。最新号のタイトルは『New Life』。魔女に会いに行く女性の話がぐっときました。表紙のデザインも思い切りがよくて、かっこいいです。
若木さんが祖父・琢次さんをテーマに撮った初監督作となる長編映画『星影のワルツ』も来年公開予定。精力的だなあ。
※youngtreepressのサイト(http://www.youngtreepress.net/)
・『spore Vol.4 "そしてわたしは恋をする”』(発行:スポア)
『spore(スポア)』は、さまざまなジャンルを越えた、新しい形の作品を集めた本。最新号となるVol.4のテーマは「恋愛」。”小説、写真、マンガ、エッセイ等による「物語」の視点からアプローチすることにより、「恋愛」という言葉にリアリティを生み出すことを目指したいと考えました”とのこと。かなり幅広い層のクリエイターの作品が集められていて楽しいです。表紙にも使われている笹俣房子さんの写真が特に気に入りました。
とりあえずオンライン販売とのことなので以下のサイトからどうぞ。
※スポアのサイト(http://www.spor-e.com/)
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『アンビエント・ドライヴァー』(No.247/2006.11.10)
前回に引き続き、ちょうど読み終わったつながり書籍の紹介です。
細野晴臣さんが連載されていたエッセイをまとめた『アンビエント・ドライヴァー』。といっても、細野さんご自身とつながりがあるわけではありません(笑)。出版元であるマーブルトロンの木下社長からご紹介いただいたんです。本作は9月29日に初版、翌月の17日には第2版発行ということほどの売れ行きらしく、また個人的にはYMOチルドレン(?)の部分もありますので、早速買って読んでみたのですが、これが面白かったです。
まず、タイトルがいいですよね。アンビエントやミニマルなものが好きな方は、このタイトルだけで買ってしまう人も多いはず。さらに内容に関しても、バランス感覚が絶妙なんですよね。エピソードとしては、横尾忠則さんと一緒に円盤を呼んだ話とか、霊現象の体験談などの、スピリチュアルなものもふんだんに出てくるのですが、かといって、現実世界(そういう世界の対極としての、という意味ですが)から離れすぎておらず、絶妙の位置で語られるので、細野さんの考え方や感じ方がリアルに心に入ってくるんです。
また、小さい頃のエピソードで、トランプを時計の文字盤のように並べて行う一人遊びについても、私もまったく同じことをやっていた経験があるので、思わず笑ってしまいました(うまくいかなければ”ああ、僕は死んじゃうんだ”と思うところも同じ)。
現代の社会や世界についてちょっとアイロニーを感じさせる語調が多いですし、パニック障害やうつ病のような経験など、重さを感じさせる部分もあるものの、自己の内面を掘り下げる際に客観性が失われていないため、読んでいて非常にこちらも穏やかな気分になれるんです。
読み終わってすぐ、とりあえず細野さんと高橋さんのユニット「スケッチ・ショウ」のアルバムを聴きなおしました。これやった人、多いのでは?(笑)。
・『アンビエント・ドライヴァー』(著:細野晴臣/マーブルトロン)
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『トリュフォー、作法、アート』(No.246/2006.11.03)
個人的につながりのある方々が、最近出版された本をご紹介します。
みなさんそれぞれの分野で活躍されていて、いつも刺激をいただいています。どれも素晴らしい内容ですので、ぜひ。
・『フランソワ・トリュフォー』
(著:アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ、訳:稲松三千野/原書房)
以前、このメルマガでもお世話になった稲松三千野さんが翻訳を手がけられています。本書は『カイエ・デュ・シネマ』元編集長が、トリュフォーの書簡やメモ、関係者の証言などの膨大な資料に基づいて書き上げた決定版的評伝。上下2段、500ページを越えるボリュームと密度の濃さは圧巻。まだちゃんと読めていないです。ごめんなさい...。
※稲松さんのサイト(http://members.aol.com/Inamatsu/)
・『グルメ以前の食事作法の常識』(著:小倉朋子/講談社)
”食育”をキーワードにフードプロデューサー&コーディネーターとして活躍していらっしゃる小倉朋子さんの最新著書。知っているようで知らない食事作法について、実践的でわかりやく書かれています。前作『箸づかいに自信がつく本』(リヨン社)も日本人なら必読です(笑)。
それにしても”食育”って、今の時代、子どもだけでなく、大人にも(大人こそ、かな?)必要とされている気がしますね。
※小倉さんのサイト(http://www.rr.iij4u.or.jp/~ogu/)
・『東京・街角のアート探訪』(編著:佐藤曠一/日貿出版社)
グラフィック・デザイナーの佐藤曠一さんが取材・編集まですべて手がけたパブリック・アートのガイドブックです。東京23区のパブリック・アートが全5巻に分けて紹介されています。その数、各巻平均600点。”何に対しても好奇心旺盛に感性鋭くすることで、豊かな時間が過ごせる”という佐藤さんの姿勢そのままに、街を、アートを、日常を楽しむためのバイブルです。
※http://www.amazon.co.jp/gp/product/4817081058/sr=1-2/qid=1162482599/ref=sr_1_2/503-7954568-5327934?ie=UTF8&s=books
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『メディアのいじめ』(No.245/2006.10.27)
福岡県筑前町の町立中学校で、2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題が連日メディアで報道されています。仕事柄、午前中にテレビでニュースを見ることも多いのですが、毎日流れているのは被害者のご両親が担当の教諭を大声で罵倒するシーン。
この教諭は現場経験が長いものの、悪ふざけが多かったとのことで、クラスの生徒を成績に応じてイチゴの品種になぞって序列化したり、生徒から受けた相談内容を同級生に暴露したり、太っている女子生徒に「豚」と言ったりしていたらしく、罵倒されるのはしょうがないと思うのですが、それでもこれだけ毎日このシーンだけを見せつけられるとさすがにウンザリしてきます。で、気持ちが萎えるだけではなくて、「なぜご両親がいじめに気づけなかったのか?」と疑問が沸いてくるのです。
もちろん、いじめを助長した担当の教諭や隠蔽しようとした校長など、言語道断であることに間違いありません。しかしながら、個人的には、たいした経験も積まないまま社会に放り出され、いきなり”先生”呼ばわりされる人たちにはあまり多くを期待しないタイプなので(もちろんちゃんと職務を全うされている先生方の方が多いと思いますが)、それはそれとして、やはりご両親がどれだけ子どもから”聞き出す”努力を日々されていたのか気になるのです。これに関しては「全然気づかなかった」とコメントされていただけでした(というか、そういう報道のされ方でした。これはこれで疑問)。実際、自殺した本人は悟られないように努力していたと思いますので、周りにいてもなかなか気づけなかったところはあると思いますが。いずれにしても少なくとも本件に関してメディアがちゃんと伝えなければならないことは、もっと他にあるはず。そうでなければ、本当にこの”死”が無駄になってしまうと思います。
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『マドンナの記録』(No.244/2006.10.20)
2007年版のギネスブックで、それまで地球上でもっとも稼ぎの多い女性歌手として登録されていたブリトニー・スピアーズの記録を塗り替えたマドンナ。そのマドンナが養子問題で世界を騒がせています。彼女はアフリカ南部マラウイの男児を養子縁組する申請をしたのですが、マラウィで非居住者による養子縁組は法律で禁じられており、マラウイの人権団体「アイ・オブ・ザ・チャイルド」が養子縁組の差し止め命令を裁判所に求めたというもの。結果的に、今のところ同国の裁判所はマドンナの申請を暫定的に許可したようですが、他の市民団体などからも「有名人の身勝手ではないか」と批判も出ているようです。
今回の事件の是非はさておき、マドンナの音楽的、社会的影響力が未だに衰えないのはすごいことだと思います。1958年8月16日生まれですから、もう50歳近いのですが...。
ちなみに彼女が初めてニューヨークにわたった時、タクシーに乗って運転手に「この街の中心で降ろして」と言い、タイムズ・スクエアに降り立ったというのは有名な話。その時の所持金がわずか35ドルだったというのですから、まさにアメリカン・ドリームですね。
個人的にはマドンナのデビュー当時から80年代の間はよく聞いていました。90年代に入ってからはほとんど聴いていませんが、それでもここ最近の数枚のアルバムは、テクノ寄りのアプローチを見せたり、政治的なメッセージを含んだり、骨のある音を聞かせてくれてしかもかっこいいです。
実は映画もたくさん出演しているんですよね。『A CERTAIN SACRIFICE(邦題=堕天使)』(1979)という日本未公開作品から始まって、彼女自身のツアーのドキュメンタリー作品なども含めると30本近くにもなります。ただ、映画ではワースト作品に送られるラズベリー賞の常連でもあり、なかなか厳しい状況。それだけ注目されていると言うことかもしれませんが。それでも『エビータ』ではゴールデン・グローブ賞の女優賞(コメディ/ミュージカル部門)に輝いたのですからたいしたものです。個人的にもいつか主演作品をレビューしたいと思いながら...やっぱり音楽を聴いているのがいいかなあと。
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『インサイドマン』(No.243/2006.10.13)
三軒茶屋映画館に行きました。本来なら『三茶二本勝負』シリーズとしてレビューを行いたいのですが、『インサイド・マン』は見たけれど、もう一本の『ミッション・インポッシブル3』が時間がなくて見られなかったので、とりあえず1本だけレビュー。
スパイク・リー監督の『インサイド・マン』。同監督初(?)のエンターテイメント作品という感じですが、リー・スパイスはちゃんと効いていますし、主要人物を演じるデンゼル・ワシントン、ジョディ・フォスター、クライブ・オーウェンが三つどもえの演技合戦を繰り広げていてとても楽しめました。個人的にジョディ・フォスター大好きなんですが、さほど露出(衣装のことではなく)が多い役どころではないものの、しっかりと印象を残してくれますね。ウィレム・デフォーの出番が少ないのは物足りなかったですが。時制を超えて挿入される取調べの映像が、『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』(2002)でのコントラストの強いモノクロを思わせるもので、かっこよかったです。
とりあえず全米興行収入でも1位になってホッとしたものの(まあ、数字自体はほとんど意味がないのだと思いますが)、ポスター内のスパイク・リーの名前の扱い方が小さかったり、日本では2004年に製作された『SHE HATE ME』(邦題『セレブの種』...)がしばらく公開されなかったり(やっと先月から公開されました)、さすがに以前ほどの認知度や影響力がなくなってきたのかなと思うと心配になってきます。90年代の後半にはちょっと微妙な作品もありますが、今でもこれだけのクオリティの作品を生み出し続けていること自体すごいのに。黒人やニューヨークに立脚したスパイク・リーもいいですが、こういう作品も悪くないです。全米でさまざまな論議を巻き起こしたという『セレブの種』にも期待しています。
でも今後も『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)を越える作品を期待するのは無理なのかなあ。
・『インサイドマン』(http://www.insideman.jp/)
・『セレブの種』(http://www.celeb-tane.com/)
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『プリンタ選び』(No.242/2006.10.06)
何かこういう話題は面白くないだろうなあと思いながら、それでも悔しいので書くんですが、プリンタの話です。
先日、家で使っているプリンタが突然壊れました。まだ買って1年ぐらいです。その前のプリンタも買って一年ぐらいで故障しました。最近のプリンタは値段が安くなったのはいいんですが、その分壊れやすくなった気がしますね。そんなことないのかな。
プリンタにしろデジカメにしろ、基本的にパソコン関係の製品は、大体半年から1年落ちぐらいを買うことが多いです。値段も下がっているし、最近は技術革新が早いので、間違いなく以前使っていた機種より性能が上がりますからね。で、今回も、あまり深く考えずに半年落ちぐらいの新品を買ったんです。CDに直接ラベル印刷が出来るという、前の機種にはない機能もあるので、少なくともがっかりすることはないだろうと。で、買ってみて、がっかり...。
プリンタのインクには顔料系と染料系があって、一般的には文書等の文字印刷は顔料系、デジカメ等の写真印刷は染料系が適していると言われています。個人的には文書印刷が多いので、顔料系を使ってきましたが、今回買ったのは染料系のインクを使用した機種。それでも最近はそれぞれのインクの質も上がってきていてほとんど差がない、というようなことを聞いたことがあったので、さほど気にしていなかったんです。
ところが、新しい機種で最初に文書を印刷して、前の機種でプリントしたものと比べてびっくり。その差は歴然。うむー、そうだったか。実際それ以外の機能は満足しているんですが、このインクに関しては、まだまだ違いがあると思いました。プリンタの購入をお考えの方は、ご一考された方が良いかもです。文書印刷を重視される方は、少なくともブラックに関しては顔料系を使っているものをお選びになった方が無難だと思います。まあ、もちろん実用には何ら問題ないクオリティではありますが、以前と比べると...やっぱり悔しいなあ。
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『安倍内閣始動』(No.241/2006.09.29)
今週、いよいよ発足した安倍内閣。朝日新聞の緊急世論調査では内閣支持率は63%とのこと。毎日新聞の調査では67%、読売新聞では70%に達しています。内閣の支持率が高いと言うのは悪いことではないと思いますが、安倍内閣誕生で、個人的にはこれでまた憲法改正に一歩(十歩?)近づいたのかなあと心配に思っています。
個人的に憲法改正については、「やむなしの面はあるけれど第9条は別」。改憲・護憲という二元論は置いておいて、国民一人一人にインタビューすれば結構こういう意見が多いのではないでしょうか。やっぱり、第9条に書かれている戦争放棄は世界的にもまれな内容だと思いますし、また被爆国の日本だからこそ説得力もあるだろうと。何より、一度この条文を削除、ないしは全く逆方向に改正してしまったとすると、二度とこのような内容で復活することはないだろうと思うからです。
自民党のホームページには憲法に関するページがあり、そこで第9条について、「現在は、国際テロリズムや北朝鮮の拉致事件などがあり「憲法9条を世界にPRすれば平和になる」というような状況ではないのです。国及び国民の安全が確保できるような憲法9条の改正をする必要があるのです」。とあります。私も単純に武力放棄の素晴らしさを唱えることにあまり意味はないと思いますし、そういう思想はどちらかというと理想論的な感じも否めません。しかし、それも9・11以降少し変わった気がします。アメリカはあれだけ強大な武力を持ちながら、結局テロを防ぐことは出来ませんでした。武力を誇示することが威嚇にもならなかったわけです。その後の報復(?)の際にはそれなりの威力を発揮したようですが。
第9条を世界にPRするだけでは平和にならないかもしれませんが、武力を持ってしてもそれは同じでしょう。もちろん、武力を持たない以上アメリカ(とは言いたくないのですが)や国連に頼らざるを得ないでしょうし、そこで”何を””どれだけ”協力するかは難しい問題です。それでもやはり武力を持つことにどんな意味があるのか、疑問を持ち続ける必要があるのではないかと思います。
・自民党−政策パンフレット
(http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/index.html)
・九条の会オフィシャルサイト
(http://www.9-jo.jp/)
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『ターネーション』(No.240/2006.09.22)
映画に関するホームページをやっていると、普通の人よりたくさんの映画を見ていると思われることが多いですが、私の場合は、少なくとも映画館で映画を観る本数で言うと”並”だと思います。なので、「あの名作を観てないの?」とか「あれ観てないのはやばいよ」とか言われることもしばしば。一年以上前に公開されながらやっとこさDVD化された『ターネーション』。これも観ていませんでした。やっと観れた。
アップル・コンピュータのパソコンに付属の映像編集ソフト「imovie」を駆使して製作されたことでも話題になったこのドキュメンタリー作品、制作費はたったの218.32ドル。日本円で約2万円ですね。うむー。監督はジョナサン・カウエット。美しかった母の心の病、ゲイである自身の過去等、監督自らの人生を綴った映像詩。ここ数年、日本でも個人の体験をベースにしたドキュメンタリー作品がたくさん作られていますが、やっぱりアメリカの闇は本物。涙が枯れます。
事故と薬で崩壊していく母親と、その母親を心から愛しながら、その後を追うことに不安を覚える自分。映画というよりも、監督が11歳から撮りためた映像の断片を集めたコラージュですね。監督自身が患っている離人症という、自己の乖離そのままのような映像。記憶は1本の糸にならず、ただ破片がつながっているだけ。ゆえに不安はなくならない。いくら自分探しをしても出てくるのはアメリカ社会の歪みばかり。憎悪が高まるにつれ不安も高まる。それでも出口のない日常を行き続ける地獄。安らかに眠ることだけを夢見る矛盾。
狂わされた母親、狂い行く自分。歯車は永遠にかみ合わないまま。「それでも世界は美しい」、と百万回唱えれば、ほんの少しでも世界は輝くのでしょうか。「それでも未来は素晴らしい」と信じることで人は救われるのでしょうか。...んなわけない。
まばたき2回分の長さでもいい、自分自身と真っ直ぐ向き合ったことのある人にオススメします。
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『見えない広告』(No.239/2006.09.15)
2006年9月13日付けの日経流通新聞(日経MJ)に「広告」に関する記事が載っていました。
”デジタルオーディオ機器の普及で「CMとばし」が横行する中、広告代理店は、ドラマの中に広告する商品が紛れ込んでいたり、ストーリーの延長が広告だったり、というさまざまな手法を編み出している”というもの。例えばテレビドラマの間のCMが、直接そのドラマのストーリー展開に関係している(もちろん登場人物もドラマと同じ)、とからしいです。”半信半疑で新手法を利用するスポンサー企業からは、効果を評価する声が出ている”そうです。
人間をテレビの前に釘付けにする術を日夜考え続けている人々がいる、と想像すると、それだけで結構怖いものがありますが、ご本人達はクライアントさんのために一生懸命やっていらっしゃるだけなのでしょうから、私がとやかく言うことではないのかも知れせん。それこそ大きなお世話か。
しかし、映画の中でよくアップル・コンピュータのノートブック・パソコンを見かけるというような例を持ち出すまでもなく、何年も前からコンテンツなのか広告なのかわかりづらいものは増えていますし、これからもどんどんその方向性は強まるのでしょう。つまり、「広告」がどんどん見えなくなってくる。そう考えるとこれも怖い。知らない間にいろんなものを強制されている社会ってやだ。いかに広告であることを匂わせずに見させるか、というのは何か商品なりサービスを斜めから見せているような気がしてなりません。もっと正面きって勝負しないと結局はダメな気がするんですけどねえ。
私たち見る側も、広告を広告として楽しんだり、しっかり情報を見極めて、比較検討するチカラをつけたりしていかないとやばいことになりそうです。
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『溝口健二の映画』(No.238/2006.09.08)
ちょうど明日9月9日(土)から、恵比寿ガーデンシネマを皮切りに、全国4ヶ所(東京・大阪・京都・札幌)において、映画祭『溝口健二の映画』が始まります。今年は溝口健二監督が病気でお亡くなりになってから50年にあたるそうです。
溝口健二監督は伝統的な”日本の美”を撮り続けた方で、1952年の『西鶴一代女』から『雨月物語』『山椒大夫』と3年連続ヴェネチア映画祭受賞という偉業を成し遂げ、その名が世界に知れ渡りました。世界的に知名度の高い日本人監督と言うと、小津安二郎監督や黒澤明監督がまず頭に浮かびますが、いろんな監督に影響を与えたと言う意味では、まったく引けをとらないと思います。
上記映画祭のホームページにも、「ベルナルド・ベルトリッチは『ラスト・エンペラー』撮影中に「ミゾグチ!ミゾグチ!」と口走っていた」(ちょっと意味不明ですが...笑)とか、「『山椒大夫』のラスト・ショットは後年ジャン=リュック・ゴダールが『気狂いピエロ』で引用した」等の見出しがあります。
私もかなり昔、アンドレイ・タルコフスキー監督が何かのテレビ番組でインタビューに応えているシーンを見たのですが、溝口監督から影響を受けたと語っていたのを覚えています。実際、溝口監督の作品を観始めたのはそれからでした。
さらに映画祭のホームページには、”溝口の影響を口にする作家”として、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、ベルナルド・ベルトルッチ、アキ・カウリスマキ、アンドレイ・タルコフスキー、ジャック・リヴェット、テオ・アンゲロプロス、ヴィクトル・エリセとそうそうたる顔ぶれが羅列されているのですが、ほとんど自分が好きな監督なんですよね。でも、溝口作品はそんなにちゃんと観たことがないので、この機会にまとめて観たいと思います。実際はほとんどいけない気がしますが。
スケジュール等は下記サイトでご確認ください。
・映画祭「溝口健二の映画」
(http://www.kadokawa-herald.co.jp/mizoken/)
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『ヨ・ラ・テンゴ』(No.237/2006.09.01)
アメリカのバンド『ヨ・ラ・テンゴ』の約3年半ぶり、通算11作目の最新アルバムが発売されたので買いました。大好きなんですよねー。タイトルは『I Am Not Afraid Of You And I Will Beat Your Ass』。日本語で書くと『アイ・アム・ノット・アフレイド・オブ・ユー・アンド・アイ・ウィル・ビート・ユア・アス』。ながーい。
自分の心に響くものとかずっと好きであり続けるものとか、音楽でも映画でも小説でも、実は意外と”言葉”で表現するのが難しい気がします。『ヨ・ラ・テンゴ』の音楽も「どういう音楽?」と問われるとなんと説明してよいのやら。ファンとしては、最新アルバムに関しては、今まで以上に幅広くいろんなものを取り入れていて、曲数もたくさんあるけれど、いつもの質感は損なわれておらず、とにかく素晴らしい作品なのですが、こういう風に言っても伝わりませんよねえ。しいて言えば、”ギターやオルガンがフィーチャーされた、ちょっとサイケデリックなロック”、と言うことになるのかもしれませんが、そんな言い回しではとてもとても...。まあ、説明に関しては私のボキャブラリーが少ないと言うことももちろんあると思いますが。
それにしても、ヒット曲があるわけでもないし、ものすごい美形キャラがいるわけでもない(ごめん...)。とてつもなく新しいことをやっているとも思えない(ごめんなさい...)。ジャケットとか中の写真とか、とてもベテランバンドとは思えない程ゆるゆる。なのにこういうバンドがもう20年以上も活動を続けていることが凄すぎです。やはりアメリカの音楽シーンや音楽ファンの成せる業なのでしょうか。
『ヨ・ラ・テンゴ』の良さを紹介しようと思ったのですが、ほとんど意味のない文章になりつつありますし、結果的にお伝えできることは「とにかく聞いてみてください」という陳腐な言葉しかないのですが、それでも、私は聴き続けるだろう、と言うことだけは断言できます。現在、公式ホームページの「AUDIO」のページから、最新アルバムの曲が無料で聴けるようです。ぜひ。
・『ヨ・ラ・テンゴ』公式HP(http://www.yolatengo.com/)
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『葉隠入門』(No.236/2006.08.25)
突然ですが、「初心忘れるべからず」。
いや、初心を忘れて失敗したとか、えらいことをしでかしたとか、特にそういう出来事があったわけではないのですが、元来いい加減で飽きっぽい性格なので、折にふれ、この言葉を心に刻むようにしているんです。
この言葉、世阿弥の晩年の著書「花鏡」にある言葉だそうで、現代では「習い始めのころの謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならない」というような意味合いで用いられますが、本来はちょっと違うようです。”初心”とは、未熟で失敗ばかりの状態である”初心者”の”初心”と同じ意味で、どちらかと言うと「未熟であるがゆえに味わった悔しさや、そのために行った努力などを忘れてはならない」という意味合いだそうです。いずれにしても深みのある言葉。
なぜ、またこの言葉を思い浮かべたかというと、三島由紀夫の『葉隠入門』(新潮社文庫)を読んだからです。”初心を忘れるな”とは出てこないのですが、「三十歳を過ぎれば、とくに謙虚になること」とか「初対面のつつましさで付き合うこと」等、同じような意味合いの言葉がいくつか出てきます。
最近どうやら『武士道』や『葉隠』等、日本の伝統的な精神性に触れる書籍が流行っているようですね。ベストセラーとか流行にはほとんど興味がないのですが、さすがに書店に平積みになっているとつい手にとってしまいます。
で、ちょっと読んで見るとやっぱり面白い。
まあ、いずれも書かれていることは日本人にとってはほとんど”正論”みたいなもので、そもそも否定しようがないんですが、それでも『葉隠入門』には「子どもの育て方」「名誉と富に執着すること」「あがらない法」等、意外と幅広いテーマについて言及されていて楽しめます。
「大雨の戒め」では、”にわか雨にあって軒下に走っても、結局ぬれることにはかわりはない。はじめからぬれるものだと得心していれば、ぬれたとしてもなんら苦にならない。これはすべてのことに共通する心得である”、とあります。うーん、説得力あります。
ただ、やはり”武士としての心得”であることに変わりはなく、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という考え方が基本にあるので、「何事も、死ぬ気でやることだ」「死のうか生きようかと思うときは、死んだ方がよい」「毎朝、まえもって死んでおけ」等々、そのまま真似するととんでもないことになるアドバイスもあります。ほどほどに。
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『電話を携帯する』(No.235/2006.08.18)
久しぶりに携帯電話、というかPHSについて考えました。
以前勤めていた会社を退職する時にいただいたPHSを、ずーっと使い続けて早5年。いよいよ壊れたらしく、受信はすれどこちらの声が相手に聞こえなかったり、その逆の現象が起こったり。で、とうとう機種変更することにしたんです。
なぜPHSかというと、それは勤めていた会社の取引先との関係があったからで、地下でも結構使えることや、音質がいいことから、何となくそのまま使い続けていました。それにしてもPHSは機種が少ないですねえ。個人的には折りたたみ式よりもまっすぐの方が好きなのですが、そうするといきなり選択肢が2つに。でもって最終的に決めた機種は、外観的には5年の月日を全く感じさせないタイムレスなモノ。もちろん、機能的にはかなりアップしていますが、通話しかしないのであまり意味ないんですよね。
よく考えると、電話機はこの世に誕生してから100年以上経っていますが、携帯電話が出来てからまだ20年も経っていないんですね。日本で移動可能な電話機が初めて実用化されたのは、1979年の自動車電話だそうです。その後1987年にNTTが日本で初めて携帯電話のサービスを開始。次いで日本移動通信やセルラーグループが参入し、どんどん普及するに伴って小型・軽量化されてきた(こっちが先でしょうか?)と。
当初は加入も通話料も高かったわけで、一般的に普及してから、と考えるとまだ10年ぐらいなんですよね。だから、生まれた時から携帯電話が身近にあって、死ぬまで(寿命で、ということですが)使っていたなんて人はまだいないことになる。そう考えると、今、”携帯がないなんて考えられない”みたいな発言をテレビや雑誌でも聞くことがありますが、まあ、個人的にも仕事上はそういう部分はあるものの、実際はどうなんだろうと思いますね。意外とどの世代の人も、20年ぐらい使うと嫌になるんじゃないかな、何て。自分が年を取ったからかもしれませんが。
どこかで便利さを追求する日々のゆり戻しが来るというか、”便利さ”に”疲れる”ときが来るんじゃないかと。便利であるがゆえに疲れるとか、つまらないとかっていう境目というか分岐点って、意外と低い気がするけどなあ。今、普及しているPHSや携帯電話に詰め込まれた機能と、自分が求めている機能とにあまりにも激しい差があるのでそんなことを思いました。
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『ミッドナイトムービー』(No.234/2006.08.11)
先般ちょっとご紹介した、伝説のカルトムービーの裏側を描いた『ミッドナイトムービー』を観ました。観れてよかった。泣かずに済みました。
個人的にはとにかくアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』の一部分でもスクリーンで体験できただけで満足なんですが、内容的にもさすがに面白かったです。
自分のやり方を貫き通すことによって得られる凄み、新しいものが生まれる時の熱、深夜という時間帯が作り出すカオス、作品を世に送り出す側の苦労、いろんな事を感じることが出来ました。
中でも印象的だったのが、観客が育てる映画というのが存在したということ。これは映画上映がそのまま観客たちが参加するショーになってしまった『ロッキー・ホラー・ショー』に顕著ですが、他の作品でも観客はその映画を支持し、2回、3回と劇場に足を運ぶことによって育ててきたといえるのではないかと思います。
これらの作品を当初メジャーな劇場で公開されなかったという意味でインディーズと定義すると、メジャーとインディーズの境界線は限りなくあいまいになってきていますが、今も昔も違うのは作家とオーディエンスとの距離感ではないかと思います。そういう意味で、ミッドナイトムービーは作品=作家と観客との一体感があります。そしてそこには深夜というある種普通の人々が活動しない時間帯での上映ということも少なからず影響していたのではないでしょうか。
また別の意味で感動したのは、大好きな監督デビッド・リンチの作品の特異性。これだけ個性的なカルト映画に囲まれても、やはりその存在感、異質さは群を抜いていました。すごい。さすがです。こうやって観ると、あの時代に『イレイザーヘッド』を撮ったリンチもすごいけど、その作品性を評価して上映した人たちもすごいなと。
今、日本でも映画のインディーズシーンでは、特に私的なドキュメンタリー作品が多く製作されていますが、みんな上映する場所がなくて困っているようです。もし自分が映画館を持っていたら、深夜にそういうのをドンドン上映するのになあ。もちろん、本当に世に出すべき作品かどうかを判断する目を持っていないと結局はダメなんですが。
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『三茶二本勝負・その3』(No.233/2006.08.04)
先週、”最近映画館に足を運んでない”と書いたばかりですが、がんばって三軒茶屋の映画館で2本立てを見ました(がんばって見る必要はないのですが...)。ということで久しぶりの『三茶2本勝負』レビュー。
まずは『Vフォー・ヴェンデッタ』。
先鋭的な映像で世界を席巻した『マトリックス』(1999)の製作チームが終結して作り上げた作品。モチーフとして使われている”11月5日”は、1605年にイギリスの伝説的ヒーロー、ガイ・フォークスが国会議事堂の爆破に失敗し、処刑された日付だそうです。イギリスでは有名だそうですが知りませんでした。
内容的には面白かったと思います。テンポもいいし、アクションシーンもさすがの出来。コミックがベースという軽さもあまり感じさせません。ただ、『マトリックス』と比較してしまうとさすがにおとなしい印象で、主人公のテンションや活躍が尻すぼみになってしまうところも残念。まあ単なるヒーローものを拒絶したという意味では よいところでもありますが。
第3次世界大戦によってアメリカがイギリスの植民地になっていたり、昔のアップル社のCM(「1984」)を思い出させるような体制側の描写があったり、設定・映像的に刺激的な要素は多いものの、管理社会や独裁政治の恐怖なんかはすでにちょっと時代遅れな感じも。
それでも、言葉へのこだわりはちゃんと伝わってきて、ところどころぐっと来る台詞がありました。「政治家はウソを語り、小説家はウソで真実を語る」「世界は変わるたびに悪くなってきた」なんて台詞がビシバシ。そういう言葉が響けば、心に残る作品になると思います。
次は『オーメン』。
1976年に公開されたリチャード・ドナー監督、グレゴリー・ペック主演の同名作の2006年版リメイク。オリジナルの方は子供の頃に見て”トラウマ映画”となっています。いや、怖かった。ホントに。なのでリメイク版は個人的には出来以前の問題。しょうがないです。
かなりオリジナルに忠実ですが、最大の失敗は現代に置き換えてリアリティを出そうとした点。2006年6月6日(666は悪魔の印)が来るから製作したという噂もあるぐらいでした。しかし、そういう視点がどうしてもこじつけにしか見えず、さらに映像と音で驚かすシーンの多用でよりチープな印象に。
オリジナルの怖さの大きな要因は、音楽や映像の効果もさることながら、やはり”運命には逆らえない”という暗示が伝わってきたこと。作中、人間は聖書に書かれた内容や写真に写った影等から、これから起こる不吉な出来事を予測できました。それでも運命は変えられず、結局は悪魔の思い通りになってしまう。そんな弱者としての人間や神が描かれたところが怖かったんです。だからこそ、オリジナルは今でも単なるオカルト作品を越えたところで評価されているのではないでしょうか。
ということで鑑賞後、少し不完全燃焼な気分になり、オリジナルの方をビデオで借りて見ました。って、自分でトラウマ逆なでしてどうする...。
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『BOW映画祭』(No.232/2006.07.28)
また、ほとんど劇場に足を運べない状況が続いています。何だかんだ要領が悪いんでしょうね。実際、最近公開中の映画で食指を動かされる作品が少ないことも理由のひとつですが、企画モノでは見たい作品がいくつかあります。
ひとつは銀座「シャンテ・シネ」で開催されている『BOW(バウ)30映画祭』です。BOWというのは外国映画配給のフランス映画社が続けてきたシリーズ(ベスト(Best)、オブ(Of)、ザ、ワールド(World))のことで、今回、BOWで公開してきた中から、監督30人の代表作39作品を連続上映するもの。で、これがすごいラインナップなんです。
ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』から始まって、『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ監督)、『デッドマン』(ジム・ジャームッシュ監督)、『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー監督)、『ゲームの規則』(ジャン・ルノワール監督)、『サクリファイス』(アンドレイ・タルコフスキー監督)等々、きりがありません。えらいこっちゃ。もうすでに半分ぐらい終わってしまいました...。どれか1本ぐらい見なきゃ。タイムテーブルはWEBで公開されています(下記)。
もうひとつ気になっているのは、こちらは映画祭ではなくてドキュメンタリー作品『ミッドナイト・ムービー』。1970年代、時代が転機を迎える中で、抑圧された若者たちによって数々のカルト・ムービーが生み出されました。そんな時代を象徴するカルト・ムービーの裏側を捉え、実像をさらけ出したのがこの作品。
監督はテレビ・プロデューサーであり、作家としても数々のドキュメンタリー作品を制作してきたスチュアート・サミュエルズ。取り上げられる作品は『エル・トポ』(アレハンドロ・ホドロフスキー監督)、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(ジョージ・A・ロメロ監督)、『ハーダー・ゼイ・カム』(ペリー・ヘンゼル監督)、『ピンク・フラミンゴ』(ジョン・ウォーターズ監督)、『ロッキー・ホラー・ショー』(ジム・シャーマン監督、リチャード・オブライエン脚本・出演)、『イレイザー・ヘッド』(デビッド・リンチ監督)と、個人的にストレートなものばかり。これ見逃したら泣きます。多分。
いずれも8月中旬までの上映です。ご興味のある方、お見逃しなく。また、ご覧になった方、感想をお聞かせください。
・BOW30映画祭
(http://www.bowjapan.com/bow30/)
※上映されるほとんどの作品の予告編が見られます。
・ミッドナイト・ムービー
(http://www.cinemacafe.net/special/midnight-movie/)
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『団地ともお』(No.231/2006.07.21)
ここ数年、単行本が出ればすぐに買い、折にふれ繰り返し読んでいる漫画といえば『団地ともお』(小田 扉(おだ とびら)/小学館〜ビッグコミックスピリッツで連載中)です。
作者の小田扉さんのところで、ちょっとお手伝いをしたことのある知り合いから教えてもらったのがきっかけでした。”団地”が舞台ということと、タイトルから「ちょっと地味そうだなー」と思ったのですが(それまでは”繰り返し読む”と言えば、諸星大二郎、つげ義春関連や『寄生獣』『カイジ』等でしたから...)、実際読んで見て驚きました。いや、確かに地味は地味なんですが、リアルとファンタジーのバランスのよさと、今まで見たことのない話の展開に終わり方。新鮮でした。これって絶対アメリカ人(というか、日本人以外)にはわからないだろーなと。
主人公の小学生「木下友夫」のみならず、登場する人物すべてのバカさ加減と優しさ加減が絶妙で、独特の笑いの波が確立されているんですよね。団地+小学生がモチーフですが、懐かしいというよりも、いろんな意味で現代を感じさせます(ともおのお父さんの顔が描かれないとか、話の中心は大体大人の事情だったりとか)。
最新刊は早くも第7巻ですが、全くだれるところがないのもすごい。ますます面白くなっています。また、単行本1冊に1〜2話程度の割合で存在する人情ものが泣けるんです。大抵最後のコマでじーん、ときます。7巻にも父親からの遺産である「気球」「ヨット」「団地の一室」を譲り受けた3人兄弟の物語(『さあ、冒険だなともお』)があるのですが、これがまたくすっと笑わせて、スケールがでかくて、最後でじーん。この微妙な感じは漫画ならではな気がしますね。出来ればアニメとか映画にはならないで欲しい。
最近はコンビ二でもベスト版が販売されているようですが、ちゃんと成長するキャラクターもいますし、連続ものの”漫画内漫画”もありますので、出来れば単行本をオススメします。
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『著作権と価格』(No.230/2006.07.14)
映画のDVDの著作権に関する”53年問題”に注目が集まっています。
「ローマの休日」など1953年(昭和28年)に公開された映画の格安DVDについて、パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーションが日本国内の販売会社に対し、販売差し止めを求めていました。
映画の著作権は、改正著作権法(平成16年1月1日施行)によって著作権保護期間が50年から70年に延長されているのですが、著作権法を所管する文化庁は、昭和28年公開の映画について「著作権保護期間が終了した平成15年12月31日午後24時と、改正法施行の16年1月1日午前0時は同時で、改正法が適用される」と説明、この見解が正しいかが争点となっていました。
しかしながら、今回の訴えに関して、東京地裁は同作の著作権は切れていると判断、パラマウントの申し立てを却下する決定をしました。裁判長は「(文化庁の説明は)同じ時刻を一方の日から見た表現。この時刻を改正法施行日ととらえると、著作権は消滅している」と説明。何か子供のけんかみたい...。
というわけで、とりあえず格安DVDが認められた形になりました。同じく28年公開の映画には、西部劇『シェーン』やSF『宇宙戦争』、小津安二郎監督の『東京物語』などがあり、買う側にとっては嬉しい結果。ただ、今回の著作権問題に限らず、映画のソフトに関しては昔から価格が大きく変わったり、変動したりするので何か不透明な部分が多い気がします。
例えば、ロシアのアンドレイ・タルコフスキー監督の名作『惑星ソラリス』は、現在国内版が6,090円(税込み)で販売されており、個人的にあまりの値段の高さに買うのをためらっていたのですが、そうこうするうちに、角川書店の創立60周年記念出版『世界名作シネマ全集』の一タイトルとして、『惑星ソラリス』になんとフランクリン・J・シャフナー監督の『猿の惑星』がプラスされて2作で3,480円(税込み)という商品が発売されました。まあ記念出版ということでいろいろ特別なのかもしれませんが、それでもちょっと...。よくよく調べると角川書店の方の『惑星ソラリス』は音声が「ロシア語モノラル」とあり、国内版では他の言語でもあるので、多少の違いはあるのかもしれませんが(角川書店のWEBでは、市販のDVDと同じと記載されています)、それでもちょっと...。
特にメジャーでない作品は、DVDも平気で5〜6千円台になるので不信感があるんですよね。そもそもビデオテープからDVDに移行する際に、ソフトウェアとしての生産コストがかなり下がるから値段が安くなる、みたいなことが言われていた気がするんですが、なかなか下がりませんでした。そのあたりの仕組みももっとオープンにして透明性を高めて欲しいなあと思います。
・角川書店 創立60周年記念出版(http://www.kadokawa.co.jp/meisaku/)
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『外への欲望』(No.229/2006.07.07)
仕事柄、いろんな大学生と話をする機会が多く、それはそれで大変貴重なことだと思っていますし、実際、刺激的な体験でもあります。ただ、ちょっと気になるのは、私が大学生だった頃に比べると、「海外に行きたい」と熱く語る人が少ないなあと感じることです。統計を取ったわけではありませんので、あくまで”感覚的”な話なのですが。
最近は情報過多時代ですから、ひょっとしたらインターネットの普及やなんかで、テレビや書籍等のチカラを借りずとも、”外”の情報が簡単に手に入るようになってしまい、逆に、”外”に対するリアリティがなくなってしまったのではないかと、勘ぐってしまうのです。もしくは、身近にあるいろんなものが総エンターテイメント化してしまい、海外旅行は費用対効果で見劣りするようになった?
もちろん、世界的な治安が悪くなったことや、日本の景気が悪くなった(これに関しては、デフレで旅費は安くなっている気がしますが)こともあるのかもしれません。しかしながら、自分は海外に行って外から日本を見るという経験から多くのことを学んだと思っているので、「それでいいの?」なんて心配してしまいます。
あらゆることが、経験によってしか理解できないと言ってしまうと、身も蓋もありませんし、想像や思考からいろんな物事や人の心を理解することは可能だと思います。しかし、日本が世界の中で四方を海に囲まれていると言うかなり特殊な事情や歴史がある以上、やはり、若いうちに”外”に出て、いろんな文化に触れ、自分の価値観や世界観が壊されることは、とても大切だと思います。年を取るとなかなか今までの自分を壊せませんしね。そのあたりは自戒の意味も込めて、ですが。
そういえば、あるアナリストが何かの雑誌で、ブッシュ大統領と小泉首相の二人を並べて、いろんな意味で”壊し屋”だと表現していました。もちろん、とにかく壊せばいい、というわけではありません。言うまでもないですが。
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